アイデア探し

「アイデアというものはな、いつどこからやって来るかわからないぞ」と教えられたピエール。その日から毎日、アパートのドアも窓も開けっ放しにして眠ることにした。アイデアがやって来る気配はまったくなかったが、数週間後、泥棒がやって来た。そして、家財道具一式が盗み出された。ピエールは悟った。

「泥棒はどこからでもやって来る。でも、アイデアはどこからもやって来ない。」

よく悟ったものだ、ピエール。その通り。アイデアはどこからもやって来ない。アイデアは自分の頭の中で生まれる。そこでしか生まれない。しかも、何百回か何千回に一度くらいの確率で。

アイデアは誰かに授けられたり教えられたりするものではない。アイデアの種になるヒントや情報は外部にあるかもしれないが、実を結ぶ場所は頭の中だ。アイデアと相性のよい動詞に「ひらめく、浮かぶ、生まれる、湧く」などがある。どれも自分の頭の中で起こることを想定している。アイデアを「天啓」と見る人もいるが、天啓という見方も他力本願だ。

デスクに向かい深呼吸をして「さあ、今日は考えるぞ」と自分を鼓舞する。ノートと筆記具を携えてカフェに入って「よし、ゆっくり構想を練ろう」と決意する。時と場所を変え、ノートや紙の種類を変え、筆記具をいくつか揃え、ポストイットまで備えても、アイデアは出ない時には出ない。準備万端、「さあ」とか「よし」と気合いを入れれば入れるほど、ひらめかない。出てくるのはすでに気づいていることばかりで、何度も何度も同じことを反芻しては、あっという間に数時間が経ってしまう。


ところが、本を二、三冊買ってぶらぶら歩いているだけで、どんどんアイデアが浮かんでくることがある。まったく構えずにコーヒーを飲んでいる時にも同じような体験をする。だが、そんな時にかぎって手元にはペンもメモ帳もない。記録するまでに時間差があると大半のアイデアは揮発する。いったんスルーしてしまったアイデアは、よほどのことがないかぎり、もう二度と芽生えてくれない。

意識を強くすると浮かばず、意識をしないと浮かぶ。いや、意識とエネルギーが強い時に浮かぶこともある。アイデアは気まぐれだ。しかし、本当に気まぐれなのは、アイデアではなく、自分の頭のほうなのである。

ノートと筆記具を用意して身構えた時点で、既存の発想回路と情報群がスタンバイする。頭は情報どうしを組み合わせようと働き始めるが、意識できる範囲内の「必然や収束」に向かってしまう。これとは逆に、特に狙いもなくぼんやりしている時には、ふだん気にとめない情報が入ってきたり頭の検索も知らず知らずのうちに広範囲に及んだりする。つまり、「偶然と拡散」の機会が増える。

アイデアは情報の組み合わせだ。その組み合わせが目新しくて従来の着眼・着想と異なっていれば、「いいアイデア」ということになる。考えても考えてもアイデアが出ない時は、同種情報群の中を弄っていることが多い。新しさのためには異種情報との出会いが不可欠だ。だから場を変えたり、自分のテーマのジャンル外に目配りすることに意味がある。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です