寡黙から失語へ

「ことばの実感」。少し奇異な表現だけれど、どんなものだろうか。ことばを使っているという実感。「読む・聴く」は認知系なので受け身のように思われるが、獲物を追うように読んだり聴いたりすることもある。そんな時は、こちらからもことばの矢を放ちことばの網を張っている。反応的ではあるが、かぎりなく「ことばを使っている」という状態に近い。とは言え、その状態が可能になるのは、「書く・話す」という主体的・能動的言語活用があってのことだ。

少々背筋が寒くなる話だが、丸々一ヵ月間一人で暮らし、まったく言語を使わない状況を想像してみる。実際にやってみてもいいのだが、おぞましい人体実験になるような予感がする。新聞や本を読んでもいいし、テレビを観たりラジオを聴いたりしてもいい。しかし、ことばを書いたり発したりする行為は一切禁じられる。誰かと話すというのもダメである。この時、わずか一ヵ月ではあるが、ぼくたちにどんな変化が起こるだろうか。実は、パソコンに向かう日々はかぎりなくこれに近い。

文字を読んだり音声を聴いたりしているので、完璧に非言語的環境に隔離されるわけではない。しかし、日記やメモを書いたり独り言を喋ったりすることができないのである。つまり、読んだり聴いたりすることに対してリアクションが許されない。ただ読みっぱなし、聴きっぱなしである。こんな状況で、ぼくたちはことばの実感を持ち続けることができるのだろうか。「考えるという行為にはことばの使用実感がある」と思いたいが、残念ながら、ことばを使用するからこそ思考実感が起こるのである。ことばを書き話すことが制限された状況で、はたして考えることができるのだろうか。


直前の段落で「~だろうか」と二度問いはしたが、答えが「できない」であることくらいはわかっている。一人だったら、人はことばを使わなくなる。使わないからことばが磨かれることもない。デリケートな意味合いも徐々に失われていくだろう。読んだり聴いたりするだけでは、自分に向かってくる道の意味は形成されるが、こちらから世界に出て行く道の意味は生まれてこない。ことばは、インプットとアウトプットという頻繁な出入り、自他間の活発な意味の往復運動によって鍛えられる。そうして、やがて思考も強靭になっていく。

寡黙が美談だったのも今は昔。そんなことでは、情報化社会を生き抜けるはずがない。いや、いつの時代も、人間関係の第一要件は「おしゃべり」だったのだ。言語と思考の不可分な一体性を思えば、語ることをおろそかにしてはならないのである。空理空論に雄弁であっても、日々のコミュニケーションに手を抜いてダンマリを決めこんでいては行動が伴わない。日々の寡黙は失語を招く。ちょうど、毎日歩かないとやがて歩けなくなるように。

話さない者は話せなくなる。現実の世界を無批判的に生き、疑念の一つも抱くことなく、時間を流し時間に流されて生きていく。こうしてことばの実感が失われていく。ことばの実感とは自己の実感である。自己が感じられなくなれば、いっさいの可能性も消失する。いや、可能性が残るとしても、その有無を誰かと論争する必要があるだろうか。昨日と同じ今日、今日と同じ明日でいいのなら、言語は影に隠れ、やがて不在となる。そして、言語に不要のラベルを貼った瞬間、もはや思考は起動しなくなる。

人が話さなくなるきっかけはいろいろある。成人の場合は、都合が悪くなったりジレンマを抱えたりしてうろたえ、やがて口を閉ざすようになっていく。遅疑逡巡するとことばの出番が少なくなるのである。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

「寡黙から失語へ」への2件のフィードバック

  1. 岡野先生、本当にお久しぶりです。
    実は、オカノノート愛読しています。
    私も社員向けにブログを書いていますが、先日オカノノートについて書きましたところ、結構反響がありまして、岡野先生のファンがまた増えそうで嬉しく思っています。
    私のブログは稚拙極まりないものですが、謙虚に自分自身を語ろうとしていることだけは、自信を持っています。
    もしご興味がありましたら、ご覧になってください。
    天使の森社長通信でヒットすると思います。
    今年も宇都宮に来ていただけることを切望いたします。
    あるいは、私が大阪に行って一杯飲みたいですね~。
    お忙しいところ、ありがとうございました。

  2. 田村さんに愛読していただいてたとは・・・・・・。ありがとうございます。関心があったり不条理を感じたりするテーマについて、意識的にちょっと小難しく、しかし、できるかぎり愉快に書くをモットーにしていますが、ここ最近は笑いが少ないと批評されています。公私ともにあまり笑える材料がないので、文面が引きつっているのでしょうか。
    若い方々の啓発に少しでも役立てるよう、おもしろおかしくに戻していきたいと思っています。貴地で私塾を開催するのが夢ですが、慌てずじっくりと構想を練りたいと思っています。何かの機会に上方にお越しの節は声を掛けてください。

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