真贋を見分ける

ロダンにあまりにも有名な『考える人』という作品がある。昨年11月にパリのロダン美術館の庭で「真作」をじっくりと鑑賞してきた。
いま、「真作」と書いた。「本物」でもよい。しかし、粘土で原型を作り、そこにブロンズを流し込む、いわゆる鋳造された作品であるから、世界に28体あると言われている。では、どれがオリジナルでどれがレプリカなのか。実は、28体のブロンズ像すべてがオリジナルであり真作なのである。

彫刻作品は一つでなければならない。たとえば、ぼくがフィレンツェのシニョリーア広場で見つめたミケランジェロ作ダビデ像はレプリカである。本物はアカデミア美術館にある。また、絵画もオリジナルは一つだ。だからこそ、真贋問題がよく持ち上がる。
リトグラフや版画は原型が同じであれば、刷られたものはすべて真作ということになる。紙幣や貨幣も大量に製造されるが、国家という信頼性にも支えられて、すべてが本物とされる。

唯一絶対で真似ることもできないものを、本物や真作とは呼ばない。富士山に本物という形容は成されない。本物のヴェルサイユ宮殿などという言い方もない。どこかのコピー大好きな国でそっくり再現しようとしても、真贋などという概念を持ち出すまでもなく、偽物だと見破れる。簡単に贋作だとわかるのであれば、オリジナルをわざわざ本物と呼ぶ必要はないのである。
本物か偽物か……つまり、真作か贋作かが問いになること自体、真贋の識別が難しいことを示している。贋作だと判断するためには、それが真作でないという証明のテコが必要なのである。真作を見たこともなく真作に触れたこともなければ、贋作を見分けることはできない。真作あっての贋作だからである。
ローマ時代に使われたとされるコインを持っている。ローマはコロシアム内の土産物ギャラリーで買ったものだ。あいにく本物を見たこともなく本物に触れたこともないので、ぼくの自宅に置いてある2つのコインの真贋を即断することはできない。ただ、2個で500円くらいだったと思うので、鑑定してもらうには及ばない。おそらくレプリカのコピーの、そのまたコピーに違いない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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