平らに均す

天気予報に「気温は20°C前後で、この時期らしい気候になるでしょう」という表現がある。この時期らしいと言われても、これがよくわからない。過去の平均的なこの時期の気温など頭も身体も覚えていない。昨年との比較すらできない。「昨日よりも過ごしやすいでしょう」も困る。過ごしやすさは人それぞれ。「昨日より暖かくなるでしょう」なら、まあ何となく想像がつく。なにしろ、昨日の今日だから、感覚はまだ鈍っていない。

「気温は平年並みでしょう」というのもある。親切なコメントであり、迷惑だと思わないが、あまり役に立つ情報ではない。この時期と言われるのと同じく、平年の寒暖のほどがわからないからである。ぼくたちが思慮せずに平年と言うのとは違って、天気の専門家の平年にはきちんとした定義があり、データの裏付けもあるらしい。平年とは過去30年の平均だ。平年より低い、平年並み、平年より高いと三段階で表現されるとのこと。残念ながら、過去30年のことは記憶にないので、平年並みと告げられれば「そうか、平年並みか」とうなずくしかない。うなずくが、どんな体感なのかはやっぱりわからない。


今年のこの日の平年並みというデータも過去に組み入れられる。一番古いのを押し出して、新たに加わって過去30年の平年が更新され、来年に活用される。算出している専門家はよくわかっているが、告げられるほうにはピンと来ない。平年並みという表現に何となく納得するのも妙な話だ。

平らにならすのは過去の気温だけではない。学生の成績からは平均値が導かれる。平均を平準と言い換えれば、凹凸を均して差を無くすという意味になる。他にもいろいろある。よく使うのは平日。さらに、平時と言えば戦時ではなく、平事と書けば有事ではない。戦時と有事の明快さに比べたら、平時も平事も摑みどころがない。

今日という日がどんな日かを知りたいから、過去と照合して平年並みなどと表わす。自分がどんな状況なのかを気にするから、その他大勢と比較して「平均的サラリーマン像」なるものを浮き彫りにする。そして、こんな感じだよと他人に教えてもらうのだが、知ってどうなるものでもない。トーストにバターを塗って平らに均す。これも平均化作業の一つだが、その良さは実感できる。そうしないよりもおいしくいただけるからである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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