おもてなし自分流

最初に断っておくが、この一文は一般人が一般人をもてなす作法の話であり、世間のプロが生業として提供するサービスに関わるおもてなしは対象外。したがって、某有名旅館の仲居が襖の隙間から宿泊客の食事光景を覗き見し、子どもが刺身に手を付けないのを見て、速攻で天ぷらに差し替えるなどというおもてなしなどとは無縁である。

通常、もてなす側がいくばくかを出費して供応する。仕事目当ての接待もおもてなしとされるが、そのようなギブアンドテイク発想のおもてなしはとうの昔にやめた。また、飲み放題2時間1,500円などのサービスもぼくの自分流おもてなしコードから外れる。放題とは体裁のよいセルフの野放し状態ではないか。ビュッフェはやむをえず稀に利用するが、あの形態もおもてなしの範疇には入らない。

どちらかと言うと、酒よりも料理への意識が強いが、もてなすのは嫌いではない。ぼくなりのおもてなしのコードがあり、ゲストには極力そのコードに従ってもらう。「もてなしてやるから言うことを聞け」という傲慢なスタンスではない。謙虚におもてなしさせていただきたいと思ってのオファーである。そのオファーの諾否はゲストが決めればいい。否なら断れば済むだけの話。

ゲストの大まかなニーズさえ摑めば、あとはこちらに任せてもらう。もてなされるゲストはこまごまと注文してはいけない。もてなされる側は黙ってホストに下駄を預けるのが本来の姿だ。だから、酒や料理に極端な好き嫌いがある人はそもそもゲストになる資格がないと思う。世界最高峰の晩餐会の主菜はたいてい羊肉料理である。羊肉が苦手な人は、食べ残す恥と無礼をさらす前に、招待された時点で断るのが礼儀だろう。


イタリアンやフレンチでは最近物分りのいいシェフが増えてきて、テーブルには箸が備えてある。そういう店にやむなく入ることもあるが、ぼくのゲストには箸を使わないようにお願いする。パスタを箸で食べるシーンを見るために場を設けたのではない。それなら焼きそばの店でよい。箸の是非ではなく、「郷に入っては郷に従え」に近い順応感覚である。

メニューはある程度考えておく。だから一見の店には行かない。人数が多いとコースにするが、4人までならアラカルト。飲み放題付きなどはもってのほか。ぼくと飲み放題付きコース料理を共にした人は少なからずいるが、それには理由がある。人数が多かったか、または、ぼくがもてなされる側だったからである。

さて、アラカルトで料理を3種類ほど選び、イタリアンやフレンチではワインは白と赤の2種類。一人2杯(せいぜい3杯まで)。がぶ飲みは認めない。とっておきの店でもてなす時は一人一人の希望をこと細かに聞かない。「喉が渇いているので、とりあえずビール」と言う人は苦手だ。一応親しい相手には妥協して注いであげることもあるが、一人だけビールで残りのゲストが白ワインでは格好がつかない。では、みんなで一杯目をビールにすればいいようなものだが、それは困る。一品目の料理選びにあたって想定したのはワインなのだから。

ご馳走でおもてなししようと決めたのだ。ホストの構想とコードに従ってほしい。ホストはゲストにメニューを渡さない、つまり選ばせない。ゲストは勝手にメニューを手に取って好きな料理を注文してはいけない。「ぼくのおごりだ、好きなものを飲み食いしてくれ」というのは飲み放題・食べ放題に等しい。おもてなしとはそんなものではない。ゆえに、「肉料理に行きますか?」とぼくに誘われて「イエス」と答えたら、牛、豚、鶏、羊、馬のいずれの供応も了解したことを意味する。もちろんレアの羊肉も。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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