記録は勝利を担保するか

「次の試合では記録よりも勝負にこだわりたい」とスポーツ選手が言うのを耳にする。世界大会への出場基準が優勝か標準記録かはスポーツによって異なる。格闘技や球技などの一対一の対抗型競技は、リーグ戦であれトーナメント戦であれ、勝って頂点に立たねばならない。だから、基準を満たすのは原則として優勝以外にない。しかし、陸上や水泳は一対一ではなく、予選から決勝までおおむね八人で競う。決勝までは順位と記録の両面で上位者を勘案する。しかし、決勝は順位がものを言う。そして、優勝しても標準記録に及ばなければ、世界選手権や五輪への資格を得られないことがある。陸上の中でもマラソンの代表選考基準が定まりにくいのは周知の通り。

陸上や水泳の解説者はことのほか記録にこだわる。ぼくのような一対一の個人対抗型競技しか経験のない者にとっては関心は勝敗だから、「勝つことは勝ったが、記録は平凡」というコメントに違和感を抱く。場合によっては、記録のほうが重要だとの印象を受けることさえある。それなら、予選を勝ち抜けるのは各組上位2名と3位以下の記録上位者救済という方式をやめて、すべて記録順に次戦への進出者を決めたらどうだと極論の一つも吐きたくなる。まあ、素人の単純な思い付きだとのそしりは受けるだろうが、記録を重視するなら全員一人で走り泳げばいい。もっとも、そんな妙味のない競技にファンが集まるとは思えないが……。

かく言うぼくも、男子陸上100メートル競走の観戦にあたっては、世界歴代十傑クラスの9.8秒台の記録を期待している。しかし、やっぱり記録がすべてではない。大きな国際大会で優勝タイムが平凡な1003であったとしても、国歌が流れ日の丸がセンターポールに揚がれば国民も解説者も歓喜するだろう。つまり、勝つということは記録よりも重要なのだ。勝ち負けがあり、そして最後に勝つということを目指すからこそ競技は成り立つ。予選敗退者に比べれば、銀メダリストはかぎりなく金メダルに近いが、その差を僅差と見るようなスポーツはつまらない。金メダルだけが輝き、銀メダル以下はみな同じという厳しさがあってこそのスポーツである。

スポーツ界以外の実社会ではwin-winがあるし、必ずしもナンバーワンでなくてもいい。同じジャンル、同じカテゴリーで複数の勝者や成功者が生まれるのが普通である。たとえばビジネスでは、他社とは関係なく、自社の業績がよければ勝ち組に属する。とは言え、ここに「幸福」や「よい仕事」という概念を持ち込めば、業績という記録のみが勝利を担保するとはかぎらなくなる。儲かってはいるが、社員に不平不満が募る大企業はいくらでもあるし、業績に目ぼしいものがなくても、やりがいを感じる職場があったりする。


トラック

スポーツに話を戻す。昨年8月の世界陸上で日本女子チームは400メートル×41600メートルリレーで予選敗退した。悔し涙を流さねばならない場面だったのに、日本新記録を示す数字を見て選手らは肩を抱き合って歓喜に感涙した。幸せに包まれ、しっかりと満足したようであった。解説者も予選敗退のことについてはほとんど言及せず、記録を褒めたたえた。順位や予選通過などよりも記録だったのである。世界レベルに程遠い記録、しかも予選で敗退したにもかかわらず、自己ベストで慰められるとは、なんという自己満足か。

当初から予選敗退が織り込み済みなのである。勝てるとすれば力上位の他チームが失格するしかない。もし番狂わせで準決勝に進みでもすれば、解説者も記録のことなど云々せずに、勝ち抜いたことを褒めちぎるだろう。記録ならずっと記録至上主義に徹すればいいのである。日本人トップなどという基準などに拘泥することもない。但し、記録は決して勝利を担保してくれはしない。

広告業界にいた三十代半ば、仕事を取るためには広告コンペにエントリーしなければならなかった。参加企業が三社であれ五社であれ、コンペに勝たねば仕事は受注できなかった。クライアントが「甲乙つけがたい出来だったが……」と慰めてくれても、落選したら負けなのである。ここに記録の出番はない。クールな勝敗だけが待ち構えている。負ければ落ち込み、準備に注いだ努力はすべて水泡に帰する。やるだけのことはやったなどという満足もなければ、悔し涙も出なかった。ただただ強い敗北感だけが余韻になって残る。勝率は高かったし何連勝もしたことがあるが、勝利の記憶よりも敗北の記憶のほうが強い。

記録は逃げ場になる。そして、負け惜しみで幕引きになりかねない。プロフェッショナルの世界では勝敗がすべてであり、なおかつ、強者であっても負ける宿命を必ず背負う。だからこそ、負けてまず、腐らず、緩まずなのだろう。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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