人と人のなりはわかるのか?

テレビで中之島公園のマルシェをPRしていたから行ってみた。パリのバスティーユの朝市には何度か足を運んだ。まさかあの規模の再現はないだろうが、そこらじゅうで年がら年中開かれている物産展や産地直送店の集まりとは違う「プラスアルファ」または「本場マルシェの雰囲気」があるのかもしれない。しかも、ぼくがちらっと見たその番組では本場フランス人がマルシェの精神について語っていたので、少しは期待していたのである。

開催していた人たちには悪いが、がっかりだった。場所もわかりにくく、現在開催中の水都イベントのスタッフに尋ねる始末。そのスタッフはトランシーバーで本部に問い合わせ、しばらくしてやっと「市役所の南側」ということがわかる。午前9時過ぎ。特定産地の物産を並べたテントが五つ六つあるだけ。野菜と米以外に目ぼしい食材は見当たらない。「マルシェ」とは看板に偽りありだ。応援の気持で三種類ほど野菜を買ったが、早々に帰路についた。帰りにハンバーガーの店でコロッケバーガーを食べ、一杯百円のカフェラテを飲んだ。マルシェと銘打っておいて、チェーンのハンバーガー店に客を取られているようではまずい。


イベントの名称や趣旨だけでイベントがわかるはずもない。実際にイベントの現場へ行ってみて実体がわかる。部分で全体を見極めるのは容易ではないのである。とすれば、昨日見たヤフーのトップページの広告も同類だ。そこには一つの道具で人格まで判じようとするメッセージが謳われていた。「腕時計を見れば、その人となりがわかる!?」というのがそれ。「?」が付いているから、そう言い切る自信がないのかもしれないが、この命題はかなり古き時代のステレオタイプである。

一つの小さな情報から全体に及ぶ大きな結論を導くことを〈小概念不当周延の虚偽〉と呼ぶ。わかりやすく言えば、腕時計ごときで人間や人間のなりを導いてはいけないのである。時代が明治ならともかく、「猫も杓子もロレックスやブルガリ」の昨今、流行の腕時計を見て個々の人やなりがどうやってわかるのだろうか。たしかに非ブランド非デザイン系のふつうの腕時計の持ち主であるぼくを見れば、ぼくがブランドに無関心であり時計に凝らない人間であることはわかるだろう。しかし、ブランドものの腕時計から持ち主の性格やライフスタイルや職業を推理することなど不可能である。センスがあるとかないとかもわからない。だいいち誰かにプレゼントされた時計かもしれないではないか。まだしも「人を見ればその人が好む腕時計がわかる」のほうが成立しそうだ。

道具ごときで人間を推理するようなばかげたことをいい加減にやめようではないか。買ってきて身につけただけのものが人を象徴するはずがない。身にまとっているもので人はわからない。むしろ、その人に染みついた習慣や振る舞いや手の捌き方などが人を表象しているのだろう。時計そのものではなく、時計への視線のやり方や人を待っているときの所作が人を表わす。高級な箸よりも、箸の持ち方や扱い方のほうが正直に人と人のなりを示す。一つの持ち物、たとえば腕時計や鞄やメガネや手帳などで、人間が判断されてたまるものか! と反骨心をむき出しにした次第である。 

常識を懐疑する話

出張先で私塾の10月講座の資料を作っている。ほとんど持論を展開するメモだ。しかし、『思考の手法』というテーマだけに、いろんな見方を提示したいので、これまでに読んで抜き書きした諸説も参考にしている。ここ二、三日はだいぶ没頭していて、「考えるということ」について考えを巡らしているところである。

息抜きに塾生のブログを覗いてみたら、「常識を疑う」という記事が更新されていた。二十ほど年齢差があるのだが、たいへんよく勉強している彼からヒントをもらうことも稀ではない。ぼくの講座や読書会を通じてテーマの指向性の波長が合うことも多い。ぼくは褒めるし批評もする。彼はディベートも経験しているから、批判や検証に耐えるだけの度量も備えている。ぼくの今日の話は批判でも検証でもなく、新たな問題提起である。近々に会って大いに論じ合ってみたい。

さて、その記事だ。ぼくが講座のために考えている一章「主観と客観」に関係しているので興味津々に文章を追った。関心がおありならぜひ原文を読んでいただきたい。本文中に次のようなピーター・ドラッカーの引用がある。

「世の中の常識はえてして間違っている。それを知るためには、常識の根拠を探り、それが本当に信頼に足る妥当なものか見極めることだ。そのためにはタマネギの皮をむくようにして、おおもとの根拠にたどり着く必要がある。


タマネギの比喩がおもしろい。タマネギそのものが「常識」で、皮が「常識が定着してきた過程」で、最後の最後に残るものが「常識の発生源となる根拠」なのだろう――そんなふうに愉快がった。しかし、意地悪なぼくは想像をたくましくする。ちょっと待てよ、タマネギには薄茶色の表皮があるけれど、それを剥いたあとには食用部分の「本皮」が何枚か重なっている。剥いていけば何も残らなくなってしまうではないか。そんな剥き方でタマネギを調理することがないので確証はないが、表皮を取って半分に切ってパンパンパンと包丁を入れてシチューや鍋に放り込んでいるかぎり、そこに「芯らしき根拠」は見当たらない。

それはともかく、ドラッカー先生が「世の中の常識はえてして間違っている」と言い切るからには、そう判断するドラッカー流の「ものの見方」があるはずだ。そのものの見方も別のタマネギの「芯らしきもの」ではないのかとぼくは考えた。人は常識を疑ったり怪しんだりする時点で、ある主観的な価値基準を起動させるはずである。その主観の中には常識を疑い怪しむエネルギーの源、あるいはテコとなる「確信」があるに違いない。その確信がなければ、タマネギを剥いて辿り着く「芯らしき根拠の危うさ」との刷り合わせができないのだ。

アマノジャクという、へそ曲がりなイチャモンにしても主観の一変形だろう。その主観と常識という客観が対立する。あることに「?」を感じる時、別の「!」が必ず存在する。素朴な「わからない」というクエスチョンマークであっても、「自分の中のわかる構造」とぶつかって生まれている。その別の「!」も主観的常識なのかもしれない。つまり、ぼくたちが常識を懐疑する時、その懐疑のテコに自分の常識を用いているのである。常識・非常識、主観・客観――思考の手法にとっては恰好の素材である。もう少し掘り下げてみる気になっている。

ところで、およそ一年半前、ぼくは『マーケティングセンスを磨こう』という講演で、マービン・バウワーによる、世界一短いマーケティングの定義を紹介した。たった一言。「客観性(objectivity)」がそれだ。Tさんもその講演を聴いてくれていたと記憶しているが、ぼくは鬼の首を捕ったかのように解説した。今は違う。今は「マーケティングの客観性」に懐疑し始めている(但し、一世を風靡したポストモダン的な主観主義ではない)。その懐疑のテコになっているのはたぶんカントの『純粋理性批判』だと思う。そのカントも疑い、その疑いの信念も疑いみたいなことを延々とやっていると、愚かな懐疑主義に陥るかノイローゼになりそうなので、今月最後のブログはここでピリオド。

語彙の磁場が動く

語彙のありようについても再考してみた。ことばには聴いたり読んだりしてわかる〈認識語彙〉と、話したり書いたりできる〈運用語彙〉がある。運用を「活用、生産、発表」などと言い換えてもいい。だから語彙を考える時、わかることばと使えることばに分けて論じることができる。

聴き取りにくい発音や判別しにくい手書き文字などの例外を除けば、自ら口頭や文書で使えることばなら、通常は聴いたり読んだりもできるはずである。「私はブログを書いています」と話せる人は、誰かが「私はブログを書いています」と言うのを理解する。また、「拝啓 貴下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」と、文例を丸々引用するのではなく、自筆で書いた人ならば他人が書くその冒頭の挨拶文を難なく読み取るだろう。つまり、認識語彙は表現語彙よりも多い。

したがって、仮に難解とされている一冊の本を読了できたとしても、そこに書いてある用語や表現のすべてを読者が使えることは稀である。いや、正確に言うと、著者自身はその一冊の本の中で書いただけの用語や表現を運用できた。そして、おそらくその著者はそこで用いた用語や表現の34倍の認識語彙を有しているはずなのである。わが国の大半の成人の認識語彙力が35万語の間に分布しているようだが、実際に使えるのはそのうちの3分の14分の1とされている。


語彙の体系はそれまでの学習、環境、文化、専門、職業などによって決まる。クイズの得意・不得意分野などの性向とよく似ていて、社会一般は得意だが科学や工学は苦手、政治経済には詳しいがスポーツ音痴などのように偏っている。いろんなジャンルが均等に散らばっていることは逆に珍しいかもしれない。〈スキーマ〉と呼ばれる、会話・文章を理解するときに用いる知識体系がそこにあり、同時に階層構造状に〈フレーム〉が広がっている。得意分野になると、場面設定と行為がさらに詳細になって〈スクリプト〉を形成している。

語彙体系においては、その時々のお気に入りのことばが主導的になる。同義語を緻密かつ精細に使いこなしていた人でも、たとえば「人生いろいろ」や「ぶっ壊せ」のような大雑把な用語が気に入って多用し始めると、ことば遣いもアバウトになり偏ってくるものだ。ある分野の語彙の使用頻度が高まれば、相対的にその他の分野の語彙の出番が少なくなってしまう。

とりわけ要注意なのが、口癖や常套句である。口癖はその直後に続く表現を固定させてしまう。たとえば、「やっぱり」と言った後に「重要です」と続ける知り合いがいる。「雨降って地固まる」や「貧乏暇なし」などの常套句は使用文脈を限定してしまう。使う本人たちはほとんど気づいていないが、常套句を境にしてステレオタイプな方向へと話が展開していく。何万語の語彙を誇っていても、一つのことばが語彙体系の磁場をそっくり変えてしまうのだ。宝の持ち腐れにならないためには、多種多様なことば遣いを意識し、時には少々冒険的な新しい術語にも挑んでみるべきだろう。

「有用」よりも「手がかり」

3日前のブログの続編。今年7月に開講した私塾大阪講座の冒頭で、ぼくは「力を込めて」目指すべき学習の方向性をおおむね次のように伝えた。

現在の自分が容易に越えられるバーの位置がある。何度か跳んで習熟すれば、次にバーを高めに引き上げなければ意味がない。従来の跳躍能力ではいかんともしがたい高さにバーを設定する――ここに知の学びの真価がある。学習時に体験していない高さのハードルに仕事で遭遇しても、十中八九こなすことはできない。練習以上の成果を本番ではめったに発揮できないのだ。閾値しきいち越えは難題に挑戦する習慣形成の賜物である。

難問であれ奇問であれ、自ら発した問いにせよ提示され遭遇した問題にせよ、問うことと解こうとすることによって知力は引き上げられる。解けたかどうかは別問題である。解けなければ快感法則が崩れるだろうが、そんなことは現実の仕事にあっては日常茶飯事のことではないか。とにかく問い続け解き続ける。考えたことのないことを考えてみる。このような学習の連続によってのみ知は現実へとスタンバイする。


えらく硬派な話をしたわけだ。ぼくの言いたいのは、「わかりやすさ」を重んじているかぎり、学習効果などまったく芽生えないということである。たとえば、わかりやすい説明を受ける。当然理解しやすい。あるいは理解したという気にはなる。しかし、この理解は現在の知力においておこなわれたのである。知力は背伸びもしていないし、汗もかいていない。やがてそんな説明内容は脳内で埋没するか消えてしまう。「わかりやすさ」は快感法則を満たすだけであって、アウトプット能力にはほとんど役立たない。

書店で「〇〇入門」という本を手に取る。ところが、読んでみると手も足も出ない。「何が入門だ!?」と腹立たしくなる。だが、「難しい入門」、おおいに結構だと思う。その〇〇というテーマには奥行きがあるのだろうし、〇〇というテーマに関して現在の自分があまりにも未熟だと痛感すればいいだけの話。それでこそ学習の意義がある。学習とは学習のためにあるのではなく、しかるべき現実世界の本番のための鍛錬の役を担っている。

人類の歴史には有用と手抜きの工夫を求めてきた流れがあるが、考えることすらも手抜きし始めているようである。学ぶことに関しても有用ばかりを求める風潮が加速してきた。そこには「早く身につけたい」という願望が潜んでいる。早く身につけたいから「わかりやすさ」が必須条件になる。その結果、「わかった、満足した」で終わる。気がつけば能力自体は何も変わっていない。そろそろ「悪銭身につかず」を真剣に肝に銘ずるべきだろう。学習を有用目的の内に留めてはならない。それは知の停滞を意味する。

学習とは本番に向けた「手がかりの模索」である。手がかりは答の手前にあって、答らしきものをほのめかすヒントに過ぎない。使えるかどうかすらわからない。しかし、それでいいのである。教えられてわかるのは所詮他力依存であり、本番では役に立たない。誤解を恐れずに言えば、「わかりにくい手がかり」が自力理解と自力思考を促す。いつの時代も仕事で有用になるのはこちらのほうである。  

難易の別を超えて

難易度ということばを聞くと、受験テストの問題集を思い浮かべてしまう。星印が三つ付いていたら難度が高く、一つだったら易しい。星一つばかりの設問を解いていたら簡単だ。途中で易しい問題ということを忘れて、解ける快感だけを覚えていく。できた気になるから、学習心理上のストレスはほとんどたまらない。しかし、本番で少々難度が上がればたちまちアウト! リハーサル段階では少々難度の高いものに挑戦しておかねばならないのだ。

少々何度の高い問題というのが微妙である。半分くらい解けるのがいいのだろうが、解けるか解けないかは現在の力量にかかわる。完全な全問正解にはほとんど学習効果がない。かと言って、全問解けないようではやる気も出ない。しかし二者択一なら、手も足も出ないことを何度も体験しておくほうが現実世界の問題解決には役立つ。リハーサルだからこそオール不正解でも許される。要は、解こうとしたプロセスの質だろう。

語学を例に取ればわかりやすい。たとえば英会話学習のゴールをあいさつやショッピングに置いていても、学習した範囲内で現実の会話が収まることはまずない。自分が話す分には知っていることだけ伝えればいいが、相手は自分がわからないことを話し伝えてくる。認識という点では、入門も基礎もない。ぼくたちは学んだ範囲内でコミュニケーションを統御することはできない。相手は難易の別などおかまいなしなのである。すべての幼児は家庭内および社会的コミュニケーションの場で、自分の力以上の困難な状況を乗り越えて成人していく。すべての人間は、ヒナが羽ばたきを覚えるように、大人世界のことばに齧りついて生きている。


語学を始める人にぼくは中上級から始めよと助言する。いや、正確に言うと、現在の母語の語学力と知識に見合ったレベルで学習すべきだと教えてあげる。知識には未知の事柄を想像する機能がある。ことばや概念の何から何まで知らなくても、行間や文脈を読む想像力が働くものだ。ぼくは英語もイタリア語も中上級からスタートした。CDは倍速にして聴いた。こんな早口のネイティブはいないだろうと思えるくらいのスピードに食らいつく。それで本番はちょうどよい。初めてイタリアに行ったとき、バールのバーテンダーは第二次世界大戦の話を持ちかけてきたが、理解できた。「はじめまして」「こんにちは」程度の学習しかしていなかったら手も足も出なかったはずである。

話は語学だけにとどまらない。一般的な学習(つまり、リハーサル)は易から難へと想定しているが、本番には難易が混在している。いや、すでにそこにはそんな区別すらない。ぼくはいま、社会人のためにこの記事を書いている。社会人になって何事かについて学ぶのと学生で学ぶのとは大違いである。社会人にとっては目的は明日の行動と一体化しなければならない。どこか遠くにある目的などではなく、明日の仕事で学びが現実的な効果を発揮してもらわねば困るのだ。悠長な猶予期間はない。

「難しい」という泣き言をほざくのをやめよう。現実世界は、ある意味ですべて難しいのだ。唯一、現実のハードルを低くできるとすれば、リハーサルでのハードルを自分の現在の能力よりも高く設定するしかない。「あのセミナーは易しかった、わかりやすかった」と感想をもらすのはよい。しかし、それが現実世界を生き抜く糧になったかどうかこそが問われるべきである。そして、易しく身につく糧よりも苦労して身につけた糧のほうが実践では役に立つ。「良薬は口に苦し」という常套句を引くまでもない。苦いとか難しいとコメントをする暇があったら、黙って口に放り込むべきなのだ。 

ドビュッシーとパリ近郊の街

一昨日のことである。ふと旋律が浮かんだ。ドビュッシーの『夢』。題名を知らなくても、誰もが一度や二度は耳にしたことのあるメロディだ。ドビュッシーには、他によく知られた作品として『月の光』や『アラベスク』がある。テレビドラマの挿入歌としても使われていたらしい。たしかに、クラシック音楽としてはイージーリスニング系に属すのだろう。肩の凝らない小曲だからBGMにも向いている。

少し前のバージョンのiPodも持っているのだけれど、ほとんど使っていない。最近はあまり音楽を聴かないし、聴くときは気まぐれに取り出したCDをかけている。ジャンル分けもせずに適当に収納しているCDがおよそ600枚。本は買って一度も読んでいないのが5冊に一冊くらいあるが、CDは買った直後に聴く。どんなにハズレのCDでも一度は聴いているので、縁あってもう一度聴けばだいたい旋律を覚えている。読書に比べたら聴覚記憶はだいぶよさそうな気がする。

たしかあったはずのドビュッシーのCDがどこにも見当たらない。この場所以外にまぎれこむ可能性などない。もしかしてオムニバス編集のうちの数曲だったのだろうか。いや、そんなことはない……。やがて思い出し、ひとつの確信を得た。中学高校時代に買い集めたレコードのうちの一枚だったのだ。中学2年生のときに、クラシック音楽好きの友人に誘われて「コンサートホール」なる頒布会に入会し、数年間で数10枚ほどLPを買い漁った。コレクションはすでにとうの昔に処分してしまった。


昨年31日、土曜日。パリ11区はサンタンブロワーズ(St-Ambroise)のアパートを午前10時に出て地下鉄経由でリヨン駅(Gare de Lyon)へ向かった。そこで高速郊外鉄道(RER)に乗り換えて一路西北西へ。わずか半時間ほどのうちにパリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レー(St-Germain-en-Laye)に到着した。あのルイ14世ゆかりの垢抜けた近郊の街。セーヌ川が流れている。

ドビュッシーは1862年にここに生まれ、パリ音楽院に入学する10歳まで育った。駅から教会に向かって歩いてすぐの所にドビュッシーの像がある。小ぢんまりとした街中の通りを歩いてみた。色合いも佇まいもセンスのいい街だ。小さな避暑地のような観光風情もある。通りを隔てたすぐそばに城があり、現在は国立考古学博物館に転用されている。店頭で売られていた小さなパンを口に運び、カフェに寄って濃厚な一杯を楽しむ。

ドビュッシーの旋律から一年半前のパリ近郊の街へタイムスリップしてしまった。

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教会
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ドビュッシーの銅像
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街角
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店の看板
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考古学博物館の外観
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中庭の景観
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RER線を走る列車。フランス国旗のトリコロールをモチーフにしたデザイン。

言論を軽やかに楽しむ

今になってわかること。今年の1月に予告したときは『言論の手法』でいいと確信していた。なにしろ、2009年度私塾大阪講座の共通テーマが「手法」である。第1講から第6講まで順番に、解決に始まり、情報、言論、思考、構想、市場へと展開する。一昨日の講座が第3講にあたる『言論の手法』であった。年初から9ヵ月後を睨んだときは「これでよし」、しかし講座が近づくにつれ、「ちょっと硬派の度が過ぎる」と首を傾げるようになっていた。

言論と言えば「言論の自由」が浮かぶ。言論を封じられるのはつらいことである。また、弁論家やソフィストらは「言論の技術」を開発し、今にも通用するテキストを残してきた。言論は、権利と技量両面において、軽視できないヒューマンスキルであることは事実。ところが、これはロゴス主義者からの見方であって、「言論なんて重要ではない」という意見も相変わらず底辺では根強いのだ。このような、言論のできる人間を「饒舌家」や「口達者」などと皮肉る認識不足を批判することもできる。と同時に、偏狭な言論至上主義者たちも詭弁と隣り合わせにいる自らの危うさに気づいておかねばならない。

「口はわざわいの門」、「もの言えば唇寒し秋の風」、「沈黙は金、雄弁は銀」、「巧言令色すくなし仁」……アンチ言論の諺はいくらでもある。黙っているのが徳であり、なんだかんだと喋ったり言い訳するのは品性を欠くのみならず失態につながることを暗示している。「言わぬが損」と反論しても焼け石に水、わが国の風土にはロゴス過剰を戒める体質が備わっている。


とは言え、雄弁・強弁の自信をちらつかせる輩だけを責めるわけにもいかない。言論エンジンを動かさない、見た目は物分かりのよさそうな黙認者や「みなまで言わぬ人々」にも責任がある。彼らは理屈を嫌う。「それはともかく」だの「ところで」だの「まあ、いいじゃないか」だのとすぐに話の軌道を変える。「言わぬは言うにまさる」のような埃まみれの価値観にしがみつくロゴス嫌いが、上滑りの強硬言論を了解してしまう結果をもたらしている。

鮮やかな論法を駆使して口達者に説得する――こんな言論がよさそうに見えた時代に、愚か者の烙印を押された連中も大勢いた。それは、無知だったからにほかならない。無知な弁論家ほど始末に悪いものはない。まだしも「知のある沈黙」のほうがましではないか。実は、キケロが同じようなことを書いている。キケロは「雄弁でない知恵」のほうが「口達者な愚かさ」よりもましだと言う。しかし、そう言った直後に、「どっちもダメ」と否定し、「いいのは教養のある弁論家」だと断言する。

教養ある弁論家をプロフェッショナルととらえる必要はない。知識を背景に、論理だけを振りかざすのではなく人間味や感性の風合いをもつ説得を心掛け、必要に応じてきちんと意見を述べる。ここにユーモアと軽やかさも付け加えたい。もっと言論をカジュアルに扱うべきなのだ。小さくノーと思ったら、その場でノーと言っておく。先の先で一事が万事という無様な状況を招くくらいなら、いま言論を交わしておくべきなのだ。『言論の手法』などと難しい看板を掲げてしまったけれど、本意は「言論の楽しみ」に目を見開いてもらうことにあった。

テレビという情報源の使い方

論文でもディベートでもいいが、論拠や裏付けに用いる情報源がテレビというのはちょっとまずい。何年か前の経営者ディベート大会での話。証拠に事欠いて、NHKの番組の一こまを紹介した人がいた。彼は記憶を辿って”引用”したが、準備をしていたわけではなかったから、文言が正確であるはずもない。相手に正確な引用を求められ、さらには発言者の氏名・専門性や証言者の権威まで尋ねられて対応に窮して万事休す。

テレビはすべての人々に公開され公共性も高い媒体で、専門筋の権威たちが発言している機会も多い。それにもかかわらず、正確に引用しても公式の証言としては認められにくい。音声ではなく活字になって、しかるべき信頼性の高い出版物として紙に印刷されてはじめて証拠価値が高まる。

最近めっきりテレビを観る回数も時間も減った。原因はよくわからない。ここしばらく腰痛のため、ソファに座るのが苦痛のせいかもしれない。ぼくの書斎はテレビの置いてあるリビングルームのすぐ隣りで、いつもドアは開けっ放し。だから軽い仕事をしている時は、画面を観ずにラジオのように音声だけを聴いている。時々耳がピクピクとする情報が入ってきて、これは雑談のネタになりそうだ、というものもある。ニュース性のある一次情報としては新聞や雑誌と比べても遜色はない。


新聞紙上で活字として再生されるものは、記事を読めばよい。たとえば百歳以上の高齢者が四万人を超えたニュースなどはテレビを最終情報源とするのではなく、活字で子細を確かめるべきだろう。後日印刷物にならない、たれ流しの情報にこそテレビの価値がある。聞き漏らしたら縁はなし。ふと耳に引っ掛かった情報が「少考」のきっかけになることがある。

サンデーモーニングで国際政治学者の浅井信雄がオランダの新聞に載っていた話を紹介していた。日本の政権交代の記事で、「自由民主党」についてのコメントだ。「〈自由〉もなく、〈民主的〉でもなく、〈党〉でもなかった。それは派閥の集まりに過ぎなかった」というふうな記事だったらしい(英字新聞なんだろうか。調べたけれどわからなかった)。ちなみに自由民主党の英語名は“Liberal Democratic Party”だ。一語一語を否定したのがおもしろい。

月曜日の朝。民主党の新しい国会議員の女性が元風俗ライターであることを隠していたというニュース。いや、これはニュースなんかではない。ただのゴシップだ。経歴詐称ではなくて伏せていたという話だ。別にいいではないか。まったく大した問題ではない。国会議員としては未来形で未知数だが、風俗ライターとして「いい仕事」をしていたのなら、誰かがつべこべ言うべきではない。「現」よりも「元」が気になる体質は民度の低い日本人に染みついているようだ。「いい仕事をした元風俗ライター」よりも、むしろ「やることをやっていない現職の国会議員」に対して難癖をつけるべきだろう。

二次、三次のメタ情報としての価値はさておき、一次情報としてのテレビの役割は捨てたものではないと思っている。 

時代のフレームと想像力

かつてポンペイの遺跡に佇んだとき、歴史の不思議に感懐を抱いた。13世紀から16世紀に生きたルネサンス人たちは、この遺跡のことを知らなかった。ポンペイがヴェスヴィオ火山の噴火によって火山灰に埋もれ「史実から消えた」のが紀元前79年のこと。そして、この遺跡が発見されたのが1599年、すでにルネサンスは余燼期に入っていた。しかも発掘が始まるのは150年後の18世紀半ばだ。さらには、遺跡の全容が解き明かされたのは20世紀に入ってからである。

ルネサンス人の過去になかった出来事が、現代のぼくたちの過去に刻まれることになった。まったく当たり前のことなのだが、ある時代に生きて別の時代に生きていないことを、「そんなもの運命だ」と片付けるだけでは想像力不足かもしれない。

知識ジャンルの広さと情報量に関するかぎり、平均的現代人は古代から中世のどんな偉人たちをもはるかに凌いでいる。彼らが一生に出合った情報量を、おそらくぼくたちは数日のうちに浴びている。ただ、思考力や洞察力は必ずしも情報量に比例しない。先人たちを圧倒する知の巨人が次から次へと出現しないところを見ると、どうやら現代人は日々接している情報を上手に吸収して知として蓄えていない様子である。


フランシス・ベーコンだったと思うが、古代ギリシア人がどんなに凄かったとしても地中海の小さな世界にいただけで、アジアや新大陸のことも知らない、世界三大発明の火薬、活版印刷、羅針盤を使ったこともない――というような批判をした。真意が「昔の一握りの知恵に縛られるな」だったのだが、「それを言っちゃおしまいよ」とついこぼしたくなってしまう。この論で言えば、いつの時代も過去人は現代人よりも料簡が狭いことになる。

先の先から見れば、過去のすべては、時代ごとのフレームに拘束された知識と情報の歴史に過ぎない。ところが、まったくそうではない。現代人が手も足も出ない想像力が何百年も何千年も前に発揮されたのである。たしかに当時の時代のフレーム内での想像だっただろう。科学万能の現代から見れば、稚拙な知識に基づく知恵だっただろう。だが、現代人も今の時代のフレームから逃れるわけにはいかない。つまり、彼らの生きた時代のフレームでものを見たり発想したりすることはできない。

情報都市に暮らして膨大な情報に接している日々。想像力は歴史上一等の輝きを見せているのか。過去人よりもたくましい創意をたずさえてよく考えているのだろうか。ぼくにはまったくそうは思えない。それどころか、情報に強く依存している分、自家製想像力は脆弱になってしまっている。情報活用スキルよりも情報に依存しないスキルが重要なのであり、「調べる癖」に負けない「想像する癖」を身につけるべきなのだ。古代ギリシア人よりもぼくたちのほうが世界の地理に詳しく知識も豊富だろうが、これはぼくたちのほうが〈世界〉をよく知っていることを意味するものではない。

好きこそものの上手なのか?

何かを嫌うエネルギーによって幸運が逆説的に招かれる。そんな珍事の事例を昨日書いた。いまたまたま珍事ということばを使ったが、これが稀なケースかと慎重に考えてみたら、実はそうではない。意外にも頻繁に発生しているの。いや、ぼくの身の上に起こっているのではない。ぼくにはあまり起こらない。嫌悪エネルギーを炸裂させて何かを生み出してしまうのは、好き嫌いの激しい人たちである。

ぼくときたら、まず食べ物の好き嫌いがない。国内はもとよりどこの国にいても出された食べ物を拒否したことはない。もちろん罰が当たるのを恐れたりモッタイナイの精神で生きたりしているわけでもない。おそらく環境と習慣形成によるものだ。人間や仕事のテーマになると食べ物ほど何でもオーケーとはいかないが、世間の水準に比べれば許容範囲はかなり広いと思っている。好き嫌いがないのは、どちらかと言えば美徳とされているようだから、少しくらいは胸を張ってもいいのだろう。

ところが、この好き嫌いの無さが一概に長所にならないのだから不思議である。むしろ、好き嫌いのない特性が「癖がなくて、包容力があり、融通がきく」へと敷衍される。癖がないは「特徴がない」、包容力があるは「相手につけこまれる」、融通がきくは「ゴリ押しを受容する」と読み替えることができる。なんだか、少しもいいことがないではないか。まるで思想なき八方美人、あるいは無難な等距離外交みたいである。


嫌いなものがないことが「何でも好き」を意味するわけではない。「とりあえずオーケー」という程度の好みも多々含んでいる。そうなのだ、「好き嫌いがない」というほんとうの意味は「嫌いがない」ということであって、「何かをとても好んでいる状態」なのではない。だから、ここにおいて「好きこそものの上手なれ」は成立しにくい。「ものすごく好き」が際立たないと上手への道は開かれないからだ。

もしかすると「嫌いこそものの上手なれ」が真なのではないか。何事かを猛烈に嫌う人間は、その対極にある対象を極限にまで愛好するのではないか。「嫌いなものは嫌い」で生きている人間はおそらくわがままだろうが、他方で「好きなものは好き」を貫いているはずである。メリハリがあって、答えは決まっている。嫌いなものを再考する余地などないのだから、好きなものへと向かうエネルギーは好き嫌いのない人間の比ではない。ある対象への嫌悪は、その反動として別の対象への偏愛を生む。それが結果的に「好きこそものの上手なれ」につながるのではないか。  

好き嫌いのない人間がなんだか小器用な小人物に思えてきた。なるほどぼくが強みだと思っていた性向は実は弱みだったのかもしれない。いやいや、ぼくがそうだからと言って、好き嫌いのない「同胞」を同じように扱うべきではない。でも、好き嫌いの激しい人たちに負けない強みの一つでも見つけないと悔しいではないか。しばし黙考……。あった、彼らになくぼくたちにある強み。それは「迷う楽しみ」である。