習作した頃 #9

  記憶の断片

 

想い出したくないが、つい想い出してしまう〈こと〉がある。とぼけようとする記憶を嘲笑いながら、それは現れる。

想い出そうとしてうるわしげに想い出せる〈こと〉は意外にも無機的である。その〈こと〉の自覚の内に生まれる感情の機微はマンネリズムだ。

想い出すことができず、また、想い出せない対象にもなりえぬ〈こと〉は未だ知りえぬ〈こと〉かもしれない。

想い出そうとして想い出せない〈こと〉があり、その〈こと〉はもどかしさを刺激しながら、わらう、逃げる、消える。

記憶の断片

疲弊の粒が身体のあちこちでひしめき合っていた。
いずれ擦り砕かれて乾いた粉になり、路地を通り抜けるのが精一杯の微風によって吹き飛ばされるに違いなかった。
それでも、アスファルトの割れ目にのめり込みそうな空虚な重量感が何となく愛おしかった。

別に走り通してきたわけではない。
よそ見をしたりふざけたりぼんやりしたりして遊歩してきたのだから、感傷的になる理由はなかった。
真夜中でもない限り、歩いた道は歩いて引き返せばいい。
それどころか、おさらいをしながら、時折り知ったかぶりの表情を露わにして帰り道を辿ることもできるだろう。

視界を遮る異物はどれもこれもが親しみのある顔をしていた。
怪しげなほど包容力が漲っていて、知らず知らずのうちに吸い寄せられていくようだった。
閉ざされた視界のなかで想像力が掻き立てられ、異物で遮断されている光景が紙風船のようにぎこちなく膨らんで競り上がってきた。
おそらく何百回もさまよい佇んだ街……記憶箱の扉が擦り切れるほどせっせと運び入れた無数の夕暮れ……あと一つくらい付け足してもどうということはない。

薄い闇色の空と国道の地表が混ざり合い、その中をおびただしい灯りが浮き沈みしながら重なり、また離れる。
わずかな隙間を縫ってヘッドライトの鋭角な光が疾走する。建物群が翳り始める。
せわしげに警笛が弾む。許された空間を奪い、貪るように車体が余白を埋めていく。
あらゆるものがもつれる、ほどける、そしてまた縺れる、解ける……神経を切り刻むような緻密な変化と律動に暗示をかけられて、足の動きは加速を得たらしかった。

不意を突いてメトロのポケットから雪崩れるように人の波がはみ出してきた。
水の中にインクを一滴たらしたように滲み広がっていく。
不思議であり神秘的でさえある。
この国道の下をメトロが走っている。
メトロは秩序の象徴そのものだ。
真面目くさった表情をして地下で機能しているのは驚嘆に値する。

地上では、舗道や信号機や様々の装置を駆使して必死に人間と車輛の動きを制御しようとしている。
躍起になればなるほど気紛きまぐれが背反行為をもたらす。
誰もがわずかな隙を狙って付け入る隙ありと目論んでいる。

地下では大小様々の付属の空間が、ある時は通路の役目を果たし、またある時には待合所に化けてみたりする。だが、朝夕の混沌をものの見事に捌いて機能不全に到らせない。
まるでけもの道が了解されているかのように、人が行き交う。
見事な調和を繰り広げながら、人が脈々と行き交う。
だが、つねに危殆きたいに瀕している存在であることを人は忘れてしまった。
砕けて断片になった記憶は想い出す力を失っている。

……
上から下から

おまえを支える絆の糸が
落ちてくるのを聞くがよい
(アポリネール「雨がふる」)

岡野勝志 作 〈1970年代の習作帖より〉

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です