時間の不思議、不思議の時間

時計を見て、「午後3時」と確認する。別に何時でもいい。毎日何度か時計を見る。いったい何を確認しているのだろうと思う時がある。そうなると少しまずいことになる。

二十歳前後を最初に、数年に一度の割合で「時間とは何か」に嵌まってしまう。誰もが一度は宇宙や人生に思いを巡らすらしいが、考えているうちに脳に何がしかの異変が起こるのを感じるはず。若い時に脳のキャパシティ以上の難しい命題を多く抱え込まないほうがいい。とか言いながら、若気の至りのごとく、ぼくはかつてその方面に足を踏み入れてしまった。そして、宇宙や人生以上にぼくの頭を悩ませたのが、この時間というやつである。しかも、宇宙や人生とは違って、時間を意識することなしに日々を過ごせない。

時間は曲者である。歴史上の錚々たる哲学者が軒並み「不思議がった」のだ。ぼくの齧った範囲ではカントもフッサールもハイデガーも時間の不思議を哲学した。ずっと遡れば古代ギリシアのヘラクレイトスが、「時間が存在するのではなく、人間が時間的に存在する」と言った。少し似ているが、「人間が存在するから時間が存在する」とアリストテレスは考えた。そして、時間特有の自己矛盾のことを「時間のアポリア」と名づけた。アポリアとは行き詰まりのことで、難題を前に困惑して頭を抱える様子を表わしている。それもそのはず、時間という概念は矛盾を前提にしているかもしれないからだ。

〈今〉はあるのだが〈今〉は止まらない。感知し口にした瞬間、〈今〉はすでにここにはない。では、いったい〈今〉はどこに行ったのか、どこに去ったのか。それは過去になったと言わざるをえない。では、過去とは何なのか、そして未来と何なのか……という具合に、厄介な懐疑が次から次へと思考する者を苦しめる。途方に暮れるまで考えることなどさらさらない。だからぼくたちは疲れた時点で思考を停止すればよい。だが、世に名を残した哲学者たちはこの臨界点を突き進んだ。偉いことは偉いのだが、思考プロフェッショナルならではの一種の「意地」だとぼくは思っている。


ちっぽけな知恵で考えた結果、今のところ(と書いて、すでに今でなくなったが)、未来に刻まれる時間を感覚的にわかることはできないと考えるようにした。未来を見据える時と過去を振り返る時を比べたら、やっぱり後者のほうが時間を時系列的に鮮明に感知できているからである。そして、どんな偉い哲学者が何と考えようと、ぼく自身は「時間は〈今〉という一瞬の連続系」と思っている。〈今〉という一瞬一瞬が積まれてきたのが現在に至るまでの過去。過去を振り返れば、その時々の〈今〉を生きてきた自分を俯瞰できるというわけだ。未来にはこうしたおびただしい〈今〉が順番に並んで待ち構えていると想像できなくもない。

もちろん、感知できている過去は脳の記憶の中にしかない。記憶の中で再生できるものだけが過去になりえている。記憶の中にある過去に、次から次へとフレッシュな〈今〉が送られていく。時間の尖端にあるのは現在進行形という〈今〉。それは、一度かぎりの〈今〉、生まれると同時に過去に蓄積される〈今〉である。ぼくたちは、過去から現在に至るまでの時間を時系列的に感知しながら生きていると言える。なお、記憶の中にある過去は体験されたものばかりではない。知識もそこに刻まれている。

もうこれ以上考えるとパニックになりそうなので、都合よくやめることにする。まあ、ここまでの思考の成果を何かに生かそうと思う。人生における〈今〉は一度しかなく、誕生と同時に過去になる――これはまるで「歴史における人生」の類比アナロジーではないのか。こう考えてみると、月並みだが時間の価値に目覚めることになる。いや、煎じ詰めれば〈今〉の意味である。つまらない〈今〉ばかりを迎えていると、記憶の中の過去がつまらない体験や情報でいっぱいになる、ということだ。 

軽はずみなお愛想や同調

ずいぶん昔のことなので、誰かから教わったのか書物で読んだのかよく覚えていない。店で食事をして客のほうから「お愛想あいそ」と会計を求めてはいけないという話。そのわけは「金を払うから、さあ愛想しろ」ということになってしまうから。つまり、お愛想は店側のことばであって、客側のことばではない。客は「ご馳走さま。お勘定してください」というのが礼儀である――このように聞いたか読んだかした。ぼく自身は、自前で外食をするようになってからは「お愛想」と言ったことはなく、いつも「お勘定してください」だ。

もともとは「お食事中に会計のことなど持ち出すのは、まことに愛想づかしなことですが……」という常套句が転じて、会計のことをお愛想と呼ぶようになった。さて、ここで取り上げたいのは寿司店や居酒屋でのお勘定マナーではなくて、日々のコミュニケーションでの「相手の機嫌をとるためのお愛想」にまつわる話である。

誰かの「こうしたらどうだろう?」との提案に無検証のままイエス反応を示す「お愛想人種」が目立ってきた。いや、昔からこういう連中のことを「茶坊主」などと呼んで小馬鹿にしてきた経緯がある。だが、茶坊主には目的があった。そこには力関係のようなものが働いていて、意に反してでも人間関係を維持するために迎合役を演じていた。気になるお愛想人間のほうは無思考なのである。無思考ゆえに対話にすらならない。力関係などまったく働いていないし気にもかけていない。にもかかわらず、彼らはただ単に相手の機嫌を取って軽はずみに同調するだけ。そして、パブロフの犬のように無条件に反応するのみ。


同調ということば自体に悪い意味はない。調子や波長を極力同じにしようと努めるのはコミュニケーション上決してまずいことではない。だから「軽はずみな」と修飾しておく。軽はずみな同調とは、他人の意見に自分の意見を無理やり一致させることだ。本心はノーまたは「ちょっと待て」なのである。にもかかわらず、お愛想を振りまいて御座なりに場をやり過ごす。

イエスとノーが拮抗して選択の岐路で迷ったら、「とりあえずノーを表明して検証してみよ」とは、交渉や議論においてよく言われることだ。誰にも経験があるだろうが、軽はずみにイエスで安受けしたのはいいが、後日ノーに変えるのは大変だ。イエスをノーに変えるエネルギーに比べれば、ノーをイエスに変えるのはさほど問題ではない。早めのノーはつねに遅めのノーよりも有効であり、免疫効果も高い。

もちろんノーにはとげがある。誰だって「ノー」と突きつけられて気分のよいはずはない。自分がそうなると嫌なので、軽はずみな同調者は棘を避ける。最初は人間関係に棘をつくりたくないと意識してお愛想をしていたはずだ。ところが、このお愛想を何年も繰り返しているうちに、棘を刺したり刺されたりの経験から遠ざかり、やがては無意識のうちに「はい」とか「いいですね」と無思考・無検証同調をしてしまうようになる。あとはダンマリを決めこむ。ダンマリの数歩向こうには黙殺・無視があり、棘どころではない苦痛をともなう残酷な人間関係が待ち受けている。そのことに彼らは気づいていない。  

イタリア紀行52 「アッピア旧街道へ」

ローマⅩ

雨が多かったこの年のローマ。あまり天気予報も当たっていなかったような気がする。ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂見学の日は雨時々曇。コロッセオ見学の日も強めの雨。その翌日のオルヴィエートへの遠出は運よく晴天だったが、翌日の日曜日は再び雨。残る二日のうち月曜日にアッピア旧街道へ行くことにした。朝方の雨が止み好天になった。最終滞在日の火曜日は雨と雷で散々な日だったので、結果的にはラストチャンスだった。

アパートからゆっくり20分ほど歩いてナヴォナ広場へ。この一角に〔i〕のマークのついた観光案内所を探す。アッピア旧街道を巡るアルケオバス(archeobus)の切符を買うためだ。小ぶりなブースのような案内所にはすでに女性スタッフが一人いた。ドアには鍵がかかっている。ドアの前に立ったぼくに気づかない。ドアをトントンと叩いた。こっちに顔を向けたので「アルケオバスのチケットを買いたい」と言いかけたら、口を開こうとするぼくを制して、壁の時計を示し「まだ営業時間じゃない」とジェスチャー。「では、どこで買い求めればいいのか?」と聞こうとしても、あとは知らん顔で取り付く島もない。

皆がみなこうではないが、公務員や観光関係にはつっけんどんな女性が目立つ。一見さんには愛想のよくない振る舞いをするという説、クールに規則に従っているだけという説、いやイタリア女性は見た目は強そうだが、実はシャイなのだという説……いろいろあると聞いた。にこにこ顔のホスピタリティが目立ってしまうイタリア人男性だが、あくまでも女性と対比するからそう見えるのであって、イタリア人には男女ともに人見知りの傾向が強い。

しかたなくアルケオバスのルートになっているヴェネツィア広場の停車場へ行く。乗り放題一日券が13ユーロ(これが通常料金。ガイドブックには8ユーロと書いてあったが、何がしかの優待カード所有者のみ適用らしい)。しばらく待つと黄緑色のバスが来た。乗車時に配られるイヤホンで8ヵ国語のオーディオガイドが聞ける。固有名詞チェックも兼ねて、とりあえずイタリア語にチャンネルを合わせた。アルケオバスは真実の口の広場からチルコ・マッシモを経てカラカラ浴場へ。乗車時に少し会話を交わしたぼくと同年代の日本人男性は早速ここで下車した。

彼のように丹念にバスの乗降を繰り返し、そこに旧跡見学と散策を交えるのが正しいアッピア旧街道の辿り方なのだろう。あるいは、思い切ってレンタサイクルを借りて、まだ石畳がそのまま残っている旧街道を巡ってみればさぞかし満喫できるかもしれない。ぼくはと言えば、地下墓地(カタコンベ)や教会・聖堂などよりも、原始的な街道を紀元前312年から改修し延伸して敷設したこの旧街道そのものをこの目で見たかった。だからバスの周回だけで十分だったのである。それでもなお、衝動的に何度か途中下車することになった。

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城壁跡のサン・セバスティアーノ門をくぐると牧歌的風景が広がる。サン・カッリストのカタコンベ(墓)近辺。
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風景をそのままなぞるだけで絵になりそうな光景が続く。
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標識の“appia antica”が「アッピア旧街道」を示す。

商店街の敗北が意味すること

仕事柄出張が多い。行動エリアは縮まったものの、数年前までは「北は北海道から南は沖縄まで」だった。たいてい懇親を兼ねた食事会があるので、その後にホテルにチェックインすることもある。余裕があれば別だが、翌朝はなるべく早い時間に帰阪する。研修が23日になる場合は、毎日の研修後はだいたいフリーである。いったんホテルに戻ってから、ぶらりと夕食に出掛ける。一人ではアルコールを口にしないので、食事のみ。ついでに軽く散策してみる。

15年くらい前までは、珍しいご当地名産の土産を買っていた。しかし、荷物が重くなったり増えたりする。また、せっかく買って帰ったのに、よく似た物産が大阪でも売っていたということが後日わかる。どこの名産かは書かないが、ちょっと名の知れた珍味が住まいの近くのスーパーで売られていた時は、もう二度と土産を買うまいと誓ったものだ。自分で買うのは今では弁当だけになった。

便利な駅前のホテルに滞在するので、必然交通量の多い駅周辺を歩くことになる。そして、少し歩けば、どこの街にもたいてい「商店街らしき」風情が見えてくる。残念ながら、「これぞ商店街!」と格付けできる通りや一角にはめったに出くわさない。たいていは「半商店街」であり、よく言われる「シャッター商店街」であり、まだ午後7時だというのにアーケードが薄暗い「消店街」である。がいよりも「骸」と表わすほうがピッタリだ。


商店連合会も個々の店の主人も好き好んで落ちぶれさせたはずがない。しかし、勝手に沈滞化したわけでもないだろう。近くにスーパーができたり市街地から離れた郊外にショッピングモールが立地したりという環境の変化は理解できる。だが、大手の競合他店が出店したから寂れてしまったなどという因果関係は成立しないし、そんな言い訳をしながらしかめっ面して商売してもマイナスオーラを醸し出すだけだ。外的な不利係数をいつまでも放置しておくから、問題はいっこうに解決しない。

シャッター商店街は何に負けたのか? 別のプロフェッショナルに負けたのだが、実は「自分に負けた」。具体的に言うと、伝統的な「買物の楽しさと会話」が、現代的な「時間効率と無言」に負けたのである。相手が強くて負けたのではない。自らの強みを喪失してしまったのだ。それゆえに、この敗北は決定的な終焉を意味しない。つまり、首の皮一枚の危うさかもしれないが、再生可能なはずである。

スーパーやモールにないものを見直すべきなのだ。長く延びたアーケード、通路を隔てて左右に店舗が並ぶ。これこそが、巨大な立方体の空間を四角く区切った大型店にない構造である。この構造が原点だから、まずそこに戻る。しかし、最大の構造問題は店主である。商店街からスーパーやモールへとショッピング習慣を変えた人々は異口同音につぶやく。「スーパーの品物と同じ、しかも割高」、「無愛想」、「品揃えがすくない」……ここにすべてのヒントがある。

商店主はこう言う、「お客さんが来ないから店を閉める(7時頃)」と。お客は言う、「(7時半頃に行ったら)すでに閉まっている」。選択は一つあるのみ。顧客の声を優先して店を開けておく。次に、スーパーにない商品を揃える(少々割高でもよい)。自店の商品だけでなく、他店の商品も勉強する。そして何よりも、愛想と会話だ。高齢化など関係ない。愛想と会話が空気を変える。少数の元気な商店街はそうして生き残っている。  

想定が現実を待っている……

とても不思議な感覚を引きずっている。この違和感はぼくだけのものなのか、あるいはそんな印象を受けた人が他にもいるのだろうか。先週のあの静岡を襲った震度6弱の地震に関してだ。「これは東海大地震ではない」と専門家が言うのである。と言うか、断言するのである。東海大地震はマグニチュード8を想定している、今回の地震はそんな規模ではない、ゆえに「東海大地震はまだ起きていない」。

現実に存在するかどうかわからないけれど、欲しいシャツがあり、そのイメージもはっきりしているとき、いま店で品定めをしているシャツを「これは違う」ということはありうる。「理想があって、その理想に適わない現実」という構図なら頷けるのだ。しかし、地震はシャツではない。「欲しいシャツ」を探すように、誰も地震を待望しているわけではない。「未来に起こるであろう〈X〉」の基準を人間が勝手に規定して、「現実に起こっている〈Y〉」がその基準を満たしていないから、このYは失格と断じているかのようだ。

YXではない」と聞けば、YXに照合した結果、YXに合致していなかった――ふつうこのように解釈する。このとき照合したXは過去のデータでなければならない。簡単な例を挙げれば、「これはペンではない」と言う時、展開は「これをいろんなペンと照合したけれど、ペンらしき痕跡はない、ゆえにペンではない」のはず。ペンは過去または現在に存在していなければ照合することができない。現実を未来と照合するとは、ぼくたちのちっぽけな経験則をはるかに超越している。


地震予知の世界ではこんなふうに表現するものかと納得するしかないのか。だが、くどいようだが、「東海大地震」を「ほぼ確実に想定できるゴール」として設定している。そして、震度6弱のあの地震はまだゴールに達してはいないと結論する。モノが字義に追いついていない、あるいは現実が想定に追いついていない。ひいては、想定のほうが先に行って東海大地震を待っている状況……。

理念が行動を待っている。刑法が事件を待っている。予知が大地震を待っている。何か変ではないか。棒高跳びのバーが5メートルの位置にあって、それを跳べなかったから「失格」みたいになってはいないか。棒高跳びのバーはぼくたちに見えている。それがゴールであり一つの基準なのだ。だから、それをクリアしなければ当然失格――この言い回しには何の問題もない。

地震は見えない。しかも未来形なのである。それを予知して、その時点から逆算して、現実に発生する地震に「ブー」とハズレを示す。「来たぁ~、これだ、ピンポーン」といつかなるのだろうが、それは地震を予知できたことになるのか。現実が想定に追いついてピンポーンかもしれないが、関係者の予知に関しては「ブー」ではないか。思うに、「予知」に毒されているから、「これは東海大地震ではない」という違和感のある言い回しになってしまっている。ところで、こんな違和感を抱くのは、ぼくの感覚のほうが「揺れている」からだろうか……。  

マニフェストで見えないもの

政権公約よりも「マニフェスト」が常用語になった。流行語大賞に輝いたのが2003年。流行語だけに終わらず何とか定着したのをひとまず良しとすべきだろう。それでもなお、政党がマニフェストを公表したからと言って、大騒ぎするほどのことはない。政治を司るプロフェッショナルとして第一ステップをクリアしたという程度のことである。

企画の仕事をしていれば、「企画書」は一種の義務であり必須の提言である。なにしろ、企画書の一つも提出しないで仕事をもらえるわけがない。企画書は「これこれのプランを実施するとこれこれの成果が得られるであろう」という蓋然性を約束するもので、一種のマニフェストと呼んでもさしつかえない。あくまでもシナリオで、「こう考えてこう実行していく」という意思表明であって、「絶対成功」の保証はない。無責任な言いようかもしれないが、やってみて初めて成否がわかるものだ。

研修講師も、たとえばぼくの場合なら「ロジカルコミュニケーション研修」や「企画研修」の意図・ねらい(期待できる効果)・概要・タイムテーブルを事前に提出する。これも特定団体に向けたマニフェストである。空理空論はまったく通用しない。具体的に、二日間なら二日間の、講義と演習の想定プログラムをしっかりとしたため、それが円滑に進むべく運営しなければならない。政党と違って講師は一人だ。マニフェストと党員である自分の考えに「若干のニュアンスの違いがある」などと言って、逃げることはできない。責任者は自分だけである。ステージが違いすぎる? そんなことはない。何事も一人でやり遂げるのは尊いことだ。


政権公約検証大会なるものが開かれて、8団体が議論をしてコメントを出した。小説や論文の「評論」みたいなものである。自民・民主ともに「構想力が欠如」と批判されている。団体のご意見を丸々素直に受け止めたら投票に出掛ける気にはなれない。いやいや、選挙民にとっては、両党プラス他党のマニフェストに目を通せばいいわけで、評論に敏感になる必要はない。何よりもまずぼくたちは原文の小説や論文を読むべきであって、最初に評論に目を通すべきではない。仕事上は上司や得意先の顔色を見なければいけないが、マニフェストの吟味は、誰の影響も受けずに自分の意見を構築できる絶好の機会ではないか。

しかし、マニフェストは政党の政権公約である。政権公約とは、政権を握るという前提の公約である。政権が取れなければ、大半の公約内容は実現しにくいだろう。政権党に反対しながら政権取りに失敗する党が公約を果たせるのは、その政権党と一致する政策においてのみという皮肉な結果になる。さらには、政党の公約であって個人の公約ではないから、マニフェストから個人の力量なり人物を判断するのは困難である。結局、政治家個人を知ることができるのは、従来からのファンであり、その個人に近しい有権者に限られる。

四年前の総選挙で敗れたある候補者。今日からリベンジをむき出しにして立ち向かう。その候補者の周辺筋から聞いたところによると、前回の選挙に負けた直後、大声で有力支持者を叱責した。「お前の運動が足らんから、こうなったんだ!」と怒鳴り倒したらしい。皆がみなそんな下品な言を吐かないと思うが、十人中二、三人はやりそうである。怒鳴るからダメと決めつけられないし、マキアヴェッリもつべこべ言わないだろうが、その程度の度量でも政治に携われてしまうのが情けない。マニフェストで見えない「人間」にどう判定を下すか――ぼくはこちらへの意識のほうが強い。

イタリア紀行51 「古代ローマの時空間」

ローマⅨ

コロッセオから見ると、東にドムス・アウレア(皇帝ネロの地下黄金宮殿)、西にパラティーノの丘とフォロ・ロマーノ、北西に公共広場群のフォーリ・インペリアーリ、そして南西にはローマ時代の円形競技場チルコ・マッシモが広がる。チルコ・マッシモは映画『ベン・ハー』で知られた舞台。観客30万人を集めて馬車競走が繰り広げられた。ここから北西にすぐのところに有名な「真実の口」がある。

ローマにはそこかしこに古代遺跡が存在する。だが、極めつけはこの地域だろう。大半の建造物は半壊し劣化しているものの、どこかの国がロープを張って立入禁止にするのとは違って、この遺跡に足を踏み入れることができるのだ。周辺は交通量の多い喧騒の通りだが、いったんこのエリアに入ってしまうと、静寂空間の中で古代ローマの息遣いが聞こえてくる。

コロッセオの入場券と共通になっているパラティーノの丘に入る。雨に濡れた遺跡が点在し、高台が何か所かあり庭園もある。今では見る影もないが、古代ローマ時代には政治経済の力を握っていた貴族たちが居を構える高級邸宅地だった。遺跡になる前のフォロ・ロマーノやコロッセオやローマの街全体をこの場所から見渡せば、さぞかし壮観だったに違いない。いや、毎日眺めていたから珍しくもなかったか。

フォロ・ロマーノは古代ローマの中心地であった。「フォロ(Foro)」は英語の“forum”と同じで「広場」を意味する。だから、フォロ・ロマーノは「ローマの広場」である。ただ、そこらにある広場とは違い、祭事・政治・行政・司法・商業機能を一極集中させた公共空間だった。商取引市場あり、神殿あり、議会や裁判所あり、記念碑あり。しかも、一般民衆と無縁の存在だったのではなく、市民広場としても活気を帯びていた。

カエサルが議員たちに語りかけた元老院議会場「クリア」は何度か建立され直したが、現在は復元されフォロ・ロマーノの一画にあって当時の政治熱をうかがわせる。共和政の特徴として、このクリア、市民広場、演説のための演壇場が三点セットになっていた。ちなみにクリア(Curia)はラテン語に由来し、「人民とともに」という意味である。これこそ共和政の精神。その名残りは、今もローマ市内で見かける“SPQR”の四文字に示されている。これもラテン語で“Senatus Populusque Romanus”を略したもので、「元老院とローマ市民」という意味である。

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フォロ・ロマーノ側から見た丘一帯。この奥に高台が広がる。
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サトゥルヌスの神殿。円柱が8本、その柱頭はイオニア式で装飾されている。サトゥルヌスは農耕の神。聖なる場所とされている。
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大小三つのアーチが特徴のセヴェルスの凱旋門。この場所が古代ローマの中心点とされた。
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このSPQRはミケランジェロが設計したカンピドーリオの広場の階段近くに掲げられている。古代ローマ共和政の成立を記念したことばで、現在はローマ市のモットーになっている。

曲解と虚偽の一般化

昨日のブログで「典型的な牽強付会けんきょうふかいの例を斬る」と意気込んだ。念のために、インターネットも含めていろいろ調べてみたら、「その例」をしっかりと斬っておられる方が少なくないのを知って驚いた。正確に言うと、引用されるその権威者および実験内容に批判的な意見は少なく、ほとんどの批判は「引用に関しての曲解と虚偽の一般化」に向けられていた。おおむねぼくの意見も一致する。

多数派だからホッと一安心などという「長いものに巻かれろ」のスタンスはぼくの性に合わない。世間の誰がどのように唱えていようと、ぼくはある種の確信と良識的な見方によって、権威を引用してこじつける狡猾さを指摘しようと思っていた。その例とは、アルバート・メラビアン博士が実験を通じて導いた〈メラビアンの法則〉の都合のいい解釈のことだ。

マナー、コミュニケーション、コーチング、ファシリテーションなどを専門とする複数の講師が、メラビアンの法則を曲解してジェスチャーや表情の優位性を強調する一方で、言語を見下すような発言をしたのを何度か目撃している。この法則は、一対一のインターパーソナル・コミュニケーションに限定して、話し手が聞き手にどんな影響を与えたかを実験して導かれたものである。

実験によって、影響に占める割合は、表情やジェスチャーが55%、声のトーンや大きさが38%、話す内容が7%ということがわかった。こう説明して、講師たちは「ことばはわずか7%しか伝わらない。コミュニケーションにおいてことばは非力なのだ」というような趣旨を、さも真理のごとく説く。これは、目に余るほどのひどい一般化なのであり、メラビアン博士を冒涜するものである。もちろん、こんな虚偽に対して免疫のない、無防備で純朴な受講生はものの見事に説得される。そして、講師によって引き続きおこなわれる、取って付けたような身振りやマナーや表情の模範例に見入ることになるのである。


アルバート・メラビアン博士自身は、ちゃんと次のように断っている(要旨。原文は英語)。

この法則は「感情や態度が発する言行不一致のメッセージ」についての研究結果に基づく。実験の結果、「好感度の合計=言語的好感度7%+音声的好感度38%+表情的好感度58%」ということがわかった。但し、これは言語的・非言語的メッセージの相対的重要性に関する公式であって、あくまでも「感情と態度のコミュニケーション実験」から導かれたものだ。ゆえに、伝達者が感情または態度について語っていない場合には、この公式は当てはまらない。
*inconsistentを「言行不一致」と意訳した)

ぼくも曲解しないように気をつけて書くが、下線部から、言語的メッセージを伝えることを目的としたコミュニケーション実験ではないということがわかる。だから、回覧板には適用しない。読書にも適用しない。会議や対話にも当てはまらない。携帯電話で「明日の夕方5時に渋谷でお会いしましょう」という簡単なメッセージも対象外だ。要するに、ほとんどの伝達・意見交換場面には法則が当てはまらないのだ。ある種の顔の表情とジェスチャーを伴って単発のことばを発した場合のみ有効という、きわめて特殊なシチュエーションを想定した実験なのである。たとえば、コワモテのお兄さんがどんなにやさしいことば遣いをしてきても、顔ばっかりが気になってことばが耳にはいらないというような場合など。

もし本気でコミュニケーションに果たす言語の役割が7%だと信じているのなら、講師はずっと顔と身振りで思いを伝えればよろしい。それで93%通じるのだから楽勝だ。パワーポイントやテキストも作らなくていいではないか。いや、そんな皮肉っぽい批判をするのが本意ではない。言語理性の危機が叫ばれ、ボキャブラリー貧困に喘ぐこの社会をよく凝視し、「言語7%説」が日常化するのを案じて、「これはいかん、もっと言語の比重を高めなければ」と一念発起するのが教育者ではないか。

オカノの法則 「講義中、居眠りをする受講生に対しては、言語・音声・表情のすべてのメッセージ効果がゼロになる。」

オカノの法則 「パワーポイントのプレゼンテーションにおいて、掲示資料と口頭説明が合わないとき、人々は掲示資料に集中し、耳から入ってくる説明を聞き流す。」

都合よく感性に逃げる

十数年前になるだろうか、二部構成の講演会で、ぼくが第二部、「偉い先生」が第一部ということがあった。本来ぼくが前座だったのだろうが、先生の都合で入れ替わった。礼儀かもしれないと思って、先生の第一部を聞かせてもらった。「ことば・・・じゃない、こころ・・・なんだ」が趣旨で、要するに「理屈じゃなくて感性」という話である。ちなみに、ぼくのテーマは対照的なディベートであった。

どんな主張をしてもいいと思う。けれども、「偉い先生」なんだから、理由なり論拠は付け足しておくべきだろう。講演中、ぼくの素朴な「なんでそう言えるんだろう?」という疑問は一度も解けなかった。「理屈じゃなくて感性」という理由なき主張は、「理屈を言いながらも感性的であることができるのでは……」と考える聴衆に道理を説いていない。しかも、先生、いつの間にかことばと理屈をチャンポンにしてしまった。さらに、先生、「ことばじゃない、こころなんだ」というメッセージをことばで伝えているのだ。ことばと感性を二項対立的にとらえていること自体が理屈ではないのか、とぼくなんかは考えてしまう。

「ことば vs 感性」というふうに対立の構図に置きたがるのが感性派に多いのも妙である。どっちを欠いても人間味がなくなるのでは? とぼくは問いたい。ことばが先で感性が後か、感性が先でことばが後か――大した論拠もないくせに拙速に「感性」に軍配を上げないでいただきたい。なぜなら、ことばのない動物に感性があるのかどうかは証明しえないし、彼らに聞くわけにはいかない。明白なのは、ことばを使う人間だけに感性という概念が用いられているという事実だ。つまり、ことばを切り離して感性だけを単独で考察するわけにはいかないのである。ましてや、優劣論であるはずもない。少なくとも、「ことばじゃない、こころなんだ!」という趣旨の講演会に来ている人は、ことばを自宅に置いてきて感性だけで聞いているわけではない。


一昨日、高浜虚子の『俳句の作りよう』を通読した。俳句は「感じたことをことばに変える」ものなのか。ここで言う「感じたこと」はもはや感性というよりも「感覚」というニュアンスに近いのかもしれないが、では、感覚が先にあってことばが後で生まれるのか。ぼくの俳句経験は浅いし、どんな流派があるのかも知らないが、俳句において「言語か感性か」などと迫ることに意味はないと思う。俳句を「添削と推敲の文学」とぼくは考えているが、ことばと感性は「和して重層的な味」を出すのだろう。感じるのとことばにするのは同時かつ一体なのではないか。虚子はその本の冒頭で次のように言っている。

「俳句を作ってみたいという考えがありながら、さてどういうふうにして手をつけ始めたらいいのか判らぬためについにその機会無しに過ぎる人がよほどあるようであります。私はそういうことを話す人にはいつも、何でもいいから十七文字を並べてごらんなさい。とお答えするのであります。」

素直に解釈すれば、ことばを十七文字並べることを、理屈ではなく、一種感性的に扱っているように思える。むしろ、「何かを感じようとすること」のほうを作為的で理屈っぽい所作として暗に示してはいないか。ことばを感性的に取り扱うこともできるし、感性をいかにも理屈っぽくこねまわすこともできる。

一番情けないと思うのは、ことばの使い手であり、ことばを使って話したり書いたりしている人たちが、ことばを感性の下位に位置させて平然としていることである。「ことばはウソをついたりごまかしたりする」などと主張する人もいるが、このとき感性だって同じことをするのを棚に上げている。このように都合よく主張を正当化していくと、やがて権威の引用をも歪曲してしまう。と、ここまで書いてきて、そうだ、あのエビデンスの濫用を取り上げなくてはいけないと正義感が頭をもたげてきた。明日、典型的な牽強付会の例を斬る。 

イタリア紀行50 「コロッセオまたは巨大物」

ローマⅧ

もう二世紀も前のことである。17861111日の夕方、ゲーテはコロッセオにやって来た。ローマに着いてから約10日後。オーストリアとイタリア国境を越えてイタリアの旅に就いてから、ちょうど二ヵ月が過ぎていた。

この円形劇場を眺めると、他のものがすべて小さく見えてくる。その像を心の中に留めることができないほど、コロッセオは大きい。離れてみると、小さかったような記憶がよみがえるのに、またそこへ戻ってみると、今度はなおいっそう大きく見えてくる。

ゲーテは『イタリア紀行』の中でこんなふうにコロッセオを語る。およそ一年後にも訪れることになるのだが、そのときも「コロッセオは、ぼくにとっては依然として壮大なものである」と語っている。

コロッセオは西暦72年から8年の歳月をかけて建設された円形競技場だ(闘技場でもあり劇場でもあった)。長径が188メートルで短径が156メートル。収容観客数5万人というのだから、「コロッセオは大きい」というゲーテは正しい。現代人のように高層ビルやスタジアムを見尽くしているのとは違い、200年以上も前のゲーテを襲った巨大感は途方もなかっただろう。少なくともぼくが受ける印象の何倍も圧倒されたに違いない。

コロッセオ(Colosseo)は遺跡となった競技場の固有名詞だが、実はこの名前、「巨大な物や像」を意味する“colosso”に由来する。形容詞“colossale”などは、ずばり「とてつもなく大きい」である。映画『グラディエーター』では、この巨大競技場での剣闘士対猛獣、剣闘士対剣闘士の血生臭いシーンが描かれた。ローマでキリスト教が公認されてからは、やがて見世物は禁止される。この時代、放置されたこのような建造物は、ほぼ例外なく建築資材として他用途に転用された。コロッセオの欠損部分は石材が持ち去られた名残りである。

四度目の正直でコロッセオの内部を見学した。それまでの三回は、ツアーの長蛇の列を見るたびに入場が億劫になった。「競技場内の遺跡は何度もテレビで見ているし、まあいいか」と変な具合に納得したりもしていた。しかし、強雨のその日、並ぶ人々の列は長くはなかった。先頭から20番目くらいである。雨という条件の悪さはあるが、だからこそ入場できる、今日を逃せば二度とチャンスはない、と決心した。「この雨が遺跡に古(いにしえ)の情感を添えてくれるかもしれない」と、すでに悪天候を礼賛すらしていた。

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コロッセオ全景のつもりが、近づきすぎたために全景は収まらない。
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やや遠景のコロッセオ。濡れた壁色のせいで以前見た印象とは異なる。
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ローマ発祥の地とされるパラティーノの丘から展望するコロッセオ。