両義性について

一つの語に一つの意味しかないのなら、辞書の説明から「㊀や2や➌」などの箇条書きを示す数字は消える。見出し語のすぐ下に説明文を載せれば事足りる。実際、そういう一義性の語はいくらでもある。しかし、複数の意味を持つ語も決して少なくない。意味をいくつも備えていることばを「多義語」と呼ぶ。ことばに多義性があると、どの意味を示しているのか紛らわしくなる。多義語はおおむね曖昧語でもあるからだ。手元にある辞書では「やま」の見出しの中に五つの意味が解説されている。高いと一般的に形容する「あの山」だけが山ではない。

多義語のうち、二つの意味を持つ語で、どちらの意味を示しているのかわかりづらいものが「両義語」である。掛詞かけことばも両義語だが、たとえば「松」と言って「待つ」も意味させるように、同時に表と裏のダブルミーニングが成り立つ。教養があれば両義を汲み取れる。両義語の意味がわかりづらいケースは、二つの意味が相反する場合だ。たとえば「適当」が、ものの状態が条件や目的によく合っていることなのか、辻褄合わせのおざなりな対応でいいということなのか、語をぽつんと置かれたり短い文中で使われたりすると、どっちの意味かわからなくなることがある。

「霜降り」は多義語だ。①霜が降りること、②牛肉の網目のような白い脂肪、③熱湯をくぐらせたのちに冷水にさらした刺身、などを意味する。しかし、「霜降り肉」と言えば、白い脂のサシが入った牛肉のことである。ここまでは辞書の定義で明解になるが、字義の意味が明解になってもなお、霜降り肉という表現は受け手に相反する印象を抱かせる。つまり、「霜降り肉はとろけるようにうまい」と「霜降り肉は身体に毒」という両義性を感じさせてしまう。ソシュールの術語を使えば、《記号表現シニフィアン》は同じでも、人によって《記号内容シニフィエ》が変わってくるのである。

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岸壁から転落に注意こんなアイコンの場合を考えてみよう。赤い三角形は一般的に注意を促す時に用いられる。もしこのことを知らなければ、この三角形そのものが多義性を有することになる。次に絵に注目する。自動車はわかりやすい。三本の波状の線は海面を思わせる。海面だから、そこは海なのだろう。こう類推してみると、少し隠れている黒い方形は岸壁ではないかと察しがつく。絵の意味は「岸壁から海面に車が落下しているところ」であり、赤い三角形の意味を足せば、「運転中、岸壁から海への転落に注意」を示すアイコンらしきことがわかる。

ここで一つのことに気づかねばならない。本来アナログ動作であるものが、デジタル的に静止して示されているという点だ。一言のことばの両義性同様に、一枚の静止画も両義性を帯びる。動画は一連の流れを見せ、そこに「方向」が示される。しかし、一枚の写真や絵にはそれがなく、眺める者の解釈に委ねられる。向きというのはぼくたちの動作の中で意味理解を促すために重要な役割を果たしているのである。すべての常識の呪縛から解かれると、このアイコンは「海中から車が浮かび上がる」というSF世界の意味に変化するかもしれない。

多義であれ両義であれ、ことばの意味は文脈によって判断するしかない。アイコン一つ、ことば一語を他要素から切り離して提示すれば、解釈者の常識に期待するしかなくなる。そして、厄介なことに、常識というものは人それぞれなのである。すべての常識が先験的であり超越的であるとはかぎらない。ゆえに、文脈不足――意味の判断材料の不足――の状態では、両義性にともなう意思不通が頻繁に生じるのである。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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