「嫌いの顔」が立つ

あることにおいて好きと嫌いが同居し拮抗するとき、ほぼ間違いなく「嫌いの顔」が立つ。半分好きで半分嫌いはプラスマイナスゼロ、つまり「どっちでもない」という感情にはならない。それはほとんど嫌いを意味する。たとえば、ちゃんこ鍋に十の具が入っていて、そのうち九つの具は好物または「嫌いではない」。しかし、一つの具だけは許せないほど嫌いである。この時、どんなにわがままな人間でもみんなで鍋を囲むときは耐えるだろうが、自分が一人の時にその一人ちゃんこ鍋を注文することはありえない。

ある何かやある誰かを嫌う人のエネルギーは、別の何かや別の誰かを好むエネルギーよりも強い。同一人物において、嫌悪の情は愛好の情よりもほぼつねに優勢である。食べたくてしかたがない料理を我慢して見送ることはできても、嫌いでしかたがない料理を我慢して口に放り込むことはできない。好きから嫌いへと価値観を変えるのは容易だが、その逆は困難だ。「嫌いだから嫌い」は、「ダメなものはダメ」と同じように、反論する気すら起こらないほど鉄壁の論理なのである。


何年前だったろうか、昼下がりのとある中華料理店での珍事である。食事を終わりかけていたぼくの隣りのテーブルに還暦前後のご婦人が一人。メニューをじっと睨んだまま動かない。固まったのではないかと心配したウェイターがテーブルに近づいて注文を取ろうとする。「これ(エビ天定食)とこれ(麻婆豆腐定食)の二つを頼んだら、多いかしら?」 そりゃ、一人で定食二つは多すぎますよ、というぼくの独言とハーモニーを奏でるようにウェイターが言う、「そうですね、多いですね、お一人だとね……。」

ご婦人、「やっぱりそうかあ。困った……」とつぶやいて、再び悩みの世界に戻っていく。この店にはエビ天と麻婆豆腐が好きな人にターゲットを絞ったような定食がある。別にそこまで困らなくても、その定食にすればいいのに、と内言するぼく。と同時に、やっぱり店の人も同じことを考えるもので、「こちらの定食には少しずつ四品入っています。エビ天と麻婆豆腐が入っていて、他に豚肉炒めと鶏の甘酢も付いています」とフォローした。

そんなこと承知済みと言わんばかりの顔をして、「私、鶏がダメなのよね~」とご婦人。聞き耳を立てなくてもご婦人の声はよく通る。エビ天と麻婆豆腐は大好物なのである。なにしろ二種類の定食を注文しようと覚悟したくらいだ。しかし、鶏が苦手、嫌いなのである。そう、これこそ嫌いが好きを押さえ込んだ「ワザあり」の瞬間。そして、ご婦人はまたまた選択の迷いに没する。傍観するぼくは、この帰結を見届けないで立ち去るわけにはいかなくなっている。

しばらくして、しびれを切らしたウェイターが提案を持ちかけた。「鶏以外は大丈夫ですか?」「ええ、鶏だけが苦手で……」「わかりました。その四品の定食にしてください。鶏の甘酢の代わりに別の一品を入れますから」。こう言って、ウェイターは厨房の方へ行き注文を通した。もうここまできたら、ぼくも一部始終の顛末を見届けなければならない。数分待つ。例の定食がご婦人の前に出てきた。代品は、ゴージャスな「ふんわり仕立てのカニ玉」だった。「ワザあり」が「一本」になった瞬間である。ご婦人は満面の笑みを湛えていた。「嫌い」の引きは何と強いのだろう。

イタリア紀行54「アリヴェデルチ、ローマ」

ローマⅫ

通りの名もわからない、場所も定かではない。名所であれ無名の街角であれ、歩いてはカメラを構え、時々バールに入って地図を確認する。写真ファイルを見ていると、まったく思い出せない光景が、まるで勝手に撮り収められたかのように現れてくる。これはローマに限った話ではない。自分の記憶と照合できない対象――珍しいもの、おもしろいもの、落ち着いて見えるもの、何となくいいもの――は無意識のうちに写真として取り込んでいるものだ。

アルケオバスでアッピア街道を二周した後に、バールに入りエスプレッソで神経をなだめる。アパートに戻ってリフレッシュしてから再度外出した。目指す先は、市内を眺望できるジャニコロの丘。数年前、ローマ在住の知人に車で連れてきてもらった。晴天に恵まれ、ローマ市街地とその彼方に広がる郊外を一望して感嘆した。その時の再現を目論んだ。アパートを出てサンピエトロ広場を横切り、さらに裏道の坂を上って遊歩道を進むこと小一時間、やっと丘の上に到着した。しばらくして大きな虹が出た。

ローマを唄う、バラード調で少しペーソスのきいたカンツォーネがある。“Arrivederci, Roma”(アリヴェデルチ、ローマ)という題名だ。「さようなら、ローマ」。語りの出だしがあって、そのあとArrivederci, Roma. Goodbye, au revoir”と唄い始める。イタリア語と英語とフランス語の「さようなら」を並べている。テーマは「さようなら」だが、想い出を記憶にとどめて「あなた(ローマ)のことを決して忘れない」と締めくくる。

ヴァチカン地区クレシェンツィオ通りに面した建物。大きな門を入ると、この敷地の一角に一週間快適に滞在したアパートがある。どこに行くにも便利なロケーションだった。出発の日の朝7時すぎ。アパートの責任者のフランチェスコが、とても上品なお父さんを伴って見送りにきてくれた。銀行家でシスティーナ礼拝堂の仕事にも関与しているそうだ。システィーナを紹介するポジ写真が入ったプレゼンテーションキットをプレゼントしてくれた。

旅から帰って再び旅をする。帰った直後に旅をして、半年後にまた旅をする。そして、ローマの旅から一年半経った今、また旅をしている。一回の旅で、繰り返し何度も記憶の旅を楽しめる。そして、そのつど「アリヴェデルチ、ローマ。グッバイ、オルヴォワー」と口ずさむ。

ところで、トレヴィの泉で硬貨を投げてこなかったが、ぼくは再びローマに「戻れる」だろうか。 《ローマ完》

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一週間滞在したアパート。
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理由は不明だが、当時の写真にはこの種の構図が多い。
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遠近法に忠実な、こんな無名の通りも気に入っている。
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ジャニコロの丘はローマ市民の散歩道になっている。
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ヴァチカンから南へ1.5キロメートル、そこがジャニコロの丘。上りはきつく散歩感覚どころではない。この日の夕景は幻想的に刻一刻変化した。
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遊歩道を上りつめると小高い丘のガリバルディ広場に出る。ここが絶好の展望位置。前に来た時のパノラマに惹かれて再び街を一望。旅立ちの前日、黄昏前の雨上がりの空に虹が架かった。

ローマの最終回、そして「イタリア紀行」の最終回。訪れながらもまだ取り上げていないイタリアの都市がいくつかある。気の向くまま折を見て紀行記を綴りたいと思う。

ロゴスによる説得

今月の私塾大阪講座では、『言論の手法』を取り上げる。現在テキストの仕上げに入っている。構成は8章、その一つに「ロゴスによる説得」が入る予定だ。えらく難しそうなテーマだが、表現の威圧にたじろぐことはない。この種の勉強を少しでも齧った人は、「説得の『説』は言偏ごんべんであり、ロゴスというのもたしか言語とか論理だから言偏になる。これは当たり前というか、単なる重ねことばではないのだろうか」と思うかもしれない。なかなかの炯眼と言うべきである。

弁論や対話に打ち込んでいた二十歳前後の頃、ぼくもそんな疑問を抱いたことがある。説得というのは、何が何でも理性的かつ論理的でなければならないと思っていた。ところが、アタマが説得されても心情的に納得できない場合があることに気づく。また、儲け話を持ちかけられた人が、たしかに理屈上は儲かるメカニズムを理解できたが、倫理的に怪しくなって説得されるまでには至らなかった。どうやら説得が〈理〉だけで成り立たないことがわかってくる。そんなとき、たまたま手にしたアリストテレスの『弁論術』を読んで説得される。

言論を通じておこなう説得には三種類あるとアリストテレスは言う。一つ目は「人柄エトスによる説得」である。語り手自身が信頼に値する人物と判断してもらえるよう言論に努めれば、説得が可能になるというもの。二つ目は「聴き手の心情パトスを通じての説得」。語り手の言論によって聴き手にある種の感情が芽生えるような説得である。そして、三つ目が「言論ロゴスそのものによる説得」なのである。あれから35年、ぼくもいろいろと経験を積んできた。現実に照らし合わせてみて当然のことだと今ではしっかりと了解できる。


エトスやパトスによる説得がある。ロゴスによる説得も説得の一つの型なのである。弁論術における説得とは、正確に言うと「説得立証」と呼ばれ、その論証の鍵を握るのが〈トポス〉ということになる。トポスとは通常「場所」を示すが、アリストテレス的弁論術においては、思想や言論の「拠り所」、すなわち「論拠」を意味している。もっと簡単に言えば、理性的・論理的説得を成功させるためにはしかるべき理由づけが欠かせない、ということなのだ。

では、どこに理由づけというトポスを求めるのか。トポスのありかは、善と悪、正と不正、美と醜などに関する世間一般の共通観念にこそ見出せる。悪よりも善を、損よりも利を、不正よりも正を、醜よりも美を、悪徳よりも徳を論拠とする言論は、いかなる命題のもとでも説得立証力を秘めることになる。押し付けたり行き過ぎたりする善行や正義や道徳は鼻持ちならずブーイングしたくなるが、後ろめたさのない言論――ひいては生き方――ほど強いものはない。ぼくは真善美派からだいぶ逸脱した、アマノジャクな人間ではあるが、さすがに善や正が悪や不正によって論破されるのを見るのは耐え難い。

善と悪や正と不正など一目瞭然、誰にでもわかりそうだ。ところが、そうはいかない。人々の通念やコモンセンスが、時代ごと、いやもっと近視眼的な状況に応じても微妙に変化するのである。ゴルフは「正」、接待も「正」、しかし接待と偽って平日サボれば、そのゴルフは「不正」になる。殺人は「悪」であるが、是認されている死刑は「善」と言い切れるのか(「必要悪」という考え方もある)。騙したほうが悪いのか騙されたほうが悪いのかなどは、通念が二つに分かれてしまう。トポスを通念やコモンセンスに求めても絶対という説得立証がない。だからこそ賛否両論の討論が成り立つのである。ここがまさに好き嫌いの分岐点になっている。  

堂々巡りする因果関係

たしか、翻訳ものだったと思うが、残念ながら出典がわからない。抜き書きしたのは覚えている。七年前のノートをたまたま繰っていたら、その一節が現れた。「無知という未耕の地には、偏見という雑草がはびこる」ということばである。「未耕」という表現に違和感があるが、「未耕の地」を「未耕地」とすればまあいいだろう。「未耕」は“uncultivated”の訳語ではないかと類推する。したがって、「無知という教養のないところに偏見が生まれる」と読み取ることができる。

土地のあるところに雑草が生えるのだから、因果関係的には〈土地(因)→雑草(果)〉、つまり〈無知→偏見〉という流れだ。ところが、「偏見が無知を生む」のような言い回しがないこともない。いったいどっちが妥当な因果関係なのだろうか。いや、問うまでもなく、明らかだ。偏見の強い知識人がいるのだから、偏見が無知につながるとはかぎらない。ここは、無知が偏見の温床になるという、〈無知→偏見〉説にしたい。いや、もう一丁捻って、「無知は偏見など生まない。無知は無知以外の何物をも生まない」と言っておくべきか。


因と果はいつも〈因→果〉の順になるわけではない。ふつうは一方通行なのだが、表現一つ、見方一つ変えると〈果→因〉と可逆することがある。「金がないから貧乏である」のか、「貧乏であるから金がない」のか、いずれがもっともらしい因果関係なのか――こう聞かれると、真剣に悩んでしまいそうだが、この二文はどちらも因果関係とは無縁である。「金がない状態」を「貧乏」と呼び、「貧乏」を「金がない」と説明しているにすぎない。「金がない、ゆえに貧乏である」ではなくて、「金がない、すなわち貧乏である」に近いのだ。

原因と結果が往ったり来たりして循環するのは日常茶飯事である。「儲からないから、仕事に精が出ない」のか、「仕事に精を出さないから、儲からない」のか……「客が来ないから、店を閉める」のか、「店が閉まっているから、客が来ない」のか……たしかに因と果が可逆的関係にある。しかし、たとえ堂々巡りしていようとも、解決の視点に立てば、因果の真相は定まってくる。「仕事に精を出す→儲かる」、「店を開ける→客が来る」というように、自力可能なほうを因にするしか対策はない。


「君が強引な営業をするから、客が逃げたんだぞ!」
「すみません。でも、客が逃げようとしたから、強引になったまでです」
「屁理屈を言うなよ。強引だから逃げた? 逃げようとしたから強引になった? 順番なんてどうでもいい。君が強引になり、客が逃げたことだけは事実なんだ」
「因果関係も見てくださいよ」
「そんなことは、いつまで議論しても、所詮ウサギとカメの関係だ」
「課長、お言葉ですが、それも言うならニワトリとタマゴの関係じゃないですか」
「…………」

堂々巡りはアタマの悪さによって生じるものである。この種の因果にかかわる会話や議論には必ず滑稽さがともなう。  

ドンブリ勘定の総論

「人のふり見てわがふり直せ」とつくづく思い知った次第である。正しく言い換えれば、「人のコメントを聞いてわがコメントを直せ」となる。昨日の話だ。

民主党による政権交代が確実になった情勢を受けて、ある経営団体のトップが「今年3月、7月と中堅中小企業は(この経済状況の中を)何とか乗り切ってきた」とコメントしていた。前後関係の文脈に意味があったのかもしれない。だが、この人のこの視点はマクロ的でありコメントは総論であった。こういう言い方が可能であるならば、どんなに困難な局面にあっても中堅中小企業は「いつの時代も」何とか乗り切ってきたと言えるではないか。

まるで草食動物が何とか生き延びてきたと述懐しているようである。地球上に生まれてこのかた草食動物は滅んでいない。たしかに生き延びてきた、総体としては。「いつの時代」も命を絶やさなかった。個体は次から次へと没しては新しい命へとリレーして、総体として今に残ってきた。だが、今年に限っても、アフリカの草原で肉食動物の餌食になった草食動物の個体はいくらでもいるはずだ。草食動物というグループ概念がびくともしないからと言って、少なからぬ個体が肉食動物の胃袋の中に消えたのは疑いえない事実である。

比喩が一人歩きをするとまずいから、話を中堅中小企業に戻そう。ぼくの会社――れっきとした中小企業――は、お説の通り、たしかに何とか乗り切ってきた。今のところは、幸いにして総論でくくられた一員である。だが、総論コメントは「乗り切れなかった中堅中小企業」にまったく配慮していない。中堅中小企業総体としての種は存続しているが、少なからぬ企業が乗り切りに失敗しているのが実情なのだ。


「中堅中小企業は何とか乗り切ってきた」という総論的概括は、個体に目を向けてはいない。そもそも総論とは各論の対義語なのであるから、各々おのおのに関与することはないだろう。今年に入っての倒産企業が全体の何パーセントか知らないが、まさかこれらの企業も含めたうえで「何とか生き残った」はない。とすれば、例のトップは「何パーセントかの生き残れなかった企業」を知っていて、なおかつ生き残り組から除外してコメントしたのだ。総論でさらりと片付けてしまうとはあまりにもひどい話だ。

国家にとっても、経済団体にとっても、「生き残り」は総論扱いで済ませてしまえばいいテーマのようだ。他方、中堅中小企業の各社にとっては、自社の問題であり各論課題なのである。各論で語ってほしいと待ち受けている人間に総論をぶつけるのは無神経であり冷酷だ。とりわけ倒産した企業にはたまらぬコメントになったに違いない。

「総論よりも各論」を心得としているぼくだが、他山の石とせねばならない一件ではある。マクロに語ったり一般論を唱えたりする時、論理的な誤謬に気をつけるのはもちろんだが、もっとたいせつなのは特殊や個別への思いやりである。「昨年来の金融不安の影響を受けた中堅中小企業。それぞれに企業努力を重ねたものの、緊急対策も功を奏さず、息絶えた企業も少なからずあります」。少なくともこの一言を添えてから総論を述べるだけの感受性を持ち合わせるべきだろう。 

プロ顔負けの健康談義

会読会が開かれる土曜日の午後、少し自宅を早く出て会場の二駅手前で地下鉄を降りた。古本探しのためである。二駅の区間を歩くというと驚かれるが、さほどでもない。ふだんの休みの日には自宅からこのあたり、さらにはもっと遠方まで歩くことがあるので、45駅分の距離を往復していることになる。古本屋でいい本を二冊見つけた。まだ時間がある。ぶらぶらと会場近くまで歩き、以前何度か来たことのある喫茶店に入った。自家焙煎の豆なので、ここのアイスコーヒーはコクがあって味わい深い。買いたての本を少し読み始めた。

ぼくの左手、テーブルを二つほど置いて一人の女性客がいる。男性が店に入ってきて、先に来てタバコをふかしているその中年女性の前に座った。その後の会話でわかったのだが、夫婦である。いま「その後の会話」と書いたが、別に聞き耳を立てていたわけではない。ぼくが手に取っている本の内容よりも、ご両人の展開のほうがずっとテンポよく、しかも遠慮や抑制もほとんどなく談義を進めていくので、こっちは読書どころではなくなったのである。

夫がコーヒーを注文し、まもなく会話が始まった(妻の前には一冊の本が置かれている。会話の流れから、それは健康に関する本に間違いない)。妻のほうが切り出した。「やっぱり、水。水が決め手」。「水を向ける」とはよくできた表現だとつくづく思った。この妻の一言が「誘い水」になって、健康談義は縦横無尽に広がった。もしかしてこの二人は夫婦などではなく、医師とサプリメントの専門家なのではないかと疑ってしまう始末だった。


塩の話。かつて天然の粗塩を使ってきたのに、日本人が戦後摂取してきた塩はダメ。食塩の主成分である塩化ナトリウムがよくなかった。次いで硬水の話。さらにはマグネシウムの話。死にそうになっている金魚を起死回生で元気にさせる話。やがて「血管学」に至っては、もはや聞きかじりというレベルを超えた専門性を帯びている。この二人はつい最近何かのきっかけで健康に関心を抱いたのではなく、相当年季が入っていると見た。なお、二人ともあまり健康そうには見えない。

そう言えば、昔そんな人が一人いた。ある得意先での企画会議。会議がずっと続き、昼食休憩の時間も惜しいのでコンビニで弁当を買ってきた。ところが、話を続けながらも、一人だけ弁当に箸をつけない人がいる。外部スタッフの彼は、「この弁当の添加物はよくない」と言った。「健康のためですから」とも付け加えた。「健康のためなら死んでもいい」というギャグを思い出す。手段と目的が混同し、本末転倒を招いてしまう何かが「健康問題」には潜んでいる。なお、この彼も健康とはほど遠く、いかにも病的に映った。

さて、喫茶店の談義はさらに熱を帯びる。時々妻がテーブルに置かれた本を手にしてペラペラめくる。同意したり反論したりしながら、どうやら二人が落ち着いた先――健康の決め手――は硬水のようである。こういう会話の流れは何かに似ている。しばらく考えて、わかった。競馬談義にそっくりなのである。あの馬だ、この馬だと議論し、専門的なデータを交換し、やがて二人はある馬を本命に指名する。めでたし、めでたし。ところで、「健康志向の強い人間はユーモア精神に乏しい」というのがぼくの確信である。

イタリア紀行53 「アルケオバス二周目」

ローマⅪ

アッピア街道を巡るアルケオバスは、停留所で手を上げて乗車し、降りたい場所をサインで知らせる、「ストップ・アンド・ゴー方式」。サン・カッリストのカタコンベで下車して軽く見学。バスは20分毎に来る。再乗車してチェチーリア・メテッラの墓で下車する。復路はまったく同じではないが、牧歌的な風景の中、狭い道路も勢いよくアルケオバスは走り抜ける。このまま終点のテルミニ駅まで行くか、それともカラカラ浴場あたりでもう一度下車するか……。

迷うまでもない。ポケットに入っているのは一日乗車券である。当時はユーロ高につき、バス代13ユーロは2100円くらい。結構な料金である。アッピア街道を一周して、はいおしまいではもったいない。というわけで、復路の途中、カラカラ浴場の停留所で降りることにした。テレビや雑誌の古代ローマ特集では必ず取り上げられる遺跡。カラカラ帝によっておよそ1800年前に築造された。内部見学するかどうかしばし思案したが、意外に広大なのであきらめた。ややロングショットに眺めても見応え十分である。

ふと耳を澄ませば、遠くから鐘と太鼓の音が聞こえてくる。赤っぽい衣装に身を纏って行進する人たちが見えてきた。やがてカラカラ浴場外壁前の緑地帯までやって来て行進が止まる。どうやら小休止のようである。聞けば「ローマ文化保存協会」会員によるPR・啓発パレードであった。所望すれば、生け捕った敵に見立てて短剣を首に突きつけて撮影シーンを演出してくれる。

カラカラ浴場からアルケオバスに再乗車して、アッピア街道を見納めようともう一巡りすることにした。不思議なもので、一周目にはあまり視界に入らなかった風景や、ロムルスの廟、チェチーリア・メテッラの墓などがしっかりと見えてくる。街道沿いの遺跡は半壊したり劣化しているが、チェチーリア・メテッラの墓はよく整った建造物の佇まいを今に残している。春を告げるミモザを眺め、さわやかな風を受けながらの二周目。復路は真実の口経由で終着点のテルミニ鉄道駅まで乗り続けた。

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カラカラ浴場の外壁。
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緑地帯を挟んで見渡す遺跡は古代を偲ばせる。
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アッピア街道沿いのの光景。
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マクセンティウス帝が息子ロムルスのために造営した廟。
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チェチーリア・メテッラの墓の前の古代街道。
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古代ローマ軍人や当時の市民の衣装を纏った保存協会員たち。

話すことと考えること

シネクティクスという創造技法がある。本格的な実施方法について語る資格はない。おおよそ説明すると、あるテーマについてコーディネーターが数人のメンバーを対象に質問を投げ掛け、「イメージ優先」でアイデアを引き出していく。まるで何のよう? と尋ねたり、それと反対のものは? と聞いてみる。参加者は前言者の意図を汲んだり思い切ってジャンプしたりと縦横無尽……。精度の高さを求めるような深慮遠謀を極力避けて、やや軽薄気味にアイデアの量を求める。

この技法を実践するにあたって「考える前に話せ」という心得がある。〈話す前に考えるのは批評のモットー、考える前に話すのが創造のモットー〉というのがそれだ。もちろん、この話はシネクティクスだけに限らない。どこかの国の大臣のように、無思考で舌を滑らせるのは論外だが、「下手の考え休むに似たり」という謂もある。よい知恵もなくムダに考えるくらいなら、とにかく話してみようではないか――これがシネクティクスの精神。「下手なトークも数打てば当たる」に近い。

「話すと考える、どっちが先?」というテーマについては以前も取り上げた。このことに関しては定期的に書いて考えている。そうせざるをえない状況に最近よく遭遇する。そもそも話すことと考えることを切り離すことはできないし、「後先の関係」に置くことすらできない。ことばに結晶化していないうちは、考えはボンヤリとしてつかみどころのないものであって、ことばにして初めて概念や意味や筋道の輪郭がはっきりしてくる。つまり、ことばにするからこそ思考が体感できると言い換えてもいい。もちろん異論、異見はあるだろう。


クオリアのような鮮明な感覚とは違って、脳内で生起しうごめいている思想や概念はなかなかあらわになってくれない。たとえば、ぼくは今キーボードを叩いて文章をしたためている。すでにタイトル欄には「話すことと考えること」と書き入れた。だから書くべきテーマはわかっているつもりである。上記の三つの段落もだいたいイメージしていた通りに綴ってきて、この段落に至っている。但し、論理・筋道は、書く前よりも書き上がってからのほうが確実にはっきりしている。全文書き終わってから推敲してみるので、さらに自分の考えていることを明瞭に確認できるかもしれない。

話し書くことに高いハードルを感じている人たちがいる。能力があるのにもったいないと思う。話すことでも書くことでもいい、中途半端に考えている暇があったら、とにかく話し始め書き始めればいいと助言したい。少々の粗っぽさや言い間違い・書き間違いくらい構わないではないか。まず話し書くことのフットワークを軽くしてみるのだ。音声にしても文字にしても不思議なもので、口をついて出る情報やペン先から滲み出す情報が思考を触発してくれる。それが稀ではなく、頻繁に起こる。

ネタがなければ考えられない。そう、思考の源泉は情報である。見たり聞いたりして外部から入ってくる情報が刺激を与えてくれる。しかし、情報のことごとくが外部からやって来るわけではない。自分のアタマの中にだって大量の情報がストックされている。だから、音声を発したり文字を書いてみれば、その行為が内なる情報を起動させ、その情報からことばが派生して思考を形づくってくれるものなのだ。無為に考えても時間が過ぎるばかり……。そんなとき誰かに話しかけてみる、あるいは紙にペンを走らせてみる。中毒症状が出てくるほど、「考える前に話し、考える前に書く」を実践すればいいのである。

読ませ上手な本、語らせ上手な本

およそ二ヵ月半ぶりの書評会。前回から今回までの間にまずまず本を読んでいて30冊くらいになるだろうか。研修テキストの資料として読んだものもあるが、自宅か出張先や出張の行き帰りに通読したのがほとんど。総じて良書に巡り合った、いや、良書を選ぶことができた。読者満足度80パーセントと言ってもよい。

先週から9月下旬の大型連休まで多忙だ。だから、書評会のためにわざわざ何かを選んで読むのではなく、最近読んだ本から一冊を取り上げて書評をすればよいと楽観していた。ところが、書物には「読ませ上手」と「語らせ上手」があるのだ。読ませ上手な本とは、読んで得ることも多かったが、別に他人に紹介するまでもなく、また、ぼくほど他人は啓発されたり愉快になったりしないだろうと感じる本。他方、語らせ上手な本とは、批判しやすい本、賛否相半ばしそうな本、読後感想に向いている本、一般受けするさわり・・・のある本である。残念ながら、この二ヵ月ちょっとの間にぼくが読んだ大半は書評向きではなかった。

先々週のこと、友人が“The Praise of Folly”という英書を送ってきて「一読してほしい」と言う。なぜ送ってきたかの子細は省略するが、これにしようかとも思った。種明かしをすると、この本はエラスムスが16世紀初めに書いた、あの『痴愚神礼賛』(または『愚神礼賛』)である。送ってきた友人はそうとは気づかなかったようだ。この忙しい時期に300ページ以上の原書、しかも内容はカトリック批判。読みたくて読むのではないから疲弊する。だが、ぼくはこの本の内容をすでにある程度知っている。全文を読んだわけではないが、いつぞや和訳された本に目を通したことがあるからだ。A4一枚にまとめて10分間書評するくらいは朝飯前だろう。


しかし、やっぱりやめた。わくわくしないのである。ぼくがおもしろがりもしない本を紹介するわけにはいかない。ふと、先々週に上田敏の『訳詩集』を久々に手に取って気の向くままに数ページをめくったのを思い出す。スタッフの一人に薦めて貸したのだが、尋ねたら、まだ読んでいないとの返事。いったん返却してもらうことにした。この詩集は英語を勉強していた時代に愛読していたもの。原文の詩よりも上田敏の訳のほうがオリジナリティがあって、名詩を誉れ高い語感とリズムで溢れさせている。なにしろロバート・ブラウニングの平易な短詩をこんなふうに仕上げてしまうのだから。

The year’s at the spring,
And day’s at the morn;
Morning’s at seven;

The hill-side’s dew-pearl’d;
The lark’s on the wing;
The snail’s on the thorn;
God’s in His heaven―
All’s right with the world !

時は春、
日はあした
あしたは七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀あげひばりなのりいで、
蝸牛かたつむり枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

上田敏を知っている人は少ないだろうから、代表的な訳詩を三つほど紹介して、ついでに英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語に堪能な語学の天才で、驚くべき詩的感性と表現力の持ち主であるとエピソードを語ればよし――となるはずだった。しかし、この本はぼくが決めたルールに抵触することに気づいた。書評会では文学作品はダメなのである。がっかりだ。

それで、20年以上前に読んだ本を書棚から取り出して再読した。まだ書評は書いていない。この書物の価値は異端発想の考察にある。「一億総右寄り」とまでは言わないが、昨今の世情に対して少しへそ曲がりな発想をなぞってみるのもまんざら悪くはないだろう。いや、そんなイデオロギー的な読み方はまずいかもしれない。ところで、あと二日と迫った書評会だが、ぼくはほんとうにこの本に決めるのだろうか。もしかすると、仕事が順調に進んで時間に余裕ができたら、変えてしまいそうな気がする。

時間の不思議、不思議の時間

時計を見て、「午後3時」と確認する。別に何時でもいい。毎日何度か時計を見る。いったい何を確認しているのだろうと思う時がある。そうなると少しまずいことになる。

二十歳前後を最初に、数年に一度の割合で「時間とは何か」に嵌まってしまう。誰もが一度は宇宙や人生に思いを巡らすらしいが、考えているうちに脳に何がしかの異変が起こるのを感じるはず。若い時に脳のキャパシティ以上の難しい命題を多く抱え込まないほうがいい。とか言いながら、若気の至りのごとく、ぼくはかつてその方面に足を踏み入れてしまった。そして、宇宙や人生以上にぼくの頭を悩ませたのが、この時間というやつである。しかも、宇宙や人生とは違って、時間を意識することなしに日々を過ごせない。

時間は曲者である。歴史上の錚々たる哲学者が軒並み「不思議がった」のだ。ぼくの齧った範囲ではカントもフッサールもハイデガーも時間の不思議を哲学した。ずっと遡れば古代ギリシアのヘラクレイトスが、「時間が存在するのではなく、人間が時間的に存在する」と言った。少し似ているが、「人間が存在するから時間が存在する」とアリストテレスは考えた。そして、時間特有の自己矛盾のことを「時間のアポリア」と名づけた。アポリアとは行き詰まりのことで、難題を前に困惑して頭を抱える様子を表わしている。それもそのはず、時間という概念は矛盾を前提にしているかもしれないからだ。

〈今〉はあるのだが〈今〉は止まらない。感知し口にした瞬間、〈今〉はすでにここにはない。では、いったい〈今〉はどこに行ったのか、どこに去ったのか。それは過去になったと言わざるをえない。では、過去とは何なのか、そして未来と何なのか……という具合に、厄介な懐疑が次から次へと思考する者を苦しめる。途方に暮れるまで考えることなどさらさらない。だからぼくたちは疲れた時点で思考を停止すればよい。だが、世に名を残した哲学者たちはこの臨界点を突き進んだ。偉いことは偉いのだが、思考プロフェッショナルならではの一種の「意地」だとぼくは思っている。


ちっぽけな知恵で考えた結果、今のところ(と書いて、すでに今でなくなったが)、未来に刻まれる時間を感覚的にわかることはできないと考えるようにした。未来を見据える時と過去を振り返る時を比べたら、やっぱり後者のほうが時間を時系列的に鮮明に感知できているからである。そして、どんな偉い哲学者が何と考えようと、ぼく自身は「時間は〈今〉という一瞬の連続系」と思っている。〈今〉という一瞬一瞬が積まれてきたのが現在に至るまでの過去。過去を振り返れば、その時々の〈今〉を生きてきた自分を俯瞰できるというわけだ。未来にはこうしたおびただしい〈今〉が順番に並んで待ち構えていると想像できなくもない。

もちろん、感知できている過去は脳の記憶の中にしかない。記憶の中で再生できるものだけが過去になりえている。記憶の中にある過去に、次から次へとフレッシュな〈今〉が送られていく。時間の尖端にあるのは現在進行形という〈今〉。それは、一度かぎりの〈今〉、生まれると同時に過去に蓄積される〈今〉である。ぼくたちは、過去から現在に至るまでの時間を時系列的に感知しながら生きていると言える。なお、記憶の中にある過去は体験されたものばかりではない。知識もそこに刻まれている。

もうこれ以上考えるとパニックになりそうなので、都合よくやめることにする。まあ、ここまでの思考の成果を何かに生かそうと思う。人生における〈今〉は一度しかなく、誕生と同時に過去になる――これはまるで「歴史における人生」の類比アナロジーではないのか。こう考えてみると、月並みだが時間の価値に目覚めることになる。いや、煎じ詰めれば〈今〉の意味である。つまらない〈今〉ばかりを迎えていると、記憶の中の過去がつまらない体験や情報でいっぱいになる、ということだ。