対話からのプレゼント

2010322日。神戸で「第1回防災・社会貢献ディベート大会」が開催され、審査委員長として招かれた。大会そのものについてはニュース記事になっているようだ。一夜明けた今日、ディベートについて再考したことをしたためておこうと思う。


考えていることをことばで表現する。思考していることが熟していれば、ことばになりやすい。おそらくその思考はすでに言語と一体化しているのだろう。考えていることとことばとが一つになる実感が起こるとき、ぼくたちはぶれないアイデンティティを自覚することができる。もっとも、めったに体験できることではないが……。

考えていることがうまくことばにならない。それは言語側の問題であるよりも、思考側の問題であることのほうが多い。「口下手」を言い訳すると、「考え下手」を見苦しく露呈してしまうことになりかねない。どんなに高い思考や言語レベルに達しても、考えをうまく表現できない忸怩じくじたる思いはつねにつきまとう。それでもなお、くじけずに言語化の努力を重ねるしかない。ことばにしてこそ考えが明快になるのも事実である。こうして自分の書いている文章、書き終わった文章を再読してはじめて、考えの輪郭が明瞭になるものだ。

一人で考え表現し、その表現を読み返してみて、新たな思考のありように気づく。たとえ一人でも、思考と言語がつながってくるような作用に気づく。ならば、二者が相まみえる対話ならもっと強い作用が働くだろうと察しがつく。そうなのだ、弁証法の起源でもある、古代ギリシアで生まれた対話術〈ディアレクティケー〉には、自分一人の沈思黙考や言語表現で得られる効果以上の期待が込められた。すなわち、曖昧だったことが他者との議論を通じて一段も二段も高い段階で明らかになる止揚効果である。対話によって、自分の思考に気づき、思考のレベルを上げるのである。対話が授けてくれる最上のプレゼントは思考力だ。


「対話」の意義を説くのはやさしい。しかし、現実的には、対話は後味の悪さを残す。聴衆を相手にした修辞的な弁論術では見られない、一問一答という厳しいやりとりが対話の特徴だ。相手の意見に反論し、自論を主張する。主張すれば「なぜ?」と問われるから理由を示さねばならない。必要に応じて、事例や権威も引かねばならない。

教育ディベートには詭弁的要素も含まれるが、当然ながらディアレクティケーのDNAを強く継承している。命題を定めて、相反する両極に立って議論を交わす。人格を傷つけず、また反論にへこたれず、さらにまた遺恨を残さないよう意識することによって、理性的な対話に習熟する絶好の場になってくれる。だが、相当に場数を踏んでも、「激昂しない、クールで理性的な対話術」を身につけるのはむずかしい。

ディベートでは、相反する立場の相手と議論するものの、相手を打ち負かすことによって勝敗が決まるわけではない。マラソンややり投げやサッカーのように数値の多寡を競うのではないのだ。いや、ある基準にのっとって数値化はされるのだが、点数をつけるのは第三者の、聴衆を代表する審査員である。主観を最小限に抑えるために客観的指標を定め、先入観のない白紙状態タブラ・ラサの維持に努めるものの、主観を完全に消し去ることなど不可能である。

実力や技術だけでディベートの勝敗が決まらないことを心得ておこう。第三者評価型の競技に参加するかぎり、それは必然の理なのだ。ゆえに、審査員のフェアネスと眼力が重要になってくる。そして、審査が終わり判定が下されたら、ディベーターも審査員もその他すべての関係者も素直に結果に従わねばならない。そうでなければ、ディベートなど成り立たない。ディベートには「諦観」が求められる。ぼくがディベートという対話からもらったもう一つのプレゼントは虚心坦懐の精神である。

カフェの話(5) 老舗の名と味

すでに紹介した老舗カッフェ・フローリアンには、水際の広場のカフェというところに水都ヴェネツィアならではの趣があった。

この店のような超有名カフェのほとんどはガイドブックやネット上に掲載されている。「名物に旨いものなし」とよく言われるが、そこまで極端ではないにしても、著名であることと内容が伴っていることは往々にして比例しない。たとえ伝統ある老舗であっても、オーナーが変われば品性も変わり、ブランドの上にあぐらをかいた利益主義の経営に走ることが稀にある。昨年7月、日本人観光客が、ローマはナヴォナ広場近くの老舗リストランテに暴利をむさぼられた事件は記憶に新しい。

ナヴォナ広場から西へ少し歩けばパンテノンがある。その北側のロトンダ広場の一角に構えるのが、ガイドブック掲載常連の老舗カフェ「ラ・カーサ・デル・タッツァ・ドーロ(La Casa del Tazza d’Oro)」。ちょうど二年前、ローマ滞在中にアパートのオーナーが連れて行ってくれた。この一帯にはかつてコーヒー焙煎所が立ち並んでいたらしく、このカフェも元々はその一軒だった。今も焙煎しているから、店の入口近くにまで挽きたての香りが立ちこめている。

何年ぶりかで出くわした「粘性液状」のコーヒー。小さなカップにほんの2センチほど入った濃厚エスプレッソは、一気に一口で味わう。と言うか、それ以外の選択肢はない。この店の名前は「金のカップ」。はたしてそんな器で出てきたのか。店構えも焙煎光景もカップも写真に撮り収めていないのでわからない。

パリには名立たるカフェがいろいろあるが、実際に訪れた有名店は「カフェ・ド・フロール(Cafe de Flore)」のみ。文豪たちが長居をして文章を綴ったり哲学者たちが激論を交わしたことなどで名を馳せたカフェ。日本でも大阪と東京に出店していたが、大阪長堀の地下街にあった店は今はない。ギャルソンと呼ばれるウェイターの立ち居振る舞いや調度品がパリと同じでちょくちょく通っていた。コーヒーがテーブルに運ばれた直後に会計を済ませる方式もパリそのまま。レジを置かない、あの方法をぼくは気に入っていた。

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サン・ジェルマン大通りに面したカフェ・ド・フロール。店には一度しか行かなかったが、近くのホテルに3泊していたので、この界隈をくまなく歩いたものだ。

「知のメンテナンス」とは何か

すっかり日本語になったメンテナンス(maintenance<動詞maintain)。今ではほとんどの場合、「保守」を意味する。原義は「維持」に近く、しかも”main+tain“と分解すると「手+持つ、支える」となって、「手入れ」に近いような、アナログ的ニュアンスが浮き彫りになる。

ずいぶん前の話になるが、コピー機がよくトラブルを起こしたものである。メーカーは定期的に保守点検をしてはいたが、突発の故障発生にしょっちゅう顧客に呼び出された。故障からの回復を容易にすべく、各社は競ってコピー機に〈自己診断セルフ・ダイアグノシス〉の機能を付加した。機械そのものが、「この箇所がトラブル発生源」とか「修復するにはこの手順」などと自己診断して、ユーザーに知らせるのである。機械は「調子が悪い」と告げて原因も明らかにするのだが、残念ながら修復には他力を必要とする。

機械を人間に置き換えてみよう。「体調が悪い」と自覚しなければ、人間は治療したり改善したりしようとはしない。正確な診断と処方を医者がおこなうにしても、まずは「何か変」に本人自身が気づかなければ、医者のもとを訪れることはないだろう。プロスポーツの選手などは必ずどこかが悪いものなので、自覚するしないにかかわらず、習慣的な身体の手入れを怠らない。この「手入れ」というのが、メンテナンスの本来的な姿だと思う。


そこで、知のメンテナンスとは何か、である。「アタマが悪い」と気づき、良くなるように保守点検することか。いや、成人なら、自分のアタマの良し悪しの値踏みはしているだろう。少なくとも他者と比較しての相対的な判断ぐらいは、とうの昔に下しているはずだ。知のメンテナンスではアタマを良くすることはできない。もう一度、機械のメンテナンスを思い出してほしい。それは機械の質を高めることではなかった。その機械に付与されている機能を十全に働かせることであった。機能そのものが、高機能であれ低機能であれ、うまく働いていないときに迅速に手入れをすることがメンテナンスなのである。

知のメンテナンスにおいては、アタマが悪い人でも知が精一杯働いていれば、機能不全に陥ったアタマの良い人よりも、手入れが行き届いているという考え方をする。アタマの悪い人には励みになるだろう(ならないか!?) ぼくは軽はずみに冗談を言っているのではない。世の中がアタマの良し悪しで動いてはおらず、人間力や成功がアタマの良し悪しだけで決定しないのを見ればわかる。IQの高低や知識の多寡よりも重要なのは、自分自身の知が健全に働いていることなのだ。

同じ仕事を続け同じ発想ばかりする。情報をやたらに取り込みはするが知が働かない。逆に、アタマは混沌としてにっちもさっちもいかない。放置していると、現代人は知の迷い子になってしまうのだ。ことばの使い方、アタマの働かせ方には「理に適う」ことが必要なのである。アタマを良くするコツがないとは言わないが、持てる知の最適稼動が先なのだ。機械が己の機能を知っているほどに、ぼくたちは己の知のありよう、言わば〈知図〉に精通していない。

知のメンテナンスとは、知の方向音痴に手入れをすることにほかならない。ひとまず大まかな東西南北の位置関係をきちっと見極めれば、やがて南南東や西北西などの精細な方向感覚が鋭くなってくる。以上のような視点を、ぼくは今年の私塾のテーマにしている。人物論を触媒にして、一工夫凝ったつもりである。  

自由裁量と義務づけ

まったくうろ覚えなので、内容を詳細に描写することはできないし、ストーリーが間違っているかもしれない。エピソードを通じて伝えたい趣旨だけを汲んでいただきたい。たしか十代の後半だったと思う。テレビでヨーロッパ封建社会の中世を舞台にしたコメディータッチの洋画を見た。当時は今以上に洋画が放映されていた。その映画では小村の領主の代官が「新税」の考案を担当している。中世封建社会では、騎士階級が領主となって農民を支配していたのはご存知の通り。

代官は住民の動きをつぶさに観察していて、何かにつけて新税を適用しようと画策する。小船に乗ろうとしたら「ボート税」、農民が歩いたら「歩行税」という具合だ。税徴収のアイデアが浮かばなくなったら、挙句の果てに「空気税」まで導入しようとする。生きているかぎりは誰だって呼吸はしている。呼吸をするということは、領主が支配するこの村の空気を摂取していることになる。ゆえに空気税。代官が二酸化炭素に注目していれば、世界初の「CO2排出税」が誕生していたかもしれない。

記憶の底辺からぼくがこの話を思い出したのはほかでもない、通称「コンビニカット」を掲げる低料金理容店への洗髪台設置義務づけが加速していて、なんと21の道県ですでに条例化されているというのだ。仕掛けたのは約75千人の「従来型理容店」の店主が組織している全国理容生活衛生同業組合連合会。長ったらしい名称なので、「全理連」と呼ばれている。「カット専門店は洗髪しない。代わりに掃除機のような装置で毛を吸引する。全理連には飲食店からクレームが寄せられている。散髪後の客の毛が食べ物に落ちて不衛生だ、という苦情。ゆえに、衛生水準維持のために洗髪台は不可欠」――これが、条例化を加速させている直接的な動機の要旨である。

洗髪台を備えて、散髪・髭剃り・シャンプー・ドライヤー・整髪をセットメニューにしている店が従来型理容店に多い。この業態を「従来型」と呼ばねばならない時点で、時代が変わったことをぼくは嗅ぎ取る。回転寿司が主流になった結果、従来の寿司店の呼称に困った覚えがあるが、これによく似ている現象だ。ある知人が言っていた、「子どもをカウンターだけの高級寿司店に連れて行ったら、『回らないところはイヤ!』と叫びました」。回転寿司に対してどう呼べばいいのか。従来型寿司店? それとも非回転系寿司店? あるいは、高級時価寿司店か、頼みもしない付き出し有料寿司店?


「今日はどうしておきましょう?」と従来型理容店の店主が尋ね、「今日はカットと髭剃り。この後、風呂に行くので洗髪も整髪もいらない」と答えた時代があったではないか。洗髪が絶対のメニューであるはずがない。もっと言えば、条例は洗髪設備を義務づけるものであって、節約を心掛けている客に洗髪を強要することになる。仮にセットで定額であっても、その金額さえ払えば、ぼくは洗髪をパスすることはできるはずである。「洗髪はいらない」という客のニーズに反して、洗髪を義務づけることなど絶対にできないだろう。

洗髪しないで食事に行くのが不衛生でけしからんと言うのなら、それはコンビニカット店の問題ではなく、マナーの話にすぎない。洗髪をしないで散髪後に食事に行くのは客なのである。自宅で自分のハサミでカットして洗髪しないまま食事に行くのも、肩にフケがついたまま食事に行くのも、汚れた服を着て食事に行くのも、あるいは食べている寿司の味が台無しになるほどヘビーな香水をつけたおばさんがカウンターで隣りに座るのも、すべてマナーの問題なのであって、何から何まで条例を作られては、冒頭の映画とまったく同じストーリーになってしまう。

自由裁量のもとに良識を働かせるだろうという前提が市民社会にはある。それがゆゆしきルール違反になる場合のみ規制なり義務づけが必要となる。観光シーズンと出張が重なるとき、ホテルのビュッフェには数百人もの観光客が入れ替わり立ち代わりお気に入りの料理を皿に取り食べている。あの光景を見れば、舞う綿埃や唾液の飛沫や自然脱毛する髪などの中途半端でないことは一目瞭然だ。デパートの地下しかり。飲食店からの苦情に基づいて全理連が動いたというのが事実であれば、飲食店は今後、訪れる客の直前の行動をすべてトレースするべきだろう。散髪に行って洗髪しない客のために洗髪台を強制するのなら、散髪にも行かず何日も洗髪しないで飲食店にやってくる客にはどんな対策を取るのか。

一見公共の利益に適うような論理のようだが、市場競争力のためのロビー活動に見える。中世の時代のみならず、現代でも私利私欲は理不尽を正当化しようとする。まるで過剰に税徴収するお代官様と同じ。全理連と呼ぶのなら、そこにもう少しましな「理」を構築してほしいものだ。なお、ぼくは千円カットの代弁者ではない。休日に自宅近くの店に行ったことはあるが、帰宅してシャンプーし、それから夕食に出掛けた。この程度の良識さえあれば、裁量に任せればよい。何でも義務、何でも条例というのは社会の幼児化を物語り、やがて善良な顧客を愚民視することにつながる。特定業界内の業態間競争という事情で済む話ではない。 

〈いま・ここ〉の明快さ

漠然とした明日に夢を託す習性が誰にもある。つらい今日を何とか凌げているのは、このつらさから解放してくれそうな明日を垣間見るからだ。いや、別にそれが現実の明日でなくてもよく、未来のいつかという意味の明日であってもいいのだろう。このような未来指向は「今日-明日」という時間軸だけにとどまらない。ぼくたちは場という空間軸に対しても同じように向き合う。すなわち、つらい「ここ」を通り過ぎれば、きっと満足できる「どこか」に辿り着けるだろうという期待である。そのどこかは、ほとんどの場合、「逃げ場」にもなっている。

今日が明日に、そしてこの場所が別の場所につながっているという、ある種の「持続感」がぼくたちを覆っている。ところが、たとえば「瞬間こそが時間の真の固有の性格である」(『瞬間と持続』)と語るバシュラールに耳を傾けるとき、時間軸には「いま」しかないことを思い知る。「持続は、持続しないいくつかの瞬間によって作られる」という彼のことばは、持続という観念が「この瞬間のありよう」と矛盾していることを示唆しているかのようだ。

この時間・この場所を〈いま・ここ〉、先の時間・別の場所を〈いつか・どこか〉と呼ぶことにしよう。ぼくたちが〈いま・ここ〉をまず主体的に生きなければならないことは明らかである。〈いま・ここ〉しかないという充実があってはじめて、〈いつか・どこか〉の充実もありえるだろう。逆に、〈いま・ここ〉に不満足なら、来るべき〈いつか・どこか〉にあっても不満足であり続ける確率は高い。〈いつか・どこか〉を幸福にするための最低限の条件は〈いま・ここ〉における幸福感に違いない。


〈いま・ここ〉こそが、疑うことのできない、現実の直接的な経験なのである。〈いま・ここ〉はとても明快なのである。〈いつか・どこか〉ばかりに注意が向くあまり、〈いま・ここ〉がおろそかになっていては話にならない。未来の出番はつねに今日の次なのだ。未来を迎えるにあたっては誰も今日をパスすることはできない。ちょうど今日を迎えることができたのは、過去の一日たりとも、いや一瞬たりともパスしなかったからであるように。

書き綴っていながら呆れるほど、こんな当たり前のことを、なぜぼくたちはすぐに忘れてしまうのかと自問する。〈いま・ここ〉で残したツケは必ず〈いつか・どこか〉で回ってくる。〈いま・ここ〉で考えること、語ること、行動することは、〈いつか・どこか〉でそうすることよりも確実である。にもかかわらず、そういう生き方から逃避するかのごとく日々を送ってしまう。かつては「モラトリアム」という一語で表されたが、「〈いま・ここ〉リセット現象」と名づけたい。あるいは、「未来確約幻想症候群」と呼んでもいい。

あまり先人の言ばかりを典拠にしたくはないが、ぼくには思いつかない言い得て妙なので、再びバシュラールのことばを引く。「行為とは、何よりもまず瞬間における決心である」。その瞬間、誰もが「ここ」にいるから、「行為とは、何よりもまず〈いま・ここ〉における決心」と言い換えてもいいだろう。決心こそが行為と言い切っている点に注目したい。仕事であれ趣味であれ、その「決心-行為」の担い手は自分を除いて他にはない。

「見当をつける」という知の働き

「さっぱり見当がつかないので、やってみるしかない」という決意を耳にする。一か八かのようでもあり、決死の覚悟のようでもある。負け戦になってもやむなしという諦めも前提にありそうだ。見当がつかないことを「イメージが湧かない」と言い換えることができる。状況不明、方位方角不明、どんな結末になるかもわからない。「どう転ぶかわからないが、できるだけ頑張ろう」という、一見頼もしそうな心理に危うさを感じる。時間に急かされてやむをえずそうなってしまったのか、状況判断のしようがないのでやるしかなくなってしまったのか。いずれにしても、あまり歓迎したくない切迫感が張り詰める。

見当とはいろんな材料によっておおよその方向性や好ましい結果に向けての判断をおこなうことだ。ここで重要なのは、いろんな材料をわざわざ集めるのではなく、日頃から身につけてきた知識を生かすという点である。そうでなければ「見当をつける」ことにならない。テーマが与えられてから情報を収集し分析して、しかるべき結果やソリューションを導くことを見当をつけるとは言わない。その作業は見当がつかなかった者が選ばざるをえない苦肉の次善策にほかならない。

ありとあらゆる材料を集めて、それらの総和によって正解への方向性が見えてくるのではない。たとえば、「急いては事を仕損じる」という諺を命題に見立ててみるとき、手に入るだけの証拠を集め考えうるかぎりの論拠を編み出して真偽や是非を論じても答が浮かび上がってこない。むしろ、おびただしい証拠と論拠によって真偽・是非が拮抗して判断がつかなくなり、茫然と立ちつくしてしまう結果となる。状況の把握ができなくなる、こういう事態は「見当識失調」と呼ばれる。ちなみに「急いては事を仕損じる」という命題に対するぼくの見当は「非」である。下手な遅疑よりは何かにつけてまず急いでみることが寛容だと思っている。この見当の次に、現実的な是非の吟味をおこなうことになる。


微妙な表現遣いで恐縮だが、「見当がつく」と「見当をつける」は違う。見当がつくときは、あらかじめ仕事や命題そのものに判断材料が備わっている。その場合は、誰にとっても見当がつくわけで、特別な誰かを必要とするわけではない。つまり、「次の一手」は自明である。ところが、見当をつけるほうは、自分の知とイメージを進んで働かせるという意味だ。人によって次の一手が変わる。それゆえに、たとえば将棋のプロはぼくのようなアマチュアよりも状況の読みが深く、かつ蓄えてきた手筋や定跡の知と想定イメージが質量ともに膨大だから、高い確率で最善の手の見当をつけることができるのだ。

情報が簡単に集まるようになった現在、ぼくたちは能率のよい時代に生きている。しかし、この能率性が曲者だ。いつでも材料が集まるとなれば、ふだんの品定めがおろそかになるし目配りや取り込みの真剣みが甘くなる。実際、企画の指導をしていると、テーマの見当をまったくつけることなく、テーマに関連する情報をやみくもに集めることを作業の出発点にしてしまう人たちばかりである。絵具と筆とスケッチ帳を用意しても、主題の見当をつけなければ絵は描けない。筆に随って文章を書くことを随筆と言うが、筆のおもむくまま小文を綴ることなど不可能で、実際は体験や見聞の題材の見当をつけてから書き始めるものだ。

見当をつけることを別の言い方をすれば、予想する、推測する、想像するなどになる。さらに軽く言えば、大体の方向性の察しをつけるということだ。この知の働きなくしては、どんなに質のいい情報をどれだけ多く手元に置いても、仕事は遅々として進展しない。情報の選別や分析をしたり組み合わせたりして答が見つかるのではなく、答らしきものの見当をつけておかねばどうにもならない。もちろん、見当をつけた方向性に答が見つかる保証はないが、そうする者はそうしない者よりも直観やひらめきのトレーニングを積んでいることになる。 

カフェの話(4) コーヒーとティー

言うまでもなくカフェとはコーヒーのことである。しかし、店の形態としてのカフェのことをわが国では長らく喫茶店と呼んできた。珈琲店や珈琲館とも言うが、一般的に親しまれた呼び名は喫茶店であった。文字面だけを追えば、お茶を飲む店である。コーヒーを主とするカフェで紅茶を飲むこともできるし、名前が喫茶店であっても紅茶ではなくコーヒーを飲むことができる。「お茶にしようか?」と言う時の「茶」は日本茶や紅茶とはかぎらず、コーヒーも含めたソフトドリンクの代名詞である。

ローマのバールでエスプレッソを飲んでいたら、イタリア系でも英米系でもないカップルが入ってきた(見た目では中欧系で片言の英語だった)。女性のほうが何かを注文した。バールのお兄さんは棚からタバコを一箱取って差し出した。タバコは、らくだのイラストで有名な、あのキャメル(Camel)だった。女性は慌てて「ノー、ノー」と言っている。入れ替わって男性のほうが何事かを告げた。お兄さんは無愛想にうなずいて、リプトンのカモミール(Camomile)のティーバッグを引き出しから取り出した。「キャメル」と「カモミール」の言い間違いか聞き間違いだったという話。

イタリアのバールで紅茶を注文するのは邪道? いや、決してそんなことはない。ちゃんとメニューにも掲げられている。けれども、カップにティーバッグを入れて熱湯を注いで出すのを目の前で眺めていると、エスプレッソやカプチーノと同じ値段にしては、まったくお得感がないように思われる。ワインとコーヒーを自慢とする国で、わざわざビールと紅茶を頼むことはないだろうと思うし、そうぼくに薀蓄を垂れたイタリア人もいた。

岡倉天心の『茶の本』に茶とワインとコーヒーとココアを対比する箇所があって、こう書かれている(イタリック体は岡野)。

There is a subtle charm in the taste of tea which makes it irresistible and capable of idealisation. Western humourists were not slow to mingle the fragrance of their thought with its aroma. It has not the arrogance of wine, the self-consciousness of coffee, nor the simpering innocence of cocoa.

ご存知ない方のために説明すると、上記の文章は日本語から翻訳された英文ではない。天心の『茶の本』は “The Book of Tea” が原題で、もともと英語で書かれたのである。

「茶の味には繊細な魅力があり、それが人を引きつけ想像をかき立てる。西洋の(風流な)ユーモリストたちは、ためらうことなく自分たちの思想の香気と茶の芳香を融合させた。茶にはワインのように思い上がったところはなく、コーヒーの過剰な自意識もなく、ココアの作り笑いした無邪気さもない」(拙訳)。

茶のさりげなさと対比するための極端な誇張だろうが、天心によればコーヒーは「自意識が強すぎる」らしいのである。意味深長である。今から「自意識を一杯」飲んで少し考えることにしよう。

ここに紹介する写真は、通りかかった折に「雰囲気」を感じてカメラを向けたパリ界隈のカフェ。

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セーヌ河北岸、ノートルダム寺院近くのカフェ。
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エッフェル塔から東へ少し。店を取り囲むように何十というテーブルが置かれている。
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ボージュ広場の回廊にあるカフェ。この並びに紅茶を専門に扱う小売の老舗がある。 

昨日と同じ今日はない

電車通勤片道45分の生活から職住近接の生活にシフトしてから4年が過ぎた。地下鉄の駅間隔で言うと、一駅半くらいの距離。早足の徒歩で13分~15分。二つの長い信号と三つほどの短い信号の待ち時間次第で、2分の時間差が生じる。例外的な豪雨の日のみ地下鉄を利用するが、ほぼ毎日往復歩いている。こんな距離と時間でも、ふだん車に乗り慣れて歩かない人には、遠距離で長時間に映るようだ。

塾生のKさんの足は車である。おそらくゴルフ場と町内の食堂にランチに出掛ける時以外はめったに歩かないだろう。彼は思い出したようにオフィスにやって来てぼくをランチに誘い出す。すでに店じまいをしてしまったが、歩いて2分弱のところに十割蕎麦の店があった。「近くの蕎麦屋に行こう」とぼくが言い、その店を目指して歩き始めた。店まであと30メートルかそこらの地点で、彼は口を尖らせて「どこまで行くのですか?」と不満そうに聞いた。どうやら彼には2分の距離が遠かったようである。

たとえ徒歩15分の距離でも、歩くルートのバリエーションは一桁の数ではない。東西南北を数十本の道が走っているのだから、何百何千通りの道程がありうるだろう。同じ道は飽きるから、真っ直ぐ行くところを手前の角で右折したり、右折してすぐの道を左折したりしながら、時には迷路を楽しむように、しかし当然オフィスの方向を目指して足を運ぶ。ぼくには手段や作業はもちろん、些細なことをするにあたって、同じするなら一工夫して楽しもうとする癖がある。この癖が嵩じると厄介な凝り性につながってしまう。


道すがらにこれまた廃業した米穀店兼クリーニング店があった。店舗面積の80パーセントを閉じ、今ではクリーニングだけを扱っている。どんなルートを選んで歩いても、だいたいこの場所の前を通ることが多い。そして、米穀店を営業していたつい先月半ばまで、ぼくはその店の婆さんの「日課」をずっと目撃し続けていた。毎朝時前後に路肩に置いてある植木のそばに米粒を一握りほど蒔くのである。待ち構えていたスズメが一斉に電線から降りてくる。餌蒔きの直前は、頭上からの糞に注意せねばならなかった。

ところが、もはや米屋は存在しない。ゆえにばら蒔く米もない。いや、住居も兼ねている様子なので自宅用の米はあるだろうが、シャッターが閉まってからのここ半月、婆さんを見かけない。つまり、長年にわたって餌付けされてきたスズメが朝食にありつけなくなったのである。スズメはどうしているのかというと、今もなお、ぼくが通り過ぎる時間帯に何十羽も電線に止まって米粒を待ち構えてピーピーと啼いているのだ。

実を言うと、前に住んでいたマンションには広いルーフテラスがあって、ぼくも好奇心からスズメに餌付けをしたことがある。ところが、糞を散らかすわ鳩までやって来るわで、近所にも迷惑がかかりそうなのでやめた。だが、やめてから何ヵ月も彼らが学習した習慣は続いた。スズメの体内時計は狂わずに決まった時間に餌をねだり餌にありつこうとする。昨日と同じ習慣が今日も正確におこなわれるのだ。婆さん不在の異変をよそに、餌中心のぶれない日々と言えば、なかなかカッコいい。しかし、彼らはまだ知らない、ある日突然、昨日と違う今日が、今日と違う明日がやって来ることを。何だか、ともすればノーテンキに生きてしまうぼくたちへの教訓のように思えてきた。    

雨中のハプスブルク展

先週の土曜日は雨だった。雨降りが多いのを実感する今年の2月と3月だ。梅雨の季節と同じく、雨が続くと日々の変化を感じにくくなってしまう。せっかくの休日の土曜日、会期終了間際ということもあって、ハプスブルク展を目指して京都国立博物館に行くことにした。実は、6年前にウィーン美術史美術館を訪れているので、今回の展覧会をパスしようと思っていた。と言うのも、その美術館所蔵の作品が多いからである。しかし、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の展示作品も揃っていると知り、少なからぬ興味は持っていた。

七条駅から地上へ出ると少し肌寒い。雨の中を人がやけに大勢歩いている。駅員さんが教えてくれた、前売券を販売している書店兼タバコ屋では数人が並んでいる。「ほほう、最終週になるとこんな具合なのか」と気楽に構えていた。驚きはこの後で、博物館に着くと入口に「待ち時間90分」の表示が出ているではないか。本家のウィーン美術史美術館やピカソ美術館では待ち時間ゼロ、ヴェルサイユ宮殿はわずか10分、ルーヴル博物館でも5分も並んでいない。正直、とても1時間半も待てないと思った。手元の前売チケットを誰かに買ってもらおうかとすでに算段し始めてもいた。

しかし、思い止まった。何をそんなにいている? と自問し、正午を少し回ったところなので、近くのうどん屋に入って腹ごしらえすることにした。待ち時間が増えるのか減るのかはわからない。博物館前で案内をしていたアルバイトの青年に聞いても、団体観光客が押し寄せているので判断がつかないと言う。「午後2時過ぎなら待ち時間が短縮されているだろう」という自分の希望的推論に賭けて、七条通を挟んで向かいの三十三間堂の門を20年ぶりにくぐることにした。国宝三十三間堂を時間潰しに使ったらバチが当たりそうなので、きわめて神妙かつ真剣に見学した。


博物館に戻ったら、待ち時間が60分になっていた。一応賭けはうまくいったようである。雨も上がった。とは言うものの、行列の並ぶ店を敬遠するぼくにとって1時間は長い。そこで、館外の常設ギャラリーで本を買うことにした。ハプスブルク関係は数冊あったが、品定めをして『ハプスブルク帝国』を買った。税別650円の一番安価な文庫本だったが、安いからではなく読みやすそうだったから求めたまで。待ち時間60分の表示はほぼ正しく、本も第3章まで読めたのであっと言う間に時間は過ぎた。

中世から近世にかけての西洋絵画の最大のテーマは宗教と人物である。宗教画と肖像画が圧倒的な数を誇る。ぼく自身は絵画の解説をヘッドホンで聞くオーディオサービスを受けたことがない。しかし、宗教画と肖像画を鑑賞するときだけは説明付きのほうがわかりやすいだろう。歴史の背景や人物の身上を通してこそ絵の見方が深みを増すことはたしかだ。たとえば、さほど有名でもない「フランドルのある青年」というタイトルの絵なら素通りする。しかし、肖像画が「マリア・テレジア」であり、彼女がオーストリア系ハプスブルク家の女帝であり、かのマリー・アントワネットの母君であることを知っていれば、あるいは神聖ローマ帝国や当時のヨーロッパの勢力地図の知識が少しでもあれば、単なる一枚の肖像画としてその前を通り過ぎることはないだろう。

いや、絵画は気に入るか気に入らないかがすべてだ、色使いや構図やタッチが好みに適い、鑑賞していて楽しければそれでいいではないか、という考え方もある。何を隠そう、ぼくなどはそういう意見に強く与するほうなのだ。だから、キリストや聖書を知らないと理解しづらい宗教画にはあまり関心がない。どの教会にも掲げられている「受胎告知」を見るにつけ、「あなたは妊娠しましたよ」と天使が余計な世話を焼くものだと思っているくらいである。ぼくの好みの絵画は街の風景で、理屈はいらないし、気ままに時代や生活を偲びながら楽しむことができる。なお、三十三間堂の千体観音や観音二十八部衆像も宗教がらみ、さすがに歴史の予備知識がないと厳しい。   

心の琴線に触れる

誰だったか忘れたが、「心の琴線きんせんに触れる」を口癖にしていた人がいた。何かにつけて感動しては心の琴線を持ち出す。顔も思い出せないが、耳に何度も響いた慣用句だったので、表現をよく覚えている。琴という楽器を見かけることはめったになくなった。ぼくが中学生になった頃、近所に大正琴のお師匠さんが住んでいて、町内のおやじ連中がこぞって習いに行ったものだ。ちょっとしたブームになっていたのだろう。そう言えば、当時は民謡も流行っていた記憶がある。

琴線と言えば琴の弦ゆえ、心の琴線という言い回しは比喩である。比喩ではあるが、琴の奏者とは違って、ぼくたちは比喩表現のほうにより親しんでいる。「心の琴線」と来れば、続く動詞は「触れる」である。浅学だからかもしれないが、これ以外の組み合わせを見たり聞いたりしたことはない。心の琴線を爪弾つまびいたり奏でたり調べたり掻き鳴らしたりなどとは言わないようである。

『「心」はあるのか』(橋爪大三郎)という問題提起があるくらいなので、もし心がないと仮定するならば、心の琴線がありうるはずもない。もし心があるのならば、どんなふうに琴線は心の中にしつらえられているのか。あるいはまた、心というのは結局は脳のことだと解釈する場合には、脳の中で琴線はどのように張られているのか。いずれにしても、心か脳の奥深いどこかには感動したり共鳴したりする感情の弦があって、それに外部から何かが触れると反応して音を出すようなのだ。


しかし、音の響き方は人によってだいぶ違うだろう。大仰に響く人があると思えば、微かな音すら立てない人もいるだろう。同じ対象を前にして琴線は鳴ったり鳴らなかったり、あるいはまったく異なった音色を立てる。そもそもこの慣用句は「触れる」までしか面倒見ていないので、音色がどんなふうに鳴るかまでは聞き届けることができない。共鳴の具合はそれこそ千差万別、人それぞれと想像できる。

よく考えてみれば、心の琴線に触れるというのは「待ちの姿勢」ではないか。己の琴線の感度が悪ければ、どんなに対象が迫ってきてもうんともすんとも共鳴しない。誰かがやさしく声を掛けてくれたり感動的な話を披露してくれても、ぼくの心の琴線に触れないかもしれない。心の琴線に触れないのが、ぼく自身の鈍感な感受性の問題ゆえなのか、他方、対象そのものが感情を揺さぶるほどの域に達していないからなのかはわからない。

どうやら、「私の心の琴線」という捉え方に据え膳に甘える目線がありそうだ。心の琴線に触れる何かを待つかぎり、感動を他力にすがっているような気がしてくる。むしろ、まず「他者の心の琴線」に触れるべく振る舞うことが、やがて自分自身の琴線にも触れることになるのだろう。それこそが共振であり共鳴であり共感である。人や言や物に感じて心を動かせるには、それら外界の存在に備わっている琴線に触れてみるべきなのだ。「感応かんのう」という表現がそれをぴったり表してくれる。あてがわれた感動ばかりで、自発的な感応がめっきり少なくなった時勢を最近よく嘆いている。