原稿用紙と漢字

「四百字詰め原稿用紙5枚以内」というような言い回しが懐かしい。昨今ほとんど目にも耳にもしなくなったが、ワープロやパソコンが普及する前は、原稿用紙のマス目に文字を埋めていた。用紙の上で加筆修正したが、そのままで提出はできず清書を求められることもあった。数枚なら大したことはないが、十数枚になるとかなりきつかった。

二十代の頃は小説や詩の創作で使ったこともあるが、万年筆が使えたので鉛筆より筆圧の負担が少なかった。やがてワープロを使うようになり、一マス一文字の束縛から解放された。字数計算をしなくてもパソコンのワードなら文字数を表示してくれる。ノスタルジーに浸りたければ原稿用紙の書式を使うこともできる。十数年前に興味本位で試してみたことがある。その時の文章が見つかった。

 原稿用紙にワープロで文字を打ち込んでいくと妙な感覚に襲われる。
 原稿用紙というのは、万年筆であれボールペンであれ鉛筆であれ、本来手書きで字を埋めるものである。すんなり書けることはめったにないから、句読点は欄外にはみ出し、二重線で消された文字の横に別の文字が挿入される。出来上がった原稿は、混沌としてまるで戦場のような雰囲気を醸し出す。
 そうなのだ、原稿用紙に手書きで文字を埋める作業は、ある意味でいくさなのである。
 ところが、今こうしてワープロで打っていると、創作過程が割愛されているような錯覚に陥る。文案を練る過程に編集作業が組み込まれ、文章はひたすら仕上げへと向かう。仕上がりの外見ばかりに気を取られ、中身がおろそかになってしまうのである。

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ところで、ひらがなやカタカナが目立つと原稿用紙は間が抜けたように見える。適度に漢字を混ぜておかないと格好がつかないのだ。ひらがなやカタカナよりも画数の多い漢字の象形的な美しさが原稿の調子を整えてくれる。小説家志望だった年配の知人は、今ではひらがな表記が当たり前の接続詞もすべて漢字で書いていた。「て」とか「しかしながら」とか「ゆえに」という具合に。

太陽の姿から「日」を、月の姿から「月」を発明した漢字は象形文字。ある種の法則を踏まえながらも造形の生成は変化に富んでいる。「|」と「―」と「、」とわずかな曲線だけで部首というコンポーネントを生み出し、おびただしい変化を編み出す。どんな文字でもその他の文字と識別可能な差異を有している。

漢字はつねに人を試す。人の認識力を問う。その意味や生い立ちのような専門的な話ではなく、純粋に文字の形を判じる教養を求めてくるのである。ともあれ、原稿用紙のマス目には漢字が収まりやすい。つい漢字が増えてしまう。原稿用紙に向かった文豪たちの原稿が漢字まみれになったのも不思議ではない。

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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