イタリア紀行11 「夜のそぞろ歩き」

フィレンツェⅤ

日が暮れて夕闇が迫りくる黄昏時。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。英語の“twilight”(トワイライト)という語感もいい。

イタリア語の黄昏は“crepuscolo”(クレプースコロ)で、偶然にも「暮れ伏す頃」みたいに響く。この時間帯にホテルを出てそぞろ歩きを楽しむ。当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たりしている。そぞろ歩きという意味の“passeggiata”(パッセジャータ)にはまったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。

フィレンツェは皮製品や銀細工にいいものが多く、黄昏時は地元の人々や観光客の品定めで賑わう。ミラノやローマの規模のブランド街は形成されていないが、フェラガモ発祥の地でもあり、他にも名立たるブランド店が随所に店を構える。ぼくの物欲はまったく旺盛ではない。だから、ショーケースを覗く程度で有名店の前を通り過ぎる。

これは国内にいても同じだ。ただ、物欲に歯止めがかからない例外が二つある。一つは、読みもしない本をせっせと買う癖。目を通しただけでおしまいという本が蔵書の半数を占める。二つ目は、酒飲みでもなく、せいぜい週に一日か二日ほどハイボールかワインをたしなむ程度だが、良さそうなワインをひらめきだけで買う癖がある。自宅にワインクーラーもないくせに、常時10本以上のワインが所狭しと立ったり寝たりしている。残念ながら、ワインは荷物がかさばるので旅行先ではめったに買わない。

ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が間借りしているのがフィレンツェだ。ここは至宝が溢れるアートの街である。ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』など美術の教科書に出てきた作品は見逃したくないが、決して欲張ってはいけない。どの美術作品をどこの美術館で見るかを考え出すとノイローゼになるからだ。建造物やあちこちにむき出しのまま立っている彫刻、石畳、昔ながらの工房などを見ているだけでも十分にアートな心地になってくる。

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黄昏のシニョリーア広場。画面左のアーケードはランツィのロッジャ(開廊)。彫刻が無造作に展示されている野外ミュージアム。
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シニョリーア広場の噴水、颯爽としたネプチューン像。
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夜のジョットの鐘楼。時刻は午後7時頃でも空は明るい。
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日が暮れてもヴェッキオ橋は賑わう。
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名画を模写する「地面画」。美術学校に留学する日本人女性の作品。
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韓国からの留学生の作品。チョーク状のパステルで繊細なタッチまで描いている。正午から有料で場所を借りて描く。深夜12時に容赦なく消されてしまう。
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フィレンツェでの唯一の買物は小銭入れ。使い古した茶色は4年半愛用している。紺色の新品が次の出番を待つ。

イタリア紀行10 「広場空間を遊ぶ」

フィレンツェⅣ

帰国してから膨大な写真データの整理に追われる。よくもこれだけカメラに収めたものだと呆れもする。しかし、いつもいつもカメラを携えて歩いているわけではない。たとえば、食料の買い出し、近くのバール、食事に出掛けるときなどは持たないことのほうが多い。雨の日や夕方以降の散歩にはカメラはふさわしくない。それに、撮影に気を取られていると、臨場感のある現場体験や印象の刷り込みは浅く薄くなってしまうものだ。ちょっと出掛けるときは手ぶらというのがぼくの流儀だ。

その代わり、「カメラをホテルに置いてくるんじゃなかった」と後悔することもしばしば。撮り損ねた名場面や逸品は数知れず。滞在日数が長くなると、慌てなくてもいつでも撮れるという慢心から、お気に入りの名所ほど抜け落ちたりする。今回ざっと写真を見ていて、歴史地区の光景が偏っているのに気づいた。これまでも何度か紹介したドゥオーモとジョットの鐘楼はいろんなアングルで撮り収めているのに、サンタ・クローチェ地区やメディチ家ゆかりのサン・ロレンツォ地区の写真はきわめて少ない。サンタ・マリア・ノヴェッラ地区などは、前回滞在時にさんざんシャッターを押したので、今回はほとんど被写体になっていない。

さて、アパートでの3泊を終えて、対岸にある街の中心へ「お引越し」。荷物を引っ張ってぶらぶら歩いて15分のところにホテルがある。そこは、観光客が必ず立ち寄るシニョリーア広場に面した一等地だ。この広場は、かつて自治都市だったフィレンツェの政治の象徴空間であり、1314世紀の面影をほぼそのまま残している。ネプチューンの噴水、ミケランジェロ作ダヴィデ像のレプリカ(本物はアカデミア美術館に所蔵)、そして今もなお市庁舎として使われているヴェッキオ宮。隣接してウッフィツィ美術館。ちなみに“uffizi”はオフィスという意味。当時は行政の合同庁舎だった。

広場を囲むルネサンス時代の建物にはホテル、銀行、事務所が入っている。一階部分にはバールやリストランテ。フィレンツェの広場はここだけではない。サン・ジョヴァンニ広場、レプブリカ広場、サンタ・クローチェ広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ広場など、名立たる教会の前方や近くには大小様々な特徴ある空間がある。

荷物を持ってシニョリーア広場に着き、カフェで一休みしてホテルの住所を確認。ホテルはそのカフェの近くに違いないのだが、見つけるのは容易ではない。ホテルの入口が広場側にあるとはかぎらないし、広場から細い通路に入るとさらに狭い道に小分かれしていく。実際、このホテルの入口を見つけるには住所表示を確かめながらも数分かかった。

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シニョリーア広場に面するカフェ。イタリアではバールで立ち飲みすればエスプレッソ一杯が120円。店内のテーブル席や外のテラス席で飲むと倍額になる。
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隠れ家的ホテルの3階ラウンジから眺める広場の一角。右の建物がヴェッキオ宮。
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ズームインすれば窓枠が額縁と化して絶妙の構図になる。
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シニョリーア広場に浮かび上がるヴェッキオ宮。
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ジョットの鐘楼とドゥオーモ。
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鐘楼の先端近くから見下ろすドゥオーモ広場。
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フィレンツェ市街地を一望。煉瓦色一色の街並みには歴史という名の秩序がある。イタリアの都市は例外なく、景観を曇らせる一点の邪魔物をも許容しない。
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ドゥオーモ側からもこちらのジョットの鐘楼を眺めている。金網と手すりだけで、人がこぼれ落ちそう。鐘楼もドゥオーモも数百段の階段だ。上りの辛さに、遠足で来ているイタリア人小学生には泣き出す子もいる。

イタリア紀行9 「南岸と橋と料理」

フィレンツェⅢ

ミケランジェロ広場から街の景観を楽しみ、直線なら250メートルほどの川岸までジグザグ状に下っていく。振り向けば要塞へと続く城壁跡や門が見える。アルノ川沿いの通りを西へ歩くと、グラツィエ橋。ここからさらに400メートルのところにヴェッキオ橋が架かっている。フィレンツェを訪れるすべての観光客は必ずこの橋を渡る。日が暮れたあと、西200メートルのところに架かるサンタ・トリニタ橋を眺める。ライトが川面に溶け込んでほどよく滲む夜景にしばし立ち止まる。

「食とワインはトスカーナにあり」という表現には逆らえない。トスカーナの州都フィレンツェは旨いものへの期待を決して裏切らない。逆に言えば、食、とりわけ肉料理に好き嫌いの多い旅人にとってはフィレンツェの値打ちは半減する。牛、豚、鶏は当然として、サラミと生ハムのアンティパスト(前菜)はほとんどすべての店で定番。羊、ハト、ウサギ、ヤギもある。

街中に屋台がある。そこでの名物は「トリッパ(trippa」(牛の胃袋ハチノス)の煮込み。これをパニーニにはさんで頬張る。トマトソースとバジルソースの二種類の味付けがあり、いずれもニンニクがたっぷりきいている。このような屋台出身のオーナーが始めた「トスカーナ風ホルモン料理店」をランチタイムに訪ねた。「トリッペリーア(tripperia」と呼ばれ、文字通り「牛の胃袋料理専門店」という意味である。乳房のグリル盛り合わせやホルモンの熱々コロッケなどの店自慢の料理が数種類。臓物は好物なので、クセがあっても平気だが、この店の料理はとても洗練された味に仕上がっていた。

しかし、何と言ってもフィレンツェ随一の名物は「Tボーンステーキ(bistecca alla fiorentina」だ。重さ700グラムなど当たり前で、店によっては1キロという大迫力もある。二人や三人で頼むと、これ一品でおしまい。他の料理には手を出せなくなってしまう。というわけで、肩ロースを焼いて少量をあらかじめスライスしてある「タリアータ(tagliata」をレアで頼む。ちなみに、レアは“al sangue”。これは「血のしたたる」という意味だ。

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ミケランジェロ広場から川岸へ下る途中、丘陵地帯を振り返ると、かつての要塞へと続く城壁跡が見渡せる。
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地元の人がよく通うトリッペリーア。ずばり「店」という名前の店。
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北岸から眺めるヴェッキオ橋。たしかに橋なのだが、店舗が入った建物の構造になっている。
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川岸の飾り柱に旅行者が記念に錠をかけていく。
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ヴェッキオ橋から西へ二つ目のカッライア橋。滞在中はこの橋を使って歴史地区へ足を運んだ。
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ヴェッキオ橋から眺める黄昏時のサンタ・トリニタ橋。

イタリア紀行8 「アルノ川対岸散策」

フィレンツェⅡ

ミラノやローマからフィレンツェに入るには鉄道がいい。列車はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着く。この中央駅からチェントロと呼ばれる歴史地区内のホテルへは、たとえ大きな荷物を持っていても歩くのがベスト。ミラノやローマと違ってフィレンツェは治安がいいので、見た目に明らかに観光客であっても心配はない。もちろん路線が充実している市内バスなら、たいていの場所に10分以内で行けてしまう。

ぼくは空路フランクフルトからフィレンツェ空港に降り立ち、アルノ川対岸のサン・フレディアーノのアパートにタクシーで向かった。所要約30分。アパートで受け取った鍵は4種類あり、玄関の門、中門、3階通路の門、部屋の扉の鍵が束になっている。その束の重いことといったら、腕時計5個分と同じくらいだ。宿泊期間中は自己責任で管理する。したがって、外出時は半コートの内ポケットにずっしり忍ばせて歩かねばならない。

午後7時の到着。ちょうどいい時間である。食事処の夕刻の開店はおおむね午後7時~7時半。一番賑わう時間帯は9時~10時だ。アルノ川沿いの通りから一本内側へ入ったサント・スピリト通りへ出て、いかにも老舗っぽいリストランテに入って定番のハウスワイン、サラミと生ハムの盛り合わせ、パスタの食事をした。この一帯は歴史地区ほどの賑わいはなく、ツアー客もほとんどやって来ない。しかし、地元の常連が通うトラットリアやリストランテが点在している。

翌朝。アパートなので朝食がついていない。近くのバールでカプチーノを注文し小さなパンで腹を満たす。さて、散策スタート。アパートから約600メートルの位置にあるポンテ・ヴェッキオの橋から南の丘陵へ。なだらかなサン・ジョルジョの坂を進むと、道すがら丘陵地帯独特の空気が漂ってくる。かつての要塞跡そばのサン・ジョルジョの門からさらにサン・レオナルド通りへ入り、そこを左折していくと高台にサン・ミニアート・アル・モンテ教会が佇む。アルノ川を挟んで市街地が一望できる絶好の場所である。この教会の下に別のサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会があり、すぐ眼下にミケランジェロ広場がある。広場まで下れば観光客がたむろしているが、そこからわずか300メートル上の高台は閑散としている。

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ポンテ・ヴェッキオ。向う岸右側の建物が有名なウフィッツィ美術館の一部。
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丘陵へ抜ける小径。瀟洒な住宅が続く。
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中心街のランドマーク「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」のクーポラが見える。春間近な緑の濃淡の綾が目にやさしい。
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さらに進むと、左右の大きな木に挟まれて、凝縮された借景のように街が浮かぶ。
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サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会前に出た。質素な教会という印象のまま通り過ぎた。後日旅行ガイドを見たら、ミケランジェロが「美しい田舎娘」と比喩したというエピソードを見つけた。ミケランジェロ大先生、絵筆やノミさばきだけでなく、ことばのさばき方も超一級である。
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サン・ミニアート・アル・モンテ教会のファサードは雅なロマネスク様式。

イタリア紀行7 「花の都の序章」

フィレンツェⅠ

今回から数回にわたってフィレンツェを振り返る。これまで紹介してきたヴェネツィアやシエナ同様、この街も歴史地区と呼ばれる中心地はおよそ2キロメートル四方に収まっている。

よく知られている通り、フィレンツェはルネサンス発祥の地である。当時を偲ぶゆかりの名所や芸術作品には事欠かない。同時に、ここは「花の都」とも呼ばれている。フィレンツェ(Firenze)はその昔、ラテン語で“Fiorentia”という名前だった。このことばの頭のFiore(フィオーレ)が花を表す。先般日本人観光客の落書きでニュースになった、フィレンツェ歴史地区の象徴であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂も「花の聖母寺」である。

日本からイタリアへの直行便はミラノかローマに向かう。だから、個人旅行の本にはこの二つの都市を拠点にした旅指南の記事が目立つ。しかし、世界遺産を含めた遊覧密度の高さで言えば、フィレンツェの立地はミラノやローマより優れている。なにしろシエナ、サンジミニャーノ、ルッカ、ピサ、アレッツォなどの街へ楽々半日旅行できてしまうのだ。

コンパクトな街だが至宝が凝縮している。過去23日、45日で二度訪れていたが、20073月に9日間滞在する機会があった。オルトラルノという、中心街から見ればアルノ川の南岸のサン・フレディアーノ地区のアパートに3泊。その後は、名所シニョリーア広場に面した隠れ家的ホテルが予約できたので、そこに5泊。

フィレンツェに泊まって市中をくまなく歩き、さらにバスと電車で周辺を巡る計画を立てた。計画というと緻密なようだが、天気と相談しつつ気の向くまま、足の向くままが基本。イタリア語で気に入っていることばに“passegiata”(パッセジャータ)がある。散歩という意味なのだが、当てもなく同じところを行ったり来たりというニュアンスが強いから「そぞろ歩き」がぴったりだ。今日は有名どころを概観するが、次回からのフィレンツェ紀行はそぞろ歩きに似て、行き当たりばったり。日によって、あるいは歩いてくる方向によってルネサンスの花の都が変える表情を見ていただこう。

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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。2003年には息を切らしながら500段のクーポラに上って街を展望した。
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大聖堂の正面からの光景。イタリア的なゴシック建築の典型を見ることができる。赤屋根のクーポラの右手前に聳えるのがジョットの鐘楼。
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鐘楼から眺めるクーポラと背後に広がるフィレンツェの街並み。
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南岸に位置するミケランジェロ広場から見渡すアルノ川。アルノ川に架かる橋が有名なポンテ・ヴェッキオ(イタリア語で「古い橋」という意味)。
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カメラを右にずらすと対岸の「チェントロ」という歴史地区の街並み。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラと鐘楼の位置関係がよくわかる。

イタリア紀行6 「広場はアート空間」

シエナⅢ

鳥瞰、つまり高い所から鳥の目線で地上や景色を眺めるのは非日常的体験である。だから旅行でどこかに出掛けると少しでも天空に近づこうとする。その街に塔や鐘楼があれば、階段がたとえミシミシときしる木製であれ狭い石段であれ、とりあえず上る。イタリアの都市はほぼ間違いなく一つや二つの高所を備えているので、時間さえあれば欠かさず挑戦する。

ところが、実は、軽度だが高所恐怖症気味。階段を上に行くほど足がすくむし、ガラス張りされていない手すりだけの屋上に立つと膝がゆるんでくる。カメラを持つ腕を突き出すと腰が少し引けている。それでも上る。それだけの価値があるからだ。

自分を叱咤してマンジャの塔からの景観を楽しみ、恐々階段を下りた後にはカンポ広場を見渡してエスプレッソを飲む。数百年間にわたって大きく変化していないこの広場に人々がそぞろ集まる。いつも同じところを歩き同じ光景を眺めて何の意味がある? こんな、物事の実用性を前提とした問いに出番はない。習慣化した行いには、本人にしかわからない格別の快楽がある。

広場のある街がうらやましい。とってつけた公園ではなく、広場。貝殻状の形状といいアートな色合いといい、シエナの広場は至宝である。至宝の恵みを享受し続けるために、住民は我慢と禁欲に耐える。コンビニに代表される、無機的な利便性に走らない。窓枠はもちろん、留め金一つでも「修復」と考える。自分の部屋でも勝手なリフォームは許されない。

流行や便利とどう付き合うか? カンポ広場のバールでエスプレッソを飲みながら、行き着いた問いである。「一歩遅れ気味に生活する」というのが答え。 《シエナ完》  

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Bar il Palioのカフェテラスでゆっくりと流れる時間の中で、心ゆくまでマンジャの塔を眺める。

イタリア紀行5 「色で魅せるゴシック都市」

シエナⅡ

シエナを描写する表現に落ち着きがないのを自覚する。実感を的確に表せないもどかしさがあり、どこか空振りしているような気分だ。弁解させていただくならば、シエナに関する紀行や説明は、専門家の手になるものでも少し誇張されたような印象がある。

一観光客ならはしゃぎ気味に思いをしたためるのもやむをえないだろう。しかし、実ははしゃいでなどいない。むしろ神妙な心持ちからくる「詩的高揚」とでも言うべきものである。

お付き合いしてから四半世紀、高松在住のY氏は、平成19年の年賀状でシエナの思い出を綴られていた。その二年前にお会いした折に、ぼくはシエナの話を披露した。Y氏が刺激を受けて60歳半ばの身体に鞭打って出掛けられたのか、まったく別の好奇心だったのかは確かめていない。ぼくの高揚感にどこか似通っているその年賀状の文章を紹介してみたい。

シエナの街並は、中世の面影が色濃く残っている。赤煉瓦の幾何模様が美しいカンポ広場がそれだ。
この広場は貝殻の形をして、放射状に広がっており、しかも中心に向かって低く傾斜しているので、浅い巨大な半円のすり鉢に見える。この奇妙な形の広場の真ん中に立つと、夏の眩しいほどの光の乱舞と広場をとりまく、ドゥオモ・宮殿・塔の幻想的な美しさで酩酊する。そして、ここで毎年行われる、中世から伝わる騎馬競走に巻き込まれる幻想にとらわれた。
人々の歓声、馬のいななきの中で、私は中世の世界にタイムスリップした。
―イタリア・シエナのカンポ広場にて―

シエナの建造物の色合いは赤褐色でもなく茶褐色でもなく黄褐色でもない。それは、シエナブラウンという独特の土色である。現在ではいろんな商品にこのカラーが使われているが、それぞれ微妙に違うように思う。何が正真正銘のシエナ色か? それは写真を見て判断するしかないが、写真でも再現精度にバラツキもがある。いずれにせよ、光と影と色を絶妙に調和させる街と、後景としてその街を包み込むトスカーナの丘陵の趣には見とれてしまう。

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奥に向かってゆるやかに傾斜するカンポ広場には、赤褐色に見える煉瓦が敷き詰められている。
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画面右上の端に大聖堂を配した街並み。細い通りを隔てて建物が密集している。この濃いベージュがシエナの土色。
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少し靄のかかった街の周辺の丘陵地帯。まさに中世の空気そのもので満たされた幻想的な風景だ。
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マンジャの塔から見下ろすカンポ広場。修復を繰り返しながら、魅力ある街、絵になる街を保存する。シエナに「新築」はありえない。すべて”レスタウロ”(リフォーム、リノベーション)である。

イタリア紀行4 「トスカーナに独座する街」

シエナⅠ

諸説いろいろあるが、ぼくの読んだ本には「ヴェネツィアのサンマルコ広場、バチカンのサンピエトロ広場、シエナのカンポ広場がイタリアを代表する三大広場」と書かれてあった。ここにフィレンツェのミケランジェロ広場を付け足してもいいかもしれない。広場そのものはたいしたことはないが、街並みを美しく見せるという点ではひけを取らない。

当たり前のことだが、シエナを取り上げる観光ガイドや紀行文や歴史・文化の本はことごとく「シエナのカンポ広場がイタリア一、いや世界一美しい広場である」と絶賛する。美しさというものは、表現するにしても感知するにしても主観だから、目を見張る美しさ、理性的な美しさ、しっとりした美しさなど、どんな美しさであってもよい。ぼくは「比類なき美しさ」と形容しておきたい。

二度シエナを訪れているが、最初の2004年当時はモノクロのフィルムで光景を収めた。それはそれで間違いではなかったが、なんだかドキュメンタリーな空気を醸し出しすぎていて、シエナの夢想的な空間や上品な街並みが欠けてしまった。フィレンツェに約10日間滞在した20073月に再訪して撮ったのが今回の写真である。

食とワインと言えばトスカーナ。トスカーナと言えばフィレンツェ。そのフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅そばのバスターミナルから南へ約1時間、城壁に囲まれた丘にシエナがある。ここは2キロメートル四方のこじんまりした街だ。他のイタリアの都市同様、ここにも目を見張るドゥオーモ(大聖堂)がある。ゴシック建築と床に張り巡らされたモザイクが有名だ。

しかし、シエナを取り上げるのはドゥオーモのためではない。やはりカンポ広場なのだ。そして、そのカンポ広場に聳え立つマンジャの塔からの景観である。そのパノラマ図は次回。

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ヴィーコロという薄暗い小さな街路の一つに入ると光の空間が借景のように姿を現わす。くぐり抜けるとカンポ広場だ。
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市庁舎に隣接するマンジャの塔。この塔の狭くて急な階段を400段上り詰めると、シエナの街の造形とトスカーナ地方の特徴的な山間農村の遠景がパノラマのように見渡せる。
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塔の前から振り返って見るカンポ広場。ゆるやかな傾斜が不思議な広がりを見せる。広場に砂を敷き詰め17地区が対抗して毎年7月と8月に競馬(パリオ)が開かれる。
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絵葉書。シエナの17地区はコントラーダと呼ばれ、すべての地区に動物を意匠したシンボルマークがある。 (上段左から)鷲、芋虫、かたつむり、フクロウ、竜。 (二段目左から)麒麟、ヤマアラシ、一角獣、雌狼、貝殻。 (三段目左から)ガチョウ、イルカ(波)、豹、サイ(森)、亀。 (下段左)象(塔)。(下段右)牡羊。

イタリア紀行3 「歩き尽くせぬ空間」

ヴェネツィアⅢ

日本の大都会の住人からすれば、たかだか2キロメートル四方の街なら一日もあれば見尽くせる。たとえ徒歩であれ、名所はくまなく巡れるはずと自信満々。さらには、4泊もするのだから、観光スポット以外の生活者領域にも足を踏み入れられるだろうと思っていた。

だが、ヴェネツィアほど地図と現実が一致しにくい街も珍しい。東西南北の感覚がズレる。狭い空間にもかかわらず、そこに毛細血管のような狭い通りや小径が複雑に張り巡らされ、おまけに小運河や橋や袋小路が出没して歩行者の感覚を錯綜させる。この街の物理的な狭隘のほどを地図で認識していても、現実に遭遇する迷路設計の空間は途方もなく広がっていく。

サンタ・ルチア駅から逆S字で辿る大運河を何度も水上バスで往来し、そこかしこで下船もして散策してみた。だが、目にしたり通り過ぎたりして記憶に残っているのは、貴族の館や商館、リアルト橋やアカデミア橋、何度も紹介したサンマルコ広場、その寺院と時計塔、総督宮殿……これらはすべて名の知れた観光スポットばかりである。ヴェネツィアは生活感に触れようと思う現代人にはなかなか手強い街だった。

それでもなお、夜にはレアルト橋裏手の飲食通りを徘徊し、朝市にも行ってみた。そこには触手を伸ばしたくなる海の食材も豊富にあったが、ホテル滞在では調理のしようもない。ホテル近くのサンタンジェロ広場とサント・ステファーノ広場には何度も足を運んだ。後者のトラットリアやバールには地元の人々の姿も見られた。「そぞろ歩き」はそこに住む人々の生活を素直に映し出すものである。

「ヴェネツィアにまた行ってみたいか?」とよく尋ねられる。他にも訪れたい都市があるので、優先順位はもはや上位には入らないかもしれない。しかし、もし再訪の機会があれば、次は下手な企てなどせずに、純粋に旅人として『おとぎの国のヴェニス』を堪能すればいいだろう。そして、もっともっとディープな路地に迷い込んでみたいと思う。 《ヴェネツィア完》

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サンマルコ広場から見る運河にはギリシャからエーゲ海、アドリア海をクルーズしてきた豪華客船が停泊している。水際の玄関口の小広場では、翼のある獅子の円柱と聖テオドーロの円柱が人々を出迎える。
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大運河から奥へと分け入っても、行く所どこでも小運河に分岐する。これなどまだ幅が広いほうで、ゴンドラ一艘が通るのが精一杯という水路がある。しっかり目印を焼き付けておかないと、すぐに迷い子になってしまう。
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豪華なゴンドラに乗るセレブ風の乗客。このような狭い水路の橋の下からも乗船できる。
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営業時間前の朝に出番を待つ、サンマルコ運河のラグーナに繋がれたゴンドラ。
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有名なリアルト橋。逆S字型の大運河には橋が三つある。その一つであるリアルト橋は街の中心部にあり、運河のもっとも狭いスポットに架かっている。この近くのリストランテでヴェネツィア名物イカ墨のパスタと海の幸のフリッタを賞味した。美味だったが値段も張った。

イタリア紀行2 「青に浮かぶ都市」 

ヴェネツィアⅡ

観光の中心スポットであるサンマルコ広場まではホテルからほんの数分。カフェや散策目当てに何度も足を運べる。それ以外に何か格別の楽しみ方はないだろうか。前泊地のミラノにいる時からこんなふうに45日をどう過ごそうかと構想を練っていた。持参していた『迷宮都市ヴェネツィアを歩く』(陣内秀信著)がインスピレーションを与えてくれた。世界でもっとも美しいと謳われるサンマルコ広場に海側から近づくという一つの提案がとても気に入った。

この本で固有名詞もしっかり覚えたつもりだった。しかし、イタリア語の名称は、宗教人であれ建物であれ地名であれ、「サンタ」と「サン」を冠するものが多い。実際現地に降り立つと、区別もつかなければ、しょっちゅう言い間違いをする始末だった。

にもかかわらず、サン・ジョルジュ・マッジョーレ島だけはしっかり覚えていた。サンマルコ広場からわずか数百メートル沖合いにあるこの島内に同名の教会があり、その鐘楼のテラスからの眺望を見逃してはいけない。

さて、海側から広場へのアプローチはもちろん船しかない。水上バスの3日券は乗り放題で約3000円。これを使って、リド島へ向かい、そこから折り返して広場へ向かう。リド島はヴェネツィアのみならずイタリア全土における有数のリゾートであり、ヴェネチア映画祭の会場として知られている。滞在中、同じルートで二度そこへ行った。もちろん乗船・下船を繰り返して、その他の路線の大半も遊覧し尽くした。

ご当地に諺がある。ヴェネツィア方言で“A tola no se vien veci.”と言い、「食事の間は歳をとらない」という意味だ。「船に乗っている間は歳をとらない」という新しい諺を作ってもよいくらい、青地に浮かぶ街の佇まいに飽きることはない。

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砂漠に揺らぐ蜃気楼を実体験したことはないが、ヴェネツィアの街は幻かのように海面下に沈んだり海面上に浮かんだりを繰り返す。上下しているのは船のほうなのだが……。
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水上バス”ヴァポレット”でサンマルコ広場にアプローチ。空の面積を大きく撮ってみた。するとどうだろう、青いキャンバス上に落ち着いた街の気配が漂ってくる。10月のこの日、晴朗極まる青の競演が見られた。
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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会から臨むサンマルコ広場。写真外の左右にも街並みはあるのだが、ここに写っているのがヴェネツィアのほぼ全貌。至るところに小さな運河や水路が網の目のように広がっている。