劣化する表現

「劣化する表現」というテーマには二つの意味を込めている。一つは、時を経て実体とかけ離れ古びてしまった表現や、斬新な表現が生まれた結果、相対的に値打ちが低められた表現。〈時代錯誤的表現〉と呼べる。もう一つは、便利な利器を多用するあまり、意図とは裏腹に出現してしまう表現、あるいは手抜かりが生じて誤りを見損じてしまう表現。〈注意散漫的表現〉と名付けておく。


〈時代錯誤的表現〉の一例として、店舗が移転したのに、元の場所のテントや壁面に店舗名が依然として表示されている場合がある。情報だけがそのまま残っていて、そこに対象物は存在していない。また、名称が新陳代謝されないケースもある。ぼくの職住の場である大阪市中央区は、平成になって間もない頃の28年前に東区と南区が合併して誕生した。中央区に中央税務署や中央警察署はない。東税務署・東警察署、南税務署・南警察署が名前を変えずに昭和を引きずっている。旧住所のまま表札を掛けている古い民家も存在する。怠慢もあるが、やむをえない事情もある。

旅に出てホテルや旅館に泊まる。案内された新館が老朽化した建物だったりする。他方、本館のほうがリフォームされて新館っぽく見えることがある。別館なのに本館よりも大規模であることも稀ではない。建物が一つだけなら、たとえば「なにわ屋」でよい。商売繁盛してもう一つ建物が増えると、それを「なにわ屋新館」と名付ける。必然、最初の館を「なにわ屋本館」に改名する。本館と新館の次は「なにわ屋別館」だろうが、新館と別館の違いがよくわからない。そこで「なにわ屋東館」とか「なにわ屋南館」とかに変更する。何かが生まれると先に存在したものとの差異が必要になる。古いほうの表現を劣化させないためには、常に言い換えてやらねばならない。ことばとその解釈は相互関係で成り立っているということがこの例でわかる。ソシュール流に言えば、言語は差異の体系なのである。

年季の入った建物に、これまた年代物の看板が掛かっていて、その店の名が「喫茶 新北浜」だとする。「創業50年なので、そろそろ喫茶 旧北浜にでも変えるか……」などと店主は絶対に思わない。ずっと「新」を貫く。その強い意志が逆に店の古めかしさを際立たせる。新たなものはほどなく劣化し陳腐化する。時代の流れは絶えず、しかも元には戻らず……巷の店やモノは消えては生まれ、生まれては消え、久しくとどまらない。日々情報が更新されていると確信しがちなウェブ上でも、空き家や廃屋になったようなサイトが存在し、古い情報がそのまま残る。「20054月開催!」などという講演のお知らせが、2017年になった今も、過去形ではなく、近未来系のイベントとして告知されている。


〈注意散漫的表現〉のほうの劣化はもっと深刻である。昨今、ほとんどの人が手書きを経ずに直接キーボードを叩く。叩いてはしかるべき漢字に変換する。変換不要なものはローマ字入力しながら、画面上でカタカナやひらがなの文字を確認する。この写真のような案内で、同じ用語、特にカタカナが何度も出てくるとキーの打ち間違いをしても、文字の間違いに気づかないことがよくある。「erebe-ta-」とローマ字で入力しているうちに、一つ目の音引き(長音符号)を抜いてしまって、「エレベーター」の表記が「エレベター」になった。しかも二度繰り返した。そして、貼り出してしまった。表現の劣化は信頼性への不安を募らせる。

企画研修で、タカとワシを漢字で書けるかと尋ねたことがある。両方書けた受講生はほとんどいなかった。彼らは漢字の違いを認識できるが、正しく再生できない。手で書けなくても、「takawasi」とキーを打てば、それぞれ変換候補リストに「鷹、鷲」が出てくる。鷹ではなく「高」、鷲ではなく「和紙」を選ぶ人はいない。書けなくても正しい漢字を選べてしまう。書けても書けなくても、判別力に差は出ない。しかし、ニュアンスを嗅ぎ取るという点では表現の劣化は否めないだろう。

toru」とローマ字入力すると、いくつか変換候補が現れる。「とる」という基本動詞は客語に何をとるかによって、漢字を変える。取る、撮る、摂る、獲る、採る、盗る、捕る、執る、録る、等々。使い分けるのが面倒ならすべて「とる」と表記すればいいが、表意文字によるイメージ効果を出すには的確に選ばねばならない。ふだん実際に書いて使い分けている人なら、必然、別の誰かが書いた文章も深く読み取れる。

文章は単語の足し算や文法的配列によって綴られるのではない。単語どうしが、ある種の「縁」で結ばれて連語として機能する。よく本を読みよく文を書いていれば暗黙知のうちに身につくものだが、単語をローマ字で打って候補リストから適語を選んでいるような文章作法ではいかんともしがたいのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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