それでも差異はつくられる

「メニュー全品280円」を売りにする居酒屋がテレビで紹介されていた。ビールも一品料理もすべて280円という。この値段をどう見るか。誰も高いとは言うまい。ならば、安いかリーズナブルか? コストは、味という”パフォーマンス”によって人それぞれが感じるものだろう。

変えてはいけない(あるいは、変える必要がない)価値と、積極的に変えねばならない価値を見極めるのが商売の心得。料理店にとってはここが腕の見せ所だ。その店は今のところ繁盛している。その店では廃業したテナントが残していった什器や備品で使えるものはそのまま流用している。これが不変の価値。と同時に、何でも280円というのは、かつての百均革命に相当する、異端領域への踏み込みである。これが変化の価値。

「居酒屋は安くて旨ければそれでよし」と、満足げな常連たちが異口同音に評価しているらしい。家族で来ていたある主婦は「食べるために来ているのだから、雰囲気は関係ない」と、暗に雰囲気がイマイチであると匂わせながらも、この店のやり方に賛辞を送っていた。賑わっている、客の評価も良好、わかりやすくて安い価格……これら三拍子が揃えば、居酒屋は「形より中身」と結論づけてよいか。「旨ければ付加価値はいらない」を普遍的な公式にしてもよいのか。あいにくなことに、話はそんなに簡単ではない。


ノーと力強く叫ぶ自信はないが、さりとて手放しでイエスとも言い切れない。優柔不断だが、半分イエス、半分ノーである。半分イエスの根拠は「オール280円の低価格」と「過剰投資をしないインテリア」。この二つは一つのビジネスモデルになりうる。安くて旨いものに憧れる人間心理は、おそらく十中八九不変だろう。

しかしながら、半分ノーにも有力な根拠がある。この280円路線と低コスト内装を他の居酒屋がマネて「売りの目玉」にしはじめたとき、店選びは偶然に委ねられるのだろうか。いや、そうではない。先発・後発とは無関係に、店と店の間にまったく別の差異化ポイントが生まれることになる。安いだけではない何か、旨いだけではない何か、雰囲気以外の何かを求めて人々は店の選択を検討するようになるのだ。

人は飽きる。新しいもの、よりよいものを求めるのが人間の本性である。それゆえに市場価値は巡り巡る。売る人と買う人はいずれもよりすぐれた価値へと向かう。差異化の成功は「次なる淘汰試験」の始まりであり、片時も成功に安住することはできない。昨日の席次一番が、翌日落第の憂き目に遭うかもしれない。異質から同質へ、同質から異質へ……この繰り返しは終わりのない差異化競争を生む。そして、競争はますます熾烈になっている。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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