もう一つの読書体験

読書体験なのだから、本を読むのは当たり前。しかし、読むことだけが体験になるわけではない。読書体験には未読の本を既読に変える以外のものがある。紙を何百枚も綴じた立体物としての本を買ったままで放置しておくと、後ろめたさが物量的にし掛かってくる。新たに次の本を買えば、さらにプレッシャーが増す。電子書籍の場合、姿かたちが見えないからこんな気持ちにはならない。買って読まなくても平気でいられる。

二冊の本

古書店に行く時点では狙いすました本などない。棚を眺めてみないと何を買って帰るかわからないし、何も買わないこともよくある。先日、『ガウディを〈読む〉』と『生きものの建築学』の二冊を買った。置かれていた場所は別々で、書架はだいぶ離れていた。

数年前にバルセロナを訪れて以来、ぼくのガウディへの関心は高まるばかり。だから、前者を手に取ったことに不思議はない。手にしたまま古書店内をしばらく渉猟しているうちに、後者の本を見つけた。タイトルに魅かれたわけではない。表紙にサグラダファミリアのスケッチが描かれていることに心がざわめいたのだ。

『生きものの建築学』は「動物の建築と人間の巣」と題されて専門誌に連載された記事を収録している。著者があとがきで次のように書いている。

(……)たとえばこの本の場合、ガウディの壮大な建築を突拍子もないことに、白蟻(マクロターム)の驚くべき「建築」の上にモンタージュしてみることができるのではないか、とふと考えついた時、私はすでに足手まといな故郷や家族のことを忘れて、知らない土地を歩く旅を楽しみはじめていたに違いない。


ガウディ建築の断片が白蟻の巣の上に重なるように再構築されるとはおもしろいではないか。何も建築に限った話ではない。モンタージュでもブリコラージュでもいい、異種どうしが結び付くことに好奇心が掻き立てられる。生きものとガウディが著者の内で重なり合ったように、古書店の違う棚で別々の本が共鳴していた。偶然のこんな発見が、ある種の知的サスペンスを誘発することがある。

仕事で何日も出張することはあっても、まとまった日にちを取って旅に出掛けることが少なくなった。書物は旅から遠ざかっている自分の中に生じる「穴」を埋めてくれる。強い印象を受けたり大いに啓発されたりする一冊がある。しかし、旅に似た楽しみは、むしろ複数の書物どうしが即興的に編み出すエピソードのほうだ。つまり、どの一冊を買うかよりも、どれとどれを買うかのほうに意味を見い出す。

二冊の本をクロスオーバーしながら深読みすれば、随所にモンタージュを見つけたり、つながりを連想したり、相互参照したりするのだろう。この二冊はタイトルに共通項があるからきっとそうなる。しかし、適当に買ってきたジャンル違いの本なのに、パズルのピースのようにぴったり填まる時もある。まったく予期していない分、驚きは増幅する。リンカーン大統領にケネディという秘書官がいたのを知った後、ついでにケネディ大統領の秘書官を調べてみたらリンカーンという秘書官がいたのを発見した――これに似た知的サスペンスは併読に固有の体験である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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