新聞の対価

二ヵ月前に「新聞という旧聞」で書いた通り、新聞を定期購読している。毎月4,037円の新聞代を払って、いったい何を対価として得ているのだろうかと思うことがある。記事のほとんどは無料のメディアでも読める。だから、対価は情報だけではなさそうだ。紙に印刷されたものが自分にとって不可欠ならまだしも、必ずしもそうでもない。長年の一つの習慣、別の言い方をすれば、疑義を挟まない惰性なのではないか。

朝刊のページ数を30面としよう。そのうちテレビ・ラジオ欄の2面を差し引いた28面の編集コンテンツをざっと眺めてみた。約半分のスペースの13面分が広告で占められている。広告はインターネットが登場する前とはすっかり様変わりした。かつては一流企業が全面広告を大々的に掲載していた。人材募集案内もかなり多かったが、今はほとんど見当たらない。名になじみのない企業の商品や旅行関係の広告ばかりが目立つ。

さらに調べてみると、広告の70パーセントはサプリメントや食品、日用品の通販だった。これは新聞スペース全体の3分の1に相当する。つまり、毎月2,000円分で広告を有料購読し、その大半を欲しくもなく関心もない通販商品の広告につぎ込んでいることになる。広告は読まないので正真正銘の記事だけを2,000円で売ってくれと言いたいところだが、そうもいかない。新聞や雑誌などの定期ものは広告収入なくして成り立たないのだから。


仕事柄、広報紙や情報紙に目を通すようにしている。紙面編集やコンテンツ探しにアイデアを提供したり評価したりする機会もあるので、ポスティングされる地域の情報紙はゴミ箱に即ポイ捨てせずに、まずまず熱心に読む。広告にも目を通す。

大阪市中央区民なので「広報ちゅうおう」は毎月投函される。大阪府の広報紙「府政だより」も届く。他に地域ならではの情報誌「うえまち」がある。すべて無料である。行政の広報紙は広告スペースが小さいから気にならない。「うえまち」は紙面のおよそ60パーセントが広告なのだが、無料配布しながら経営を維持するにはやむをえない。

「うえまち」は月刊で上町台地の地域情報誌という位置付けだ。広告の隙間をぬって地元ゆかりの話題や歴史を辿る読みごたえのある記事も編集している。繰り返すが、無料である。広告を読むためにお金を払っているわけではない。これに比べると、定期購読している新聞から得ている対価のほどはどうなのか。新聞危うしの思いが現実味を帯びてきた。

かと言って、来月から購読を止めると決心できないのは、先にも書いたように、半世紀以上にわたる新聞読みの惰性なのだろう。しかし、一年で5万円弱の購読料を浮かせるべきだといつ思い立つともかぎらない。以前のように美術展の招待チケットを復活させ、藤井聡太四段や北朝鮮ミサイル発射の号外が出た翌朝に、その号外を朝刊に折り込んでくれるなら、思い止まるかもしれない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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