逆説的「スロー&プアー仕事術」のすすめ

どちらかと言えば、ぼくはスローライフ主義者である。スローライフと主義は相容れないかもしれないが、便宜上こう書いておく。スローライフ主義を貫くためには、仕事が早くなくてはいけない。ゆえに、ぼくはスピーディビジネス主義者でもある。スピーディビジネスなんて和製英語っぽいが、ファーストビジネスと言うと、ファーストフードからの連想で「早いが安っぽい仕事」のように聞こえてしまう。

時間をゆっくりかけたいスローライフ主義と仕事をできるかぎり早くこなすスピーディビジネス主義は弁証法的である。どちらが手段でどちらが目的かなどという野暮な認識を超越したところで両者はちゃんと成り立つ。なぜこんな主張ができるのか。それは、「仕事がグズな人は生活で苦労する」「仕事が早い人ほどいい仕事をする」「仕事上手は生活上手である」などがおおむね正しいからである。

スローライフの実践方法よりもスピーディビジネスの実践方法のほうが説きやすくわかりやすい。もっと説きやすくわかりやすいのは「仕事が遅い、仕事が下手」の最大公約数的原因である。いろいろな現場で仕事の実態を見てきたし、教育研修においても演習や実習への取り組み姿勢を観察してきた。その結果、ぼくは仕事を、ひいては生活をダメにする「間違いのないコツ」を発見した。題して『スロープアー(遅くて下手な)仕事術』(ほんとうは何十ヵ条にもなるのだが、今日のところは十ヵ条に絞った)。


1 実力以上に強がってみせろ
世の中、ブランドである。正直に「私は50点人間です」などと言っては損だ。上げ底・背伸び・見栄っ張り・虚勢など何でもオーケー。とにかくよく見せないといけない。

2 他人に厳しく自分に甘く
ノルマは軽めに。60点の仕事を上出来だと考えよう(大学でもそれは「可」なのだから)。自分の仕事は一日遅れてもいいように時間を稼ぎ、他人に任せている仕事は一日早めに仕上げさせる。

3 仕事の出発点でじっくり時間を使え
もし5工程の仕事ならば、最初の工程が一番重要。だから、そこをクリアするまでしがみつくこと。仕事は部品の寄せ集め。全体を見通すビジョンなんて役に立たない。

4 行動よりもよく考えろ
下手に動いて下手な結果を出すよりも、まずは考えてみる。たとえそれが「考えているふり」であっても、軽率な行動よりはましである。  

5 日時を明確にするな
ゆめゆめ時刻で期限を設定してはいけない。そんなことをすると、理不尽に追及されてしまう。「来週に」「今日じゅうに」というのが正しく、アポも「いずれ近いうちに」と曖昧にしておくのがいい。  

6 イエスかノーを明言するな
慎重にイエスかノーかを決める。二者択一の岐路では焦らず騒がず判断を急がない。モラトリアムで済ましておけば、後日どちらにでも転ぶことができる。急いては事を仕損じると言うではないか。どんな約束でも守りきるのは不可能なのだから、小さな約束くらい破ってもかまわない。

7 アマチュアとプロを都合よく使い分けろ
相手が格上、かつ仕事に自信がないのなら「まだ勉強途上なので」と言い訳をしておく。相手が格下ならば、堂々とプロフェッショナル顔をすればいい。真のプロにはプロとアマの二面性がある。  

8 「時間はタダ、いくらでもある」と信じろ
無理して今日じゅうに仕上げなくてもいい仕事がある。いったん決めても変更すればいい。明日は必ず来るわけだし、時間は自分の資源でタダみたいなもの。何とかなるものだ。

9 同時に複数の仕事をするな
所詮、自分の情熱、自分の思い以上の仕事なんてできないのだから、自己愛で生きるのが一番。二兎を同時に追ってはいけない。仕事は、優先順位ではなく、受けた順番に一つずつこなすのが正しい。

10  ばれないように手を抜け
「仕事はマメに、きめ細かく、とことん凝れ」と理屈を言うのがいるが、無視すればよろしい。大雑把で手を抜いても顧客がそれで満足ならいいのだ。そもそもずっと手間暇かけていたら心身が持たない。


逆説的にお読みいただいたであろうことを切に願っている。上手く読み取れる人は仕事のできる人だろう。グズで仕事のできない人は誰のことが書かれているのかピンとこないだろう。えっ、このままで終わると、本気で「スロープアー」を薦めているみたい? なるほど、そう理解される可能性なきにしもあらずだ。それはまずいので、「いずれ近いうちに」フォローすることにしよう。     

知を探すな、知をつくれ

昨日に続く話だが、まずは記憶力について。記憶力の問題は、インプット時点とアウトプット時点の二つに分けて考える必要がある。

注意力、好奇心、強制力の三つが働くと情報は取り込みやすい。テストなんて誰も受けたくないから好奇心はゼロ。だが、強制力があるので一夜漬けでも覚える。普段より注意力も高まる。ゆえに覚える。ぼんやり聴いたり読んだりするよりも、傾聴・精読するほうが情報は入ってくる。注意のアンテナが立っているからだ。好奇心の強い対象、つまり好きなことはよく覚えるだろう。なお、言うまでもないが、取り込みもしていない情報を取り出すことはできない。「思い出せない=記憶力が悪い」と思う人が多いが、そもそも思い出すほど記憶してはいないのだ。

記憶エリアは「とりあえずファイル」と「刷り込みファイル」に分かれていて、すべての情報はいったんは「とりあえずファイル」に入る。これは記憶の表層に位置していて、しばらくここに置きっぱなしにしているとすぐに揮発してしまう。数時間以内、数日以内に反芻したり考察を加えたり他の情報とくっつけたりするなど、何らかの編集を加えてやると、刷り込みファイルに移行してくれる。ここは記憶の深層なので、ちょっとやそっとでは忘れない。ここにどれだけの知を蓄えるかが重要なのだ。

さて、ここからは刷り込みファイルからどのように取り出して活用するかがテーマになる。工夫をしなければ、蓄えた情報は相互連関せずに点のまま放置される。点のままというのは、「喧しい」という字を見て「かまびすしい」とは読めるが、このことばを使って文章を作れる状態にはないことを意味する。つまり、一問一答の単発的雑学クイズには解答できるが、複雑思考系の問題を解決できる保障はない。一情報が他の複数の情報とつながっておびただしい対角線が引けているなら、一つの刺激や触媒でいもづる式に知をアウトプットできる。


刷り込みファイルで「知の受容器」が蜘蛛の巣のようなネットワークを形成するようになってくると、これが情報を感受し選択し取り込むレセプターとして機能する。一を知って十がスタンバイするようなアタマになってくるのだ。

考えてみてほしい。レセプターが大きくかつ細かな網目状になっていたら、初耳の情報であっても少々高度で複雑な話であっても、バウンドさせながらでも何とか受け止めることができる。蜘蛛の巣に大きな獲物がかかるようなものだ。ところが、レセプターが小さくて柔軟性がなければ、情報をつかみ取るのは難しい。たとえば、スプーンでピンポン玉を受けるようなものだ。ほとんどこぼしてしまうだろうし、あわよくばスプーンに乗ったとしても、そのピンポン玉(情報)は孤立していて知のネットワークの中で機能してくれない。

知っていることならわかるが、知らないことだと類推すらできない。これは知的創造力の終焉を意味する。知らないことでも推論能力で理解し身につける。知のネットワークを形成している人ならこれができる。ネットワークは雪だるま式に大きくなる。

知は外部にはない。知を探す旅に出ても知は見つからないし、知的にもなれない。あなたの外部にあるものはすべて「どう転ぶかわからない情報」にすぎない。それらの情報に推論と思考を加えてはじめて、自分のアタマで知のネットワークがつくられる。知の輪郭こそが、あなたが見る世界の輪郭である。周囲や世界が小さくてぼやっとした輪郭ならば、それこそがあなたの現在の知の姿にほかならない。 

情報はなかなか「知」にならない

数えたことはないが、年間延べ何千人という人たちに話を聞いてもらう。「延べ」だから、ぼくの話を十回近く聴く人もいる。言うまでもなく、同じ話を十回も聴いてくれる落語ファンのような人はあまりいない。つまり、ぼくの話を十回聴く人は、十種類のテーマの話を聴いてくれている。「プロとはいえ、異なったテーマの話を準備して、いろんな対象に話をするのは大変でしょう」とねぎらっていただくことがあるが、聴くことに比べれば話すことなどまったく大変ではないと思っている。

アウトプットの前にインプットがある。記憶力の良し悪しが問われる前に「記憶したかどうか」が問われる。何もせずに表現上手などということはない。どこかで表現を仕入れていなければ上手にはなれない。人が何事かを成している前段階では必ず何事かの仕入れがある。そして、前段階なくして次の段階がありえないように、聴く(あるいは読む)という認知段階は知的創造力に決定的な影響を及ぼす。わかりやすく言えば、学ばなければ使えるようにはならないのである。


だが、インプットとアウトプットのこの法則はなかなか成立しない。なかなか成立しない関係を法則と称すること自体おかしな話だが、必ずしも矛盾ではない。法則というのは「ある一定の条件のもとならば、つねに成り立つ」ものだから、裏返せば、「ある一定の条件を満たさないと、成り立たない」ものであってもよい。「多種多量の情報は知力の源になる」――この法則が成立するためには、(1) 取り込まれた点情報どうしが対角線を結び、かつ(2) 推論という思考の洗礼を受けることが欠かせない。

理屈上、知力10の人が取り込める情報は10である。この傾向は加齢とともに色濃くなる。つまり、ぼくたちは自分の知力でわかる範囲の、都合のよい情報だけを選択するようになる。人の話を聴いても知っていることだけを聴く(これを確認と言う)、本を読んでも納得できることだけを読む(これを共感と言う)。つまり、知らないことやわからないことを拒絶しているのだ。

もうお気づきだろう。この論法だと、人は永久に進化できないことになる。情報や知を「ことば」に置き換えてみよう。生を受けた時点でのことばの数はゼロ。知力ゼロだから何を学んでもゼロということになる。しかし、実際、乳幼児はゼロをに、2に、24にというふうに累乗的に語彙を増やしていく。知力が10であっても、その倍の情報をどんどん取り込んでいく。ある年齢までは、情報に接すれば接するほど、よく身につき知になっていく。


生きることが関係しているから、必死に情報と情報を結びつける。行間を読み文脈を類推する。知っている5つの単語で一つの知らない単語をからめとって理解しようとする。これによって、先の法則が成り立つのである。ところが、こうした対角線を引き未知を推論する努力を怠るようになってくる。自分が出来上がったと錯覚するのだ。

結論から言うと、いい大人になって思考力が身についていないと、いくら学んで情報を取り込んでも知にはならないのである。先ほど年齢と関わると書いたが、ここで言う年齢とは思考年齢である。だから、二十代・三十代であっても、いくら勉強しても知が拡張しない症状は起こりうる。

イタリア紀行32 「その名も美しい樹木」

アルベロベッロⅠ

アドリア海に面するプーリア州は、イタリア半島のアキレス腱から踵の部分にかけて細長く横たわっている。ここではオリーブ畑とぶどう畑が台地を埋め尽くす。オリーブもワイン用のぶどうも少雨と荒地には強い。このプーリア州にあって一番の観光名所になっているのが世界遺産アルベロベッロだ。アルベロ(Albero)は「木、樹木」、ベッロ(bello)は「美しい、すばらしい」。くっつけると「美しい樹木」という意味になる。

美しいかどうかの感じ方は人それぞれだろうが、たしかに広場や住居の所々に樹木は見える。ところが、地名の由来云々よりも、旅人は独特の形状をした住居群に尋常ではない好奇心を示す。円錐状にとんがった屋根がおびただしく立ち並ぶ光景を遠目に眺めると、まるで樹木が密生する林のように見えてくる。アルベロベッロを紹介する文章のほとんどは「不思議な街」や「お伽の国」という表現を使う。まったくその通りだが、映画やイベントのためにわざわざこしらえたのではないかと錯覚してしまいそうだ。

不思議の屋根をもつ住宅は街中に密集しているが、バスで街に近づく道中もオリーブやぶどう畑の丘陵地に同じ形状の農家が点在している。円錐形ドームを乗せたワンルームの建物はトゥルッロ(trullo)と呼ばれる。部屋が二つ以上になると複数形でトゥルッリ(trulli)という一軒の民家になる。石の建築文化としては特異の存在である。なにしろ良質な石灰岩が豊富に掘り出せるので、住居にもふんだんに石材を使える。しかも、すごいのは、切り出した石をモルタルやセメントを使わず、ただ積み上げるだけの構造なのである。

こんなスタイルの住宅はいったいどこからやって来たのか? 「メソポタミアあるいは北アフリカからクレタ、ギリシアを経て南イタリアに伝わったとする説が有力で、実際、語源的にも〈trullo〉はギリシア語の「ドームをもつ円形の建物」を表わす“tholos”に由来するとされる」(陣内秀信『南イタリアへ!』)。かと言って、起源は古代まで遡るわけではなく、16世紀半ば以降に発展してきたらしい。 

なお、このイタリア紀行はまだ続くが、これまで不十分な描写も多々あったかもしれない。今回のプーリア州について関心があればイタリア政府観光局のサイトをご覧いただきたい。そのついでに、他州にアクセスすれば、これまで取り上げた都市についても詳しく知ることもできる。

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アルベロベッロ市街へのバスからの光景。オリーブ畑が延々と続く。
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やがてトゥルッリの小集落や農家がぽつぽつと見えてくる。
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あちこちに切り石がぶっきらぼうに積んであったりする。
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遠景にアルベロベッロの街が浮かんでくると、まるで玩具の街のような奇妙な印象を受ける。
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人々が生活する地区、アイア・ピッコラ(「小さな麦打ち場」という意味)。
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屋根が積んであるだけとはにわかに信じがたい。
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アイア・ピッコラはおおよそ東西250m、南北200mの地区で400のトゥルッリがある。
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観光ルートにはなっておらず、住宅地を見て歩くという感覚である。
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アイア・ピッコラ地区から見渡す、もう一つのトゥルッリ集落、モンティ地区。
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ドームの屋根の先端にはピナーコロという小尖塔がついている。様々なデザインがあり、それぞれの家を象徴している。

「絵になる話」のための演出

初めての試みだったそうである。ぼくにとっても初めての体験だった。昨日の講演は美術館。場所は栃木県の文化の森に建つ宇都宮美術館だ。階段状の講義室が会場で、演台の置かれたステージが一番低い構造になっている。上目線ではないので、話しやすく聴いてもらいやすいしつらえになっている。

美術品を蒐集する美術愛好家ではない。だが、なまくら四つではあるものの美術一般に惹かれて生きてきたぼくである。館内に足を踏み入れた瞬間、わくわくし始めた。十年ほど前、研修が明けた翌日にこの美術館に連れてきてもらった。都会の雑踏を完全に遠ざけているので、アート鑑賞とちょっとした散策にはもってこいの立地である。

講演が終わって、講演内容に後悔はしていないし大きな失点もなかったと自己採点している。しかし、いつものように「もっと工夫する余地はなかったか?」と自分に詰め寄れば、ないことはない。環境、アプローチ、ファサードと近代美術館にふさわしい舞台だったのだから、もう少し絵になる演出ができたのではないか。いや、ハードウェア的には無理。だが、「絵になる話、話し方」ができたかもしれないと振り返っている。


演題は『マーケティングセンスを磨く』。愉快ネタや美学的タッチも仕掛けてあるのだが、やっぱり実学的テーマである。ノウハウ系の話は、どちらかと言うと、ドキュメンタリー写真のような構成になりがちで、なかなか「絵になる構図の話」にするのが難しい。会場が美術館らしいということは承知していたが、駅まで迎えに来てもらえるので、さほど意識がそこに向いていなかった。これからはTPOをもっとよくチェックする必要がありそうだ。

絵を描くための材料とマーケティングツールの対比、絵画技法とマーケティングの方法論、キャンバスと市場、構図と戦略、額縁と囲い込み、作品と広告、鑑賞と価値創造……100パーセント即興では無理かもしれないが、一週間前にこのような類比をしておけば、もっと色彩感が横溢する空気を醸し出せただろう。実学マーケティングもアートとのコラボレーションによって親しみやすくなる可能性はある。

「話が絵になる」。これには二通りの意味がある。話の中身・話し手・立ち居振る舞いや小道具・照明など演劇的印象を与えるというのが一つ。もう一つは、音の組み合わせであることばが文になりストーリーになり、やがて絵になって見えてくるという効果。講演における来場者を、聴講者、聴衆、受講者などと呼ぶが、「講演を観てもらう」という「観客」としてもポジショニングしてみたいと思う。

差異と変化について

えらく硬派なテーマである。本を読んでも人の話を聞いても知り合いのブログに目を通していても「変化」という文字がやたら目につく。ぼくも講義でしょっちゅう使っている。「変化とスピード」をクレド(経営信条)として掲げている得意先もある。他方、格差や差別や分別など、一言で「差異」とくくれる概念も目立つ。先週のマーケティングの講演で「差別化か、さもなくば死か」という、ジャック・トラウトの物騒なテーマも取り上げた。人は差異と変化によって成り立っている―これが、ぼくが導こうとしている主張である。

差異。差異があるから比較したり対立させたり、いずれかを選択したりできる。一番近い本棚に『政策形成の日米比較』という10年前の本があるが、比較するのはそこ(日米間)に差異があるからである。社会の中から自分だけを切り取って語るのは難しい。自分とは他人との差異によってはじめて語るに値する存在である。得は損によって、夢は現実によって、善は悪によって明確になる。二項以上が並立したり対立するのは差異ゆえである。

初めて誰かを見たり接したりする。たとえばRさん。このときあなたがRさんに持つ印象は、Rさん本人だけからやってこない。それはSさんやTさんとの差異に基づくのであったり、あるいは一般的な人間の尺度との差異による印象であったりする。これは人にかぎらない。ふきのとうの天ぷらを苦く感じたのならば、それは苦くない他の食材との差異ゆえである。何かと対比しなければ、苦さすら感じないのだ。これは食材だけにかぎらない。ことばも概念も同じだ。「今日」ということばは「昨日」と「明日」との差異によって成り立っている。「まぐろ」を注文して「はまち」や「よこわ」が出てこないのは、客も寿司職人も差異がわかっているからである。


この差異に加えて、変化ということばをぼくたちはどのように使い分けているのだろうか―こんなことを数日前から考えていた。

列車の旅をしていて、P村からQ町に近づく。切れ目なくアナログ的に窓の外が移ろうので、このときは「風景が変わる」というように「変化」という表現を使う。ところが、飛行機に乗りM国からN国へ向かう。機中で寝ているうちに到着する。ある意味でデジタル的なワープがそこに起こっているので、M国がN国に変化したのではなく、M国とN国との(突然の)差異に気づくのである。

連続するものに「変化」を用い、非連続なものに「差異」を使っているのかもしれない。おたまじゃくしは蛙に「変態」する。メタモルフォーゼは同一固体における外形・性質・状態の変化である。これを「おたまじゃくしから蛙に差異化した」とは言わない。

K君と初対面。「太い」という印象を受ける。このとき、ぼくたちは特定のL君や一般的な尺度との差異を見て太いと感じる。二度目にK君と会う。このときも、たしかに「やっぱり太い」という差異を認めるが、新たにK君における変化をも見る。三日前のK君と今日のK君の体重の変化を感じている(「こいつ、また太った」)。こうしてK君と長く付き合っていく。そうすると、他者との差異には鈍感になっていき、K君自身における変化のみに敏感になってくる。これは体重だけではない。顔つき、服装、能力、立ち居振る舞い、趣味などありとあらゆる面の変化を嗅ぎ取るようになる。

「個性をつくれ」は差異であり、「能力を伸ばせ」は変化である。他人と違う発想をもつ―これは差異だが、標準から逸れるのを恐れる日本人にとっては結構難しい。しかし、もっと難しいのは、昨日の自分の発想から離脱する変化である。「変わりたい、でも変われない自分」がいつもそこにいるからだ。


イチローのTVコマーシャルを思い出す――「RVは変わらなきゃ」。しかし、翌年か翌々年には「変わらなきゃも変わらなきゃ」に変わった。変化してほっとしていてはいけない。変化はエンドレスなのだ。「変化しなければ生き残れない」。その通りである。しかし、このコンセプトを固定させてもいけない。毎度毎度変化を実践している者にとっては、「変化しないでおこう」という選択の変化もありうるのだ。アタマが混乱してしまいそうだが、差異と変化は不思議でおもしろい。

時間、寛容、自由の3点セット

つい「もったいない時間を過ごした」とつぶやいたが、まんざら悪い気もしていない。今朝、本来なら30分で済んだかもしれない打ち合わせが3時間になってしまった。脱線、見直し、小言などであっという間に時間は経過した。半時間で終わる予定が3時間になった―3時間要してしまったのだが、見方を変えれば、3時間注げる余裕があったということでもある。別の約束があったり期限を妥協なく設定しておけば、予定通りに終わった、いや終えることができたはずである。

サラリーマン時代の話。もう25年くらい前になるだろうか。縁故で商談に出掛けていた上司が帰社してぼくにこう言った―「紹介してもらった人は部長だったけど、2時間も話を聞いてくれた。たぶん、あまり仕事のできない、閑職にある人なんだろう。暇人でなければ、そんなに時間は取れないからな」。会ってくれた相手にそんな言い方はないだろうとぼくは思った。その部長は多忙にもかかわらず、寛容の精神で接してくれたかもしれないではないか。風呂敷のたたみ方を知らぬ上司のほうこそ仕事のできない暇人ではなかったか。

暇人だから時間に融通がきくとはかぎらない。たしかにそんな御隠居さん的ビジネスマンもいる。しかし、「忙中閑あり」も真実だ。人は多忙だと思っているわりにはゴミ時間も消費している。逆に、時間がたっぷりあると油断していると、あっという間に一週間や一ヵ月が過ぎてしまう。忙と閑をうまく使い分けて時間管理をきちんとしていれば、時間に対して寛容になれる、つまり「あなた時間でいいですよ」と言えるようになる。


アポイントメントを取るとき、月日は双方合意で決めるのは当たり前。その後の時間決定の段になると、ぼくは原則として相手に時間指定権を譲る。こちらから出掛けていってお邪魔するときも、相手に来てもらって迎えるときも同じである。「その日は終日空いています」とか「夕方以外は午前、午後いつでもいいです」というふうに自由に時間を選んでもらう(もともと欲張って分刻みの約束はしないし、できるかぎり一日のアポイントメントは一件、せいぜい二件までにしている)。

「あなた時間」で決めたからといって自分が束縛されたり窮屈になるものではない。「あなた時間」に「自分時間」を合わせることができる―これこそが真の自由時間だと思っている。暇であるか多忙であるかという状態と、時間が自由であることはあまり関係がない。先行して段取りさえしておけば、多忙であっても自由時間は持てる。後手後手に回ると、暇であっても時間は自由にならない。

時間だけではない。時間以外の諸条件も相手の主張をできるかぎり呑むことによって自由が生まれると思っている。自由が欲しければ、まず寛容にならねばならないのだ。

「時間? お任せしますよ」と言えるようになってはじめて、時間をコントロールできたことになる。いつでも自分時間で動けるのは、一見マイペースのように見えるが、「その時間帯」以外が窮屈ということだ。「この時間でなければならぬ」という人物は、可哀想に自由がないのである。その人たちの手帳は屑みたいな約束とゴミ時間の印で埋められていることが多い。

イタリア紀行31 「肩肘張らない世界遺産」

フェッラーラⅡ

「次回のイタリア紀行はどこですか?」 一ヵ月ほど前、この紀行が一週間とんでしまった時にある人に尋ねられた。「フェッラーラのつもりだけど……」と答えた。なぜ「だけど……」かと言うと、フェッラーラのネガフィルムがデジタル変換できておらず、間に合うかどうかわからなかったからだ。案の定、一週間空いてしまった。おまけに、取り上げたのはフェッラーラではなく、ピサのほうであった。

尋ねた彼はフェッラーラの場所をよく知らなかったが、「あ、『フェッラーラ物語』という映画がありましたよね」と、さもぼくがその映画を知っているかのようにことばをつないだ。イタリア紀行などというものを書いているものの、さほどのイタリア情報通ではない。まず映画そのものをあまり見ない。イタリア映画もよく見逃している。1987年の映画で彼自身がストーリーをほとんど覚えていない。調べてみた。『フェラーラ物語 / 金縁の眼鏡』というタイトルである。あらすじだけからの想像だが、この映画を観てからフェッラーラを訪ねていたら、だいぶ印象が変わっていたに違いない。観ていなくてよかったし、今から観たいという気分にもならない。いつも思うことだが、旅の予備知識はあるほうがいいのかなくてもいいのか、あるほうがいいのなら多いほうがいいのか少なくてもいいのか……実に悩ましい。

悩ましいと言えば、海外地名の表記だ。“Ferrara”を「フェラーラ」と表記するか、本ブログのように「フェラーラ」とするかの選択に悩む。上記の映画の邦題もウィキペディアでも「フェラーラ」だが、手元のガイドブックをはじめ専門書や紀行文では「フェッラーラ」が多いのでそれに従った。イタリア語では同じアルファベットが二つ連続するときは、直前の音に「小さなツ」をくっつけて拗音化すると現実の発音に近くなる。“Ferrara”“rr” なので、直前の “Fe” を「フェ」と発音する。“Cavallo” (馬)は「カヴァロ」、“Spaghetti” は「スパゲティ」になる。

この日は月曜日だった。カテドラーレや広場はまずまずの賑わいを見せていた。ここは自転車の街と聞いていたし、駅前でも溢れんばかりの台数を目撃していた通り、歩行と走行が入り混じる。しかし、中心からほんの少し離れてちょっと横道に入ると一気に閑静な趣に変わる。時折り颯爽と通り過ぎていく自転車。身のこなしがかっこよく見えるのは、舞台装置のせいか。

これまでの紀行で繰り返し「中世の面影」や「時代の香り」や「文化の名残り」をはじめ、これらに類する表現を多用してきた。そういうことばをこのフェッラーラに流用できないこともない。しかし、「ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」が世界遺産登録されているフェッラーラに「古色蒼然」は感じられない。ここは古代色や中世色の濃厚な他のイタリア都市とは違って、近世的に洗練されている印象を受ける。そして、それが現代にも連なっていて、肩肘を張らない日常生活光景と上手に共生しているように思われる。いい街――それは“decente”という形容詞が近かった。「ほどよく抑制のきいた」というニュアンスである。 《フェッラーラ完》

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実に落ち着いた街路の遠近感ある構図が気に入った。
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通りごとに道の色合いが微妙に変わる。
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鉄道駅までの帰路で現れた豪邸。かつての貴族の館か。
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しゃれたバール、さりげなくしつらえられた路肩。
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エステンセ城から南へほんの100メートル歩くと、トレント・トリエステ広場に出る。
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市庁舎、大聖堂、ドゥオーモ美術館が建ち並ぶ。
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なんともゆったりした広場の石畳を人が歩き自転車が自由に走る。
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大聖堂のファサードはロマネスクとゴシック様式が混在するデザイン。教会の軒下を利用して商店が並んでいる。

過去との対話で気づく新しさ

本ブログは7つのカテゴリに分かれている。当然、それぞれのカテゴリには名称に見合った「意図」がある(少なくとも当初はあった)。

視線と視点」では持論を綴るつもり、「IDEATION RECIPES」ではアイデアの出し方を紹介するつもり、「ことばカフェ」はことばに関するもろもろの雑感のつもり(コーヒーは出ないが)、「五感な街・アート・スローライフ」はぼくの趣味や理想の暮らし方のつもり(現在はイタリア紀行に集中しているが)、「温故知新」は昔の自分のメモの再解釈のつもり、「Memorandom At Random」は日々の気づきを書いているつもり、「新着仕事 拾い読み」は最近の仕事の話のつもり……。

こうして一覧すると、「温故知新」が、当初の「つもり」とだいぶ路線が違ってしまっている。ここでの「古きをたずねて」の「古き」は自分自身が過去に書いたメモ帳、「新しきを知る」の「新しき」は現在のテーマのつもりであった。だが、だいぶ変容してしまっている。人はおおむね昨日よりも今日、今日よりも明日成長するという楽観的前提で生きているが、もしかして昨日のほうがいいことを考えていたのではないか、もしそうならば時々過去の自分と対話してみるべきではないか―こんなふうに考えて「温故知新」というカテゴリを設けたはずだった。

一番最近の「温故知新」の記事など、大それた時代論になっているし、むしろ「五感な街・アート・スローライフ」のカテゴリに振り分けるべきだったかもしれない。ちなみに、この「温故知新」をぼくは”Forward to the Past”と英訳している。もちろん”Back to the Future”との対比のつもりで、「過去へ進む」というニュアンスを込めている。これからは大いに反省をして、本来ぼくが思惑とした原点に戻ろうと思う。


ディベート指導を頻繁にしていた1994年のノートに本の抜き書きメモがある。

騙されるということは、どの点とどの点が、どのように違うのか、対象をきちんと鞫曹ワえていなかったために起こるのである。「己れを知り、敵を知らば、百戦危うからず」である。そのため、ギリシャの弁論術から、われわれは自己と対象を客観的に眺める、”つき放しの精神”を学ぶことが大切である。
(向坂寛『対話のレトリック』)

最近ことばの差異、商品・サービスの差異、情報や記号の差異について考えている。類似よりも差異に意識が行っている。考えてみれば、ディベートは極端な差異を扱う論争ゲームである。だから疲れる。そう、差異を理性的に見極めるのは大変なエネルギーを必要とする。「みんな同じ」と考えるほうがよほど楽だし目分量で片付けられる。

つい親しくなると突き放せなくなる。親しくなると議論しにくくなるという意味である。もし、親しくなかったらノーと言っているはずなのに、ただ彼を知っているという理由だけでノーと言わなくなる。親密度と是非はまったく別のものだ。ノーと言ってヒビが入るような人間関係なら、もともと砂上楼閣だったわけである。

信頼していた人物が失墜した、あるいは絶賛した商品が欠陥品だった、支援したイベントがインチキだった……こんな話が目白押しの昨今、プラスからマイナスに転じた対象だけを咎めるのではなく、己の側に突き放しの精神が欠けていたことも猛省すべきだろう。たしかに騙されたかもしれないが、理性不足であり見る目がなかったとも言えるからである。先の抜き書きは次のように続く。

ユーモアやアイロニーは、このように客観的にコトバと自己とをみつめる余裕から生まれたのである。これは甘えの精神と相反するものであるだけに、われわれにとって大いに自覚して努力することが肝要であろう。

愉快精神と批判精神の足りない時代だと嘆いてきたぼくにとって、久々に視界が開ける過去のメモになった。これが温故知新の効用である。    

ツケの大きい先送り

今夜、今から3時間後にマーケティングについて2時間弱の講演をおこなう。この内容についてすでに三週間前に資料を主催者側に送り、準備万端であった。ところが、講演で使用するパワーポイントを今朝チェックしていてふと思った―あまり早く準備するのも考えものだと。

全体の流れや構成は全部アタマに入っている(自作自演するのだから当たり前だ)。しかし、集中して編み出したアイデアやディテールについては、別にダメだなどとは思わないが、時間の経過にともなってピンと来ない箇所があったりする。「これ、何を言おうとしたのかなあ?」という、瞬間の戸惑いだ。それも無理はないと自己弁護しておく。話であれ書いたものであれ、話して書いた瞬間から賞味期限が迫り、やがて切れていくのだから。

しかし、効率という点からすれば、講演なら一週間くらい前に準備してアタマに入れておくのが、ちょうどいい加減なのかもしれない。そんなことを午前中につらつらと考えていた。


「先手必勝」や「善は急げ」や「機先を制する」などという言い伝えと同時に、「急がば回れ」や「急いては事を仕損じる」などの価値が対立する諺や格言が存在する。いずれにも真理ありと先人は教え諭してきたのだろうが、凡人にとってはどちらかにして欲しいものである。つまり、急ぐのがいいのかゆっくりがいいのか、あるいは、早めがいいのか遅めがいいのか―ズバッと結論を下してもらったほうがありがたい。すべての諺を集大成すると、堂々たる「優柔不断集」になってしまう。

だが、ぼくは自分なりに決めている。自分一人ならゆっくり、他人がからむならお急ぎである。講演は他人がからむ、資料は他人に配付する。だから早めに準備しておくのが正しい。二度手間になってもかまわない。できるときにしておくのがいい。善は急げとばかりに、さっき一ヵ月後の研修レジュメをすでに書き上げスタンバイさせた。


膨大な企画書を何10部もコピーしてプレゼンテーションしなければならない。そんな企画書が提案当日の午前にやっと出来上がる。プレゼンテーションはお昼一番だ。一台しかない複写機がフル稼働する。ランチをパスしてホッチキス留めして一目散に得意先に向かう。何とか三十分後に到着し、無事に会合に間に合った。しかし……

企画書を手にした部長が一言。「この企画書、まだ温かいね」。そう、鋭くも的確な皮肉である。「この企画はたぶん熟成していない。したがって、検証不十分のまま編集されたのだろう」と暗に示唆するコメントであった。ご名答! である。ぼくの体験ではない。若い頃に目撃した、ウソのようなホントの一件である(実際にコピー用紙は温かかったのだ)。仕事の先送りは、熟成を遅らせることであり、ひいては検証不能状態を招くことなのだ。

グズだから怠け者だから先送りするのだろう。しかし、生真面目な人間であっても、ついつい先送りを容認して習慣化していくと、グズになり怠け者になっていくのである。ぼくは、その両方のパターンを知っている。その二人とも働き盛りなのに、ツケの返済に日々追われて創造的な先手必勝の仕事に手が届かない。