懐かしい珈琲用語

コーヒーは外来ものだから用語もほとんどがカタカナ。なかには色褪せたことばがある。今も普通に使っているものの、喫茶店で耳にしたり目にすると違和感を覚えるのもある。時代錯誤のように響くのはぼく独特の感覚かもしれない。かと言って、別にケチをつけるつもりはない。むしろ、懐かしく過去を思い出し、コーヒーと喫茶店を通して時代の移り変わりを実感する。

アロマ  「亜呂麻」などと漢字で表記する店名があった。ちょっと怪しげな雰囲気があり、音も妖しげに響く。『コーヒールンバ』は、♪ 昔、アラブの偉いお坊さんが……で始まり、独特のメロディに意表を衝く歌詞が乗せられ、やがて♪ 南の国の情熱のアロマ……というくだりにやって来る。正しくは「アローマ」と歌う。アロマセラピーなどという概念よりもずっと前から、コーヒーはアロマをゆったりとくゆらせていたのである。

サイホン  サイフォンではなく、サイホンというところが通好みだ。店名の横に堂々と「サイホンコーヒーの店」と掲げるのが流儀である。哲学のフィロソフィーを明治時代には「ヒロソヒー」と発音していた。あれと同じである。「ファ、フィ、フュ、フェ、フォ」は「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」と言うのが正統派なのである。フラスコ状のあの器具がコーヒーを抽出するのを初めて見た時、かなり驚き、一部始終を見届けたものだ。ガラス底を炙っていたアルコールランプが懐かしい。

シュガー  砂糖ではなく、わざわざシュガーと言う。二十代の頃、コーヒーの飲めない年上の同僚がいた。それでも、付き合いのいい人だったので、喫茶店によく同伴してくれた。注文するのは決まってホットミルク(この響きも懐かしい)。「ぼくはホットミルク」と言ってから、いつも一言付け加えた。「シュガー抜きで!」 自分で言ってみればわかるが、「砂糖抜き」では拍子抜けするのだ。しかし、コーヒー皿にスプーンと一緒に添えられた二個の立方体は「角砂糖」と呼んだものである。

ブラック  時々行くカフェには「ダーク」というコーヒーがある。ブレンドの中で一番濃いのをそう呼んでいる。ダークを頼んで砂糖を入れるのは自由。そのダークとブラックは意味が違う。ブラックとは砂糖無し、ミルク無しのコーヒーのことだ。誰がこんな表現を最初に思いついたのか。かつてはなじんでいたが、最近ではノスタルジックで古めかしい印象を受ける。企業訪問するとコーヒーを出してくれることがある。「ブラックでよろしいでしょうか?」と聞かれる。「ええ」と答えるが、若い人にそう聞かれて違和感を覚える。なお、ぼく自身は一度もブラックと言ったことはない。丁寧に「砂糖とミルクは結構です」と言う。

アメリカン  今ももちろんメニューに載っているが、一時代前の響きがある。昭和40年代や50年代には二人に一人がアメリカンを注文していた記憶がある。ブレンドだと味が濃く、濃いコーヒーは胃に良くないなどと言われた頃で、こぞってアメリカンを注文したようだ。今では浅炒りの専用の豆が常識だが、当時は、出来上がったブレンドに湯を足していた喫茶店があった。

フレッシュ  これは関西独特の表現だとする説がある。ホットコーヒーだと黙って小さな容器で出てくるが、アイスコーヒーを注文すると「フレッシュは入れますか?」と聞く店がある。自分で加減して入れたいのに、店員が入れてからテーブルに運んでくる。余計なお節介である。カフェに置いてあるミルクの入った小さなポーションをフレッシュと呼ぶのは、1975年に大阪の会社が発売して以来だと言われている。しかし、喫茶店もそれに倣ったのか、それともそれ以前からそう呼んでいたのか、定かではない。ともあれ、生クリームの新鮮さを強調するために、「生」をフレッシュと言い換えたようである。

レイコ―  方々に出張している関東の知り合いは、レイコ―は関西独特だと言う。ぼくもそう思う。「冷たいコーヒー」、略して「冷コー」。ぼくよりも上の世代の大半はレイコーと注文するのを習わしとしていたし、今も堂々とそう言っている。一杯が150円や200円の時代はそれでよかったが、400円や500円が当たり前になった今、レイコーと呼んでは安っぽくなる。と言うわけで、ぼくは常に「アイスコーヒー」と注文する。縮めたり略したりするよりもフルネームのほうが値段に見合うような気がするからである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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