個人的体験としての読書観

『必読書考』と題して書いたことがある。その一文の最後を次のように締めくくった。

人それぞれに読みたいと直感する本があるように、人それぞれに必要に応じて読まざるをえない必読書があり、人それぞれに他人に紹介したい推薦書がある。(……)万人が読みたいと思う本などが存在しないように、万人が読まねばならない必読書や推薦書を最大公約数化できるはずがないのである。必読書に振り回されて読書ノイローゼを患うのは馬鹿げている。どこかの偉い人が薦める本などはしばし棚上げして、読みたいと思う本を読めばいい。そして、権威に頼らずにそういう本を見つけるには、足繁く書店や図書館に通って自ら〈読書縁〉なるものを結ぶしかないのである。

きわめて個人的な体験から生まれた読書観であり、誰にでも当てはまるわけではない。この読書観ゆえに、本の読み方については助言することはあるが、読むべき本を推奨することはめったにない。稀に「お勧めの本は?」と聞かれるが、よほどのことがないかぎり勧めたりしない。「最近読んだ本で印象に残っているのは何々」と言うことはあっても、それを推薦しているわけではない。

先月古書店で『本なんて! 作家と本をめぐる52話』という本を見つけた。この種のエッセイ集は一話が数ページで書かれているので、空き時間に「点の読書」をするには向いている。この一冊に浅田次郎の「読むこと書くこと」というエッセイが収められている。「職業がら読み書きはむろん大好きであるけれど、しいてどちらかと自問すれば前者であろうと思う」と言い放つ。

読書は愉しいが、「読みたい」が「読まねばならない」に転じる時があり、その瞬間から苦痛を感じる。浅田次郎は毎日午後2時から6時までの4時間を読書に充て、栞を挟まずに一気呵成に一冊を読むのを習慣としているらしい。一日に一冊の書物を読み続けるのは、さほど難しくないと言ってのける。年に365冊である。ぼくの場合、年に365冊以上読んだのは28歳前後の2年間のみ。千冊以上読んだと思うが、決して愉しい「千冊行」ではなかった。


たとえば、10歳から本格的に週に一冊読み続けて、還暦でようやく2,500冊に到達する。生涯これだけの本をふつうは読めない。ところで、先月の行政職員の研修時に、前列に座る数人に年に何冊の本を読むか聞いてみた。だいたい3冊から5冊だった。残りの受講生全員にそんなものかと尋ねれば、おおむね頷いていた。想像以上に少ないのである。月に一冊ならよく読んでいるほうに属するのだ。月に一冊とは年に12冊。半世紀で600冊である。ほとんどの人は千冊を読まずに生涯を終える。

こう考えると、安直なハウツー本やノウハウ本を読書遍歴の中に残すわけにはいかないと気づく。浅田次郎は言う。

思うに、あらゆる書物中の役立たずの最たるものは、いわゆる「ノウハウ本」であろう。自己啓発法だの成功術だの生活の知恵だの、つまり目先の悩みを解消しようとする類いの書物ほど無益なものはない。そもそも人生を活字から学ぼうとすること自体が横着だからである。

一見速成的に役立ちそうな本を追い求めずに、想像力を働かせてくれるような本を読むべきだと同感する。年に数冊しか読まない平均的読書人ならなおさらではないか。

件の研修後に一人の熱心な受講生が「どんな本を読めばいいのでしょうか?」と聞いてきた。冒頭で書いたように、共通の必読書などないと考えて推薦などしない主義のぼくだが、話を聞けば、読書に関して自分なりの考えを持つほど本を読んでおらず、しかも指南も受けてこなかった。同情に値する。と言うわけで、彼が独自の読書観を培う一助になればとの思いから数冊推奨したのである。言うまでもなく、例外的対応だった。その数冊から離陸して早々に個人的体験を積んでもらえればと思う。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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