昭和の見聞

昭和の六十有余年を風呂敷一包みにくるんで、「はい、昭和とは何々でございます」と片付けられる一言は思いつかない。カオスとエネルギーに満ち満ちた百面相の昭和だ、結局、「昭和とは……昭和でございます」と言うことになるだろう。

昭和30年代の中頃までは、戦後と呼ぶにふさわしい風情や風俗がまだ残っていた。そこには戦前も投影されていた。昭和20年代の生まれだが、戦後まもなくの頃の記憶があるはずもなく、昭和の記憶と言えば、30年以降に限られる。しかし、目撃も体験もしていないが、いろいろと耳にしてきたからバーチャル体験だけは積んでいる。

大正時代についても同じ。聞いたり読んだりしただけなのに、イメージだけが勝手に培われている。そして、昭和30年代は、後に続く40年代との隔たりが大きく、むしろ戦前や大正時代の延長のような気がするのである。


山積みされた古書均一コーナーに武井武雄の画文集『戦後気侭画帳きままがちょう』を見つけた。「昭和二十年より二十四年まで」と副題にあり、その数年間の典型的な風情や風俗の絵が何百も描かれ、それぞれに文が添えられている。聞き覚えのある話は多々、30年代に入っても続いたはずの見覚えのある光景も少なくない。珈琲の話、煙草の話、駅や電車の話……。とりわけ風呂屋の話がおもしろく、懐かしく思い出した。

風呂屋の盗難は謂わば日常茶飯事になっているが この女性 下着まで持っていかれて 裸で道中もならず うちへも帰れない。番台のおかみ 止むなく男物の浴衣を貸して帰す。さて これを一見した亭主 甚だおだやかでない。すったもんだの内ゲバの揚句 翌日二人で風呂屋へ行ったら 万事解決、これにて一件落着したとさ めでたしめでたし

一糸纏わず背中をこっちに向けて恥じらう女性の絵。足元には空っぽの籠。そう、昔は鍵のかかるロッカーなどなく、脱いだものを籠に入れた。風呂から上がったら下着が盗まれていたという話は、母や近所のおばさんたちからよく聞かされた。覗きは今と同じく男の仕業だったが、下着泥棒は男ではなかった。女が自分用に盗んだのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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