イタリア紀行18 「オンリーワン体感」

サン・ジミニャーノⅡ

トスカーナ州の都市を一ヵ月ほどかけて丹念に周遊すれば、それぞれの個性を繊細に感知できるだろう。同じ中世の佇まいであっても面影の残り方は異なっている。西洋中世の時代の建築や都市の専門家なら現場で即座に街の差異を認知できるに違いない。

ぼくなんかはそうはいかない。万が一細い通りが交差する街角に突然投げ出されたら、そこがフィレンツェかシエナかピサか即座に判断できる自信はない。もっと知識を深めたいと思っているものの、残念ながら、トスカーナ地方全般、とりわけ都市の歴史や建造物に関してぼくはまだまだ疎(うと)い。しかし、投げ出された場所がここサン・ジミニャーノなら、おそらく言い当てることができる。それほど、この街はトスカーナにあってオンリーワンの様相を呈している。

地上にいるかぎり、煉瓦の建物や壁の色や石畳をじっくり眺めても街の特徴はよくわからない。わからないから、高いところに上って街の形状を見たくなる。だから、塔があれば迷わず上る。高いところに上るのは何とやらと言うが、塔は無知な旅人の視界を広くして街の全貌を知らしめてくれる。

だが、現存する塔のほとんどは700年以上の歳月を経て老朽化している。市庁舎の博物館と並立するトーレ・グロッサは安全を保証された数少ない塔の一つだ。高さはわずか54メートルなのでトーレ・グロッサ(巨塔)とは誇張表現だが、小さなサン・ジミニャーノの街全体はもちろん、周辺の田園や丘陵地帯を一望するには十分な高さである。そこの切符売場でもらった『サン・ジミニャーノの宝物』と題されたB5判一枚ものの案内。何となく気に入っているので額縁に入れて飾っている。

見所を一ヵ所見逃した。と言うか、見送った。中世の魔女裁判をテーマにした『拷問・魔術博物館』である。当時使った拷問装置がそっくりそのまま展示されていると聞いた。残酷・残虐のイメージを前に好奇心は萎えてしまった。「生爪剥がし」や「鉄釘寝台」を見ては、その日の夕食に影響を及ぼしかねない。ここはパスして城壁周辺を散策することにした。

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トーレ・グロッサの塔から眺める三本の重なる塔。
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現存する塔の数は15本、14本、13本と資料によって異なる。教会の鐘楼も数えるのか。
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いびつに形を変えた鐘が無造作に置かれていた。
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 光景におさまっているのはわずか3本の塔だが、13世紀の頃には72本あったとされる。現在の高層ビル群になぞらえて、天へと聳立を競った塔の街を「中世のマンハッタン」と呼ぶ人もいる。
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トスカーナの田園地帯という言い方をするが、平野部は少なく、牧草地も起伏の波を打っている。この写真のような風景が街の周辺の丘陵地帯でよく見られる。
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塔のほぼ真下に見える広場と住宅。
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中央やや下に井戸の見えるチステルナ広場。街のすぐ背後に緑が迫っている。古色蒼然と言うしかない。

イタリア紀行17 「世界遺産の塔の街」

サン・ジミニャーノⅠ

以前、NHK衛星放送がイタリア各地の世界遺産をシリーズで生中継していた。季節がいつだったのか覚えていないが、その番組を見たかぎりサン・ジミニャーノは賑わっていた。街の入口になっているサン・ジョヴァンニ門をくぐると同名の通りが街の中心チステルナ広場へ延びるが、大勢の観光客がテレビの画面に映し出されていた。

サン・ジミニャーノはトスカーナ州に位置する、辺鄙な街である。すでに紹介したシエナ県に属している。フィレンツェからバスで行くが、直行便がない。途中ポッジボンシという場所でで別のバスに乗り換える。バスの連絡が悪いと30分ほど待たされるので、フィレンツェからだと都合2時間近くかかることもあるようだ。

それにしても、この閑散とした世界遺産、いったいどうなっているのだろう? NHKで見たのと、いま目の当たりにしている光景には天地ほどの差がある。土産店で尋ねたところ、2月の下旬はほとんど観光客は来ないらしい。ツアーコースでシエナのついでに立ち寄るくらいなので、滞在時間は1時間かそこらとのことだ。あまりにも暇そうだし親切なオーナーだったので、置き物を一つ買った。街の模型である。そこには、お粗末なしつらえながら塔も立っている。

この街は小さい。南北が1キロメートルで東西500メートル、住民は8000人にも満たない。日本なら過疎の村である。だが、今も品質のよいサフランで有名なサン・ジミニャーノは、サフラン取引で富を得て、金持ちたちは競って塔を建てた。まさしくステータスシンボルだったのだ。かつて72本も建っていた塔は、今では15本。その15本のお陰で世界から注目される遺産になっている。

これまでの紀行文で「中世の面影を残す」という表現を何度か使ったが、サン・ジミニャーノには使えない。「面影」ではなく「そのまま」だからだ。123世紀の中世の騎士映画を撮影するためにこしらえられたセットではないかと錯覚してしまう。ここは「今に生きる中世そのもの」である。人気のない季節が中世の重厚で硬質な印象を際立たせた。

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サン・ジョヴァンニ門から街に入る。
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門をくぐり振り返るとこんな光景。
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サン・ジョヴァンニ門から広場までの道すがら。曲がりくねる通り、建物の間から一つ目の塔が見えてきた。
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さらに通りをくねっていくと、別の形状をした塔が現れる。
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通りが交差する街角に出る。
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チステルナ広場。“Cisterna”とは「井戸」 のこと。
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チステルナ広場の井戸。取り囲む建物や広場に敷き詰められた煉瓦は中世の色そのままだ。この井戸が水汲み以外の用途で使われたことは想像に難くない。
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博物館の塔から見る対面の塔。
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サン・ジミニャーノのほぼ全貌。この規模の街にかつて72本の塔が建っていたとは驚きだ。さぞかし圧巻だったに違いない。現在では15本の塔すべてを見渡せる場所は空以外にはない。

イタリア紀行16 「中世のたたずまい」

ルッカⅡ

ルッカの駅で少し慌てる体験をした。駅に着くと何はさておき、帰りの時刻表を確認して復路の切符を買い求めることにしている。ルッカからフィレンツェまでの準急料金は4.8ユーロ。10ユーロ札を自販機にすべらせてボタンを押すと、切符は出てきたがお釣りが出ない。釣銭ボタンめいたものを押してもダメ。あ~あ、イタリア特有の故障。これは面倒なことになるぞと覚悟する。

よく見ると切符の下にもう一枚切符が……。実は、切符ではなく、釣銭の額が印字された金券だった。これを窓口に持っていき、サインをして現金に換えてもらうのである。面倒臭いが、お釣りの硬貨が出ますようにと祈らねばならないイタリアのローテク券売機ならではの工夫と言える。外国人旅行者にとって鉄道駅は想定外の出来事に満ちている。降り立つ駅ごとに特徴があり、軽い緊張感を覚える。とは言え、ハプニングは異文化に遭遇する貴重な機会であり体験である。

さて、プッチーニの銅像を目当てに、二つの通りを往来してみた。フィッルンゴ通りとグイニージ通りだが、行ったり来たりしたので、手元の写真の光景がどちらのものかよくわからない。どれも中世の印象を色濃く残しており、煉瓦仕上げの建物の外壁は古色蒼然としている。この街は戦争を経験していないから14世紀がそのまま今に生きているようだ。試行錯誤したあげく、どっちを通ってもローマ時代の円形劇場に辿り着くことがわかった。

メルカート広場の一画にローマ時代の古代円形劇場跡を利用した集合住宅がある。円形空間の周囲に建物が「丸く」びっしりと建っているのは奇観と形容すべきか。ルッカ独特の景観である。円形劇場から東西へ少し行けば、有名な旧邸宅があるのだが、敢えてそちらへは向かわず、ぼくにふさわしい裏道を選んで帰路についた。

メジャーではないだろうが、ルッカも知る人ぞ知る観光地の一つ。ツアーの団体も見られたが、観光客を特に意識した街並みや店づくりはしていない。通りが狭く建物が古いせいだろうが、中世の風情を保ちながらも生活感を漂わせる街並みであった。駅に戻る途中、城壁跡である遊歩道に上がってしばし散策。緑地帯に囲まれた中世の街がとてつもなく希少な存在に見えた。 《ルッカ完》

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狭い通りが中世の面影を濃くする。店構えもこじんまりしている。  
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円形劇場跡の外壁。
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中庭風の広場の一角。
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劇場跡のメルカート広場の中央に立ち、円形状に建ち並ぶ建物をぐるぐる回りながら撮影。ここには1830年までローマ時代の観客席がそのまま残っていた。その観客席部分に建物が建っている。地下は古代のままなので、まさにローマ時代の上に現在が暮らしているという構図。
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広場を裏手から出ると、ひっそりと遺跡の名残。“Antico Anfiteatro”とは「古代円形劇場」。 

イタリア紀行15 「城壁とプッチーニ」

ルッカⅠ

どの季節にその街を訪れるか。一人で行くか、誰かと行くか、団体で行くか。そこにどのくらい滞在するか。街のどこを見るか。他のどの街を訪問した後にそこに行くのか、その街の次に訪れる街はどこなのか。条件によって街の印象は大きく変わる。街との出会いは運命的である。

数え切れないほどの特徴の組み合わせがあるにもかかわらず、紀行文はごくわずかな一面しかとらえ切れない。街の印象をしたためるのは個々の旅人の自由だ。そして、旅人の印象はたぶん偏見に満ちている。これは批判ではない。国勢調査員のような旅人であってはいけない、という意味だ。ルッカ(Lucca)についてぼくがこれから綴る内容も、実体を写実的に描写するものではなく、印象のスケッチにすぎない。

前回、前々回のアレッツォと同様、ルッカが定番のイタリアツアーに入ることはまずない。オプショナルツアーとしても考えられない。フィレンツェから西へ準急で約2時間、これが、この街に出掛けてみようと思った「ホップ」。オペラ『蝶々夫人』のプッチーニの生まれ育った街、これが動機の「ステップ」。最後の決め手になった「ジャンプ」は、ルッカが戦争を知らない、イタリアでも稀有な街であることだった。思いを三段跳びさせないかぎり、ルッカに行く決断はしづらい。

ルッカはトスカーナ州の北部に位置する、ローマ時代から続く歴史ある街だ。12世紀初頭に自治都市になり、1617世紀に城壁が建設された。今も旧市街は高さ12メートルほどの城壁に囲まれている。完璧な城壁があったから戦火に巻き込まれなかったのではなく、まったく偶然の幸運だったようだ。地理的に恵まれたという説もある。

ルッカの駅に着くと、通りを挟んですぐに城壁が見える。遊歩道に沿ってドゥオーモから街へ入り、ナポレオン広場、サン・ミケーレ広場、中世の家、プッチーニの生家、円形競技場跡など主だったところを徒歩でくねくねと辿っても2キロメートルにも満たない。なにしろ街を取り囲んでいる城壁の長さが約4キロメートルだから、とても小さな街なのである。それでも縦横に伸びる細い通りで迷ったり、プッチーニの生家にはなかなか到達できなかった。いろんな人に尋ねながら歩いた。ルッカの人たちはみんな笑みをたたえた親切な人ばかりだったが、プッチーニの生家を示す指の方向はみんな違っていた。

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城壁の上の幅78メートルの遊歩道が街を取り囲んでいる。
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大聖堂はカテドラーレ・ディ・サン・マルティーノ。聖マルティーノはルッカの守護聖人。ファサード部分の3つのアーチがロマネスク様式の特徴。
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 ファサード前のサン・マルティーノ広場。この日のルッカは課外授業らしき中高生や小グループの観光客で賑わっていた。
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ナポレオン広場。戦争を知らないルッカは、19世紀初頭にナポレオンの妹エリーザが治める公国になった。広々としたこの広場が気に入り、ピザを買ってきてここでランチ。
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街と市民の生活の中心となるサン・ミケーレ広場。ローマ時代の遺跡を利用してつくられた。
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サン・ミケーレ広場から約100メートル歩くとプッチーニの像。
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最後に出会ったおじさんが教えてくれたプッチーニの部屋。
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プッチーニの生家であることを記す大理石の銘板。 

イタリア紀行14 「記憶に残る街景色」

アレッツォⅡ

「無印良景」ということばがあってもよい。観光ガイドにも載っていないし、地図のどこにも印すらない場所や建物。写真に撮ってみたものの、写っている光景や風景の固有名詞を後日調べるすべもない。そんなシーンが街外れの一角に忽然と現れると鼓動が高まる。

ここアレッツォは詩人ペトラルカの生誕の地でもある。地図を調べてみたら、生家の前を間違いなく通り過ぎているのだが、写真には収まっていない。その先の大聖堂(ドゥオーモ)や市庁舎を目当てにしていたから見落としてしまった。とりわけ、この日は骨董市のせいで視線と視野をいくらか不安定にしてしまっていた。目抜き通りでは、人混み越しに建物や通りをゆっくり眺める余裕はなく、人の流れに従うのが精一杯だった。

ところが、名前も位置も知らぬままに何気なく撮影した写真なのに、突き止めることができたのもある。サント・スピリトの稜堡がそれだ。「りょうほ」と読むこのことばは、かつての城壁の突出部分を指すらしい。もう一つ、イタリア通りから東の方向に150メートルほど歩いていくと、絵本によく描かれるような教会が姿を見せた。外観をじっくり眺めるだけで内部に入らなかったので名前がわからない。場所を地図で照合した結果、「サン・アゴスティーノ教会」ではないかと推測している。

初めて訪れる街について事前に知識があるほうがいいのか、それともまったく知らないほうがいいのか……微妙である。ただ、この日のように半日に限って散策するときは「不案内ゆえのときめき」に遭遇できるかもしれない。知ったかぶりをせずに「知らざるを知らずとせよ」という教えにしたがえば、自分なりの、あるいは、自分だけの発見があるに違いない。洒落たリストランテ、自治会の案内板、街外れの質素な教会、迷い込んだ通り、帰路に見つけたキメラの噴水……。アレッツォの知識は今も大したことはないが、不思議なほどこの街の道すがらの光景はよく覚えている。 《アレッツォ完》

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市庁舎。どの街に行っても市庁舎前で市民は憩っている。
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賑やかな通りから一本隣りへ入れば閑静な街並み。
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メディチ家の紋章が装飾された壁。トスカーナ大公国統治時代の建物。
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入店したリストランテは、暖色系なのに落ち着いた雰囲気だった。
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サン・アゴスティーノ教会。
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エトルリア時代の稜堡。
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円形闘技場跡。入場料は無料。但し、外から十分に見学できる。
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ギリシャ神話由来のキメラの像。

イタリア紀行13 「美しい人生の舞台」

アレッツォⅠ

アレッツォ(Arezzo)という街について詳しかったわけではない。フィレンツェから南東へ普通列車で1時間ちょっとの立地なので、日本を発つ前から訪問地にリストアップしていた。前知識は、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の撮影舞台であること、毎月第一日曜日に骨董市が出ること、エトルリア時代の面影を残していることくらい。この街の名物は何と言っても「サラセン人の馬上槍大会」だが、開かれるのは6月と9月の年二回。訪問したのが3月なので、観光的にはシーズンオフだった。

純粋に街の散策に徹することにした。駅から旧市街までは徒歩10分。メインのイタリア通りをぶらぶら歩きする。骨董市の日だったので、大勢のアンティークマニアで石畳の狭い小道がごった返していた。一見してプロと思われる人々も品定めをしている。買い付けに来ている数人の日本人にも出会った。

くだんの映画の主演・監督を務めたロベルト・ベニーニの故郷がこのアレッツォで、その縁もあって舞台になったのだろう。映画に頻繁に出てきたグランデ広場に興味津々だったが、アンティークのにわか屋台が埋め尽くしていて臨場感には乏しかった。「グランデ」は「大きい」という意味なのだが、映画のシーンで感じたほどの広さではない。

歴史上の有名な芸術家がこのアレッツォで生まれ育った。グランデ広場は別名「ヴァザーリ広場」と呼ばれており、ルネサンス後期の芸術家兼建築家のジョルジオ・ヴァザーリにちなんだものだ。本人が広場の設計に携わっている。他にも絵画に初めて遠近法を採用したピエロ・デッラ・フランチェスカもこの街の出身である。

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アレッツォ駅。旧市街の北東のプラート公園へはモナコ通りかイタリア通りを経由する。 
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イタリア通りに立つ骨董屋台。
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ガラクタか掘出し物か判然としない品々。狭いスペースに雑然と放り出されている。
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使用済み絵はがきを売る店。何語かわからない時代物にもマニアが存在する。
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そこかしこの通りが人で溢れ返る。
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古い建物の外観をリフォームしたカフェレストラン。“Vita Bella”は「美しい人生」。おそらく映画の題名を拝借したに違いない。
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グランデ広場の一角に存在感を示すヴァザーリ設計のロッジェ館。1階は天井の高い柱廊。
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イタリア通りの街角。建物の壁色はベージュとグレーの色調が多い。 

イタリア紀行12 「エトセトラの魅力」

フィレンツェⅥ

ルネサンスは14世紀から16世紀にかけて興った文芸復興。“Renaissance”と綴るが、実はこれは英語だ。発祥の地イタリアでは“Rinascimento”(リナシメント)と言う。ルネサンスの香りは街のどこからでも漂ってくる。にもかかわらず、これまでメジャーな場所ばかり紹介してきたのは、ひとえにその他の写真を撮り損ねたからに他ならない。

観光客気分のあいだはどんな被写体にもカメラを構えるが、数日経って街の光景に自分自身が溶け込んでくると、次第にカメラ離れをする。カメラと同時に地図もホテルに置いてくるようになる。超有名な名所から、市民が生活をしている場所へと散策経路が変わる。建物の2階部分の装飾や大きな門扉のドアノブや工房の水道の蛇口などにも視線を注ぐようになる。

サンタ・クローチェ地区には『神曲』を書いたフィレンツェの詩人ダンテ・アリギエーリの生家がある。比較的閑静な広場に面するのは、格調高いファサードのサンタ・クローチェ教会。サン・ロレンツォ地区へ足を伸ばせば市内バスの発着に便利なサン・マルコ広場と同名の美術館。今は美術館になっている15世紀の捨て子養育院はルネサンス初期の建築で、ブルネレスキが設計を手掛けた。このヨーロッパ最古の孤児院は、身分を明かさずに子どもを預けることができた「赤ちゃんポスト」だ。

サン・マルコ広場から市内バスで約25分、標高300メートルの丘にはフィエーゾレの街がある。そこはフィレンツェの街を一望できる抜群のロケーション。前回も今回も行ってみたが、残念ながらいずれも花曇りの天候で、鮮明な絶景とまではいかなかった。とても小さな街で人影もまばらだが、紀元前8世紀に住み始めたエトルリア人の文明の面影に加えて、その後のローマ時代の遺跡も残っている。

フィレンツェの良さはフィレンツェだけにとどまらない。何と言っても、日帰りであちこちの街へのアクセスを可能にしてくれる。引き続き次回からトスカーナや周辺の街を取り上げてみたい。 《フィレンツェ完》

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捨て子養育院から臨むドゥオーモは合成写真のよう。
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噴水の後ろの柱とアーチに目を凝らすと、メダイヨンと呼ばれる青色のレリーフのメダルが嵌め込んである。
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ブルネレスキが設計した孤児院。
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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅の構内の発着案内掲示板。
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教会へ続くフィエーゾレの坂道。
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瀟洒な佇まいのサン・フランチェスコ教会。
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フィエーゾレから眺望するフィレンツェの街。花曇りの景色中央にドゥオーモが薄っすらと見える。

イタリア紀行11 「夜のそぞろ歩き」

フィレンツェⅤ

日が暮れて夕闇が迫りくる黄昏時。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。英語の“twilight”(トワイライト)という語感もいい。

イタリア語の黄昏は“crepuscolo”(クレプースコロ)で、偶然にも「暮れ伏す頃」みたいに響く。この時間帯にホテルを出てそぞろ歩きを楽しむ。当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たりしている。そぞろ歩きという意味の“passeggiata”(パッセジャータ)にはまったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。

フィレンツェは皮製品や銀細工にいいものが多く、黄昏時は地元の人々や観光客の品定めで賑わう。ミラノやローマの規模のブランド街は形成されていないが、フェラガモ発祥の地でもあり、他にも名立たるブランド店が随所に店を構える。ぼくの物欲はまったく旺盛ではない。だから、ショーケースを覗く程度で有名店の前を通り過ぎる。

これは国内にいても同じだ。ただ、物欲に歯止めがかからない例外が二つある。一つは、読みもしない本をせっせと買う癖。目を通しただけでおしまいという本が蔵書の半数を占める。二つ目は、酒飲みでもなく、せいぜい週に一日か二日ほどハイボールかワインをたしなむ程度だが、良さそうなワインをひらめきだけで買う癖がある。自宅にワインクーラーもないくせに、常時10本以上のワインが所狭しと立ったり寝たりしている。残念ながら、ワインは荷物がかさばるので旅行先ではめったに買わない。

ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が間借りしているのがフィレンツェだ。ここは至宝が溢れるアートの街である。ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』など美術の教科書に出てきた作品は見逃したくないが、決して欲張ってはいけない。どの美術作品をどこの美術館で見るかを考え出すとノイローゼになるからだ。建造物やあちこちにむき出しのまま立っている彫刻、石畳、昔ながらの工房などを見ているだけでも十分にアートな心地になってくる。

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黄昏のシニョリーア広場。画面左のアーケードはランツィのロッジャ(開廊)。彫刻が無造作に展示されている野外ミュージアム。
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シニョリーア広場の噴水、颯爽としたネプチューン像。
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夜のジョットの鐘楼。時刻は午後7時頃でも空は明るい。
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日が暮れてもヴェッキオ橋は賑わう。
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名画を模写する「地面画」。美術学校に留学する日本人女性の作品。
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韓国からの留学生の作品。チョーク状のパステルで繊細なタッチまで描いている。正午から有料で場所を借りて描く。深夜12時に容赦なく消されてしまう。
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フィレンツェでの唯一の買物は小銭入れ。使い古した茶色は4年半愛用している。紺色の新品が次の出番を待つ。

イタリア紀行10 「広場空間を遊ぶ」

フィレンツェⅣ

帰国してから膨大な写真データの整理に追われる。よくもこれだけカメラに収めたものだと呆れもする。しかし、いつもいつもカメラを携えて歩いているわけではない。たとえば、食料の買い出し、近くのバール、食事に出掛けるときなどは持たないことのほうが多い。雨の日や夕方以降の散歩にはカメラはふさわしくない。それに、撮影に気を取られていると、臨場感のある現場体験や印象の刷り込みは浅く薄くなってしまうものだ。ちょっと出掛けるときは手ぶらというのがぼくの流儀だ。

その代わり、「カメラをホテルに置いてくるんじゃなかった」と後悔することもしばしば。撮り損ねた名場面や逸品は数知れず。滞在日数が長くなると、慌てなくてもいつでも撮れるという慢心から、お気に入りの名所ほど抜け落ちたりする。今回ざっと写真を見ていて、歴史地区の光景が偏っているのに気づいた。これまでも何度か紹介したドゥオーモとジョットの鐘楼はいろんなアングルで撮り収めているのに、サンタ・クローチェ地区やメディチ家ゆかりのサン・ロレンツォ地区の写真はきわめて少ない。サンタ・マリア・ノヴェッラ地区などは、前回滞在時にさんざんシャッターを押したので、今回はほとんど被写体になっていない。

さて、アパートでの3泊を終えて、対岸にある街の中心へ「お引越し」。荷物を引っ張ってぶらぶら歩いて15分のところにホテルがある。そこは、観光客が必ず立ち寄るシニョリーア広場に面した一等地だ。この広場は、かつて自治都市だったフィレンツェの政治の象徴空間であり、1314世紀の面影をほぼそのまま残している。ネプチューンの噴水、ミケランジェロ作ダヴィデ像のレプリカ(本物はアカデミア美術館に所蔵)、そして今もなお市庁舎として使われているヴェッキオ宮。隣接してウッフィツィ美術館。ちなみに“uffizi”はオフィスという意味。当時は行政の合同庁舎だった。

広場を囲むルネサンス時代の建物にはホテル、銀行、事務所が入っている。一階部分にはバールやリストランテ。フィレンツェの広場はここだけではない。サン・ジョヴァンニ広場、レプブリカ広場、サンタ・クローチェ広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ広場など、名立たる教会の前方や近くには大小様々な特徴ある空間がある。

荷物を持ってシニョリーア広場に着き、カフェで一休みしてホテルの住所を確認。ホテルはそのカフェの近くに違いないのだが、見つけるのは容易ではない。ホテルの入口が広場側にあるとはかぎらないし、広場から細い通路に入るとさらに狭い道に小分かれしていく。実際、このホテルの入口を見つけるには住所表示を確かめながらも数分かかった。

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シニョリーア広場に面するカフェ。イタリアではバールで立ち飲みすればエスプレッソ一杯が120円。店内のテーブル席や外のテラス席で飲むと倍額になる。
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隠れ家的ホテルの3階ラウンジから眺める広場の一角。右の建物がヴェッキオ宮。
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ズームインすれば窓枠が額縁と化して絶妙の構図になる。
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シニョリーア広場に浮かび上がるヴェッキオ宮。
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ジョットの鐘楼とドゥオーモ。
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鐘楼の先端近くから見下ろすドゥオーモ広場。
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フィレンツェ市街地を一望。煉瓦色一色の街並みには歴史という名の秩序がある。イタリアの都市は例外なく、景観を曇らせる一点の邪魔物をも許容しない。
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ドゥオーモ側からもこちらのジョットの鐘楼を眺めている。金網と手すりだけで、人がこぼれ落ちそう。鐘楼もドゥオーモも数百段の階段だ。上りの辛さに、遠足で来ているイタリア人小学生には泣き出す子もいる。

イタリア紀行9 「南岸と橋と料理」

フィレンツェⅢ

ミケランジェロ広場から街の景観を楽しみ、直線なら250メートルほどの川岸までジグザグ状に下っていく。振り向けば要塞へと続く城壁跡や門が見える。アルノ川沿いの通りを西へ歩くと、グラツィエ橋。ここからさらに400メートルのところにヴェッキオ橋が架かっている。フィレンツェを訪れるすべての観光客は必ずこの橋を渡る。日が暮れたあと、西200メートルのところに架かるサンタ・トリニタ橋を眺める。ライトが川面に溶け込んでほどよく滲む夜景にしばし立ち止まる。

「食とワインはトスカーナにあり」という表現には逆らえない。トスカーナの州都フィレンツェは旨いものへの期待を決して裏切らない。逆に言えば、食、とりわけ肉料理に好き嫌いの多い旅人にとってはフィレンツェの値打ちは半減する。牛、豚、鶏は当然として、サラミと生ハムのアンティパスト(前菜)はほとんどすべての店で定番。羊、ハト、ウサギ、ヤギもある。

街中に屋台がある。そこでの名物は「トリッパ(trippa」(牛の胃袋ハチノス)の煮込み。これをパニーニにはさんで頬張る。トマトソースとバジルソースの二種類の味付けがあり、いずれもニンニクがたっぷりきいている。このような屋台出身のオーナーが始めた「トスカーナ風ホルモン料理店」をランチタイムに訪ねた。「トリッペリーア(tripperia」と呼ばれ、文字通り「牛の胃袋料理専門店」という意味である。乳房のグリル盛り合わせやホルモンの熱々コロッケなどの店自慢の料理が数種類。臓物は好物なので、クセがあっても平気だが、この店の料理はとても洗練された味に仕上がっていた。

しかし、何と言ってもフィレンツェ随一の名物は「Tボーンステーキ(bistecca alla fiorentina」だ。重さ700グラムなど当たり前で、店によっては1キロという大迫力もある。二人や三人で頼むと、これ一品でおしまい。他の料理には手を出せなくなってしまう。というわけで、肩ロースを焼いて少量をあらかじめスライスしてある「タリアータ(tagliata」をレアで頼む。ちなみに、レアは“al sangue”。これは「血のしたたる」という意味だ。

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ミケランジェロ広場から川岸へ下る途中、丘陵地帯を振り返ると、かつての要塞へと続く城壁跡が見渡せる。
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地元の人がよく通うトリッペリーア。ずばり「店」という名前の店。
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北岸から眺めるヴェッキオ橋。たしかに橋なのだが、店舗が入った建物の構造になっている。
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川岸の飾り柱に旅行者が記念に錠をかけていく。
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ヴェッキオ橋から西へ二つ目のカッライア橋。滞在中はこの橋を使って歴史地区へ足を運んだ。
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ヴェッキオ橋から眺める黄昏時のサンタ・トリニタ橋。