カフェの話(3) 苦味の魅力

espresso.JPGその名も”Espresso”という題名の本がある。香りの小史やカップ一杯の朝という項目が目次に並ぶ。コーヒー文化とエスプレッソのバリエーションに関する薀蓄が散りばめられており、高品質の写真もふんだんに使われている。

この中に、詩人でノンフィクションライターのダイアン・アッカーマンの『感覚の自然史』から引用された一文が紹介されている。

「つまるところ、コーヒーは苦く、禁じられた危険な王国の味がする」。

う~ん、どんな味なんだろう。何となくわかるような気がして、喉元までそれらしい表現が出てきそうで出てこない。ことばでは描き切れない味だ。

紀元前から醸造されてきた長い歴史を誇るワインに比べれば、コーヒー栽培の起源はかなり新しい。自生種を栽培種として育て始めたのが13世紀頃だし、ヨーロッパの一部で流行の兆しを見せたのが17世紀だ。アッカーマンが比喩している「危険な王国」とはどこの国なのだろうか。エチオピア? それともアラビア半島のどこか? 野暮な類推だ。仮想の国に決まっている。

いずれにせよ、ぼくたちは「禁じられた味」をすでに知ってしまった。だから、大っぴらに飲んではいけないと言い伝えられたかもしれない頃の禁断のイメージを、今さら浮かべることは容易ではない。ただ、高校を卒業した頃に喫茶店で飲んだ最初の一杯からは、たしかにレッドゾーンに属する飲料のような印象を受けた。コーヒーの味は誰にとっても苦い。子どもだから苦くて、大人だから苦くないわけではない。「おいしい? おいしくない?」と子どもに聞けば、おいしいと言うはずがない。子どもに気に入ってもらうためには、コーヒーの量をうんと減らしミルクと砂糖をたっぷり加えてコーヒー牛乳に仕立てなければならない。

苦味が格別強いエスプレッソには、ブラック党でもふつうは砂糖を入れる。イタリアのバールでは、小さなカップにスプーン一杯の砂糖を入れて掻き混ぜ立ち飲みしている。話しこまないかぎり、さっと注文してさっと飲んで出て行く。なにしろ立ち飲みなら一杯100円からせいぜい150円の料金だ。

ところで、砂糖を入れるのは苦味を抑えるためなのか。苦味を少々抑えたければミルクの泡たっぷりのカプチーノのほうが効果がある。カプチーノを頼んでも30円ほどアップするだけだ。実は、砂糖を入れても苦味はさほど緩和しない。むしろ砂糖の甘みが、ストレートの苦味とは異なる別の苦味を引き出すような気がする。説明しがたいが、何となくそんな気がする。

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エスプレッソのダブル(シエナのカンポ広場)。イタリアのバールでは”カッフェ・ドッピオ”と注文する。
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パリのカフェの店内。パリのカフェでは通常一杯のエスプレッソがイタリアのダブルよりも分量が多い。
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シニョリーア広場のカフェ(フィレンツェ)。観光客が朝から夜まで絶えない有名な広場だが、光景を眺めているだけで飽きることはない。このようにテラスのテーブル席に座ると、コーヒーの値段は倍になる。

刻一刻の「追思考」

「追体験」ということばはすっかり定着していて、みんなよく知っている。誰かが体験したことを自分なりに解釈して、あたかも自分が体験したかのように再現してみせることだ。たとえば芭蕉の『奥の細道』やゲーテの『イタリア紀行』を読み、自分なりに解釈しながら旅を疑似体験してみるのが追体験。旅程を辿って実際に旅をするという意味は含まれない。あくまでも、誰かの体験を想像上ないし机上で追うことが追体験である。

ほとんど聞かないのが「追思考」というマニアックなことばだ。実を言うと、追体験よりも追思考のほうをぼくたちは日々頻繁におこなっている。今夜の会読会でぼくは小林秀雄を取り上げるが、読書という行為はまさしく追思考そのものなのだ。著者の考えたところをなぞるように、あるいは追っかけるように考えていく。原思考者と追思考者の間に絶対能力の差があれば追いつくことはなく、原思考をそっくり再現できるはずもない。結局は、自分の理解力の範囲内での追体験ということになる。

昨日「できる人の想像力」について書いた。その後、夜になって自宅でそのことについて考えてみた。偉い人の思考を辿るのも追思考なら、自分の考えたことをもう一度自分自身がトレースするように追ってみるのも追思考の一種だろう。なぜなら、今日考えている自分からすれば昨日考えていた自分はどこか他人のようでもあるからだ。自分による自分の追思考をしてみると、結果的に「再考」することになるが、いったんきちんと思考経路を追ってみて再生しようとするところに意味がある。


昨日はプロフェッショナルを賛美するようなタッチで書き、専門性の源泉に想像力を求めた。自分で書いた記事を読み直し追思考した結果、想像力は源泉ではあるものの、それだけではやっぱり一流にはなれないことに気づいた。想像力豊かな専門バカもやっぱり存在するからである。日々良識をもって真偽や是非を感知する能力を実践しなければ、想像も根無し草のごとき空想で終ってしまうのだろう。

めったに先行開示はしないが、今夜ぼくは小林秀雄の『常識について』を取り上げることを敢えて明かしておく。そして、小林秀雄にはもう一編『常識』というエッセイもあることに気づき、本棚から引っ張り出して読み始めた。そこに次のような文章がある。

常識を守ることは難しいのである。文明が、やたらに専門家を要求しているからだ。私達常識人は、専門的知識に、おどかされ通しで、気が弱くなっている。

ここから読み取れるのは、専門家の知識によく見られる「良識の不在」への批評精神だ。

この時点で、ぼくの考えは想像力から離陸して、同じエッセイの中の別の箇所を追思考していた。少し長くなるが丸々引用するので、興味のある方は小林秀雄の追思考をしてみてはどうだろう。

生半可な知識でも、ともかく知識である事には変りはないという馬鹿な考えは捨てた方がいい。その点では、現代の知識人の多くが、どうにもならぬ科学軽信家になり下っているように思われる。少し常識を働かせて反省すれば、私達の置かれている実情ははっきりするであろう。どうしてどんな具合に利くのかは知らずにペニシリンの注射をして貰う私達の精神の実情は、未開地の土人の頭脳状態と、さしたる変りはない筈だ。一方、常識人をあなどり、何かと言えば専門家風を吹かしたがる専門家達にしてみても、専門外の学問については、無智蒙昧であるより他はあるまい。この不思議な傾向は、日々深刻になるであろう。

昭和34年のエッセイゆえ、言葉の狩人にいちゃもんをつけられそうな表現が一部あるが、そんな些細はさておき、プロフェッショナルと想像力と常識に関してぼくの眼前の視界はだいぶ広がったような気がしている。小林秀雄の炯眼には感服する。 

できる人の想像力

まだ一ヵ月ほど先の仕事だが、二部構成の講演がある。第一部と第二部の講師は別、というのが通常だが、どちらもぼくが担当する。第一部がプロフェッショナル論で、第二部がマーケティング論。同一講師が別のテーマを語るケースは少ないが、これがぼくの馴染んだ欲張りパターンだ。聞く方も話す方も一テーマ4時間よりは二つのテーマを各2時間のほうが集中しやすい。別にテーマ領域の広さを自慢しているわけではない。一見異なった二つのテーマには共通のコンセプトや考え方が横たわっているものである。同日ゆえ学習の相乗効果も高い。何よりも、同額報酬で二本立てだからお得だ。

第一部のプロフェッショナル論については、ここ数年、仕事の作法やプロの仕事術、あるいは発想の達人などの名称で講演と研修をしてきた。動機はいたって素朴だ。その道の専門家はどのようにして一人前になっていくのか、ひいてはどのように学べばそのようになれるのか、その学び方にぼくごときが少しでも関与して自己訓練を手伝えないかという思いがある。NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見て感心することが多いが、特に番組に大きく影響を受けた結果ではない。

当然のことながら、仕事ごとにプロフェッショナルの極意や流儀は異なる。これまでに同番組が取り上げた専門家で言えば、たとえばマグロの仲買人と遭難救援隊員とでは技も道も精神も大いに違っている。おそらく一人前になるのに要する歳月も長短あるだろう。にもかかわらず、プロフェッショナルの誰もが等しく達している境地を窺い知ることはできる。共通の感覚や精神や頭脳の働きなどが一つの型として浮かび上がってくるのだ。いろんなプロフェッショナルと出会い観察し雑多に本も読んだ。そして未だ行く手に険しい道があることを自覚しつつも、少しずつ成長している自分自身の体験をもなぞっているうちに、数年前から「鍵を握っているのは想像力だ」という確信を得るようになった。


「いやいや、年季や経験や場数こそがものを言うのではないのか」という異論が立つかもしれない。しかし、よく考えてみれば、その類が高度な専門性の証になるとはかぎらない。天与の才を論うとキリがないから、同等の能力でその道に入った二人を仮定しよう。同年数で同経験を重ね同じ場数を踏んだとしても、そこにプロフェッショナル度の差が出るのはなぜか。固有の経験は、確実な積み重ねであるだけに基礎固めに力を貸すが、他方、偏ることもあるし融通性を欠くこともある。経験が未知の領域で応用力を発揮するためには、基礎的な技術が想像力と出合わねばならないだろう。

ここまでかたくなに難しく考えなくてもいい。ぼくたちは、その人のキャリアによって専門家や名人を感じることは少ないのだ。いたずらにキャリアだけを積みながら、プロフェッショナルからは程遠い凡俗はいくらでもいる。協力会社の新人が何度もミスを重ねるので一言、二言意見したら、「今後は御社にはベテランを起用しますのでご容赦ください」と謝罪されたとしよう。それであなたは諸手を挙げて小躍りするか。否である。そのベテランが「できる人」という信憑性は、年季と経験によるだけでは確約されない。

ぼくの知るプロフェッショナルたちは、決して経験に安住しないし、技量そのものにもこだわらない。彼らはほぼ共通して機転が働く。みんなよく先を読んでいる。先を読むが、ありとあらゆるシミュレーションを立てるわけではない。そんなムダをするのはアマチュアだ。プロフェッショナルは暗黙知によって要所だけを読む。結果の両極を読み、その間に起りうる状況をつぶさに想定せずとも、ものの見事に対応してみせる。それこそ想像力の手並みなのだ。プロフェッショナルはつねに期待される以上の成果を生み出す。その能力の拠り所を信念や使命感ととらえてもいいが、もっとも具体的でぼくたちが自己研鑽できそうなのが想像力だと思うのである。 

カフェの話(2) BGMとコーヒー

コーヒーと音楽は切っても切れない関係にある。カフェとくれば洋楽だが、常連ばかりが集まる場末の喫茶店では稀に演歌が流れていたりする。コーヒーの香りが「炙ったイカ」に変じるわけではないが、味わいが微妙になるのは否めない。そう言えば、ボサノバのCDをかけているイタリア料理店でも違和感が漂う。かつてよく通ったその店で「カンツォーネを流さないの?」と尋ねれば、「正確に言うと、うちは地中海料理なので」とオーナーシェフ。地中海だからボサノバというのがよくわからない。店名がイタリア語だからシャンソンも合わないだろう。素直に「ぼくはボサノバが好きなんです」と答えておけばいいのに。

入りびたるほどではないが、月に一、二度行く喫茶店はプレスリー専門。オーナーが長年のファンで詳しい。どちらかと言えば、バラード調を中心に編集している。ところで、お気に入りの音楽には聞き耳を立てる。お気に入りでなくても、一人でコーヒーを啜っているときは音楽がよく耳に入る。読書に注意が向いているときは、BGMは途切れ途切れにしか聞こえない。しかし、本からふと目をそらしたりペンを休めたりする瞬間、メロディへと注意が向く。昔のジャズ喫茶ではコーヒーよりも音楽が主役だったのだろう。あるいはタバコをくゆらすためのコーヒーだったかもしれない。行ったことはないが、歌声喫茶ではみんな一緒に歌ったと聞く。コーヒーの味など二の次だったのではないか。

ヨーロッパのカフェやバールではあまりBGMを流さない。会話の邪魔になるから? かもしれない。生演奏のカフェで印象的だったのは、ヴェネツィアはサンマルコ広場のカッフェ・フローリアン(Caffe Florian)。創業者のファーストネームであるフロリアーノ(Floriano)に由来する、ヴェネツィア随一の老舗カフェだ。なにしろ創業が1720年。広場の一隅のオープンテラスでカフェラテかカプチーノかを飲みながら四重奏風仕立ての旋律に耳を傾けた。ふつうのバールならエスプレッソ10杯分に相当する値段。せっかくの旅なのだから、けち臭いことは言わないほうがいいか。

晴朗きわまる空と海、世界一美しいと評判のサンマルコ広場と寺院、聳え立つ鐘楼、ドゥカーレ宮殿、行き交う観光客……ゆったりと目で追いながら音色を楽しみコーヒーを口に運ぶ。昼間の屋外のカフェは実にのんびりできる。春でも秋でも夜になると急激に冷え込んでくるが、黄昏時の広場にはラグーナからの海の匂いが入り込み、散策気分を演出してくれる。テーブルに座らず――つまりコーヒーを注文せずに――広場に佇めば、カフェの生演奏の競演をただで楽しむことができる。題目の大半はイージーリスニング系だ。

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広場の一角を占めるカッフェ・フローリアンのテラス。もちろん室内でもコーヒーを飲める。右手の回廊から建物内に入れば、古典色の強い調度品に囲まれて喫茶を楽しめる。
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見ての通りのパイプづくりのテーブルに椅子。座り心地は決してよくないが、タキシードを着用した男前のカメリエールにはチップをはずむことになる。
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ラグーナ側から見るサンマルコ広場付近。建物と建物の間のアプローチを抜けると広場が広がる。カッフェ・フローリアンは鐘楼のすぐそば。ご覧のような海際との位置関係だから、高潮(アックア・アルタ)になると膝下まで海水が溢れることがある。そんなとき軽量のパイプ椅子やパイプテーブルだと片付けが楽なのだ。
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夜になっても生演奏が続く。これはカッフェ・フローリアンの向かいのカフェ。広場に面するカフェは同時に演奏しない約束になっているようである。

読書しながら世話を焼く

春眠不覺暁しゅんみんあかつきをおぼえず」の盛りまではまだしばらく時間がある。春の眠りは心地よくて朝が来たのもわからないという、この生理機能の前に「本を読んでいると眠くなる」という兆しが現れる。読書だけでなくテレビを見ていても考えごとをしていても、季節が寒から暖へと移り変わる頃はついうとうとしてしまう。歳のせいかもしれないが、この習癖(?)は若かりし時代も同じようにあった。顕著なのが就寝前なので、本を読みながらそのまま熟睡に入るのはまんざら悪いことでもないだろう。

昨年から“Savilna(サビルナ)を冠にした会読会を始めた。知の劣化を読書と書評によって食い止めようという試みで、「錆びるな!」をもじった名称だ。この会読会を意識して読むべき本を選別することはまったくない。ぼくなりに読みたい書物の今年のテーマはあるわけで、それに背いてまで受けを狙うような本の読み方はしない。とは言うものの、今年に入って読了した何十冊かの本の中からどれを書評するかという段になると、ただ自分が気に入ったり動かされたりしたという基準だけでは選び切れないのである。


有志が集まる会読会で彼らが読んでいない本について書評するような決まりがなければ、読書ほど私的で自由な楽しみはないだろう。書誌学者や評論家でもあるまいし、好き勝手に読んで大いに自分だけが学べばよろしい。しかし、レジュメを一、二枚にまとめてメンバーに配り、さわりの引用文と書評を紹介しようとすれば、読もうと思い立ったときの本の選択基準とは別の読み方を強要されてしまう。生意気な言い方をすると、ぼくにとっては別段教訓的でもないが、彼はこれを知って目からウロコだろうとか、別の彼には仕事上のヒントになるのではないかという思惑が読書中に働いてしまうのである。

勉強のため、あるいは楽しみのためにその本を選んで読むことにした。にもかかわらず、読書を通じて自分自身が学んでいるのではなく、「このくだりをみんなに知っておいてほしい」などと、まるで親が幼い子どもに昔話を読み聞かせるような心境になっている。「この箇所は、ぼくがくどくど説明するよりもそのまま引用したほうがよさそう」と思っていることなどしばしばなのだ。えらくお節介を焼いているものである。

しかし、考えてみれば、企画業や講師業という仕事にサービス精神は欠かせないのである。振り返れば、会読会が始まるずっと前からぼくの読書の方法は、自他のためだったような気がする。本を読みながら自分がよく学び楽しみ、その学び楽しんだテーマや文章を誰かと分かち合いたいと願うのは当然至極だろう。「自分の、自分による、自分のための読書」の純度に比べて、第三者を意識した読書の純度が低いわけではない。ついでに世話を焼いているだけの話だ。それはともかく、年に何十冊も本を読んでいながら片っ端から忘れてしまう読書人にとって、書評をまとめたり発表したりするのはプラスになるだろう。読みっぱなしよりもたぶん記憶は深く濃密である。

カフェの話(1) エスプレッソの香り

数年前に家庭用のエスプレッソマシンを買った。どういうわけか、冬の時期にはあまり使わない。少し暖かさを感じ始める頃から一日に一杯飲むようになる。それが秋の深まる季節まで続く。自宅で飲まない日でも外で飲む。必ずというわけではないが、オフィス近くのカフェで飲む。ランチの後はだいたいエスプレッソ。朝一番の場合はカプチーノかカフェラテにすることもある。ただエスプレッソ至上主義ではないので、ふつうのブレンドコーヒーも二、三杯飲む。

寒い時期は、知らず知らずのうちに大きなカップ一杯の熱いコーヒーで温まろうとしているのだろう。ご存知のようにエスプレッソはごく少量の濃いコーヒーで、器もそれに応じて小さい。出来上がってから1分でも時間を置こうものなら、あっという間に温度が下がる。自分で作っても店で出されても、好みの分量の砂糖をさっと入れ素早くかき混ぜてぐいっと飲み干すのがいい。

エスプレッソの焙煎・熟成は微妙だ。同程度に微妙なのが挽き具合。蒸気を噴きつけるのでできるかぎり細かく挽くのがいい。家庭で飲む分には、市販で挽いてあるのが便利だが、封を開けてからは徐々に劣化が進む。だから自前でそのつど挽くのがいいのだが、市販のように細かく挽くのがむずかしい。

エスプレッソの季節がやってきた。昨日たまたま通りかかった、輸入品を多種扱う有名スーパーで豆を買い、レジで挽いてもらった。「これはいい豆だ」と直感した。まったくその通り、自宅で封を開けたら濃厚な香りがたつ。いつものようにいったんイリィの缶に入れ替えた。久々に秀逸のエスプレッソに巡り合った。なお、イリィとは、1930年代にエスプレッソマシンを開発したフランチェスコ・イリィゆかりの名称。バールで飲むエスプレッソと同じように挽いた粉が缶入りで売られている。何度か買ったが値が張るので、リーズナブルでおいしいものをいつも探している。

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イリィのバール(ヴェネツィア)。カウンターの中で手際よくエスプレッソを作る。注文してから待たせないのが職人バリスタの腕の見せ所だ。
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店と歩道の境目がないカフェ(パリ)。季節が暖かくなってくるとカフェのテラス部分にはテーブルが置かれ、客たちは競って通路そばのテーブルに陣取る。

ことばの解釈ということ

ディベート大会が322日に神戸で開かれる。ぼくにとってはおよそ二年ぶりの出番だ。名称は『第1回防災・社会貢献ディベート大会』。同名の実行委員会が主催し、兵庫県や大学関係が共催で名を連ねている。去る117日は阪神・淡路大震災から15年目を刻んだ。かくあるべしという唯一絶対の防災対策は定まっていないし、定まることもないだろう。ゆえに、今回の論題『自主防災組織の育成は最も優先すべき防災対策である』という価値論題が成り立つ。現実的には白黒はつかないが、論理思考的に白黒をつけるべく大学生や社会人ら16チームが議論を繰り広げる。ぼくは審査委員長を仰せつかった。

ディベーターは論点を構築するにあたって、論題の背景をにらみながら論題文中の用語をまず解釈する。上記の例では「自主防災組織」「育成」「最も優先」「防災対策」が対象となる。しかし、都合よく解釈して好きなように定義をしていいというわけではない。「自主防災組織」についてはすでに《災害対策基本法第52項》に示されている。また、防災対策もすでにいくつかの既成概念がある。したがって、残る「育成」と「最も優先」をどうとらえるかに意を凝らすことになる。「育成」のほうをそっとしておいて――つまり、辞書の定義に任せ――「最も優先」に価値基準を見い出したい。いずれにせよ、論題解釈次第で争点の領域や肯定側立論の論点構成が決まってくる。


一つのことばだけなら解釈もさほど難儀ではない。ところが、文中にある複数のことばを解釈しようとすると、主と従の関係も出てくるし、解釈そのものが矛盾をはらんでしまうことがある。用語Xをこう解釈したら、用語Yがもはや自在というわけにはいかず、Xの解釈によってある程度規定されてしまう。別にディベートの論題だけにかぎらない。たとえば広告の見出しを読んで、どの用語がテーマに絡んでいるのかを見極めるのも同じことだ。

旅をすれば経験するが、「老朽化した古い新館」があり「新しく改装した旧館」があったりする。別館が本館よりも大規模であることも稀ではない。なぜその館に「本」や「別」や「新」がつくのか。そう言えば、館には東西南北もよく被せる。建物が一つしかなければ「○○館」でおしまい。あらたにもう一つ増えると、その「新館」に対して最初の館に「本館」という解釈と名称が生まれる。ことばおよびその解釈は相互関係で成り立っているということがわかるだろう。ソシュール流に言えば、言語は差異の体系なのである。

1997年頃の企画研修で「一人っ子が何世代も続くと、どんな未来になるだろうか?」というシミュレーション型の演習時間を設けていた。シミュレーションなどの思考作用はことばの解釈から始まるというがわかる。一人っ子って何だ、何世代とは? 未来とは? ということばをきっかけとしてぼくたちは推論したりイマジネーションをたくましくしたりするのである。ちなみに両親がいずれも一人っ子ならば、「私」にはいとこもおじもおばもいない。

“アイディケーション”という方法

一週間ほど前のブログで対話について少し嘆いてみた。セピア色した弁論スピーチやアジテーションはあるが、対話がない。お気軽なチャットはあるが、対話がない。一方的な報告・連絡は絶えないが、意見を交わす対話がない。会議での議論? ファシリテーターの努力も空しく、だんまりを決めこむ出席者。あるいは、喋れば喋るで喧嘩腰になり、一触即発の人格攻撃の応酬のみ華々しくて、そこに冷静で穏やかでウィットのきいた対話はない。対談集を読んでも、波長合わせの同調中心で、挑発的な知的論争を楽しめる書物にめったに出くわさない。

対話がないと嘆きはするが、日々の隅々の時間を対話三昧で埋め尽くしたいと願っているのではない。少しは対話のシーンがないものだろうかとねだっている次第である。「こんな理不尽なことがあって、とてもけしからん」とか「誰々がこんな話をしたので、おかしいと思った」とか。この類を意見と呼ぶわけにはいかない。事実や経験を左から右へと流して文句を言っているにすぎないのだ。だから、こんな連中の話を聞くたびに、ぼくはちょっぴり意地悪くこうたずねる、「で、あなたの考えは?」と。

ほとんど返答がなく無言である。考えに近い意見を聞けたとしても、「で、なぜそう思うのか?」とさらに理由を問うと、たいていは沈黙するかお茶を濁すようなつぶやきで終わってしまう。良識ある人々はコミュニケーションの重要性をつねに説くが、いったい彼らの言うコミュニケーションとは何だろうか。空理空言をいくら大量に交わしても何事も共有などできない。ラテン語の起源をひも解けば、コミュニケーションには「交通可能性」という意味があり、ひいては意味の共有を目指すもの。”communication“の”com”はラテン語では「公共の」「共通の」「一緒の」などを示す接頭辞。共同体コミュニティ会社・仲間カンパニーなどの英単語も”com-“で始まり、そうしたニュアンスを内包している。


お互いが触発されアイデアを交わす対話を〈アイディケーション(idecation)〉と名付けてみた。アイデアを創成するという意味の〈アイディエーション(ideation)〉と〈コミュニケーション(communication)〉の合成語である。「アイディケーションしようか」と持ち掛ければ、それは単なるお喋りではなく、また儀礼的な辻褄合わせの会話でもなく、事実も意見も論拠も示し、しかもとっておきのアイデアで互いの発想をも誘発していく対話を試みようということになる。

先週久しぶりにプラトンの『プロタゴラス』を再読した。一方的な弁論を巧みにおこなうプロタゴラスに対して、お互いの言い分や問いを短く区切って対話をしようではないかと異議を申し立てたのがソクラテスだ。二千数百年前の古代ギリシアで弁論術の指導を生業としていたプロタゴラスは、将来国家の要人となるべく勉学に励む若者たちにとってはカリスマ的ソフィストであった。同書の前段を読むと、彼がいかにマイペースの弁論術を心得ていたかが手に取るように伝わってくる。

しかし、その彼にあっても、ソクラテスに執拗に一問一答的に質問をたたみかけられるとたじろいでいくのである。そう、誰も口を挟まず、また誰も「ちょっと待った、聞きたいことがある」と問わない状況にあれば、いくらでも弁論に磨きをかけることはできる。一人のカリスマが大衆や取り巻きのファンを酔いしれさせて説得するくらい朝飯前なのである。だが、他者からの問いや意見が加わる対話という方法に置き換わった瞬間、論説の基軸が揺さぶられる。弁論術で飯を食う人間には死活問題になるが、ぼくたちにとってはそれが「気付かざるを考える格好の機会」になってくれるだろう。狭い料簡で反論に腐っている場合ではない。

スイッチが入ったような書き方になってしまった。アイディケーションのような方法は古臭くて面倒なのだろうか。もっと軽やかな、ささやくようなツイッターのほうが時代にマッチしているのだろうか。

意識という志向性

久しぶりにここ一ヵ月のノートを繰ってみた。〈意識〉という概念でくくれそうな話題やことばをいくつか書き綴っているので紹介しておこう。


無から何かを推理・推論することはできない。「何もないこと」を想像しようとしても、気がつけば何事かについて考えている。情報が多いから多様な推理・推論の道筋が生まれるとはかぎらない。また、情報が少ないからという理由で推理・推論がまったく立たないわけでもない。「船頭多くして船山に登る」という譬えの一方で、一人の船頭がすいすいと船を御していくことだってある。情報過多であろうと情報不足であろうと、意識が推理・推論に向いていなければ話にならない。意識がどこに向いているか――それを意識の志向性と言う。現象学の重要な概念の一つだ。


悩んでいる人がいる。「意識は強く持っているつもりなのだが、なかなか行動につながらない」としんみりとつぶやく。「フロイト流の無意識に対する意識じゃダメなんだろうね」とぼく。「と言うと?」と尋ねるから、こう言った、「フッサール流の意識でないといけない」。「つまり、〈~についての意識〉。日本語を英語に翻訳する時、意識ということばは悩ましいんだ。ぼくたちは意識に志向性を表現しない傾向があるけれど、英語では“be conscious ofとなって、『~について意識する』としなければ成り立たない。この”~”の部分が希薄であったり欠落してしまうから、意識が意識だけで終わってしまう」。

そして、こう締めくくった――「意識と行動をワンセットで使ってあっけらかんとしているけれど、実は、意識と行動の間には何光年もの距離がある。いまぼくたちが行動側で見ているのは、何年も何十年も前に意識側を出発した光かもしれない。茫洋とした意識が行動の形を取るには歳月を要するんだ。しかし、行動についての意識をたくましくすれば、時間を大いに短縮できると思う」。


フランスの思想家ローラン・ジューベールに次のようなことばがある。

まとは必ずしも命中させるために立てるのではなく、目印の役にも立つ。」

的を理想や理念に置き換えればいい。理想や理念を掲げるのは必ずしも実現するためだけではない。「日本一の何々」や「金メダル」を目標にしても、現在の力量からすれば天文学的な確率であることがほとんどだ。だからと言って、理想を膨らませ理念を崇高にすることが無意義ではあるまい。理想や理念は意識が向かう目印になってくれる。意識の志向性を失わないためにも対象は見えるほうがいい。


バンクーバー五輪で日本人選手が凡ミスを犯した。戦う前に失格である。体重が重いほど加速がつくリュージュの競技では、体重の軽い選手に10キログラムのおもりを装着することが許されている。ところが、その女子の選手は計量で200グラム超過してしまって失格となった。また、スケルトンの競技では、国際連盟が認定するそりの刃に正規のステッカーを貼り忘れるミスがあり、この女子選手も競技に参加できなかった。

日本を代表する選手クラスである。国際試合経験豊富な役員やコーチもついている。当然ながら一流選手の意識が強く備わっていたに違いない。しかしだ、対象への志向性がない意識はリスクマネジメントにつながらない。ここで言う意識の志向性は、具体的な体重管理とステッカー貼付に向けられねばならなかった。

あなたの「やらねばならない」という意識、「さあ、頑張ろう」という意識、きちんと「何か」に向けられているだろうか。先週のぼくの意識は空回りだった。仕事の、やるべき作業対象があまりにも漠然としていたからである

「休まない」という生き方

もしかすると近い将来に中国人が食べ尽くしてしまうかもしれないと危惧されるマグロ。中国での日本食ブームが火を付ける格好になり、日本人の専売特許であった海の食材の「蜜の味」を彼らが覚えてしまった。今後も需要が膨らみ続けると見込まれる。苦節三十余年の養殖技術が実り、養殖の可能性が高まってきたとはいえ、孵化してから40日間生存するのは千匹に一匹という。ビジネスベースに乗るにはまだ何年もかかるのだろう。マグロを好物とする人たちにとって深刻な事態であるに違いない。

マグロの通には耐え難いことかもしれないが、マグロが食べられなくなると困るか? と問われれば、ぼくの場合は別段困らない。ちょっと残念ではあるけれど、しかたがないと諦めて代わりの食材へと触手を伸ばせばいいと思う。ちなみに、捕鯨に関しても論争に値するテーマではあると認識しているが、ことぼくに関して言えば、別に食べなくてもいい。鯨のベーコンやハリハリ鍋をずいぶん食したが、なければないでかまわないし、かれこれ56年口にしていないから常食からは程遠い。繰り返すが、わが国の調査捕鯨の是非や鯨肉文化の話は、また別の問題である。

話をマグロに戻す。天然マグロの平均寿命は40年らしい。広い世界の海のどこかで、人間のアラフォーよりも年上のマグロが泳いでいるのである。卵や稚魚の時期にほとんど死ぬので、正しく平均寿命を計算すれば40年になるはずはない。無事に成魚になって人間にも捕獲されなければという仮定での平均寿命だろう。この40年という数字に驚いたが、もっと驚いたのが「マグロは一生休まない」という事実である。なんとマグロは生涯ずっと泳ぎ続けるのである。口を閉じると窒息するので、口を開けておくためにはただひたすら泳ぎ続けるしかないのだそうだ。


世間には一年365日働き続ける人がいる。マグロのように不眠不休という意味ではなく、敢えて言えば「少眠無休」のような生き方。ぼくの周囲にはいない。夜更かしをして朝遅くまで熟睡し、平日の勤務時間に接待と称してゴルフに明け暮れる人は何人かいる。毎日が日曜日のように見えなくもないが、マグロ的生き方とは正反対だ。思うに、まったく休まないのも休みすぎるのも難しい。創業時の一、二年間、ぼくも休日をほとんど返上してよく働いたが、その時期を勤勉の日々だったとは思わない。得意先とのパイプも太くなり仕事も増えていくばくかの蓄財もできたが、失ったものも多かった。

マグロに生まれなくてよかったと安堵しても、マグロであったら「休みたい」などとは思わないだろう。一生懸命に口を開けて猟師の魔手から逃れるべく泳ぎ続けるに違いない。こう考えると、環境と生物の生き様には運命的なものを感じざるをえない。ぼくたち人間も、厳密に言えば、マグロのように行動と生命が直結する生態系に置かれているはずである。しかし、そこに「絶対に口を閉じてはいけない」というような単純な定めはない。ある程度、仕事に関しても休みに関してもぼくたち自身の裁量に委ねることができる。そうならない時、過労死や欝や自殺の問題が出てくる。

サラリーマン時代、休み明けの月曜日はとても重苦しかった。〈月曜日の憂鬱マンデーブルー〉が世界の労働者共通の心理的記号のように思えた。土曜日や日曜日にしっかり休めるようにと、当該週はがむしゃらに働く。金曜日などいつも終電という人たちが未だに大勢いる。彼らにハッピーマンデーが授けられ、大手企業のサラリーマンや行政職員は年に4回、連続3日間休暇を取れるようになった。しかし、気がつけば「火曜日の憂鬱」が待っていた。休みとは不思議なもので、どこかで労働を悪と位置づけないと成り立たないような気がしてくる。

「休まないという生き方」を批判するためには、「休むという生き方」の理論武装が必要だ。肉体か精神かはわからないが、ぼくたちは何のために休むのかをもう一度考えてみるべきだろう。「休ない」には意志があって愚痴がなく、「休ない」には愚痴があって意志がない。身体と精神の両方を緩めながらも、仕事への視線は休まないという生き方が最近やっとできるようになってきた。ちょっと遅きに失したか。