ノルマという強迫観念と習慣形成

親愛なる読者の皆さん、どうか透明な心でお読みいただきたい。ぼくにはまったく悪意などないし、誰か特定の方々に向けて嫌味を言うのではない。ブログでは当たり前のことだが、もし気に入らないくだりに差しかかったら即刻退出していただいて結構である。今日のテーマは、ブログに関する「観念と習慣」の話。

気が向いたら毎日、そうでないと一ヵ月も二ヵ月も空くブログ。こんな気まぐれと付き合う気はしない。規則正しい頻度なら週刊でもいいが、月刊は間が長すぎる。「待ちに待った」というほど読者は期待していないだろう。

この〈Okano Note/オカノノート〉は、自分なりにはリズムはあるものの、不定期更新である。しかし、月平均20日くらい更新しているので週に5日の頻度で記事を書き公開し、一ヵ月のうち60から80パーセント「埋めている」ことになる。書くテーマがあっても書く時間がないときがあるし、時間がたっぷりあってもテーマがさっぱり浮かんでこないこともある。もちろん、テーマ・時間ともに豊富であっても「その気」にならないこともある。ぼくに関して言えば、テーマも時間もないのに自分だけが「その気」になって書くことはない。


「毎日ブログを書く」にもいろいろある。数日間更新しなかったが、後日まとめて記事を書いて抜けた日々を埋めていくやり方―この場合、更新されたその日の分はしっかり読んでもらえるかもしれないが、その二日、三日前のはざっとしか目を通してもらえない可能性が高い。毎日日付が入っているという意味では「日々更新」というノルマは達成されてはいるが、意地と強迫観念が見え隠れする。

毎日一つの記事を更新する――これが純正の「日々更新」なのだろう。強迫観念だけではやり遂げられるものではない。もはや朝の歯磨きに近いほど習慣が完璧に形成されていないとできない。ある意味で、歯磨き以上の習慣力が必要だ。なぜなら歯磨きは3分間で済むし、毎日異なったテーマを求めてこない。ブログのエネルギーは歯磨きの比ではない。

数日間空いたのを後日穴埋めすることもなく、毎日更新する――それは感嘆に値する習慣形成である(たとえば、テレビでお馴染みの脳科学者・茂木健一郎のブログ「クオリア日記」がそれだ)。


昨年6月からブログを始めたが、ノルマを公表しなくてよかったとつくづく思う。ぼくは三日坊主の性分ではないが、毎日と決めるとアマノジャク的に嫌になってしまう。「気の向いたときに書いてみよう」という軽い動機くらいのとき、ぼくは結構マメにこなす。さほど暇人でもなく出張が多い身で、週45回更新していたら一応合格ではないかと思っている。

ここで話を終えてしまうと、「なんだ、やっぱり毎日更新しているオレに対する嫌味じゃないか!?」と思われてしまう。そうではない。ブログは一種の観念であり習慣であり、場合によっては意地であり修行である。そんなブログを毎日更新している方々に敬意を表しておきたい。マラソンにたとえると、ぼくの前を走るペースメーカーのようだ。背中を見ていると何とかついていけそうな気がする。しかも、強迫観念の風はぼくには当たらないのが何よりである。 

イタリア紀行30 「 ルネサンス期の宮廷都市」

フェッラーラⅠ

2004年の欧州紀行ではややハードな旅程を組んだ。関西空港からオーストリア航空を使い、ウィーンに2泊、空路ローマへ向かい2泊。次いで、ペルージャ(1泊)、フィレンツェ(4泊)、ボローニャ(3泊)へと鉄道の旅。復路はボローニャからウィーン、そして関西空港へ。機内を含めて13泊。フィレンツェ滞在中にシエナとピサへ日帰り旅行した。今回のフェッラーラへはボローニャ滞在中に出掛けた。フェッラーラはボローニャからはとても便利で、ヴェネツィア方面に列車で半時間ちょっとの立地。

当時知人がローマに住んでいた。在住30年の日本人男性である。その彼が親切にも全旅程のホテルを予約してくれた。ローマで彼に会い、お礼にランチをご馳走させてもらった。その後に向かうフィレンツェのお薦めレストランやシエナの情報も教えてくれた。ついでとばかりに、ボローニャ近郊の日帰り旅行について尋ねてみた。「パルマかフェッラーラのどちらかに行くつもりにしている。どちらがいいだろうか?」

生ハムのブランド「クラッテロ」やパルメザンチーズで世界に名を馳せるパルマに以前から心を動かされていた。しかし、機内でガイドブックをめくり読みしているうちに、パルマの知名度の足元に及びもしないフェッラーラに、無知ゆえの好奇心が芽生え始めていた。知人はまったく逡巡することなく、「二択ならフェッラーラですよ。いい街です」と答えた。この即答で行き先は決まった。

「すごい」に類する感嘆とは無縁だったが、知人の言う通りいい街だった。しかし、さらりと「いい街」と言ってのけられる街などそんなに多くはない。ルネサンスはフィレンツェの専売特許のようによく語られる。だが、フィレンツェにメディチ家というパトロンがいたように、当時のイタリアの他の都市にもそれぞれ有力者がいて独自のルネサンス文化の発展を支えていた。フェッラーラにはエステ家が1264年から1597年まで300年以上君臨していた。

「最もルネサンス的な都市と言われているのは、フェッラーラ公国であって、フィレンツェではない」と『イタリア・ルネサンス』(澤井繁男著)には書かれている。さらに、同書はスイスの歴史家ブルクハルトの言も引用して、「フェッラーラがヨーロッパ最初の近代的な都市」とも付け加える。帰国してから知ったことだが、「いい街」は「どえらい街」だったことがわかり、そぞろ歩きと軽めのランチをしてさっさとボローニャに帰ってきたのが惜しくなった。二都を追いかけると必ず心残りのツケが回ってくる。

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何の変哲もない駅前光景。おびただしい自転車が目立つ。
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市街へのカヴール通りは並木道。
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無限回廊を思わせる城内の通路。
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エステ家の居城「エステンセ城」。現在は市庁舎。堀に囲まれ4本の塔が建つ。
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柱の装飾。「ご苦労さま」と声を掛けたくなる。
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レストランでラヴィオリを食べながら騎馬像を見る。
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道幅の広い街の中心街では、人と自転車が忙しく行き交う。

「はい!」 元気な返事は要注意

自分が「はい!」と元気よく反応することもあるし、相手がこちらに対応して「はい!」と元気な場合もある。ぼくはめったなことでは調子よく愛想を振りまかないが、「来週に大阪? じゃあ、食事に行きましょう」と軽やかに条件反射することはある。しかし、「は~い! ぜひぜひ!」と愛想よく返事をする人と実際に食事をすることはきわめて稀である。逆も真なり。「近々相談に乗ってくださいよ」に対して「はい!」とぼくが元気に答えるときも、めったに仕事成立には至らない。

元気な返事が一種の虚礼であり社交辞令であり人間関係の潤滑油であることを知ったのは、十年くらい前。ずいぶん晩熟だったものだ。それまでぼくは、「はい」とは承諾であり賛成であり実現に向けて努力をする意思表明であると純粋に考えていたのである(「はい!」と元気よく返事されたら、ふつうは性善説に傾くだろう)。だが、ぼくはもう騙されない。考えてみれば、「はい」で会話が終わること自体が不自然なのだ。実行に至るのなら、どちらか一方から「では、日時を決めましょう」となるはずである。


事はアポイントメントにおける「はい」だけに終わらない。「例の案件、考えてくれた?」に対する「はい!」にも気をつけるほうがいい。経験上、「考えた?」への「はい!」は十中八九考えていないし、「分かった?」への「はい!」も99パーセント分かっていないし、「できる?」への「はい!」は「できないかも」と同義語である。最近のぼくは「はい!」は”イエス”ではなく、「とりあえず返事」であることを見抜いている。だから、「はい」で会話を終わらせてはいけない。コミュニケーションが少々ギクシャクしても、“5W1H”のうち少なくとも二つくらいの問いを追い撃ちしておいたほうがいい。ついさっきも、元気な返事の欺瞞性を暴いたところだ。

夕方4時半に来客がある。コラボレーションでできるビジネス機会について意見交換をする。担当のA君に内線で確認した。「何かテーマなり提案内容を考えてる?」と聞いたら、「はい!」と返事が元気である。言うまでもなく、この開口一番の「はい」は「考えていない」ことを示す兆候だ。「たとえば?」でもいいのだけれど、あれこれと取り繕う可能性もあるので、ちょっとひねって「考えたことを紙に書いた?」と、逃げ道のない追い撃ちをかけた。「いえ、書いてはいません」と彼。この後、考えていないことが暴かれていった2分間の経緯は省く。

ソシュールを乱暴に解釈すれば、書いたり話したりするなど言語化できないことは「アタマの中でも考えていない」ことになる。ことばを発して初めて思考は成立する。「口に出したり書いたりはできないけれど、ちゃんと考えていますから」はウソである。「考えてはいるけれど、うまく言えない」というのもコミュニケーションの問題ではなく思考力の問題である。うまく言えないのは語彙不足だからであり、語彙不足ならば理性的思考はしづらいだろう。厳しい意見になるが、「うまく言えないのは、考えていないから」なのである。


「はい!」はぼくへのウソであると同時に自分への偽りだよと、A君に言った。人間は自分が考えていると思っているほど考えてはいない、とも言った(ぼく自身の反省でもある)。最後に「このブログに『A君につける薬』という新しいカテゴリを作ったら、『週刊イタリア紀行』よりも人気になるかもしれないな」と言ったら、「いや、それはご勘弁を」と平身低頭。「ネタは無尽蔵なんだけどなあ」とぼく。いずれ本にして出版してもよい。すでに「あとがき」までできている――「書物に、実社会に、人間関係にと、A君につける薬を求め続けたスキル探訪の旅は終わった。結局、そんな薬はなかった。最後の頼みは、A君自身の毒を以って毒を制すことである」。 

余計なことを考えたり口に出す精神

まったく縁のない話は、いくら想像を働かせてもまったくわからない。まったくわからないことに絡んだりツッコミを入れたりすることは不可能である。その話題や事柄と接点がなければ、批判すらできない。批判精神を高尚なるものと思いがちだが、そんな大それたものではない。すでに知っているか、何らかの関心があることに対して「ちょっと待てよ」というのが批判精神だ。その批判精神が「余計なことを考えさせたり、一言口に出させたり」するのである(言うまでもなく、知らないことや関心のないことは賞賛も批判もできないし、するべきでもない)。

一昨日ある格言(諺?)を初めて知った。「碁に負けたら将棋に勝て」がそれだ。ほほう、こんな言い回しがあるのかと淡々と吟味してみた。ぼくは碁は知らない。周囲に碁打ちがおらず、いっさい学ぶ機会がなかった。将棋は二十代の頃に二年間ほど嵌まった。基本は独習したが何度かプロにも教わったし、道場にも通った。実戦機会が少なく「ペーパー四段、手筋三段、実力二段」などとからかわれた。おもしろいことに、道場ナンバーワンのアマチュア四段に勝ったこともあれば、中学一年の三級に惨敗することもあった。波は激しいほうだが、決してヘボではないと自覚している。

さて、「碁に負けたら将棋に勝て」。碁を知らなかったら、そもそも碁を打たないだろうから、碁に負けることはない。その彼が将棋を知っているにしても、「碁に負けたら」という仮定が成り立たない。次に、碁は知っているけれど将棋は知らないという別の彼にも当てはまらない。「碁で負けた。ちくしょう、次は将棋だ」と矛先を変えることができないからである。もうお分かりだろう。これは碁と将棋の両方をたしなむ人に向けられた格言なのである。


ところで、あることで負けたけれど別のことで勝てば相殺できるのだろうか。「幸福度ではお前に負けるが、頭の良さでは勝つぞ」と言ってみたところで、単なる負け惜しみではないか。賢さなどよりも幸福のほうが絶対にいいとぼくは思う。もっと言えば、幸福でありさえすれば、他のすべてが連戦連敗でもいいのかもしれない。

以前NHKの衛星放送で藤山直美と岸部一徳が対談をしていた。一言一句まで正確には覚えていないが、「舞台で失敗して憂さ晴らし云々」と語る岸部に対して、藤山が「舞台で失敗したもんは舞台で取り返さなあかん!」とたしなめていた。10歳以上も年上になかなか飛ばせない檄である。こういうのを最近は「リベンジ」ということばで済ませるのだが、誰か相手がいて仕返しをしているわけではない。ダメだ失敗だと思うたびに対象を変えたりレベルを落としていては、永久にプロフェッショナルにはなれないだろう。

昨日、日本対オーストラリアのサッカーの試合を観戦した。ワールドカップドイツ大会の借りを返すだのリベンジするだの騒いでいたが、舞台違いじゃないかとぼくは思っていた。負けたのはワールドカップの本場所だ。今回はアジア予選だ。「世界で負けたらアジアで勝て」などということは、アジアの偏差値が世界を逆転してから言うべきだ。結果、引き分けだった。「世界で負けてアジアで引き分け」では格好はつかない。


碁と将棋の話に戻る。あなたが完敗に近い形で碁で負けたとする。悔しいあなたは負けた相手に「ようし、今度は将棋だ!」と挑戦する。相手は困惑気味にこう言う――「あのう、私、将棋は指せないんです」。将棋で勝つどころか、将棋で戦えないのだ。さあ、あなたはどうする? 将来彼を倒せるようになるまで碁を猛勉強するか、それとも彼に将棋を教えて早々に勝利の美酒に酔うか。      

大差のようで僅差、僅差のようで大差

今週金曜日に第2回の書評会がある。残念ながら、ぼくが取り上げた本の書名は現時点で公開できない。少しだけ紹介すると、「350万冊の蔵書がある図書館」の話が出てくるくだりがある(ちなみに国会図書館はこの倍数あるそうだ。拙著の二冊も収めてくれているらしい)。今日は、この図書館の話から触発されたぼくの連想を綴ることにする。

この天文学的な蔵書数を分母に見立ててみる。一冊読んだ時点で350万分のの知を得るというわけだ。奇跡的な一日一冊という超人的読書家は想定しない(だいたい超人なら本など読まなくていいだろう)。現実的に考えると、週に一冊読む人は熱心な読書家であり、しかもしっかりと精読している可能性すらある。年に50冊を70年間続けると、生涯読破本は3500冊になる。これは驚嘆してもいい数字だと思う。さて、もう一人想定しておく。読書はあまり好きではないが、年に一冊くらいなら読むという人。読書人生70年として70冊になる。

偶然にして暗算可能な数字になったが、念のために電卓ではじいてみる。読書家は当該図書館の蔵書の0.1パーセントの知を獲得した。もう一方のあまり読まない人で0.002パーセントである。少々乱暴だが、小数点以下切り捨てなんてことを適用すると、いずれもゼロになってしまう。図書館をビュッフェスタイルのホテルレストランにたとえれば、世界各国から選りすぐった百種類の料理を出したところ、二人とも一種類の料理の匂いだけを嗅いだだけだった――そんな感じである。二人に歴然とした差はない。森羅万象の知の前では、よく読んでもあまり読まなくても同じようなものなのだ。


すべての人類は、ありとあらゆる書物に対して「ほとんど非読・未読の状態」に置かれている。みんな「読んだ」とは言うが、まさか「読んでいない」とは吹聴しないだろう。生涯、万巻の書など読めやしないのである。知というものは、よく究めても全知のパーセントにも満たない。そういう意味では、人間はみんなそのパーセント未満の知の世界にあって僅差でしのぎ合い折り合っているのだ。格差社会とは無縁の、平等な世界に見えないこともない。

しかしながら、察しの通り、以上は都合のよい推論である。実社会では僅差のような知の格差が大差となって表れる。なぜだかわかるだろうか。上記の3500冊氏と70冊君を比較する時、わざわざ分母を350万冊にする必然性などない。つまり、二人とも読んでいない大多数の書物について両者は知の多寡を競うことなどできないのだ。両者の読んだ本が重複してようがしてまいが、3500冊氏が圧倒的優位に立っていることは容易に想像できる。

神や観音や天才を引き合いに出したら、みんな同じ知力になるだろう。この視点では、「知っていること」と「知らないこと」は大差なようで僅差なのだと謙虚に自覚しておく。しかし、現実は二人なりグループなりの、当面のメンバー間での「知っていると知らない」が尺度になる。そこでは、紙一重が知らず知らずのうちに大差になってくる。小さな知識をゆめゆめバカにしてはいけないと、これも謙虚に自覚しておく。言うまでもなく、無知のままではいずれの謙虚な自覚にも到ることはできないだろう。

知っていることと知らないこと

仲間が七、八人集まっているとする。その席で誰かが「ご飯を食べたり、お酒を飲んだり」まで言いかけて少し間を置いたときに、その中の誰かが「ラジバンダリ」と後を継ぐ確率はどのくらいあるだろうか? 「食べたり」を「タベタリ」、「飲んだり」を「ノンダリ」と、それぞれ外国人または合成音のように発音してみたら、「ラジバンダリ」が出現する確率はアップするだろうか? あるいは、このブログのここまでの書き出しを読んで、必ずしも笑ってもらう必要などないが、何かにピンときた人はどのくらいいるものだろうか?

お笑い好きにとって、自分の周囲で今が旬のお笑いネタが通じるかどうかは気になるテーマらしい。「このメンバーだと、あれは使えそうかな」という具合に場の空気を読んでギャグを使わねばならない。使いたいけれど、通じそうにないときは「こんなギャグを知ってる?」と確かめてから披露することになる。わかってもらうためだけならば、「古い!」とののしられることを覚悟で、二年くらい前に旬を過ぎたネタを使えばよい。

集まりの席に「笑いの波長の合う人間」が一人でもいたら、気分は余裕綽々。一人が反応して爆笑してくれさえすれば、披露したネタなりギャグがかろうじて滑らなかったことを示すからである。場合によっては、笑わなかったその他大勢を「無知ゆえに笑えなかった」とか「センスがないから笑えなかった」と見下すことさえできるだろう。

自分を中心として形成される人の輪にはそれぞれ独自の喜怒哀楽の波長があるように思われる。その自分が別の輪では脇役だったりする。そこではまったく別の波長が支配する。いずれにせよ、一番むずかしい波長が笑いだ。「ぼくの周囲の〈ラジバンダリ度〉はイマイチだけど、〈吟じます度〉は結構高いよ」とか、「うちの仲間うちでは、〈でもそんなの関係ねぇ度)がまだそこそこのテンションを保っている」なんて会話がありうる。ここまでの話、まだ何のことかさっぱりわからない人にわかってもらう術はない。また、わかる必要もないかもしれない。但し、輪の種類が違うことは歴然だろう。もちろん、輪が異なっているからといって村八分にされるわけではないが……。


流行、事件、話題など、毎日空恐ろしいほどの情報が発信され飛び交っている。何をどこまで知っておくことが「常識」であり、話題をどの程度共有しておくことが「輪の構成員」の条件を満たすことができるのか。「やばい」が「犯罪者が使う用語で『危ない』」という意味であることを心得ていても、「このケーキ、マジやばくない?」という輪に入れない中年男性がいる。しかし、あなたはその男性に「やばいというのは若者用語で『うまい』とか『やみつきになる』という意味です」と教えてあげるべきか悩むだろう。「マジやばの輪」に入りたいか無縁でいたいかは、その男性が決めることなのだ。

ある本を読んでいたら、テーマとは無関係にいきなり「ブリトニー・スピアーズ」の話が出てきた。「ハバネロソースは好きか?」と聞かれたりもする。「ご想像におまかせします」は聞いたことがあるけれど、「ご想像力」などという、人を小馬鹿にしたようなコトバは初耳だ。目からも耳からも知らないことがどんどん飛び込んでくる。

知らないことがどんどん増えていく時代に、人間がそれぞれの輪をつくってかろうじて生き延びているのは、お互いにほんのわずかに知っていることを共有し基本にしているからだろう。

イタリア紀行29 「揺るぎないブランド」

ピサⅡ

どんなにありきたりな連想であっても、ピサと言えばやはり斜塔なのである。それは、パリと言えばエッフェル塔であり凱旋門であるように、あるいはローマと言えばコロッセオでありトレビの泉であるように、たとえ御上りさんとからかわれようと、やむをえない観念連合なのだ。日光の東照宮、奈良の大仏も同様である。

マルチタレントでありながら、一芸に秀でると他の一流の芸が陰に隠れてしまって機会を損失する。有名観光地にはこんな贅沢な悩みがつきまとう。傾いた一本の塔のせいで、観光客は一時代を画した海洋都市の側面に、あるいはヨーロッパでも名立たる学園都市の側面に目をやるのを忘れる。何を隠そう、このぼくがそんな典型的な旅人だった。フィレンツェ発の列車に乗り遅れて1時間ロスしたとか、雨が強くて歩けなかったとか、いろいろ言い分もあるが、何をさしおいても「斜塔さえ見ておけば」という心理が働いていたのは事実である。

ジェノバやヴェネツィアの海軍に勝利したほどのピサだ。世界最強とまで謳われた海洋都市の名残が街の随所で見られるらしい。それらのことごとくをぼくは見逃している。また、ピサは大学の街でもある。ボローニャ大学(1088年)やパリ大学(1100年代)よりも時代は下るが、1343年にピサ大学は創立されている。ガリレオ・ガリレイは17歳で入学し、25歳の時に母校で数学の教鞭を執り始めた。

トスカーナの都市の写真をふんだんに掲載しているガイドがある。その中のピサのページを見るたびに、鉄道駅と斜塔の往復にバスを使ったのを悔やんでしまう。混みあったバスの車窓から垣間見るだけでわくわくしたのも事実だ。だが、歩くべきだった。旅の記憶は脳だけではなく、足底から身体全身にも刻んでおかなければならない。そう痛切に思う。

最後にミラコリ広場の建造物の話に戻る。あの広場、そして洗礼堂、大聖堂、鐘楼のある斜塔の配置は当時のピサの格と富裕度を如実に示している。これまで取り上げてきたシエナのゴシック建築やフィレンツェのルネサンス建築と並んで、「ピサ様式」は建築の世界に独自の地位を築いた。最先端の建築・土木技術によって傾斜する世界遺産が保たれているが、あと三百年は大丈夫との推定だ。珍しくもピサでは斜塔にも市庁舎の塔にも登らなかった。多種多様な都市の断面に触れていない分、傾く斜塔が目に焼き付いている。 《ピサ完》

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城壁跡が残るミラコリ広場。
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同じく広場の別の一角には土産の屋台が立ち並ぶ。すべての土産物が 斜塔をモチーフにしていることは言うまでもない。
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土産店で買った、手のひらに乗るサイズのミニチュア。どこででも売っているキーホルダーよりましだと思った。この時以来、行く先々でこの種の模型を買うことにしている。もちろん、この模型の距離関係はでたらめである。
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ドゥオーモ(大聖堂)。右後方に斜塔、左側に離れて礼拝堂がある。実物はもっと白っぽいが、雨でグレーに変色して見える。
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斜塔は撮影場所によっては威風堂々、真っ直ぐに立つ。
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小雨の合間に広場周辺の街角を足早に巡る。

pisa (26).JPGバス通りから眺める礼拝堂。後景に歴史、前景に現在というこの構図がとても気に入っていた。後日、その理由の一つが判明した。
「過去=背景」「現在と未来=前面」という関係が成立している。時間と空間の関係が常識に適(かな)っているのである。こうした状況に置かれたとき、私たちは、「美」や「落ち着き」「居心地のよさ」を感じるのではないだろうか。 (民岡順朗著『「絵になる」まちをつくる  イタリアに学ぶ都市再生』)
街が絵になる決め手はキャンバスにあり。「歴史のキャンバス」と「可変の現在」の組み合わせが価値を生むのだ。

検索上手とコジツケ脳

XXXについて調べる」とはどういうことか。たとえば、そのXXXが「ホルモン鍋」だとしたら、「ホルモン鍋について調べる」とはいったいホルモン鍋の何を調べるのかということになってくる。「調査」がリサーチ(research)で、「一般的に広く」という感じがする。これに対して、ホルモン鍋の「レシピ」「旨い店」「由来」などの「検索」がサーチ(search)。リサーチもサーチも何かを探しているのだが、サーチライトということばがあるように、検索のほうが「狙いを絞って具体的に照らし出す」という意味合いが強い。

自分の脳以外の外部データベースに情報を求める場合、有閑族は調べようとし、多忙族は検索しようとする。しかし、多忙族の「速やかに」という思惑とは裏腹に、検索の絞り込みが曖昧だと、知らず知らずのうちに大海原での釣り人と化し、まるで暇人のように時間を費やしてしまうことになる。検索のコツは分母を大きくしないことである。それは欲張らないことを意味する。絞った狙いの中に見つからないものは存在しないと見なすくらいの厚かましさが必要である。

あきらめて、自分で考え始めたら(つまり、自分のアタマを検索し始めたら)、な~んだ、こんなところで見つかったということが大いにありうる。だから、ぼくはいつもくどいほど言うのである――検索は自分のアタマから始めるのが正しい、と。次いで身近にいる他人のアタマを拝借し、その次に手の届く範囲にある本や新聞や百科事典や辞書を繰る。それでダメならインターネットである。この順番がいつもいつも効率的なわけではないが、脳を錆びさせたくなかったらこの手順を守るべきだ。


自分の脳を検索する。それは仕入れた(記憶した)情報を再利用することであり、同時に、あれこれと記憶領域をまさぐっているうちに創造思考をも誘発してくれるという、まさに一石二鳥の効果をもたらす。例を示そう。「もてる男の3条件を見つけよ」。

インターネットから「もてる男」に入っていくと、検索が調査になることに気づく。検索分母が途方もなく大きすぎて、3つの条件に絞れる気などまったくしない。仮に絞れていけたとしても、どうせいろんな人間がああでもないこうでもないと主張しているので、まとまることはありえない。
だから自分のアタマを検索する。ぼくなら3つの条件を、たとえば「お」から始まることばにしてしまう。五十音から探すのではなく、一音からだけ探す。そう、無茶苦茶強引なのである。なぜなら検索というのは急ぎなのだから。すると、「おもしろい」「お金がある」「思いやりがある」「男前」「お利口」などが浮かんでくる。さらにもう一工夫絞り込んで3つにしてしまう。

もっとすごいコジツケがある。「リーダーシップを5つのアクションに分けよ」。これなど「リーダーシップのさしすせそ」と決めてしまうのだ。「察する(気持を)、仕切る(段取りを)、進める(計画を)、攻める(課題を)、注ぐ(意識を)」で一丁上がり。あとでじっくり検討すればよい。考えてみれば、調味料の「さしすせそ」だって強引ではないか。「砂糖、塩、酢、醤油、味噌」だが、塩と醤油が同じ「し」なので醤油のほうを「せうゆ」とは苦しい。味噌も「み」なのに「そ」に当てている。これなど絶対にコジツケで「さしすせそ」にしたに違いない。調味料にみりんが入っていないのも不満である。


語呂がいい愛称や略語の類はほぼ以上のような手順で編み出されていると思って間違いない。何カ条の教えや法則も同様である。官民を問わず、大阪人が何かをネーミングするときは、何とかして「まいど」や「~まっせ」を使ってやろうとする。「人工衛星まいど1号」はその最たるものだが、他にも類例はいくつもある。

結果論から学習すべきこと

有名タレントを起用してさんざんコマーシャルを流してきたけれど、今期にかぎって言えば、ほぼすべての有力家電メーカーは赤字計上することになる。テレビ画面の美しさを訴求してきたカリスマロック歌手もカリスマ美人女優も、コマーシャルメッセージがここまで色褪せるとは想像しなかっただろう。変調経済は因果関係を狂わせる。

「しこたま金をつぎ込んでバカらしい。タレントのコマーシャル効果について見直すべきだ。企業は大手広告代理店に踊らされている」という具合に、結果論を繰り出すのは簡単である。言うまでもなく、結果論とは原因を無視することだ。なぜそうなったのかを棚上げにして、いま目の前にある現実のみを議論する。因果関係の「因」を無視して「果」のみを、すごいだとかダメだとか論うのである。

結果論は楽な論法である。「結果論で言うのじゃないけれど、金本は敬遠すべきだったねぇ」とプロ野球解説者がのたまう――あれが結果論。人は結果論を語るとき、「結果論ではないけれど」と断る習性を見せる。


結果論から言えば、タレントに巨額のコストをかけてもムダだったということになる。くどいのを承知で繰り返すと、原因と結果の関係を無視して結果だけを見るならば、大物歌手も大物俳優も宣伝効果がなかったことになる。こうした結果論がまずいのならば、いったいどんなすぐれた別の方法がありうるのかをぜひ知りたいものである。結果論で裁かれるのもやむなしだ。

ぼくは大企業、中堅、中小企業のすべての規模の企業に対して、広告やマーケティングや販売促進の仕事をしてきた(話を簡単にするために、まとめて粗っぽく「広告」と呼ぶ)。景気の良い時も悪い時も、つねに感じていたことが一つある。それは、広告費は効果とは無関係に膨らむということだ。「消費者への情報伝達機能」としてすぐれた広告にするための知恵は投資に見合う。それ以外はすべてコストなのである。

知名度が導入時や一時的な客寄せパンダ効果につながることは認める。しかし、よくよく考えてみれば、知名度を利用する広告ほど知恵のいらないものはない。ほんとうの広告の知恵とは、無名タレントで有名タレント効果を生み出すことであり、極力コストを抑えて広告費を消費者に押し付けないことなのだ。有名タレントのギャラの十分の一、いや百分の一の費用で編み出せるアイデアはいくらでもある。

結果論による批判を真摯に受け止めようではないか。かつての「負けに不思議の負けなし」にすら疑問を投げ掛けねばならなくなった時代だ。そう「勝ちも負けも不思議だらけ」。人類の洞察力の危うさが問われている。結果論から学習すべきこと――それは、いつの時代も、知恵でできる可能性を一番に探ることなのである。 

「何々屋」の誇らしげなまなざし

昨日は軽い風邪だった。大事をとって在宅勤務とした。体調不良のせいか、集中力に欠けブログも尻切れトンボだった。告白すれば、まだ書き続けるつもりだった。かつての「代書屋」、そしてぼくの提唱する当世「企画修繕屋」と「文書推敲屋」から、実は「何々屋」という話へと展開したかったのだ。あまりにも話が長くなるのでいったん終えた。今日も在宅。昨日の風邪を、やや悪い方向に引きずっている。別の日に書いてもいいのだが、もうアタマの中で話が出来上がっている。


風呂屋、散髪屋、金物屋、駄菓子屋などの「何々屋」が現代人の耳にどう響いているか。見下したようなニュアンスがあるのか。呼び捨てにしてはいけないから「さん」でも付けておこうかという感じか。言っておくが、「さん」を付けても尊敬の念が込められるわけではない。「馬」→「お馬」→「お馬さん」と同様、「風呂屋」→「お風呂屋」→「お風呂屋さん」という順番で愛嬌が増し、可愛く聞こえるだけである。

「何々屋」についてぼくは次のように考えている。かつて何々屋は町内に密着していた。住民は親しみのまなざしで接し、何々屋は誇らしげなまなざしで応じた。さすが職人という、技と個性が見えた。お客さんの無理を聞き、信頼関係が生まれた。何々屋は原則として町内に一職種一軒であった。いや、一職種一人というのが正しい。何々屋は店ではなく職人そのものだったのだ。

それだけではない。何々屋は街並みに風情を添えた。仕立屋、庖丁屋、道具屋などが軒を並べる街には落ち着きがあった。自然に乏しい密集地の路地であってもかまわない。視線の先にある軒先の屋号や看板が、職人のいい仕事ぶりの代名詞であると同時に、絶妙の格好をつけていたのである。

まだある。「エコ」という便利なことばのお陰で環境へのマクロな関心は高まったかもしれない。だが、地球をどうするか以前の身近なエコは、かつて何々屋がお手本を示してくれていた。何々屋は、新品を売ったり注文に応じてくれもしたが、同時に修理屋であり、古物屋としても機能していた。「これはまだ使えるよ」――このことばが商いの節度と矜持を表していた。


ここからは一つの仮説である。商売を承継しなくなった風潮を背景に、便利のみを求める住人が何々屋を潰してしまった。「屋」が「店」と呼ばれるようになり、その「店」が会社組織になった頃から、「町内経済」が狂い始めた。一職種一軒の原則が崩れる。商売人どうしが共生論理から競合論理に走る。かけがえのない職人が消え、いつでも交代可能な人材で店が構成される。「酒屋」は自動販売機を設置する。酒のみならず、商品一般や暮らしの知恵にまつわる会話を交わさなくなった。何々屋が消え外来種の資本が幅をきかせるようになり、地域社会の生態系に狂いが生じ、まったく異質のものになってしまった。

フィレンツェの「蛇口屋」には何百何千という、中世から今日までの水道蛇口が在庫されていた。懐古的な蛇口のモデルに固執する客も客だが、品揃えしている職人も職人である。イタリア半島の踵にある街レッチェで仕立屋をガラス越しに覗いていたら、「ウゥ~、ワン!」と犬のマネをして睨みつけられ、あっちへ行けと手で追われた。偏屈なオヤジなんだろうが、眼鏡の奥の目は誇らしげに笑っていた。何々屋の復権。まずは自分自身からなのだろう。