「諸問題」という問題

20世紀の終わり、積み残した問題のほとんどは21世紀初頭に解決されるだろうと楽観的に語った人たちがいた。世紀の変わり目ゆえに、次の世紀への期待が大きかったようだ。しかし、さしたる根拠があったわけではない。開けてびっくり玉手箱。世紀が変わっても、ほとんどの問題は名と形を変えて散在したまま。散らばっているならまだしも、積み上げてしまって解きようがなくなった。積み上げるのは煉瓦であって、問題ではない。

問題というのは抱えて悩むものではない。問題は解決すべきものである。問題解決技法などとたいそうなことば遣いをするには及ばない。さて、どうするかと思案する時間を短くしてさっさと着手するに限る。たとえば、ぼくのオフィスは10月半ばまで外装工事がおこなわれる。今朝からランチをはさんで午後までスタッフが得意先を迎えて会議をしているが、工事の騒音で集中できない。声を拾うのも大変な状態である。どうするかと考える余地はない。騒音を消してもらわねばならない。と言うわけで、現場監督に掛け合って部屋周辺の工事時間帯をずらしてもらった。一件落着。簡単に解決できる。規模の大小ではない。解決マインドの根底にあるべきものはさほど変わらないのである。

築地移転の問題は想像以上に長引いた。三ヵ月前、都知事が「築地を守り、豊洲を生かす」と明言した。豊洲に移転はする、しかし五年後をめどに築地を再開発する。そして、市場移転の切り札として〈アウフヘーベン〉という、止揚と訳される小難しい哲学術語を持ち出した。築地がテーゼか豊洲がアンチテーゼか、あるいはその逆かは知らないが、両立しづらい事案を調整してやり遂げようという含みがある。うまく行けば問題を統合して解決できるかもしれないが、あれもこれもという未練ではないか、苦肉の妥協策ではないかと批判されてもしかたがない。


問題が長引くと「三方よし」というような発想に向かうことが多い。みんなの顔を立てねばならなくなるのだ。うまく行けば手腕は誉められる。しかし、「築地―豊洲」の統合理念を掲げることと実際に結果を出すことは同じではない。熱く語られ繰り返されても、理念は往々にして空回りし、理念で謳うほどの成果がもたらされることはめったにない。社会貢献だの人をたいせつにする精神だのと叫んでも、理念を実行するには、理念策定とは異なる能力とエネルギーが必要なのだ。

アウフヘーベンという美名のもとの妥協策は、二者択一を決断できないリーダーの「あれもこれも」の表れか。優柔不断の共存プランの落としどころは、いずれか一方の決断よりも見えづらい。都民でもなく、築地も豊洲もよく知らないが、築地は日本が世界に誇れる数少ない市場ブランドの一つであることを知っている。実は、築地ブランドは、東京が進んで世界に発信して有名になったと言うよりも、世界のほうが先に価値を見い出したのである(ドキュメンタリー映画『築地ワンダーランド』を観れば明らかだ)。単なる流通拠点ではなく、稀有な専門性と歴史によって培われたブランド。どれほど深刻で多岐にわたる難しい条件があろうとも、築地を守る、いや、より強固に世界ナンバーワンかつオンリーワンの地位を確立するのがごく自然な理念だったはずだ。移転というオプションなどは市場再構築の当初から論外にしておくべきだったのである。

現在の築地で築地市場を再構築する、そしてそれに伴う諸問題を極力集約して解決すべきであった。豊洲という新たなオプションによって諸問題は膨らみ多岐にわたってしまった。ここに至って今、共存プランが登場した。一つ所でさえ厄介なのに、二か所で統合的にものを考えねばならない。視野狭窄で統合失調気味の専門家らは頭を抱えて悩み、実行策はさらに混迷を極めるだろう。二者択一の際に生じる諸問題と二者併用から派生する諸問題はまったく異質のものである。経験や専門性を生かしにくい諸問題が新たな問題と化すだろう。仮にアウフヘーベンがうまく行ったとしても、築地のブランドの世界的価値はいったいどうなるのか。まったく読めない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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