ロサンゼルス日記(3)青空と肉食の日々

滞在しているのは日本人の従妹の住まい。彼女は日本の大学卒業後にアメリカの大学院に留学し、そのまま居ついてしまった。会計監査法人などの勤務を経て、現在ホンダ・アメリカの財務部の要職に就いている。ご主人も同じ会社のITスタッフだ。ホンダの敷地内に入りオフィスの中まで見学させてもらった。社長や役員用の個室はない。みんな”フラット”である。デスクはパーティションで区切られ、マネジャー職以上のスペースはやや広いものの、自由闊達な空気を感じる。

夫妻には6歳になる三つ子がいる。今年9月に小学1年生になるこの子たち――男の子二人と女の子――はものすごくエネルギッシュで日々忙しい。月曜日から金曜日まで9時から8時間義務教育の幼稚園に通っている。ふつうは午後2時頃までらしいが、両親が働いているので5時まで面倒見てくれる。土曜日には日本の学校法人が経営する日本語学校へ。そして日曜日は10時半から正午過ぎまで教会の日曜学校だ。

住居は住宅街のど真ん中。住宅以外は学校と教会と医院があるばかりで、コンビニもショップも何もない。一番近いモールまで徒歩30分。歩く人はまずいないが、ぼくは歩いた。歩くしか手段がないからだ。自転車はあるが、坂道なので、行きはよいが帰りはつらい。とは言え、夕方から夜にかけてジョギングや速歩をしている人たちもいる。とにかく景観がいいので、ジョギングにも散歩にも最適な環境だ。

ロサンゼルスの中心街から南へフリーウェイで約50分、国際空港からは30分くらいのロケーション。海辺までは少し距離があるが、高台なので海岸もよく見える。日曜日の昼に庭でバーベキューをしてくれた。こちらに来る前の想定通り、今日まで肉食中心の生活になっている。体重は23キロ増えたに違いない。陽射しは思ったほど強くはないし、日中も暑さを感じない。その証拠に、ぼくはずっとフリースの裏地がついたウインドブレーカーを着ている。

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家の近くの遊歩道から見下ろせる岬には住宅が建つ。
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海岸近くには住宅街が広がる。 
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この海岸をリアス式と呼ぶのだろうか。
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遊歩道のあちこちに野生のサボテンが棲息している。
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周辺の住宅街。北海道を思わせる佇まいである。
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象徴的な「この木何の木」。
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自宅のバーベキューコーナー。
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自宅の庭。ソファ式のブランコで揺られると、うたたねしてしまう。
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庭から見る自宅の裏側。
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ブランコに座って海の水平線を眺める。野生のクジャクのつがいがやってくる。
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バーベキューパーティー。一枚約80グラムの骨付きカルビ。
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手のひらサイズのキノコとエビの串焼き。
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別の日のレアステーキ。右上のワインのコルク栓と比較すれば大きさがわかる。これが一人前。たぶん450グラムくらい。どうにかこうにか完食した。お礼にシーフードのお好み焼きを焼かせてもらった。子どもたちに「やみつきになるおいしさ」と褒めてもらった。

ロサンゼルス日記(2)夕暮れのビーチ

ロサンゼルスから海岸を南へ下ると有名ビーチが目白押し。サンタモニカ、マンハッタン、エルモサ、レドンドと続き、岬を東へ折れてからロイヤル・パームズへ。その次が都市名にすらなっているロングビーチ。すべて観光地で、全米はもとより海外からの来訪者が絶えない。6月はまだハイシーズンではないが、学校が休みに入る中頃からは賑わいを見せる。

レドンドビーチまでドライブした。もうだいぶ暗くなっていたので海の色もわからない。シーフードレストランが軒を連ねて並んでいる。よく見ると、コリアン風やジャパニーズ風という店もある。ジャパニーズ風には当然のように“SUSHI”という表示がある。

Old Tony’sという店に入った。生ガキにカニコロッケ、それにサンフランシスコでも食べた小イカのから揚げ「カラマリ」をここでも試してみた。実はすでに自宅で夕食を済ませてから出たので、これは夜食ということになる。

ちなみにカリフォルニアロールはサンフランシスコ空港で出発待ち時間に食べてみた。まずまずの味で合格点をあげてもいい。いま手元にレシートがある。値段は5.95ドルで6切れ。「お~いお茶」のペットボトルが驚きの3.75ドルなので、巻き寿司がまあまあの値段に思えた。このお茶に天ぷらうどんと寿司の盛り合わせを食べているビジネスマンがいたが、30ドルくらいのランチになっていたはず。

レドンドビーチに行った翌日にラグナビーチまで足を運んだ。サンディエゴ方面におよそ60マイル(約100キロ)のところ。このビーチ近辺では職住型のアトリエを構える芸術家が多いと聞いた。通りに沿ってアートギャラリーも目立つ。カフェレストランやバーも意匠を凝らしてある。海外からの旅行者を意識した観光地ではなく、地元住民が集うスポットだ。アメリカ人らしくなく、ドレスアップしている若者たちもいる。

レドンドビーチ(Redondo Beach

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5秒間露光で撮った夜景。
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夜釣りを楽しむ人たち。小ぶりなサバを釣っているという。
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シーフード目当てに入った店。
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夜景を楽しめるよう店内を思い切り暗くしてある。
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桟橋近くには何艘ものボートが繋留されている。 
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カニはまずまずの好物だが、生きたまま群れている姿を見ると、食欲は高まらない。

ラグナビーチ(Laguna Beach

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サンセット間近。海の東側。
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こちらは西側。東側と比べると明暗の差がはっきりとわかる。
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まだ空に青みが残る、日没直後の海岸線のシルエット。
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土曜日の夜だったせいか、ストリートはよく賑わっていた。
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夕暮れの後も絶妙の明暗構図がしばらく楽しめる。
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レドンドではうまくいかなかったストロボが機能してくれて、写真が撮れた。これはいわゆる「海鮮盛り合わせ」。3種類のソースがついてくる。

ロサンゼルス日記(1)ドジャースタジアム

ロサンゼルスは日本時間から16時間遅れ。たとえば日本の火曜日の午前745分は、こちらでは月曜日の午後345分。ロサンゼルス郊外、市街から南へ約時間、海岸沿いにあるランチョ・パロス・ヴェルデスの親戚の家にいる。

午後5時、ドジャー・スタジアムに出掛けた。言うまでもなく、ロサンゼルス・ドジャースのホームグラウンドである。対戦相手はフィラデルフィア・フィリーズ。途中、バスケットボールのファイナルの会場前を通ると、レイカーズファンでごった返していた。ほぼ同時刻のスタートなのでどっちを観戦するか迷ったファンもいるだろうが、レイカーズのほうは数万円にまでチケットが跳ね上がっていたらしい。

さて、スタジアムで陣取った席はドジャース側、つまり三塁側ブルペンの少し上。一塁側だと直射日光を浴びるが、ちょうど陰になった直後の好位置。しかし、5イニング頃からは冷えてきた。3イニング終了時点で名物のホットドッグ「ドジャードッグ」を頬張る。ロサンゼルスに来て過食気味なので、夕食はこれとコーラだけ。いかにもアメリカンな食事だ。ぼくの前の列の四人家族などは試合もそっちのけで、次から次へと飲み食いしていた。

野次はそこそこあるが、「かっとばせ~」というのがない。一球ごとに電子オルガンが鳴ったり拍手が起こることもあるが、一投一打の一瞬はシーンとする。おまけに申し訳程度のバックネットが少しあるだけで、ぼんやりしているとネット越えのファウルボールが危ない。甲子園のようにファウルグラウンドが大きくなく、観客席のすぐ前に三塁コーチが立っているほどの接近感。ファウルボールは日本の倍は飛んでくる。

3回裏、数メートル左手にファウルボールが飛んできた。一人がはじき、そのはじいたボールを取ろうとした直前の列、すなわちぼくと同列の三、四人向こうの男性がこれまたはじき落とす。その落としたボールがバウンドせずにちょうどぼくの足の下に転がってきた。もちろんこのチャンスを見逃すはずもない。何の苦もなく足元のボールを拾った。旅行者の漁夫の利である。

年間チケットを購入するほどのドジャースファンで20年来通い詰めてもゲットできない人がいる。試合後にオフィシャルショップでシャツか帽子でも買おうと思っていたが、そんなものどころか、千載一遇の宝物となった。

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駐車場から臨むスタジアム。
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外観同様、球場がコンパクトに見える。ファウルグラウンドが狭いせいだ。 
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フィリーズ側に若干空席があるが、ほぼ満員。
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絶好の席に陣取るもチケットは75ドル。
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レフト側のビジョン。
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KISS CAMタイムには画面に映った人がキスをする(ことになっている)。
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チャンスが到来すると観客は一斉に立ち上がることもあるが、日本のように頻繁ではない。
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ドジャースはヒットを量産するものの、手に汗握る場面は来ない。
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敗北濃厚ゆえ、9回には出口側へ移動して観戦。ここもなかなかの位置どりだ。
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希少な記念品になった、微妙な汚れのついているファウルボール。

サンフランシスコ日記(5)アラモ・スクエア

ひとまず今日でサンフランシスコは最終回。

何から何まで写真に収めたわけではないが、ユニオン通りやサクラメント通りなどの代表的なストリートを歩いてみた。ゴールデンゲートブリッジの近くには行っていない。少し離れた所から撮影したが、お見せできるほどの出来ではない。サンフランシスコ近代美術館も近くまで行ったが、入館も外観見学の時間がなかった。

数ある名所の中から最後に選んだのはアラモ・スクエア(Alamo Square)。午後4時頃、まずノブヒルのホテル前のカリフォルニア通りからケーブルカーとバスを乗り継いでシビックセンター(Civic Center)へ向かった。ここは市役所などの行政関連のビルが群を成す官公庁街である。地図ではここから西側にアラモ・スクエアなのだが、バス乗り場が見つからない。だいたいの見当をつけて2キロメートルほど歩くことにした。途中のヘインズ通りがヨーロッパの街並みによく似ている。イタリアンの店のお兄さんは「ボナセーラ(こんばんは)」と声をかけてくる。

この道でいいのかと不安になりながら、やっとスタイナー通りに出た。ここがアラモ・スクエア。名所になった理由の一つはビクトリア朝様式の家が建ち並ぶからだ。ただし様式であって、古い家々ではないし、これだけなら名所にはなりえない。これらの家々の背景に、まるで映画のセットのようにサンフランシスコの現代が控える構図がおもしろいのである。ガイドブックにはまるで「絵はがき」と書かれている。ぼくの写真もそう見えるだろうか。誰でもこの程度の写真は撮れると思うが、午前や午後の早い時間は逆光になるためうまくいかない。晴天の夕方前がベスト。

出発の朝、せっかくなのでノブヒルの一番高い位置まで散歩した。坂のある風景を見晴らす絶好の締めくくりとなった。

《サンフランシスコ完》

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市役所(City Hall)。
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シビックセンター周辺は木も芝生も緑にあふれ、よく手入れされている。
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ヘインズ通りの家並み。住宅と坂の構図が絶妙。
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アラモ・スクエア近くの交差点。
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ビクトリア朝風の住宅と現代の高層ビルの対比。
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まるで前景と後景を合成したように見える。
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最終日の朝。元メジャーリーガー、レフティ・オドールゆかりのカフェへ。
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ボリュームたっぷりの朝食メニュー。
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ダウンタウンの中心ユニオン・スクエア。南北戦争時の北軍(ユニオン)支持派の集会が開かれたことにちなむ。公園の地下を駐車場にしたのはここが世界初と言われている。
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サンフランシスコで一番高いノブヒルから臨む湾。まるでジェットコースターのような趣だ。

サンフランシスコ日記(4)曲がりくねる坂

ガイドブックを頼りにハイド通りをハァハァと息を切らせながら上がってきた。人だかりしているその場所がロンバード通り。あまりにも傾斜がきついので、1920年代に意識的に道をくねらせた。どうくねらせたかと言うと、5メートル下っては道を曲げ、また5メートル下っては道を曲げた。これを何度か繰り返して勾配を少しでもゆるやかにしようとしたのである。

勾配はゆるやかになったものの、車は曲がった直後に次の急カーブに備えなくてはならない。この曲線の坂を下るすべての車は歩くより遅い。赤いレンガを敷き詰め、カーブを描く道路に沿って色とりどりの鮮やかな花々が花壇を飾りたてている。この一画に住んでいる人の車の往来も見かけたが、観光で訪れている大勢のドライバーたちがここを通りたがる。運転しながらも、前の車がつかえるとすぐさまカメラを構えるドライバーもいる。

カメラを構えながら、ゆっくり急勾配の階段を下りては立ち止まりして写真に収めた。家の建て方にも工夫があり、眼下に海岸が見晴らせるので住むには恰好のロケーション。しかし、観光シーズンはさぞかし迷惑に違いない。意識して観光スポットにしたわけではなく、そもそも住民便宜のための工夫だったはずだから、自宅周辺を観光客がたむろするとは想定外なのである。

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ロンバード通りを坂上から下る。光景➊
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光景➋
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光景❸
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光景➍
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光景➎
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通りの終わりまで降りきってから見上げる。花壇の合間を縫うようにくねくねと道が折れている様子がわかる。ここを車が徐行する。

サンフランシスコ日記(3)青い明光

サンフランシスコと大阪は姉妹都市関係にある。姉妹都市だからといってどこかしら雰囲気が似ているなどということはない。しかし、この街にさほど違和感を感じないのは、通りや賑わいや店舗の数などに日本の大都市構造と共通点があるからだろう。もしサンフランシスコに坂とケーブルカーがなかったら、どこにでもある街並みと変わらない。地形と、その地形に合った乗り物がこの街の生命線になっている。

海岸線も特徴の一つだ。ピア39にやって来ると、この街が神戸に酷似しているように見えてくる。正確なことはわからないが、神戸のモザイクがここを真似たのではないか。この推理が間違っているのなら、サンフランシスコのピア39のほうが神戸を真似たに違いない。しばし目を閉じ、再び開けてみると、神戸にいるような錯覚に陥る。

昨日パスした屋台でシーフード料理を食べる。大人の片手より一回り大きいパンの中身をくり抜き、その中に具だくさんのクラムチャウダーを注ぐ。もう一品、イカ(caramari)のガーリック風味のから揚げ。二つで18ドルくらい。「うまいかまずいか」の二択なら、うまいの欄にチェックを入れる。だが、「安いか高いか」となれば微妙だ。18ドルもするならうまくて当然という感じがする。食に貪欲な日本人にとって、フィッシャーマンズ・ワーフの名物料理の費用対効果は普通である。

少し沖合いにアル・カポネが収容されていた監獄の島アルカトラスが見える。遊覧して上陸できるが、所要4時間と聞いてやめた。当初の予定通り海岸沿いを歩き、ハイド通りに入ってブエナビスタ・カフェ(Buena Vista Cafe)の前に出る。アルコールの入ったアイリッシュコーヒーで有名な老舗店だ。競馬ファンならずとも聞き覚えがあるかもしれない。桜花賞とオークスの二冠に輝いた最強牝馬の一頭ブエナビスタはスペイン語で「すばらしい景色」という意味である。

この店の前をさらに上がっていくとリーヴンワース通りと交差する。ここまでの道は冗談抜きに心臓破りの坂だ。その坂から左を見下ろせばロンバード通り。ここが「世界で最も曲がりくねった通り」と呼ばれる曲者の坂。続きは次回。

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ピア39の土産店・飲食店通り。
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ピア39には迷うほどのシーフードレストランがある。
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ピア39のヨットハーバー。
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沖合いおよそ2キロメートルのところにあるアルカトラス島。
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海岸の道路に埋め込まれているトレイルコースの標識。
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手前がクラムチャウダーの大盛り。パンはやや酸味が強い。その上がカラマリのから揚げ。チリソースとタルタルソースがついている。
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いろんな種類のケーブルカーがある。イタリアやオーストラリアでお払い箱になった路面電車が活躍している。
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ハイド通りとビーチ通りの角にブエナビスタ・カフェがある。
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ブエナビスタ・カフェの建物。
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ハイド通りの高い位置から振り返る。なるほど、急勾配が”ブエナビスタ”を演出している。

サンフランシスコ日記(2) ドロレス伝道院

カリフォルニア州は「ゴールデンステート(Golden State)」という愛称で親しまれている。つまり、「黄金の州」。アメリカの州にはすべてこのような愛称がある。学生時代にいくつか覚えた。たとえば、ニューヨーク州が「エンパイアステート(Empire State=帝国の州)」、フロリダ州が「サンシャインステート(Sunshine State=日光の州)」という具合。

傑作はミズーリ州だ。この土地の人たちは疑い深いということになっていて、誰かが何々を持っていると自慢しようものなら、「じゃ、見せてくれよ」と言う。なので、「ショーミーステート(Show Me State)」と呼ばれる。「アロハステート(Aloha State)」ならハワイ州というわけ。さしずめ「県民性コンセプト」といったところだ。

さて、初日の夕方。ホテルのレストランに心が動かず、ケーブルカーで近くのスーパーへ買い出しに。行きが急な坂なのでケーブルカーに乗る。チキンのローストとサラダとパンを部屋で食べる。

食後にカリフォルニア通りの坂を下って東側の海岸を目指した。下りだからぶらぶらと30分くらいは歩ける。途中、中華街を探訪したが、横浜のほうが大規模で活気があるように思う。さらに下ると、オフィス街。そこを抜けて周回バスの乗り場を探したが、あいにく地図が手元にない。誰かに聞けばそれまでだが、ま、いいかと気まぐれにフェリーターミナルまで歩いた。ちょうどいい時間に夕暮れ空が見られたので、歩いて正解だった。

二日目の朝。時差ボケはない。近くのカフェでモーニングスペシャルを注文する。トーストと卵2個のスクランブル。さて、どこへ行くかと少々思案して、ドロレス伝道院(Mission Dolores)に決めた。ホテルからはケーブルでパウエル駅を経由して地下鉄で4駅目。後でわかったことだが、地図に間違いがあり、方向を誤って歩き始めていた。通行人に道を尋ねたが、スペイン語の単語のアクセント位置がよくわからない。「ミッション・ドロレス」と文字面通りに発音したら首を傾げられ、「ミッション・ドローレス」と言い直して通じた。場所は探すまでもなく、目と鼻の先だった。

カリフォルニアにはこのようなミッションが21もあるという。ここが州内最古の建物で、もらったリーフレットには年代的には1791年完成と記されている。但し、この地に入植しミッションが始まったのは建国年の1776年に遡る。あまり細かなことはわからない。白壁の装いからスペインの影響を見て取れる。伝道院から徒歩、ケーブル、バスを乗り継ぎ、再度フィッシャーマンズ・ワーフを目指した。ピア3939番埠頭)からの話は次回。

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幻想的な夕暮れ時のフェリーターミナルの海岸通り。
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夜は10℃を切り、冷たい風が吹く。6月に冬装束でも不思議はない。
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駐車状態から坂の勾配が半端ではないことがわかる。
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朝のカフェ。”モーニング”は日本同様だが、卵料理が選べる。
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ドロレス伝道院の聖堂を覗いたらミッションスクールの卒業式だった。
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18世紀を偲ばせる小ぢんまりした博物館。
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伝道院の中庭。瀟洒な佇まいである。
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ドロレス伝道院と聖堂の全景。
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聖堂と鐘楼。欧米では常にセットである。

サンフランシスコ日記(1)ケーブルカー

たまたまJulie London I Left My Heart in San Francisco”(思い出のサンフランシスコ)を聴く機会があり、ふと拙い滞在記を2009年に綴ったのを思い出した。そのサンフランシスコ滞在記を加筆修正して5回にわたって投稿する。

6月のある日の午前11時半、サンフランシスコ空港に到着した。海岸近くのジャイアンツスタジアム前を過ぎて名所となっている坂に入る。想像以上にきつい勾配の坂をタクシーは勢いよく駆け上る。市街のもっとも高い丘の一つ、ノブ・ヒル(Nob Hill)の一角にあるホテルにチェックインした。

荷を解いて休む間もなくホテルを出て近場を散策することにした。にわか土地勘を得てから、最寄りのケーブルカー乗り場へ。とりあえずフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)を目指そうとしたが、待つこと10分、15分、20分……待てどもやって来ない。人はどんどん増えてくるが、ケーブルカーの上ってくる気配はまったくない。

焦れてきたので、10分ほど下り坂を歩いて発着駅へ行ってみた。何か事故があったらしく、乗車待ちの客で長蛇の列ができている。ケーブルカーが何台も連なって動かず、発車待ちの状態。激しい空腹を覚える。近くのショッピングモールに駆け込み、ホットドッグとプレッツェルのシナモンスティックで腹ごしらえした。戻ってくると、ケーブルカーは動き始めていた。

乗車料金は15ドル。かなり割高だ。と言うわけで、18ドルの3日間チケットを購入した。これを使えば、ケーブルカーも市内の地下鉄もバスも何度でも利用できる。乗り放題チケットで心強くなり、方々へ乗り継いでみる気になった。

とりあえずパウエル駅からノブ・ヒルへ戻り、そこから坂を下って海岸へ。海辺は思ったほどの賑わいではない。日本人らしき観光客は何組かいるが、ツアー団体客は見当たらない。そう言えば、残席わずかと急かされて予約したユナイテッド航空の関空発の便はがらがらだった。この時期にしては珍しいインフルエンザの影響があったのか。

明日もう一度来ればいいと思い、フィッシャーマンズ・ワーフは中途半端に歩かずに、ホテルに戻ることにした。ホットドッグのせいもあってカニやエビの海鮮屋台に食指は動かなかった。気がつけば、日本時間なら午前9時。もう24時間以上寝ていないことになる。

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ホテルから見るノブ・ヒルの光景は乾いて澄み切っていた。
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星条旗がなびく建物が宿泊したホテル。到着日の午後は好天、しかし風が強く、とても6月とは思えない寒さだった。
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車両か事故のトラブルが解決して、ケーブルカーがようやく発着駅に入ってきた。
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木製の円盤の上に車両を載せた後は、係員が手動で回転させてケーブルカーの向きを変える。
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フィッシャーマンズ・ワーフの「玄関口」。
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湿気がないせいか、フィッシャーマンズワーフでは海特有の潮の匂いが漂ってこない。
鐘を勇ましく鳴らしながらケーブルカーが疾走する。
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「ケーブルカー鐘鳴らしコンテスト」の開催案内。運転士がテクニックを競う。

日曜日の散策

休みの日に車で出掛けることはない。主義主張ではなく、車を持たないからだ。だから歩く。距離にして10キロ程度なら、交通機関を利用せずに歩く。自分の意思で散策するかぎり、苦にはならない。半日ほど歩き、ランチをして本屋や文具店を冷やかせば、ちょっとしたスローライフ気分が味わえる。

仕事の疲れが出てくる週末には陽を浴びるようにしている。心身のリフレッシュには公園での日光浴が手っ取り早い。ベンチに腰掛けていると、どこかの店の厨房の匂いを風が運んでくる。ニンニクの香り。気の向くまま足の向くままなので、直感に従う。パスタが食べたくなった。

そこから十数分歩いて、何度か通ったイタリアンの店を目指す。本日のパスタはほうれん草とチーズ。具材とパスタの分量のバランスがいい。「よくかき混ぜてお召し上がりください」とシェフ。素直に混ぜる。誰もが経験しているはずだが、ほうれん草を大量に食べると歯の裏が渋っぽくざらついてくる。シュウ酸の仕業。気にせずに食べ続ける。食後のエスプレッソにたっぷり砂糖を入れて飲み干せば渋味を緩和できる。

☆     ☆     ☆

店を出てオフィス街を歩く。休日のオフィス街は、ビル群に囲まれながらも、人気が少なく、緑と舗道がビジネス色を排除して、生活空間と見間違うような、ちょっとした街並みに変貌する。その一角に最近オープンしたようなカフェダイニングが目に入る。日当たりのよいオープンテラスには観光客と思しき人たちがゆったりと時間の流れに身を任せている。エスプレッソを飲んだ直後だ、さすがにパスして通り過ぎる。

お気に入りのステーショナリーの店で書き味抜群のサインペンに出合う。サインする機会などめったにないが、ラフな構想をしたためるにはもってこいの走り具合と太さ。値段も260円とくれば、これは買いである。しかし、替え芯はなく使い切りと聞いてあきらめた。使ったペンは捨てにくいのだ。しばらく歩いて土佐堀川に架かる淀屋橋へ。写真左に見える稜線は生駒山。晴天の日ならではの風景からのご祝儀。

中之島に出て空を仰ぐ。リアルタイムで描かれる飛行機雲の軌跡を追う。曲線的に歩行してきて見上げる白い直線。何度も見た光景だが、三つの画像を並べてみたら、飛行機雲の三部作が出来上がった。

水のまちに降りそそぐ白い太陽の光を見た

ひょんなことから昔話が出て、過去を遡る機会があった。珍しく自伝的な話を書こうと思う。

父親に手習いを勧められ、10歳の時に書道塾に通い始めた。好きなのは絵のほうだったが、逆らう理由もなかったので、言われるまま続けた。中学に入る頃に近所の師範の手ほどきを受けることになった。中学3年になってまもなく五段になり、最高ランクの特待生の認定をもらった。それを最後に筆を置いた。

ぼくと入れ替わるようにして父親が書を始めた。三十代後半、かなり遅いスタートだ。もともと器用な人なので、書芸院、日展に入選し、あっと言う間に師範格になった。書道から離れたぼくは、高校受験を控えていたにもかかわらず熱心に絵を描くようになった。

好きこそものの上手なれ。中学時代の美術の成績はつねに5段階の5。中学3年の時の女性教師は「過去何十年も美術を指導してきて、きみが一番センスがいい。絵の道に進めばどうか」とまで言う。この先生は、絵であれ工芸品であれ図案であれ、ぼくのどんな作品も高く評価してくれた。自分では凡作だと思ったのに、いつもべた褒めしてもらえた。ある作品が先生に気に入られ、それを機にある種のブランドができたのだろう。学校内外の賞をいろいろもらったが、いま流行りの「忖度」もあったに違いない。

☆     ☆     ☆

書道と違って、誰からも絵画を教わったことがない。だから、基本のできていない我流である。もとより上手に描こうという感覚すらなかった。出来上がった絵は同級生が描きそうもない構図であり、風変りな色遣いであり、とりわけ題材そのものがわけがわからない。本であれ絵であれ、作品のタイトルは作品と同等に重要な要素だと今も考えているが、当時もそうだった。絵を描く以上の時間とエネルギーをタイトル案に注いだのだった。

先生に絶賛された作品に『水のまちに降りそそぐ白い太陽の光を見た』というのがある。「作品A」や「無題」や「静物」と名付け、画題の風景の固有名詞をタイトルにしていた同級生の作品と違って、いつも長ったらしいタイトルを付けていた。絵だけで表現できないもどかしさと拙い技術を文章で補ったようなものだ。先生は、絵のみならず、多分にタイトルも評価したのだろうと今も思っている。タイトルは写真のキャプションと同じような役割を担う。情報誌の編集にあたって見出しとキャプションには並々ならぬ工夫をすることがある。

絵描きではなく、元来が企画人であり編集者なのだろう。美術の世界に行かなくてよかったとつくづく思う。ところで、『水のまちに降りそそぐ……』という作品は手元にも実家にもない。子どもの頃の作品は、絵も書もすべて自ら処分したか、処分されてしまった。構図も色もよく覚えているが、再現不可能である。先日、デジタルペインティングの単純な機能を使い、タイトルを再解釈して遊んでみたところ、こんな一枚ができあがった。原作のほうがよほど恣意的で出来はよかったはずである。