ハイコンテクスト文化考

「例の件、ひとつよろしく」「了解しました」

これで会話完了。お互いにわかっている(少なくとも、わかり合えていると思っている)。このようなコミュニケーション習慣が当たり前になっている状態を〈ハイコンテクスト文化〉と呼ぶ。

コンテクストとは文脈や行間のこと。それが「ハイ」であるとは、文化的に規定され共有されている要素が多いことを意味する。つまり、他の文化圏から見れば抽象的でよくわからないのだが、ハイコンテクスト文化の人たちなら何から何まで言わずとも、断片的情報だけでおおよそのことが伝わり、またお互いの意図を察することができる。みなまで言うのは野暮、ことば少なめな「察しの美学」こそが洗練だと見なす。

この逆が〈ローコンテクスト文化〉である。共有認識できていることが少なく、含意的な文脈や行間が現れたらそのつど読まなければならない。読むためには情報が必要である。したがって、ローコンテクスト文化の構成員はお互いに情報を増やしてコミュニケーションし、物事を以心伝心ではなく、具体的に語り尽くすのである。

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ハイコンテクスト文化だから情報やコンテンツがいらないというわけではないが、情報やコンテンツを省略する傾向が強くなる。ハイコンテクストが極まると、言わなくてもいいことはしつこく繰り返すが、言わねばならないことにはあまり触れない。写真一枚だけを見せることはあってもキャプション(説明文)で補おうとしない。

コンテクストがハイであろうとローであろうと、コミュニケーションは何がしかの共有コンテンツを前提にしておこなわれている。共有コンテンツが多ければことばは少なくて済み、共有コンテンツが少なければ、足りない分をことばで補充しなければならない。五七五で伝わることもあれば、いくらことばを蕩尽しても伝わらないことがある。しかし、たとえばビジネスシーンでは五七五ではいかんともしがたく、微に入り細に入り饒舌気味に語り合わねばならない。

ハイコンテクスト文化でも世代間には異質性が認められる。たとえば「山と言えば何?」と問う。符牒だと察して「川」と反応する高齢者に対して、若者は「緑」や「高い」と答える。ITが加わってコミュニケーション形態が多様化した現在、同じ世代にあっても、口頭では多くを語らないが膨大なメール文を交わす者もいれば、その逆もある。ともあれ、伝わるはずと信じて言を慎んでいてはリスクは増大するばかりである。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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