肉、肉、肉……。肉はうまい。多少の好き嫌いや食べる量に違いがあっても、老若男女誰もがだいたい口にする。肉はありがたい。言うまでもなく、肉とは動物の肉である(魚の場合は魚と言う)。また、肉と言えば、皮膚と骨の間の筋肉である。広義では内臓も含むが、内臓に限定するならホルモンとか内臓と言うべきだ。「今夜、焼肉をおごってやるよ」と人を誘い、ホルモンばかり食べさせたら相手はがっかりするはず。

幼い頃の肉の思い出は、肉じゃが、トンテキ、鯨肉、豚のしょうが焼き、名ばかりで実の少ないビーフカレー(はたしてビーフだったのかどうか、当時の舌では判別不能だった)。すき焼きはご馳走であり、年に数えるほどだったが、祝い事の折りに鉄鍋を囲んだ記憶がある。ステーキもたまに食卓に出てきた。近所の洋食屋に行くとトンカツやポークチャップが定番だった。

十代になってから口にした羊がぼくの肉食シーンを一変させた。関西で流通したのは東日本よりだいぶ遅れたようだ。当時の羊肉はすべてマトン。クセのある匂いに閉口することなくふつうに口に運んだ。後になってラムがマトンに取って代わるようになり、マトン離れをする。ニンニクの使い方も覚え、味と気分両方のステータスが一段も二段も上がったような気になった。だが、肉食習慣をそれ以上に激変させたのは、二十歳前後になってからの屋台のホルモン串焼き。そして、タレに付けて食べる焼肉だった。切り分けられてタレに漬かった肉を炭火で焼くのがいい。ポンと出てくる一枚のステーキよりも新鮮だった。焼肉は今もご馳走であり続けている。


縄文時代のわがご先祖さまたちは、せっせと熊、狐、兎、狸、鹿、猪などを食べていた。縄文遺跡からはそんな骨が数十種類も出てくる。この時代の人類はみな肉食派だったはずである。『物語  食の文化』(北岡正三郎)には「天武天皇(675)が殺生禁断のみことのりを出し、野生動物の効率的な捕獲方法を禁じ、猟期を定め、ウシ、ウマ、イヌ、ニワトリ、サルの摂食を禁じた」と書かれている。常食していたから禁じた。つまり、当時は犬や猿も食べていたのである。江戸末期から維新にかけての「ももんじ屋」や「薬喰い」などの肉食文化も興味が尽きないが、そのあたりの事情は割愛して、明治の文明開化期の牛肉に話題を移す。

当時の食肉の主役は牛肉だった。前掲書によれば、西日本では黒毛和牛を農耕に使っていた関係から、老廃した牛を食用にしていた。その中心地が丹波、丹後、但馬。これら産地の肉が神戸牛ブランドとして関西から全国に出荷された経緯があった。イメージとして定着している「関西の牛肉、関東の豚肉」というのはある程度的を射ている。実際、関東では「肉」とだけ言って「牛肉」を示すことは稀で、牛か豚かをはっきりさせる傾向がある。関西では――もちろん牛肉や他の食肉を総称して肉と呼ぶが――「肉≒牛肉」という意味合いのほうが強い。

わたし豚だけどお肉大好き

「わたし豚だけど お肉大好き ウフフ」と豚キャラ女子が牛キャラ男子に言っている。大阪ミナミのとある焼肉店の大きな看板。これが「肉と言えば牛肉」の何よりの証拠である。西日本とひとくくりにする自信がないので、関西、いや、もっと正確を期して大阪ということにしよう。肉うどん、肉じゃが、焼肉、串カツ、すき焼き、しゃぶしゃぶは、わざわざ断わるまでもなく、使う材料は牛肉に決まっている。串カツ屋で「串3本」と注文すれば、牛串のこと。肉を豚にしたければ、豚しゃぶとかとんカツと指名する。東日本――これも自信がないので、経験や知り合いの証言もある関東に限れば――「肉≒牛肉」という一致はほとんどないはずだ。


ありがたいことに、昔に比べればうまい焼肉をいただくようになった。肉の種類に好き嫌いがないから何でも食べる。グループ会食になると、羊がダメ、豚がダメ、鶏がダメというわがままがいるので、焼肉に落ち着く。これが日本流。しかし、世界標準は牛肉ではない。皇室やノーベル授賞式の晩餐会などの正餐の主菜はほぼ羊肉だ。グローバルの階段を登り詰める気がある若者はラムを食べ慣れておくのがよい。

ロスのステーキ

焼肉に満足しながらも、ステーキとは名ばかりの薄いのを食べていた頃を回想しては、ステーキで「失地挽回」せねばという思いも強かった。100グラム200グラムなどとケチなことを言わずに、分厚くて大きいのをレアで喰らう。数年前にロサンゼルスの親類宅で出されたステーキ。それは野趣の風味が強い歯応えある肉だった。なにしろ推定600700グラムだ、平らげた後の達成感は半端ではない。以来、サシの入った肉を遠ざけるようになった。口に入れた瞬間とろけるような200グラムのステーキに大枚をはたく気がなくなった。ぼくは肉のうまさと値段から実に多くのことを学んできたと思う。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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