配置と関係

全体と部分は切っても切れない関係にある。部分の集まりが全体になっている。他方、全体は部分という要素に分けられる。何だか同じことを言っているようだ。切っても切れないけれど、人の能力には限界があるので、全体と部分を同時に勘案することは難しい。どちらか一方を先に考えることになる。全体を見てから部分に入るのか、部分をつぶさに眺めてから目を全体に転じるのか……どちらを優先するかは悩ましい。

キッチンの設計はテーブル単体だけで決まらない。椅子も冷蔵庫も調理台も食器棚も考慮に入れなければならない。そうすると、複数のパラメーターを相手にしなければならなくなる。まずどれかを決め、次に別の何かを決める。こんなふうに一つ一つ固めていっても、パズルが完成するようにバランスのよい全体になる保障はない。部分から入れないのなら、全体を俯瞰して構想することになる。しかし、これもまた経験的に知っている通り、いつまで経っても焦点が絞れず、視線は空虚にあっちへこっちへと向けられるばかりだ。

そこで、ひとまず二つの要素をくっつけて願望をコンセプトにしてみる。たとえば「冷蔵庫を調理台の近くに」という具合に。焦点をパーツに向けた妥協策のように思えるかもしれないが、これは全体のありようを構想していることになる。そのコンセプトと釣り合いが取れるように残りの要素を配置していくのである。


住まいは暮らしの全体である。その主役を何にするかを決めないかぎり、具体的な間仕切りができない。たとえばリビングを中心に考えてみる。リビングにもいろいろなパーツがあるが、とりあえずソファともう一つの要素に焦点を絞る。「テレビ視聴しやすいソファの位置」とか「読書をするのに快適なソファの位置」などのコンセプトが生まれる。ソファと行為の関係がコンセプトの切り口、これが出発点になる。但し、ここから先、ソファの大きさや種類や材質によってさらに位置取りが変わるかもしれない。

人間どうしの関係を読む、看板と店の関係を読む、タイトルと内容の関係を読む、立場と意見の関係を読む……ここから「関係の読み」を基本とした編集作業がおこなわれる。物事を単独で見るよりも、二つ以上の物事を関係づけて捉えるほうが、それぞれがよりいっそう明快になってくる。ただ、先にも書いたように、関係づける対象が増えれば増えるほど混沌とするのが常だ。したがって、まず二つの関係を定義することに注力するのがいい。

モノであれ概念であれ、関係を明快にしなければ物事は始まらない。部屋のレイアウトにしても、自分一人で考える分には明快性は絶対ではない。しかし、要素を編集して誰かに示すということになると、自分が分かることのみならず、他人にも分かってもらわなくてはならない。自分と他者にとって明快になるように工夫しなければならないのである。何かを明快にして理解しようと思えば、そのことをコミュニケーションしてみればいい。うまくコミュニケーションできれば、ある程度分かっているということになる。もともと知識とはこの種のことを意味したはずだ。

全体を一つの概念として伝えれば漠然とするだろう。また、すべての要素をことごとく摘まんだからと言って明快になるわけでもない。分かりやすさには二つの事柄の配置と関係が絡む。一つの概念は別の概念との位置取りと関係によってあぶり出されるのである。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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