シンクロニシティ考

〈シンクロニシティ〉は共時性と訳される。偶察力を意味する〈セレンディピティ〉と同様、偶然の現象に関わる概念だ。別々の場所でよく似た複数の現象が起こることがある。現象間にしかるべき因果関係が認められないのに、そこに偶然の一致を感じてしまう。同時生起に理由はない。だが、結びつけて意味を見い出したいと思うのである。

「心に思っていることが、外界にあらわれる共時性は、我々の日常生活にしばしば起こっている」(F.D.ピート『シンクロニシティ』)

思いの現象化も共時性なら、たとえば、初めて訪れた街で「なんとなくカレーライスを食べたい」と思っていたら、すぐ角にカレーの店の看板が見えたなどというのも一種のシンクロニシティと言えるだろう。

「昨日のランチはカレーライスだった」と言えば、居合わせた人が「あ、偶然、私もそうでしたよ」と反応する。よくあることだが、カレーライスのような珍しくもない料理にまつわる偶然をシンクロニシティと呼ぶのは安売りになる。せめて鯨のさえずりの刺身のような希少食材でないと、偶然の一致に驚かない。思いの現象化、異なる場所での複数の現象、複数の人間の経験などが共時することは珍しくない。しかし、わざわざシンクロニシティという術語を持ち出すのであれば、驚嘆に値するありえない確率事象でないといけないだろう。


類似性の強い出来事が離れた場所でほぼ同時期に起こる。F.D.ピートの言うように「日常生活にしばしば起こっている」のだが、起こっていることに不思議を感じなければいちいち気に留めない。その出来事の蓋然性がきわめて低いからこそシンクロニシティに注目するのである。因果関係とは別の原理が偶然の出来事の中に働いたのではないかと仮説を立てたくなり、シンクロニシティを解き明かしたいと願えば、研究の対象になる。

シンクロニシティの最たる例は電話の発明だ。電話はグラハム・ベルが発明し、1876214日に特許が出願された。実は、その2時間後にイライシャ・グレーという人物が、ベルの原理とは異なる仕組みの電話の特許を出願していた。ベルとグレーに交流はない。まったく別の原理で、別の場所で電話という新しい装置の開発をおこなっていたという次第だ。今年のバレンタインデーの日のランチに二人の人間が、別の場所で別の動機でカレーライスを食べたというのとはわけが違うのである。

ところで、現象の証人であるぼくたちは、何をもって珍しい共時性に気づくのか。現象と現象、出来事と出来事を擦り合わせる以外に、それが「カレーライス」であり「電話」であるという符号の一致が起こっている。カレーライスという思いのことばに対して、忽然と現れる店をカレー店と認めることばの一致が不可欠なのである。ベルとグレーの発明した装置の一致もさることながら、出願書類中の電話ということばの一致によってシンクロニシティが確認される。現象と現象を、思いと現象を結びつける言語の働きにも注目しなければならない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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