標語の読み方

オフィス近くの寺の外壁にガラス張りの掲示板がある。そこに住職の筆になる平易な標語が収まっている。毎月一回新しい短句がお目見えするが、通りすがりにしばし足を止めて見るのが習慣になっている。よそ行きにね回した文言ではなく、さりげない日常語でしたためられているので、瞬時にメッセージがわかる。先月から張り出されていたのが、「言いあうより話しあい 話しあいより聞き上手」という標語。

わかりやすい。わかりやすいが、文字面だけを読んではいけないと感じた。言いあい、話しあい、聞き上手を比較話法で示しているのだが、コミュニケーションの心得として読むか、人間関係のあり方として読むかによってだいぶ解釈が変わってくる。言いあいとは「言い争い」のことなのだろう。言い争いよりも話しあいのほうが人間関係上は好ましい。その通りである。そして、話しあえるためには双方ともに相手の声に耳を傾ける聞き上手であるべきだ。これにも異論はない。

ところが、たとえば対話でも会議でもいいのだが、実際のコミュニケーション状況で「言いあい<話しあい<聞き上手」という比較級的な格付けは可能だろうか。これでは聞き上手どうしが一番いいということになってしまう。コミュニケーションにあっては、激論、談論、会話、傾聴、質疑応答など、どんな局面も現れる。何かが別の何かの上位などではなく、すべての要素を孕んでいる。「~より」ではなく「~も~も」が現実であって、「現実はまずい、だから聞き上手という理想を求めよ」と言い切ってしまえないのである。なぜなら、聞き上手が必ずしも優位の理想ではないからだ。


論理の世界の推論にもこれとよく似た見損じが生じる。ぼくたちは当たり前のように慣れてしまっているが、「Aである。Bである。ゆえにCである」という推論がつねに「ABC」の順次で成されると思っている。これは、他者に説明したり客観化するときの手順であって、実際には並列的にABCを処理していることが多いのだ。たとえばマーケティングミックスの4Pにしても、一つ一つ順番に、または個別に製品(product)、価格(price)、流通(place)、プロモーション(promotion)を画策していくわけではない。仮に局所戦術を立てるにしても、すべての要素に目配りしておかねばならない。

もちろん「PQはどちらがより重要か?」という問いもそれに対する答えも成り立たないわけではない。そのように問うのもいいし、答えるのもかまわない。しかし、「PよりもQ」と言えるためには文脈の指定が必要なのである。ある状況を特定してはじめて、カルシウムがビタミンCよりも重要という比較話法が成り立つ。そのような付帯状況を示さなければ、つまり一般的には、「カルシウムとビタミンCはいずれも重要だ」としか言えない。

さて、言いあい、話しあいよりも聞き上手を上位に置く標語。比較話法の読み方もさることながら、「聞き上手」の読み方にも気を遣いたい。これを「聞き役に回る」と受け取っている人たちが圧倒的に多いのである。熱心に人の話を傾聴しているように見えても、実は頷いているだけ、調子を合わせているだけという場合が目立つのだ。「聞き上手」のポイントは「聞く」にあるのではなく、「上手」にある。つまり、コミュニケーション上手だから聞けるのである。単に聞くだけで上手に程遠いのがぼくたちの常なのだから、やっぱり言いあいも話しあいも併せてやらねばならないのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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