アンチテーゼで発想する

「うちの社員は型通りな発想しかできないんですよ。何か妙案はないでしょうかね?」 一年に何度かこんな質問がある。「たとえ型通りであれ、発想できるならひとまず良しとすべきでしょう」と答えることにしている。

何かを思い浮かべることができる、しかし、出てくるアイデアはどこにでも転がっていて平凡。こんなことはアイデアマンと呼ばれる人にもしょっちゅう起こる。何十回、何百回発想してもほとんどは型通りの結果になる。だが、アイデアマンが凡人と違うのは、粘り強く型を自ら崩したり壊したりするのを繰り返して、やがて新しい発想に転換できる点である。

二十代から発想法や創造技法をいろいろと試してみた。試してみたうえで実際の企画研修でも演習に使ってきた。ブレーンストーミング、チェックリスト法、強制連想法、シネクティクス、NM法……。収束向きと拡散向きがあるので、何でも使えばいいというわけではない。ほとんどすべての技法に共通するのは、「いま知っていること」から「未だ知らないこと」を導くという点。既知から未知を導く、あの手この手の人為的仕掛けの法則化である。


手っ取り早く発想を鍛える方法がある。それは、たとえ共感するテーゼに対してでも、敢えて”?”を投げ掛ける〈アンチテーゼ発想〉である。ある種の常識、価値観、慣習、意見、視点に対して対極からアマノジャクな揺さぶりをかけたり茶化してみたりするのである。ホンネは棚上げしておく。

たとえば、メダルに手が届かなかった五輪選手が、この四年間苦しかったこともあったと振り返る。「辛かっただろうなあ」といったんはこのコメントを素直に受容する。そして、しばし腕を組んでから「ちょっと待てよ、過去四年間を振り返ったら、誰だって苦しいことくらいあるさ。ぼくにだってあった。ただマスコミがその苦しみを聞いてくれないだけ」とひねくれてみる。

菜食主義者がいる。他人に自説を押しつける偏狭な心の持ち主ではない。豆腐と野菜を巧みにアレンジして仕立てた「ハンバーグ」が好物だと言う。「鰹節でダシをとった味噌汁もタマゴも口にしない徹底した菜食主義。忍耐強いなあ」と褒めてあげる。そのうえで、「肉食をとことん断つのなら、わざわざハンバーグ風にしなくてもいいじゃないか。やっぱりまだ肉に未練があるに違いない」と皮肉ってみる。


たわいもない「くすぐり」または「ツッコミ」であって、高等な批判精神とは無縁だ。ちょっと口を口をはさむだけの話。しかし、それを意識してやってみるうちに、絶対と思えたものが絶対でなくなり、ダメなものがダメではなく、時代遅れが実はオシャレだったり……というようなことが浮かび上がってくる。

ぼくたちがふだん見聞きしているものは、どんなものでもたぶん偏っている。立場によって、思想によって、好みによって。極端に言えば、コインの表側だけしか見ていない。振り子が左右に思い切り振れている様子が見えていない。アマノジャクなアンチテーゼ発想は、実は見えないところを無理に見ることを促し、想像力の源泉になることがある。 

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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