イタリア紀行51 「古代ローマの時空間」

ローマⅨ

コロッセオから見ると、東にドムス・アウレア(皇帝ネロの地下黄金宮殿)、西にパラティーノの丘とフォロ・ロマーノ、北西に公共広場群のフォーリ・インペリアーリ、そして南西にはローマ時代の円形競技場チルコ・マッシモが広がる。チルコ・マッシモは映画『ベン・ハー』で知られた舞台。観客30万人を集めて馬車競走が繰り広げられた。ここから北西にすぐのところに有名な「真実の口」がある。

ローマにはそこかしこに古代遺跡が存在する。だが、極めつけはこの地域だろう。大半の建造物は半壊し劣化しているものの、どこかの国がロープを張って立入禁止にするのとは違って、この遺跡に足を踏み入れることができるのだ。周辺は交通量の多い喧騒の通りだが、いったんこのエリアに入ってしまうと、静寂空間の中で古代ローマの息遣いが聞こえてくる。

コロッセオの入場券と共通になっているパラティーノの丘に入る。雨に濡れた遺跡が点在し、高台が何か所かあり庭園もある。今では見る影もないが、古代ローマ時代には政治経済の力を握っていた貴族たちが居を構える高級邸宅地だった。遺跡になる前のフォロ・ロマーノやコロッセオやローマの街全体をこの場所から見渡せば、さぞかし壮観だったに違いない。いや、毎日眺めていたから珍しくもなかったか。

フォロ・ロマーノは古代ローマの中心地であった。「フォロ(Foro)」は英語の“forum”と同じで「広場」を意味する。だから、フォロ・ロマーノは「ローマの広場」である。ただ、そこらにある広場とは違い、祭事・政治・行政・司法・商業機能を一極集中させた公共空間だった。商取引市場あり、神殿あり、議会や裁判所あり、記念碑あり。しかも、一般民衆と無縁の存在だったのではなく、市民広場としても活気を帯びていた。

カエサルが議員たちに語りかけた元老院議会場「クリア」は何度か建立され直したが、現在は復元されフォロ・ロマーノの一画にあって当時の政治熱をうかがわせる。共和政の特徴として、このクリア、市民広場、演説のための演壇場が三点セットになっていた。ちなみにクリア(Curia)はラテン語に由来し、「人民とともに」という意味である。これこそ共和政の精神。その名残りは、今もローマ市内で見かける“SPQR”の四文字に示されている。これもラテン語で“Senatus Populusque Romanus”を略したもので、「元老院とローマ市民」という意味である。

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フォロ・ロマーノ側から見た丘一帯。この奥に高台が広がる。
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サトゥルヌスの神殿。円柱が8本、その柱頭はイオニア式で装飾されている。サトゥルヌスは農耕の神。聖なる場所とされている。
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大小三つのアーチが特徴のセヴェルスの凱旋門。この場所が古代ローマの中心点とされた。
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このSPQRはミケランジェロが設計したカンピドーリオの広場の階段近くに掲げられている。古代ローマ共和政の成立を記念したことばで、現在はローマ市のモットーになっている。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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