「わかる」ということが、実は「よくわからない」

「クラシック音楽はわからないから、つまらない」。たしか先週だと思う、つけっ放しのテレビからこんな音声が聞こえてきた。小学生のつぶやきだった。わからないから、つまらない……なるほど、そうだろうなと暗黙のうちに同意していた。

ところが、ぼくは大人である。「わからないからつまらない」と簡単に物事を片付けるわけにはいかない。大人だからもう一歩踏み込んでみなければならぬ。そこで自問してみた。わかれば楽しくなるのだろうか? 「クラシック音楽はわからないけれど、なんだか楽しい」は成り立たないのだろうか? そもそも「わかる」とはどういうことで、「わからない」とは何を意味しているのだろうか?

自宅の本棚に目をやって、しばし何段か追ってみたら、「わかる」をテーマにした本で以前ざっと読んだのが4冊並んでいる。ずばり『「わかる」とは何か』、その隣に『「わからない」という方法』、そして『「わかる」技術』に『わかったつもり』だ。よくもまあ、うまく揃っていたものである。これらの本の目次はほとんど覚えていないし再読したわけでもないので、どんな切り口で書かれているのか知る由もない。


それにしても、考えれば考えるほど、「わかる」が結構むずかしいテーマであることに気づく。「クラシック音楽はわからないから、つまらない」と言った小学生の男の子に一度は共感したが、ちょっと待てよ、音楽というものは、それがクラシックであれ童謡であれジャズであれ演歌であれ、鑑賞すればいいわけで、わからなくても問題ないのではないか。もし「わかる」が「理解する」という意味ならば、それこそそんな論理的了解の必要などさらさらないはずだ。

音楽がわかることと算数がわかることは、たぶん違う。算数で問題が解けたり道すじが見えたりするのと、鑑賞者として音楽がわかるのとは根本的に違うはずである。音楽鑑賞や美術鑑賞に際して、詳しい知識を身につけているからといって「わかる」ようにはならない。たしかに「わからない」よりも「わかる」ほうがいいに決まっている。だからと言って、芸術鑑賞において「わからなければならない」必要性やノルマなど一切ない。「こんなもの、わかるってたまるか!」という反発や居直りさえあってもいい。


もしかして学校教育は「わかる」ことを当然のように前提にして成り立っているのではないか。どんなことにも答えがあって、その答えを見つけたら「わかった」と見なし、答えが見つからなかったら「わかっていない」と判定を下す。こんな調子で、「わからないことはつまらないこと」と決めつけるような空気を充満させて、つまらない教育を膨らませているのではないか。

「わかる」の対極に「わからない」があって、その二つの状態しかないのであれば、まるでON/OFFのデジタル処理みたいではないか。そんなバカな話はない。「わかる」にはいろんな程度の「わかる」があり、「わからない」にもいろんな程度の「わからない」がある。人によって度合が異なるものなのだ。「それなりにわかる」という、きわめてファジーな了解の仕方すらある。「わかる」と「よくわかる」の差が、実はよく「わからない」のである。

もしあることについて「完全にわかる」ことがありえないのだとしたら、ぼくたちはたぶんすべてのことについて「あまりよくわからない」状態に置かれているに違いない。そして、たいせつなことは、あまりよくわからないからつまらないなどと刷り込みをさせず、むしろ、あまりよくわからないからこそ楽しいのだという方向へ子どもを導くことだろう。

今日の話、わかったようでよくわからないという印象をお持ちになったのであれば、お詫び申し上げる。

歩いて知ること、気づくこと

長期連休あり、渋滞あり。長蛇の順番待ちあり、閑散としたレストランあり。悲喜こもごものゴールデンウィークである。他人が出掛けるときは出掛けない流儀なので、ぶらぶら散策するコースは交通量も少なく人出もほとんどない。大阪を南北に走る主要な谷町筋や堺筋はある種の歩行者天国である。御堂筋ですら、信号無視気味に横断できた。

堺筋本町から北浜へとゆっくり北上。堺筋の東側を歩くか西側を歩くかによって景観はまったく異なる。「あ、あんな店が……」という場合は、たいてい道路を挟んだ反対側を見ていての発見だ。店の前を歩いていても看板が目線より高いと見過ごしてしまう。


北浜の交差点南西角に碑が建っている。このあたりを通って中之島界隈までよく歩くので、記念碑の存在は以前から知っていた。ただ、いつも交通量の多い場所だから、碑の前でひたすら信号待ちしてひたすら公会堂、市役所方面へと歩を進める。今朝は立ち止まって読んでみた。「大阪俵物会所跡」とある。延享元年(1744年)にこの会所がスタートしたという。長崎と中国(当時は清)の海外貿易時に金銀銅が大量に流出するため、当時の輸出特産品である俵物を代用にあてたという旨が書かれている。

その俵物が、フカヒレ、干しなまこ、干しあわびと知って驚いた。こんな昔から中国で日本の乾燥海産物が珍重されていたのだ。三百年近くもブランドを保持しているとは……。高品質がブランドイメージを随えることの何よりの証明である。

肥後橋まで歩いていくと、橋の真ん中まで堂島から長い列ができている。連休最終日、ロールケーキ目当てに朝から並ぶ忍耐と根性はどうだ。噂にちょくちょく聞いていたし目撃もしていた。口にしたことがないので何とも言えないが、ぼくには考えられない「待ち」である。ことグルメ系の食べ物に関して列を成してまで並ぶ必要性をまったく感じない。それがどんなに美味であれ、誰かに頼まれたにせよ、何時間も待つ価値を見出だすことはできない。空腹で死にそうなときに炊き出しに並ぶとは思うが、ロールケーキを求めて並ぶことは絶対にない!


『安藤忠雄建築展 2009――水がつなぐ建築と街・全プロジェクト』の割引き優待券があったので一枚もらってきた。安藤忠雄に文句はない。しかし、チラシのタイトル「対決。水の都 大阪 vs ベニス」は滑稽である。「対決」と「vs」を生真面目に考えずに受け流せばいいのだろうが、対決させてどうなるんだと皮肉りたくなってしまう。大阪とベニスの航空写真を上下に並べて類比しているつもりなのだろうが、水路があるという事実以外に両者には類似点など一切ない。大阪は現代的な車の社会であり、ベニスは近世を残す人の社会である――このたった一つの理由だけで、両者を「対決」や「vs」で向き合わせるようなきわどいアナロジーには無理があるのだ。

水都大阪プロジェクト、大いに頑張っていただきたい。だが、何十年経っても、大阪はベニスにはなれないだろうなと確信した。ベニスになるためには、江戸時代末期の風景をそのまま残しておかねばならなかったのだ。それは叶わぬ夢である。それでもなお、秩序なく林立する高層ビルと、その谷間に申し訳なさそうに生き長らえる大正・昭和の古い建造物と、独特の水路系が織り成す大阪を歩く。週末にこの中途半端な街を散策するのが嫌いではない。

イタリア紀行39 「ポルティコという知恵」

ボローニャⅠ

ペルージャから鉄道でフィレンツェへ。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の敷地に接するホテルに滞在、毎日「耳元で」鐘を聞いた。フィレンツェには3泊のつもりだったが、4泊すれば4泊目が無料になるサービスがあった。つまり、3泊しても4泊しても同じ料金なのだ。ならば、当然4泊を選択するものだろう。フィレンツェでは毎夜違うリストランテやトラットリアに通い、美食三昧の日々を過ごした。そして、この旅の最終目的地であるボローニャへと旅立った。

日本からのパッケージツアーにボローニャはまず入らない。だからと言って、見所が少ないわけではないのだが、ボローニャで過ごすのが半日ならマッジョーレ広場とその周辺を観光すれば十分、などと旅の本には書いてある。その記述、ボローニャに対してとても失礼である。ぼくは3泊滞在して余裕綽々で街歩きしたのだが、帰国後にいろんな「見学漏れ」に気づいた。主たる市街地が2キロメートル四方とはいえ、ボローニャは高密度集中を特徴とする街なのである。安直な街歩きで済ませていたら、見えていたはずの光景が実はまったく見えてはいなかったということが後日判明する。

ボローニャについて何を書こうかと思案するとキリがない。けれども、「ビジュアル的最大特徴」は、チェントロ・ストーリコ(歴史的市街地)をくまなく巡るポルティコ(柱廊)で決まりだ。この街では、建造物と通りの間の歩道がほぼ完全にアーケードで覆われている。全長で約40キロメートルあるらしい。ポルティコの二階部分は建物が3メートルほどせり出すよう増築されている。

ヨーロッパ最古と言われるボローニャ大学(1088年創立)には、現在ももちろんだが、16世紀頃までに大勢の学生たちが欧州各地から留学生としてやってきた。『ボローニャ紀行』(井上ひさし)によれば、当時はまだ校舎らしい校舎もなく、また狭い街では学生を収容するだけの住居も足りなかった。そこで、留学生のための貸間の普請と私道のポルティコへの改造が進められていったらしい。

訪れたのは3月上旬だったが、到着の前日か前々日には大雪が降ったと聞いた。ポルティコは遊歩や店先の景観に華を添えるが、同時に雨風や雪をしのぐのに恰好の避難通路にもなる。場所によって装飾や建築様式は変化する。歩くにつれて街角の表情が質素になったり高貴になったりして飽きることはない。夕方のそぞろ歩きにはもってこいの舞台装置だった。

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中央駅の近くにある高台の公園から見下ろす街角。
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インディペンデンツァ通りのポルティコはひときわ格調高い。
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マッジョーレ広場まで1km延びるポルティコのある通り。
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裏通りを歩いてもポルティコ。表通りの喧騒とは対照的。
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天井に古い木造部分がむき出しになっているポルティコ。
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レストランであれどんな店であれ、店舗前の歩道をアーケードが覆っている。
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教会が群居するサント・ステファーノの三叉路広場。

情報を選び伝えるマナー

定期的であるはずもないが、時折り思い出したかのように書きたくなるテーマがある。「なくてもいい情報」の話である。昨年のにも書いたのを覚えていて、さっき読み返してみた。変な話が、自分で書いておきながら大いに共感した次第。先週、同じような体験をした。饒舌な情報に対するぼくの批判精神は相変わらず健在である。

先週の金曜日、出張先は高松。新大阪発ひかりレールスターに乗車予定。すでにホームには列車が入っており、各車の扉付近に清掃中の表示がかかっている。待つこと数分。ホームにアナウンスが流れる。

「折り返し運転のための清掃が終わりました。」

この後にもいろいろプラスアルファの情報が耳に届いた。「清掃が終わった」という情報にひねくれてはいない。それはオーケーだ。「待たせた」と「まもなくドアが開く」という情報もあった。いずれもなくてもいいが、まあ問題ない。要するに、「清掃が終わった、待たせてすまなかった、すぐにドアを開ける」という案内はぼくには不要だが、他の誰かのためにはあっても悪くはないだろうと思う。

だが、「折り返し運転のための」は必要不可欠か。清掃して車庫に直行するわけがない。新しい乗客を乗せて運転するのだから清掃していたわけだろう。だいいち、その列車が博多から新大阪にやって来て、しばしのクールダウンと清掃の後に博多へ折り返していくという情報を乗客に伝えることに何の意味もない。これは駅員どうしの確認で済ますべき話だ。このアナウンスと同時にホームにやって来た乗客には、「折り返し運転のための」と聞いて、何事かあったのかと怪訝に思う人がいるかもしれない。


この種のメッセージをぼくは「目的内蔵型報告文」と勝手に名づけている。要するに目的部分は自分に言い聞かせる確認情報なのである。「腹を満たすためのランチに行く」と同様に、「折り返し運転のための清掃が終わりました」も冗長である。「書くための水性ボールペンを貸してください」も「頭を鍛えるための脳トレーニング」も目的部の情報は不要である。

「まわりのお客さまの迷惑となりますので、携帯電話はマナーモードに設定したうえ、通話はデッキでお願いします」などを字句通りに外国語に翻訳できないことはない。だが、ほとんどの国ではそんな言わずもがなのことを言わないのだ。「通話はデッキで」くらいは言ってもいいかもしれない。だが、座っている席で通話すると他人の迷惑になるというのは、余計なお節介、いや「オトナの幼児的扱い」にほかならない。

よきマナーへの注意を呼びかけるアナウンスにも、最低限のマナーが求められる。必要な情報を選択してきっちりと伝えきるマナーだ。最近、アナウンスが流れない4号車両「サイレンスカー」が消えたらしい。アナウンスがないために不安になる乗客が多く不評だったのか。こうなると、鉄道会社の饒舌な情報発信を一方的に咎めることもできない。責任の一端は乗客の情報依存症にあるようだ。 

現実を押し売りする人たち

仕事中なのに、仕事とまったく無関係な文言が脳内を往来することがある。たとえば「行き詰まっているときは息詰まっている」とか何とか。「咽喉の痛みには特濃ミルク8.2」とか何とか。周囲に何かがあって、それを見た結果、ことばが浮かんでくるのではない。アタマの中の別の鉱泉からフツフツと湧き出てくるのだ。

考えれば考えるほど陳腐な常套句しか思いつかないこともある。表現の枯渇状態。その突破口になってくれるのが類義語辞典だ。調子のいい時はまったくお世話にならないが、一日中引きまくっている日もある。広辞苑や新明解を適当にペラペラめくることもある。見出し語との偶然の出合いに期待する。ついさっき、「きゅう【灸】」が目に入ってきた。そして、何年か前のある事件にタイムスリップしてしまった。


それは想像力を欠く情けない話であった。東京都の「鍼、灸、あんま、マッサージ、指圧師会」が、「灸を据える」はもともと治療行為である、それを懲罰という意味で辞書に掲載しているのはけしからん、定義を変更せよとケチをつけたのである。

そう言えば、さらにずいぶん昔、医師会もクレームを申し立てたことがある。テレビドラマで医者がタバコを吸う場面があり、それに対して「医者はそんなにタバコを吸わない」と怒ったのである。「そんなに」だったか「あんなに」だったか忘れたが、とにかく「医者にヘビースモーカーはいない」あるいは「そんなにスパスパ吸わない」とでも言いたかったようだ。しかし、例外的であっても、ヘビーに下品にタバコを吸う医者の一人や二人はいるわけで、それをネタにして何が悪いのか。医者が殺人事件を起こす物語はありえないのか。

お灸の話に戻る。ぼくはお灸は平気である。平気だが、家庭用の台付きモグサとは違って、専門家の施術時は若干の緊張が走る。鍼灸はある意味でストレスをかける療法で、痛くも痒くもなければ効果がない。一瞬の直線的熱さというか痛みというか、それを快とするか不快とするかは人が決めるものだ。実際、ぼくの周囲では鍼灸の未体験者は体験者よりも圧倒的に多い。

「灸を据える」が「痛い目に合わせる」という比喩表現に使われても構わないではないか(実際に使われてきた歴史がある)。それだけ一般汎用しているのは市民権を得ている証拠だ。専門家が考えるほど、ぼくたちは想像力欠如ではない。治療行為が現実で、ペナルティが比喩表現であることくらいはちゃんとわかっている。むしろ、現実だけを反映する一義的な意味しか持たないことばがいかに退屈かという点に想像を馳せてもらいたい。

ことばは現実を反映する。しかし、そこで止まらない。現実から乖離して跳びはねる。別の意味を取り込んだり別の意味が憑依したりする。だからこそ、ことばはおもしろい。 

ルガーノの「気」でリフレッシュ

先の日曜日、「週刊イタリア紀行」でボローニャを書きそびれた。出張帰りで疲れていたせいもあるが、90枚という、思いのほかおびただしい写真を前にしてなかなか選びきれなかった。しばし休憩とばかりに、一年ほど前に読んだ井上ひさしの『ボローニャ紀行』を再読しているうちに時間が過ぎてしまった。と言うわけで、先送り。

今日は水曜日で、単独の休日。つまり、連休の一部の休日ではない。昨日が仕事で明日も仕事。しかし、今日が休日、それも土曜日や日曜日ではなく、水曜日。この週の半ばの平日の休みというのがいい。とても贅沢な気分になれる。朝からすがすがしく、56キロメートル散歩してほどよい日光を浴びた。咽喉とアタマに痛みがあって風邪の一歩手前だったが、何だかよくなった気がする。

少し開けた窓から陽が射し微風が入ってくる。二年半前にパリ、ミラノ、ヴェネツィアに旅した時のガイドブックに目を通していた。およそ600ページのガイドブックだ。ルガーノのページに付箋紙が貼ってある。ミラノから半日で行けるスイスの街ルガーノの紹介記事はわずか1ページ。ミラノからルガーノに出掛けたあの日も、今日のような爽やかな日だった。


ミラノから鉄道で北へ行くと観光と別荘地で有名なコモ湖がある。さらにほんの少し北へ進めばもうスイス国境を越える。ミラノからわずか1時間のロケーション。そんな近くでも切符は自販機では買えず、“Internazionale”(国際線)の窓口へ行かなければならない。ずいぶん右往左往した記憶がある。国境を越えるから、警備隊の兵が列車に乗り込んできてパスポートと切符もチェックする。

ルガーノ駅に着けば眼下にルガーノ湖が広がる。スイスといえども風情はイタリアの街だし、みんなイタリア語を話している。しかし、やっぱりスイスなのだから、スイスフランに両替しないといけない。ユーロでは有料トイレにも入れないし、バスにもケーブルカーにも乗れない。何はともあれ、バスに乗りケーブルカーに乗り継いで、モンテ・ブレの山頂を目指した。抜けるような晴天ではなかったものの、頭も心も透き通るようにリセットできた。記憶をまさぐるだけでもいいリフレッシュができるものである。

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ルガーノ駅のこぢんまりとした 駅舎。
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スナック・喫茶の店、切符売場。
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モンテ・ブレの山頂からルガーノ湖と山間がパノラマで広がる。
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ルガーノ名物ダックスフンド型観光ツアーバス。
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湖畔の乗船場。
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ルガーノ市街の中心。
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街の広場で「路上チェス」に興じる市民。
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名残りを惜しむ最後の一枚。

その概念が見えてこない

あるゲストが企業訪問に誘われた。「企業経営の現場をご覧になりませんか?」「会社とは無縁なんで、ぜひ見学してみたいです。」

案内人は会社の正面玄関から順番にガイドをしていった。「こちらが守衛室です。こちらは受付ですね。そちらに小さな作業場があります。この大きな部屋が事務室になっています。大半の従業員はここで仕事をしています。この廊下の奥に食堂とトイレがあります。では、2階にまいりましょう。こちらが会議室です。その隣りがトイレですね。はい、トイレは2階にもあります。右手が資料室です。そして、こちらが応接室。一日に数人の来客があります。最後に、ここが社長室です。あいにく社長は本日不在です」

足早に、それでも小一時間ほど説明を受けたゲストは、最後にこう尋ねた。

「よくわかりました。ところで、肝心要の『企業経営』はどこにあるのですか?」


この話はぼくの創作なのだが、種明かしをすれば、これは哲学的命題の一つの変化形なのである。ゲストが案内されたどの場所にもどの仕事にもどの従業員にも「企業経営」というものは見えない。企業経営は仕事の場所や作業や人材を束ねた概念でありながら、企業経営そのものがどこかに存在しているわけではない。ぼくたちは企業経営というものを見学することはできないのである。

企業と無縁なゲストが目の当たりにするのは、企業経営ではない。社是や理念や経営方針を文字として感知することはできても、それらの実体は容易に認識できない。ゲストは部屋を見る。廊下や壁を見る。整理整頓状況や清潔や汚れを見る。従業員の働きぶりや立ち居振る舞いを見る。けれども、企業経営を見ることはない。

誰も彼もが経営評論家であるわけではない。ソニーやサントリーの商品を広告で知り、売場で見て買う。企業経営をつぶさに調べて買うのではない。顧客から見えない概念構築にいくら躍起になっても、それは明示的世界には現れてこない。具体的な事柄を統合して上位の概念にまとめてみても、結局は個々の具体的な事柄がはじめにありきなのである。

何々「と」何々

タイトルの括弧の場所は間違いではない。意識的にを括弧で強調している。

意思決定とは「かORであり、「とANDではない――などとよく声を大にして言うので、ぼくはいろんな人に「OR人間」みたいに思われている。つまり二者択一を好む人間。これは極端志向、賛否決着型、対立好きの印象を醸し出す。決してありがたがっているのではない。とても心外なのである。これではまるで、折衷や止揚とは無縁の、単細胞な石頭ではないか。

「異種情報のAND」。これが本来あるべき発想の原点だ。何々と何々をくっつけたり対比させたりするから発想が広がる。何々が二つあるからほっとしたり救われたりする。「一項」だけに集中できている状態が悪いわけではないが、「一項しか見えない、一項しかできない」はマイナス寄りだ。攻め一本やり、ハンバーガーばかり、失敗続き、会議の連続……これではたまらない。


この一週間は「と」に意識が向き、また「と」が勝手に二項の間に入ってきたりした。京都での私塾では「テーマソリューション」。翌日からの香川への出張は、十数年ぶりに「ぼくスタッフ」。養鶏の現場を見学して「卵ニワトリ」の関係に注目。土曜日の半日マーケティングセミナーは「第12部」の構成。滞在3日間は「うどんづくし」ではなく、「焼鳥(夜)うどん(昼)」と交互に堪能。

「アポキャンセル」もこの一週間に集中した。こんなに約束を取り決め、こんなにキャンセルが発生したのも珍しい。まずアポがあり、実際に会ったものの契約は成立せず、翌週再会のアポに合意するも相手がキャンセル。このキャンセル対策のために知人から連絡があって再度アポ。別の一件は連休明けのアポだが、これもキャンセル。次なるアポを現在画策中。もう一件あった。こちらは心身が疲弊してしまうほど、アポ、黙殺、キャンセルが何度か繰り返されたケースである。

他人の時間や約束に対する変更には寛容である。ぼく自身も社内的には時間や約束に対して優柔不断なこともある。ただし、対外的には「先約主義」を愚直なまでに貫く。これは精神的にはきつい。とにかく「都合が悪くなった」と言い訳しない方向に自分を追い詰めるのだから。決めた時間を無視するという点で、遅刻もキャンセルの一種だと見なす。この一週間は、ぼくの責任によるキャンセルはゼロであるが、めったに経験しなかった「アポキャンセル」の日々だった。世の中の大半の仕事はこんなことに向けられているのだろうか。

アポとキャンセルの調整にエネルギーを費やして疲弊するくらいなら、いっそのこと、さっさと会ってしまったほうが楽だと思う。そして、アポにはなるべく「と」がつかないのが望ましい。

ブランド信奉の反省

まったく他人のブログをチェックしていないが、天まで届くほどの記事がすでに書かれ、現在書かれつつあり、そして明日も明後日も書かれるのだろう。

その動画はすでに先週の時点でYou Tube検索三千万件という。そう、すでにご存知だろう、あのスーザン・ボイルの仰天歌唱力の話である。「人は第一印象で決まる」とか「人は見かけがすべて」という類いの主義主張をよく耳にし、その種の本もちらほら目にするが、急激に曇った自論に少しばかり反省を加えておくべきだろう。ブランド信奉者、いや狂信に近いブランド絶対主義者に対しては、心中静かに「ざまあみろ」と囁いておくことにする。

番組の中で女性審査員がいみじくも吐露したように、誰もが風貌、立ち居振る舞いから彼女を小馬鹿にしていた。レ・ミゼラブルの『夢やぶれて』を彼女が数秒歌った直後、会場の空気と観衆の価値判断は一瞬のうちに「コペルニクス的転回」を遂げた。価値などというものが存在に帰属する絶対的なものではないことを証明してくれた。最近めったにお目にかかれない恰好の事例である。

同時に、潜在するものは凡人などには見えないことも明らかにしてくれた。人はどんなにすぐれた価値にも、それが潜在しているかぎりめったに気づかない。情けないことに、”ブランド”なりの顕在化した現象(=表象的な記号)によってしか本質をつかめないのである。歌声を発する直前までのスーザン・ボイルにブランドは付与されていなかった。彼女が潜在的に有していた価値は、あの時点では無価値だったのである。裏返せば、本物ならば――したたかな価値が備わっているならば――記号としてのブランドなど不要なのである。ブランドは、自分の眼力に自信を持つことのできない人たちが求める道しるべにすぎない。

実力がありながら過小評価に苦しんでいる人にとっては、勇気と自信に火を点してくれた一件になった。刻苦精励して本物を目指している人、わずかな照明が当たるのを辛抱強く待とうではないか。いや、少しでも機会があるのならば、それを生かそうではないか。もし本物ならば、他者はブランドを超越した評価を下してくれるものだ。「無名の本物は過大評価のブランドを凌駕する」。ぼくにとって新しい格言が生まれた。結局自分自身に言い聞かせているのだろうが……。

分母と分子で考えている?

広辞苑第六版の編集方針。最初の項目は次のように書かれている。

一、この辞典は、国語辞典であるとともに、学術専門語ならびに百科万般にわたる事項・用語を含む中辞典として編修したものである。ことばの定義を簡明に与えることを主眼としたが、語源・語誌の解説にも留意した。収載項目は約二十四万である。

 中辞典にして24万語だ。あいにく手元に大辞典はないが、日本国語大辞典では見出し項目は50万になるそうである。方言も含めればいったいどれだけの語彙が存在しているのだろう。言うまでもなく、収載された見出し語はありとあらゆる文献から拾われたもの。文献に出てこないことばを見つける手立てはない。もっと言えば、ことばというラベルを未だ付けられていない抽象的・物理的事象や現象について、ぼくたちはその定義を知ることはできない。いや、仮にそういう事象や現象が存在していても認識できていないのかもしれない。新しいものを見つけたら命名するのが人の習性だからだ。

テストや受験、資格のための検定などに対してはDNAレベルで嫌悪してきたし、今もDNAは変異していない。やむなくすることが少なくないが、原則として採点側や評価側に立つのも好まない。だいたい分母に満点を置いて分子に採点された点数を配分するのが気に入らない。100分の70って一体何なのだ? その満点の100は当然出題者の意思で決まる。しかも、その100はこれまた何千か何万かから抽出された分子でもある。合格者を多く出したいかゼロにしたいかは、抽出作業過程での出題者の裁量でどうにでもなる。


任意に設定された満点に向けた学習は功利的かつ便宜的である。そんな学習ばかりしてきたから実社会でろくに役に立たないのだ。それを反省して一から勉強し直している。にもかかわらず、目標を失いたくないから検定や単位などの「合格」を目指す。生涯、満点への飽くなき学びが続くというわけである。

のべつまくなしに分母と分子で物事を測っていると、本気の学習などできなくなる。本気の学習とは、今の自分の能力を、「設定された満点」に向けるのではなく、際限なく高めていくものだ。日本語の50万語分の5万語しか知らないという思いなどまったくどうでもいい。あるいは語彙力判定テストを受けて、2万語と評価を下されても落ち込むことはない。森羅万象の知恵の前では何人も無知なのである。そう、分母などいくらでも小さくしたり大きくしたりするなど自由自在だ。

いま認識できている力、いま運用できている力――それを着実に高めればいいのである。満点という到達点などまったく意識する必要などない。それが実社会での本物の学習のはずだ。その過程で、自分が従事している仕事において「閾値越え」が生じる。

もちろん分母と分子をしっかりと意識するほうがよい場面もあるだろう。一例としては、財布に一万円札があって消費していく過程は、分母(所持金)と分子(支出額)の関係。分子が大きくなって分母に追いついたとき、財布の中が空っぽになっている。たぶん経済感覚には分母と分子が欠かせない。分子を使いすぎないという節約と、分母を欲張りすぎないという節度という意味で……。