「The+普通名詞」の威風堂々

昨夜ブログを書き終えてから、テーマに関連した記憶があれこれと甦ってきた。考えたり書いたりしている真っ最中よりも、一応のピリオドを打って一息つくや否や、欲しかったアイデアや忘れてしまっていた知識がふつふつと湧いてきたりする。エンジンのかかりが遅いのか、それとも集中のご褒美なのか……。おそらく後者なのだろうと楽観的に受け取っている。

閑話休題。普通名詞が固有名詞化する話の続きである。英語の“president”を辞書で引けば、「社長、会長」が最初に出てきそうなものだが、手元の小学館英和中辞典では、「《しばしばthe P-》(米国など共和国の)大統領」が筆頭である。ちなみに“the Chief Executive”も大統領のことだ。定冠詞“the”に続く普通名詞の頭文字を大文字にすれば、固有の人やモノを示すようになる。

“The New York Times“The Financial Timesは新聞名である。ところが、「ニューヨーク」や「フィナンシャル」などのことばを一切用いない有名な新聞がある。ご存知、ロンドンの“The Timesがそれ。その名もずばり「ザ・新聞」なのだ。まるで「オレこそが新聞だ!」と主張しているようである。「唯一無二」の雰囲気を湛えるが、早い者勝ちの既得権なのだろうか。そう言えば、リッツカールトン大阪のメインバーも“The Bar”である。昨日の「喫茶店」同様、屋号自体が「バー」なのだ。


定冠詞はついていなかったと思うが、“King of Kings”という題名の映画があった。「王の中の王」であり、ほとんど“The King”という意味になるだろう。実はキリストを意味し、“God(神)のことでもある。王という地位についた権力者なら誰もが自分を「唯一無二の絶対的な存在としてのキング」を強く自覚したと思われる。アレキサンダーもヘンリー8世もナポレオンも「ザ・大王」のつもりだったのだろう。

日本語・日本史に視線を向ければ、“The”などという、使い勝手がよくて一番乗りできる定冠詞は見当たらない。定冠詞はないが「冠位」や「称号」で表わしたのだろうか。わが歴史で普通名詞が特定個人を指すようになった例を頭の中でまさぐってみた。すると、見つかった。二日前にぶらぶらした四天王寺。四天王寺と言えば、「お大師さん」である。

そう、お大師さんとは弘法大師のことなのだ。大師の号を授けられた錚々たる高僧の中でも、「ザ・大師」は弘法大師その人を表わす(調べてみたら、時の天皇から大師を賜った高僧は27人とのことである)。「エガワる」のような屈辱もあるが、固有名詞が普通名詞になるのはたいてい名誉だ。しかし、普通名詞が固有化するのにはそれをも凌ぐ威風堂々の趣がある。ぼくの主宰する私塾が「塾」と呼ばれることはありそうもないが、すべての努力や精神の向かうところは、唯一無二の固有化なのに違いない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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