幸せな気分になる話

微細なところまで正確には覚えていないが、ユダヤにこんな笑話があった。

その昔、貧しい家族があった。狭い家屋に大所帯。我慢が限界に達して主がラビ(ユダヤ教の聖職者)のところに相談に行く。ラビは言う、「明日から家の中に騾馬を入れなさい」。どう考えても解せない助言だったが、主はこれに従い、一週間ばかり騾馬との生活に耐えた。

案の定、耐えきれない。再びラビのところに赴き、「家族だけでも大変なのに、騾馬との生活なんて無理です」と吐露した。「では、騾馬を家の外に出しなさい」とラビは助言した。言われた通りの生活を送り、しばらくして主はラビを訪ねた。「ラビさま、ありがとうございます! 家族だけの幸せな生活が取り戻せました。」

うまくいって当たり前なはずなのに、ひょんな悪運や失敗が邪魔してうまくいかない。うまくいかないから落ち込んでいると、何かの拍子にうまくいき始める。感激して喜ぶ。ユダヤの別の笑話に、「貧乏人は、落としたお金を見つけて、それを拾ったときに大喜びする」というのもある。貧乏人でなくても喜びはひとしおだろう。

「一万円札を落とす(マイナス)、それを見つける(プラス)」で実はプラス・マイナス・ゼロなのに、「一万円札を落とさずに財布に入っている状態」よりも喜ぶ。正しく言えば、喜びではなく安堵なのだが、ショックと安堵との大きな落差が幸福感を増幅させる。

ノーアウトでランナー一塁。次打者がバントをするも投手がすばやくさばいてランナーが二塁でホースアウト。その一瞬、観客は「あ~あ」とため息混じりに落胆。しかし、ダブルプレーを狙って二塁手が一塁へ悪送球。ボールが転々とする間にバントをミスったバッターが二塁へ。この瞬間、観客は一転して歓喜する。その歓喜ぶりは、バントを成功させてランナーを二塁へ送るときの声援どころではない。

☆     ☆     ☆

快適性や幸福感にどっぷり浸かる日々。日常の当たり前がいかに感受性を鈍らせているかという証である。もう一つは「地獄で仏」や「ピンチはチャンス」や「結果オーライ」という自浄作用だ。「不運の後の幸運」を収支トントンではなく、「幸福の黒字」と錯覚できるように人間のメカニズムは働くのだろう。その代わり、「幸運の後の不運」も収支トントンや赤字どころか、「幸福の倒産」にまで落ち込んでしまう。

柔道やレスリングでは、敗者復活戦を勝ち抜き三位決定戦に勝利する者は「銅メダル」を手にする。早々に負けて泣き、やがて「勝利して銅メダル」。ところが、ずっと勝ち続けて決勝戦まで進んで惜敗する者は「負けて銀メダル」。銅メダリストより上位の銀メダリストに笑顔はない。幸福な人生はバランスシートで説明できないのだろう。連敗の後の一勝をありがたいと感じ、「終わりよければすべてよし」と思いなすのだ。

ちなみに、最近のぼくは、小さなメモを見つけたときに幸せな気分になる。それは自分自身のメモでありながら、そこにはまったく記憶から抜け落ちている内容が記されているからだ。「ふむふむ、なかなかいいことを書いているもんだ」と十数年前の自分を賞賛するとき、気分は最高潮に達する。「それって、ただの自己陶酔ではないか!?」と言うなかれ。幸福には錯覚と陶酔が不可欠なのである。

イタリア紀行8 「アルノ川対岸散策」

フィレンツェⅡ

ミラノやローマからフィレンツェに入るには鉄道がいい。列車はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着く。この中央駅からチェントロと呼ばれる歴史地区内のホテルへは、たとえ大きな荷物を持っていても歩くのがベスト。ミラノやローマと違ってフィレンツェは治安がいいので、見た目に明らかに観光客であっても心配はない。もちろん路線が充実している市内バスなら、たいていの場所に10分以内で行けてしまう。

ぼくは空路フランクフルトからフィレンツェ空港に降り立ち、アルノ川対岸のサン・フレディアーノのアパートにタクシーで向かった。所要約30分。アパートで受け取った鍵は4種類あり、玄関の門、中門、3階通路の門、部屋の扉の鍵が束になっている。その束の重いことといったら、腕時計5個分と同じくらいだ。宿泊期間中は自己責任で管理する。したがって、外出時は半コートの内ポケットにずっしり忍ばせて歩かねばならない。

午後7時の到着。ちょうどいい時間である。食事処の夕刻の開店はおおむね午後7時~7時半。一番賑わう時間帯は9時~10時だ。アルノ川沿いの通りから一本内側へ入ったサント・スピリト通りへ出て、いかにも老舗っぽいリストランテに入って定番のハウスワイン、サラミと生ハムの盛り合わせ、パスタの食事をした。この一帯は歴史地区ほどの賑わいはなく、ツアー客もほとんどやって来ない。しかし、地元の常連が通うトラットリアやリストランテが点在している。

翌朝。アパートなので朝食がついていない。近くのバールでカプチーノを注文し小さなパンで腹を満たす。さて、散策スタート。アパートから約600メートルの位置にあるポンテ・ヴェッキオの橋から南の丘陵へ。なだらかなサン・ジョルジョの坂を進むと、道すがら丘陵地帯独特の空気が漂ってくる。かつての要塞跡そばのサン・ジョルジョの門からさらにサン・レオナルド通りへ入り、そこを左折していくと高台にサン・ミニアート・アル・モンテ教会が佇む。アルノ川を挟んで市街地が一望できる絶好の場所である。この教会の下に別のサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会があり、すぐ眼下にミケランジェロ広場がある。広場まで下れば観光客がたむろしているが、そこからわずか300メートル上の高台は閑散としている。

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ポンテ・ヴェッキオ。向う岸右側の建物が有名なウフィッツィ美術館の一部。
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丘陵へ抜ける小径。瀟洒な住宅が続く。
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中心街のランドマーク「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」のクーポラが見える。春間近な緑の濃淡の綾が目にやさしい。
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さらに進むと、左右の大きな木に挟まれて、凝縮された借景のように街が浮かぶ。
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サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会前に出た。質素な教会という印象のまま通り過ぎた。後日旅行ガイドを見たら、ミケランジェロが「美しい田舎娘」と比喩したというエピソードを見つけた。ミケランジェロ大先生、絵筆やノミさばきだけでなく、ことばのさばき方も超一級である。
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サン・ミニアート・アル・モンテ教会のファサードは雅なロマネスク様式。

雨のち蓮根、晴れ時々蓮根

旬の野菜や果物は格別である。舌鼓を打つのは言うまでもなく、「今しかない」あるいは「今が一番」というタイムリーな価値にわくわくする。

 毎年6月下旬になると、山形のMKさんがサクランボを送ってくださる。十年程前まではめったに口に入らなかった代物だが、今ではちょっと贅沢に頬張らせてもらっている。佐藤錦や紅秀峰という品種の名前も覚えた。少し多めに食べるときには、腹を下さないために塩をつまんで舐めるという地元の習慣も知った。

今年は縁あって、二種類の旬の野菜に恵まれた。金沢で開催している私塾の塾生のお一人からの「産地直送」だ。偶然だが、この方もMKというイニシャルである。何となくぼくの「また(M)ください(K)」という下心(?)に呼応しているみたいだ。

春は筍だった。宅急便で届いたが、キッチンに運ぶのに腰が抜けそうになった。開けてみれば、前日に朝掘りした、とてつもなく大ぶりな筍が約20本! いやはや、MKさん、ありがとうございますと感謝。とりあえず土がついたまま数本を知り合いにお裾分けした。

さて、残る十数本。持ち合わせの知識にウェブの情報を補足したうえで、包丁でさばきアク抜き。大鍋、パスタ用の深い鍋、中華鍋などを総動員した。湯気と筍特有の匂いが家じゅうに広がった。調理というよりも、専門店の厨房における仕事のように思えてきた。

しかし、その仕事はほんの序章にすぎなかった。その日からの約10日間、仕事は格闘と化した。筍づくしの日々を闘い抜くことになったのである。やわらかいところを刺身にしたのを皮切りに、土佐煮、筑前煮、天ぷら、若竹煮、きんぴら、ちらし寿司、筍ごはん、中華風炒め物……とありとあらゆるレシピを試み、来る日も来る日も筍を食べ続けた。

筍は傷むのが早いだろうという見込みとは裏腹に、新鮮な水に浸して冷蔵庫で保存すれば日持ちするものだ。その一部をさらにお裾分けしたり、料理にして親類にも持って帰らせた。しかし、もしかして冷蔵庫の中で増殖しているのではないかと疑うくらい、いっこうに減ってはくれない。MKさんへの当初の感謝の気持が薄れ、イジメにも似た心理に苛まれていく。そういう趣旨のメールをギャグっぽく伝えたら、「連絡いただき次第、第二弾がスタンバイしています」との返信。やっぱりイジメだ。

☆     ☆     ☆

とはいえ、やっぱりぼくは筍が好きなのだ。最近食べていないので、懐かしささえ感じてしまう。そんな折り、三日前にMKさんから蓮根が届いた。加賀野菜に認定されている小坂蓮根という種類だそうだ。一本が丸々三連のまま採れたての状態で数本。見るからに新鮮で、レシピを頭に浮かべればすでに垂涎状態である。

筍の教訓を生かそうと思い、半分の量を知り合いにお裾分けにすることにした。これで、日々蓮根漬けにならなくてすむだろう。いただいた初日は天ぷらに。翌日は野菜炒めに。そしてきんぴらをすればいい。筍のときは、「筍のち筍、筍時々筍」だったが、今回は「雨のち蓮根、晴時々蓮根」というローテーションでいけそうだ。

ところが、さっき台所をのぞいてみたら、今夜で終わってしまうほどの数量しか残っていないではないか。新蓮根の旬は9月初旬。もう少し残しておくべきだった、ちょっと気前よく振る舞いすぎたかと複雑な心境だ。おっと、これは「MK」というサインではない。何事も度を越えてはいけないことくらい承知している。年末の蓮根も美味らしい。それに期待することとしよう。

ことばの揚げ足をとる

昔の漫才ネタで、「屁理屈を言うな」に対して「屁は理屈は言わん」という切り返しがあった。「電話をとる」に対して「電話はとらん。とるのは受話器」というのも、「鍋が煮えた」に対して「鍋は煮えん。煮えるのは具」というのも、ことばの揚げ足とりである。揚げ足とりは愉快である。ことば遊びには欠かせないし、この種のツッコミにめくじらを立てることはない。

慣用化が進むにつれ、ことばというものは省略され誇張され意味が転移する。そこに誤解や誤用が生まれ、ことば遣いが笑いのネタになったり新しいものの見方につながったりしてくれる。ぼくは、そんな「ことばのプチ哲学」が好きだ。そのせいで、ぴったりのことばを探そうと文章を書いているときに、あることばが気になっていろいろと考えてしまい、よく寄り道してしまうことがある。

先週は「五十歩百歩」という表現で、寄り道どころか大脱線してしまった。「五十歩を以て百歩を笑う」という言い方もあって、これが「目くそが鼻くそを笑う」にそっくりである。

中国の寓話ということは知っていたが、出典を確かめてみた。孟子の『梁恵王上』である。我流で解釈すれば、「臆病心から戦場で五十歩逃げた兵がいた。別の兵が百歩逃げた。五十歩逃走兵が百歩逃走兵を臆病者と言って笑いののしる。おいおい、五十歩さんよ、お前だって逃げたじゃないか。退散したことには変わりはないぞ」というようなことになる。

よく似た類語には「似たり寄ったり」がある。「PCなんて使ってみればどれも五十歩百歩だよ」という表現は、「PCなんて使ってみればどれも似たり寄ったりだよ」とほぼ同じニュアンスだ。しかし、「PCなんて使ってみればどれも目くそ鼻くそを笑うだよ」にすると、何か変。

そういえば、ぼくは以前から「目くそが鼻くそを笑う」という成句を変だと思っていた。目くそと鼻くそは五十歩百歩なのだろうか。成人が人前で目がしらの目やにを小指の先で払うのはよくあるが、堂々と面と向かって人差し指で鼻くそをほじくるのはめったにない。生理的インパクトからすると、鼻くそは目くその比ではない。目くそは「目やに」という言い換えもできるが、鼻くそを「鼻やに」とはふつう言わない。そう、目くそと鼻くそは似たり寄ったりではなく、カテゴリー自体が違うのである。正しくは、「目くそが鼻くそをシカトする」か「鼻くそが目くそをねたむ」でなければならない。

よくよく考えれば、「五十歩百歩」も変に思えてきた。たしかに広い戦場では五十歩と百歩は僅差だろう。しかし、短距離走なら大差がつく。決して似たり寄ったりではない。

参考にした辞典には、「どの意見をとっても五十歩百歩だ」という用例が紹介されている。敏感な人ならわかるだろう。意見にはニュアンスがある。こだわる人にとってはそれが重要だ。だが、五十歩百歩には「小さな相違はさておき」という前提がある。「小異はあるだろうが、マクロ的に見ればどれもこれもよく似ている」という含みだ。こういう使い方ができる人間はそのグループのトップに違いない。

もう一つ用例がある。「千円の損も二千円の損も五十歩百歩だ」。これで完璧に明らかになった。五十歩百歩は金持ちのことばなのだ。何十里や何百里という戦場を基準にしているからこそ、五十歩百歩が成り立つのである。同様に、千円と二千円が似たり寄ったりと言える人間は、何十万円や何百万円を基準に置いているのである。時給800円のフリーターはこの用例を使えない。

以上から、五十歩百歩をめぐるプチ哲学の結論――これは、組織のトップの地位にあって金を持っている人間、すなわち「勝ち組」が使う表現である。 

矢印(→)の便利と強引

行き先を矢に似せたデザインで示してくれる「矢印」。地図上の目当ての場所に向けて「ココ」と記してあるととてもわかりやすい。目的地に接近すればするほど、矢印のピンポイント効果は高くなるようだ。

ところが、たとえば駅構内の矢印はどうだろう。「地下鉄中央線→」などという表示はきわめて漠然としていて、一応矢印の方向に歩を進めるものの、迷わずに辿り着ける保障などない。とりわけ上向き(〉や下向き(〉にはよくよく注意したほうがよろしい。これらベクトルが示すのは、それぞれ「階上」「階下」という抽象概念にすぎない。そこに至る手段がエスカレーターかエレベーターか階段か、はたまた飛び上がるのか飛び降りるのかは不明である。

矢印の行き先を突き止めるだけの精神力と体力のない高齢者が右往左往している場面によく出くわす。当然駅員に尋ねることになるが、駅員の説明の随所に人差し指を使った矢印が登場するのである。壁に貼られた矢印の表示が指によるライブの矢印に変わるだけだ。結局駅員はお年寄りをかぎりなく目的地に近いところまで連れていくことになる。

☆     ☆     ☆

資料に目を通したり本を読んでいたりするとき、小さなチャートの中に矢印が散りばめられているのに気づく。「ターゲット設定強みの訴求顧客満足」などと矢印が概念をリレーしている。油断すると、すっと流れていく。いかにも理路整然とつながっているように通り過ぎてしまう。

しかし、ちょっと待てよ。矢印がバトンだとすれば、そのバトンリレーはうまくいっていないぞ、ということに気づく。バトンが落っこちているじゃないか! 

PDCAサイクルは、PLANDOCHECKACTと仕事や業務のサイクルを回せと教える。矢印は同じ長さで表現されているのだが、よく観察すれば、PLANからDOの矢印が実はもっと長いものであり、CHECKからACTへの矢印が一本とはかぎらないことがわかってくる。

自分のことを棚に上げて論うつもりはない。ぼくもテキストやレジュメやパワーポイントで矢印をふんだんに使い、その便利さの恩恵を受けている。しかし、知らず知らずのうちに矢印を牽強付会気味に使っていて反省しきりである。だから、「ABC」と書くときに、なるべく矢印のスムーズさに気をつけるようにし、Aが原因でBが結果であるとか、実際はこんな一本道で脈絡がついているのではないとか、口頭で補足するようにしている。

矢印には「勝手にそうなる」「必然の結果として」というマジカル効果がある。便利だが、緻密な思考を省略してしまうので、できる人はゆるゆる論理を見抜いてしまう。

イタリア紀行7 「花の都の序章」

フィレンツェⅠ

今回から数回にわたってフィレンツェを振り返る。これまで紹介してきたヴェネツィアやシエナ同様、この街も歴史地区と呼ばれる中心地はおよそ2キロメートル四方に収まっている。

よく知られている通り、フィレンツェはルネサンス発祥の地である。当時を偲ぶゆかりの名所や芸術作品には事欠かない。同時に、ここは「花の都」とも呼ばれている。フィレンツェ(Firenze)はその昔、ラテン語で“Fiorentia”という名前だった。このことばの頭のFiore(フィオーレ)が花を表す。先般日本人観光客の落書きでニュースになった、フィレンツェ歴史地区の象徴であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂も「花の聖母寺」である。

日本からイタリアへの直行便はミラノかローマに向かう。だから、個人旅行の本にはこの二つの都市を拠点にした旅指南の記事が目立つ。しかし、世界遺産を含めた遊覧密度の高さで言えば、フィレンツェの立地はミラノやローマより優れている。なにしろシエナ、サンジミニャーノ、ルッカ、ピサ、アレッツォなどの街へ楽々半日旅行できてしまうのだ。

コンパクトな街だが至宝が凝縮している。過去23日、45日で二度訪れていたが、20073月に9日間滞在する機会があった。オルトラルノという、中心街から見ればアルノ川の南岸のサン・フレディアーノ地区のアパートに3泊。その後は、名所シニョリーア広場に面した隠れ家的ホテルが予約できたので、そこに5泊。

フィレンツェに泊まって市中をくまなく歩き、さらにバスと電車で周辺を巡る計画を立てた。計画というと緻密なようだが、天気と相談しつつ気の向くまま、足の向くままが基本。イタリア語で気に入っていることばに“passegiata”(パッセジャータ)がある。散歩という意味なのだが、当てもなく同じところを行ったり来たりというニュアンスが強いから「そぞろ歩き」がぴったりだ。今日は有名どころを概観するが、次回からのフィレンツェ紀行はそぞろ歩きに似て、行き当たりばったり。日によって、あるいは歩いてくる方向によってルネサンスの花の都が変える表情を見ていただこう。

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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。2003年には息を切らしながら500段のクーポラに上って街を展望した。
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大聖堂の正面からの光景。イタリア的なゴシック建築の典型を見ることができる。赤屋根のクーポラの右手前に聳えるのがジョットの鐘楼。
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鐘楼から眺めるクーポラと背後に広がるフィレンツェの街並み。
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南岸に位置するミケランジェロ広場から見渡すアルノ川。アルノ川に架かる橋が有名なポンテ・ヴェッキオ(イタリア語で「古い橋」という意味)。
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カメラを右にずらすと対岸の「チェントロ」という歴史地区の街並み。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラと鐘楼の位置関係がよくわかる。

アルファベットに要注意

昨日“thunderbird”の話を書いた。日本語には、この英語特有の“th”の音を正確に表わす文字がない。幸か不幸かという話ではなく、単純にない。英語の“think”“sink”も「シンク」とカタカナ表記するしかすべがない(「アイ・シンク・ソー」と日本語風に発音したら、「私はそう考える」ではなく「私はそのように沈む」という意味になる)。だから、英語に不案内な人が「サンダーバード」が“s”で始まると推測するのもやむをえない。

少し英語ができる人でも、“bath”“bus”で英語のダジャレができると思ってしまう。日本語ならどちらも「バス」だが、音はまったく違う。母音にいたっては、日本語には「あ、い、う、え、お」の5種類しかないから、それ以上の数の母音が存在する英語やフランス語をカタカナ表記で学んでも、実際に発音してみるとまったく違うものになる。

嘆いてもしかたがない。少々の発音ミスは大目に見てもらうとしよう。しかし、綴りのミスは事前に辞書で調べたりしてチェックができる。それでもなお、念には念を入れたつもりがスペルミスを見落とすこともある。

三十代前半まで海外広報分野で英文ライティングと編集の仕事に従事していた。日本人二人、ネイティブ三人で一冊数十ページの広報誌を出稿間際まで校正しても、一つか二つのミスを見つけられないことがあった。しかし、見出しなどの短文や単語だけ独立して書かれている場合には、間違わない。そんな目立つところで失態をおかすと、プロ失格である。

☆     ☆     ☆

英語はもちろん、フランス語やイタリア語で表記する店が増えてきた。おもしろいことに、フランス語やイタリア語の綴り間違いは少ない。まったく知らないことが多いので、よく調べるのだろうと想像できる。やっかいなのは英語だ。「少し知っている」あるいは「間違うはずがない」という油断がある。

会社近くで二、三度行ったショットバー。店名の下に“Cash on derivery”と書いてある。酒やつまみを注文して、テーブルに運ばれてきた時点で現金を支払う「キャッシュ・オン・デリバリー」だ。このデリバリーが正しくは“delivery”である。そう、“r”ではなく“l”なのだ。日本人の苦手な「ラ行」の典型的なミス。

先週は洋食屋さんの看板に“Lanch”というのを見つけた。もちろん“Lunch”でなければならない。日本語では「あ」は“a”と一致し、“u”を「あ」と発音するなんて店主は気づいていない。「あれ、実はローマ字なんです」という言い訳は通用しない。ローマ字なら“Ranti”または“Ranchi”である。看板を見ているだけで、なんだかまずいランチに思えてくる。

理髪店の看板が“Barbar”だったり、ごていねいにも“Bar bar”と二語に分けていたりというのにお目にかかった経験があるだろう。これではまるで「バーという名のバー」ではないか。辞書を引けばすむことだ。そうすれば“Barber”に辿り着ける。美容院の“beauty parlor”も要注意。時々“o”“e”になって“parler”と綴られているのがある。

英文併記の名刺をお持ちの方、この際、姓名にくっついている肩書きを点検しておくことをお薦めする。“President”“Present”になっていたりすると、社長の存在が贈答品になってしまう。まさか“Manager”“Moneyger”になることはまずないだろうが、そんなミスがあると、その肩書きの部長か課長は守銭奴と見なされるだろう。

「聞こえる」が「聞く」に変わる

あなたはたまたまそこに居合わせていた。そして、積極的に聞こうとしたわけではなく、たまたま会話が「聞こえて」きた。たまたま立っていた場所が物陰だったりして、会話していた連中がふとあなたの存在に気づく。「まさか立ち聞き?」と詰め寄られる。「立ち聞き」とは別名「盗み聞き」。なんだか会話泥棒みたいだ。

「立ち聞きなんて人聞きの悪い!」と韻を踏んで反論している場合ではない。「勝手に聞こえてきたのであって、聞いたのではない」という無実を証明するのはたやすくないのだ。関心のないことは聞こえてこないものだぞ、聞こえてきたのは耳をそばだてていたからだろう、そしてそこには悪意があったに違いない――という具合に論理を運ばれ冤罪の一丁上がり。こんな経験がないのは幸いなるかな。

遠距離特急内では「座り聞き」が生じる。こっちはおとなしく指定席に座っている。読書に集中するか寝不足を補うために睡眠を取るのが常だ。しかし、時折り前部か後部の座席から会話が「聞こえて」きて邪魔される。意に介さないでおこうとすればするほど、余計に耳が鋭敏になる。そして、情けないことに、たまたま聞こえてきた話を聞き流そうとしているにもかかわらず、気がつけばいつの間にか身構えて、発言権と拒否権のないまま聞き役に回っていることがあるのだ。

☆     ☆    ☆

大阪発富山行き特急サンダーバード。後部座席からの夫婦の会話が聞こえてきた。

「サンダーバードって何?」「さあ……」「サンダーバードの他に雷鳥という特急もあるわ」「……」「辞書に載ってるかな?」 (ご婦人、おそらく携帯電話を取り出している) 「和英で見るの、英和で見るの?」「カタカナやから英語やろ。英和やな」と夫。 (しばらくして)「載ってないわ」「……」

ここで話は別の方向へ。その後の会話はまったく覚えておらず、上記の会話の部分だけは正確に文字で再現できるほど鮮明に記憶に残っている。

「(携帯の辞書に)載ってないわ」の瞬間、お節介を焼きたくなった。「サンダーバードって、Sで始まりませんよ。Thですよ、“thunderbird”って入力しないと出てきませんから。ちなみに“thunder”は雷で、“bird”は鳥だから、単語を直訳すると『雷鳥』になります」。

もちろん、座席の後ろを振り返って、見ず知らずの夫婦にこんな口をはさむわけがない。無言のお節介だ。雷鳥とサンダーバードは、厳密に言えば、同じ鳥ではない。サンダーバードは「雷神鳥」というアメリカ北米の巨大な鳥だ。しかし、ことばが酷似していることに気づいてほしかった。いや、気づかせてあげたかった。 

こんな思いに到るぼくは変わり者なのか。喫茶店の隣のテーブルで「小泉さんの前の総理大臣って誰だった?」に対して三人が必死になって思い出そうとし、何分経っても正解が出てこない場面に居合わせたあなたは、たぶん知らんぷりをするだろうが、心のどこかで「森さんですよ」と告げたくならないか。

道に迷っていそうな人に声をかけてあげるのは難しくない。あるいは、「地下鉄はこっちよ」と彼女が彼に言い、カップルが間違った方向に歩こうとしていたら、一言「あっちですよ」とアドバイスするのも朝飯前だ。だが、こと知識に関しては、ドアをこじあけるようにわざわざ会話の中に入ってまで授けるものではないのだろう。

「勝手に聞こえてきたこと」を「意識して聞く」。「勝手に見えてきたもの」を「意識して見る」。もしかすると、「偶察力(セレンディピティ)」というものはこのようにして磨かれるものなのかもしれない。 

その一言、聞いてあげます

いただいた手紙や感想文を読み返すことがある。つい忘れてしまいがちな教訓や心理を思い起こすのに格好の材料になってくれる。

 

「企画と発想」に関する手紙がもっとも多い。この分野では目からウロコのエピソードをふんだんに盛り込んでいるので、自分のアタマの硬さを嘆いたり、問題に気づいたり、これからの決意を強めたりという感想が目立つ。これに次ぐのが「ディベート」にまつわる書状。こちらは、悟りから喜怒哀楽、感動から誤解・錯覚まで、メッセージの趣旨とトーンは色とりどりだ

 

長年ディベート指導に携わってきたので、批判や不満を聞いてあげる度量はまずまずだと思う(人徳にはあまり自信はないが……)。そのせいか、誰にも明かせないことをこっそり告げ口したり懇願したりしてくる人は結構いる。

 

「過日のディベートの試合で負けたが、先生はどう思われるか?」と録音テープを同封してきた手紙。「勝敗には決してこだわらないが、あの審査員の人格否定の発言は許せない!」と叫ぶ手紙。「必勝法を教えていただきたい」という、厚かましく幼稚な手紙。まずまずの度量のぼくは、それなりの回答を考えて返信する。時間を食うこともあるが、仕事の一環だと自分に言い聞かせている。

これらは実際に試合に出て議論をしたディベーターからのものだが、「試合後にディベーターと聴衆に取り囲まれて恫喝のことばを浴びせられた。正直、身の危険を感じた」という審査員からの直訴状もある。

☆     ☆     ☆


手紙ではないが、研修の一ヵ月後に提出するアンケートの自由書き込み欄に次のようなコメントがあった。市の職員研修に参加した中堅職員である。

 

「たまにはディベートもどきを友人としています。効用としては、課題への接合を意識して仕事をしていること。少しアタマの回転が上がってきたような気分です。回りにいる人たちが今まで以上にアホに見えるのは気のせいではなさそうです。」

 

これなど、いいところに気づいてくれている。ディベートは、自分自身が賢くなるというよりも、自分も含めた人間の怠慢とアホ化現象に気づく絶好の機会を提供してくれる。しかしながら、ぼくは次のような一般的警告を発しておいた。

 

「ディベートを勉強すると、ディベートのできない人々がバカらしく見えてくることがあります。しかし、この感覚に溺れてはいけません。あなたには当てはまらないでしょうが、他人のアホさ加減を目の当たりにして自分が賢いと勘違いする中途半端なディベート学習者が多いのも事実です。」

 

ディベートには功罪がつきまとう。勝敗を決めるから真剣に学ぶという「功」の一方で、勝敗が相対的優劣であると錯覚する「罪」がある。他人のおバカさんぶりは、決して自分の偉さ・賢さではない。 

災いを転じて福となす

毎日または隔日に一つの記事、あるいは週や月にいくつの記事などと決めているわけではない。「ねばならない」という強迫観念をブログに持ち込むつもりもない。書くという行為は、ぼくにとって意地や決意などではなく、(1) 自分の考えをまとめ、(2) よければ想定した読者に読んでもらい、(3) その人にインスピレーションのヒントか少し愉快な時間を提供できればいい、という動機から来ている。

日曜日に出張から戻ってきて、すでに下書きを完了していた『週刊イタリア紀行』のブログを仕上げようと思ったら、不具合が発生。不具合の原因は専門的でよく理解できないが、ついさっき回復して解決したという連絡を受けた。どなたからかコメントも入っていたが、それが消えてしまって申し訳ない。同時に、ぼくの下書き原稿も消えてしまい残念である。

人生や命に別状がないから無茶苦茶に残念がることもない。大した災いでもないが、「災い転じて福となす」に倣おうではないか。そう思い直して、下書きした原稿をあのまま公開しないでよかったと考えることにした。しかし、そう考えるためには、あの原稿の欠陥なり問題を見つけなければいけない。それは、ある意味で批判を加えることでもある。次のように振り返り自己批判した。

☆     ☆     ☆

実はフィレンツェを取り上げたのだが、何回シリーズという構想なしで一回目を書いた。ちょっととりとめなく序章を書き、思いつくままアルノ川の南岸の話に発展させた。あれはまずかったかもしれない。それに、「花の都」というタイトルをつけていたにもかかわらず、ルネサンスについて一言も触れていなかった。それも検討不足だ。文章の推敲も不十分だったかもしれない。

ここまで反省して、ちょっと待てよ、何か変だと気づいた。「災いを転じて福となす」は、下手をすると、単なる楽観主義になってしまうのではないか。失敗してもこれでよかったんだという安堵感が漂っていていいのか。あの原稿、あれはあれで書けていたではないか、それなのに根掘り葉掘りで欠点探しをしているのはおかしいぞ。

冷静に考えれば、消えた災いが福になると信じるのはただのお人好しだ。だいいち福になんかなっていないじゃないか。なにしろほぼ出来上がっていた原稿が消えたのだ。もう一度時間を費やさねばならないのだ。もっと悔しがらないといけないはずである。

いま「費やさねばならない」と書いた。冒頭の「ねばならない」という強迫観念だ。この思いはまずい。今回の一件、決して福ではない。だが、「災いを転じてネタとなした」ことを不幸中の幸いとしておき、ここでやめるのが災いに終止符を打つタイミングだろう。