連休は近場で食べ歩き

連休中の大阪は、キタもミナミも観光客で溢れかえり、繁華街は思うように歩けなかった。キタとミナミの中間に住んでいる。それぞれの中心街へはメトロで2駅だが、急ぎでなければたいてい歩く。半時間以内で行ける。観光客が並ぶ店を避けて、近場の食事処を一日に一店訪ねてみた。


人気店のようだが、たまたま二階の席が空いていた。自宅から徒歩10分と近いが、初入店。和洋数種類のランチメニューがある。店のしつらえも名前も和風なので、日替わりの和定食を指名した。この種の「いろんなおかずをちょっとずつ」という盛り付けは女性好みのはやりなのだろう。合格点のおいしさだが、当世、どこにでもありそうなランチだ。

自宅から徒歩5分。お気に入りのピザとパスタの店だ。その割には年にランチ3回、ディナー1回程度。コロナだったのでやむをえない。毎日4種類のピザを用意している。定番の「マルゲリータ(写真)」かチーズ4種トッピングの「クワトロフォルマッジ」のどちらかを注文する。昼前から20人以上並ぶ超人気の蕎麦屋が近くにある。ひいきにしている店だが、小一時間待って2,000円の天ざる定食なら、待たずに済み、1,000円でサラダとドリンクの付くピザにする。

いわゆる一般的な色とりどりの酢豚とは違う、満州酢豚。これをメニューに載せている中華料理店は多くない。薄切りの豚肉にささやかに千切りの野菜が添えてある程度で、とにかく大量の豚肉をいただくのがコンセプト。醤油を使わない、透明の甘酢液をかけてある。周りは食べたこともなく名前すら知らない人ばかり。この酢豚を食べないのは人生の一大機会損失だと思う。これまで4店で食べたが、それぞれ微妙に食感と味が違う。

カウンターだけの店。旬の魚を料理する。鰻丼、まぐろ丼、穴子/野菜天丼など丼が売り。時々ブランド牛のステーキも出すが、少考せずに、漬け丼か煮付けを選ぶ。この日の海鮮漬け丼は、まぐろの中トロ、カツオのたたき、ヒラメ、天然真鯛、剣先イカ。複数の魚を盛った漬け丼は、名前と食材を照合させながら食べるのが作法。カツオとイカとヒラメをいっしょに頬張ってはいけない。

たこ焼きをテイクアウトしてみた。何年ぶりかわからない。聞くところによれば、最近では8個で730円というのがあるらしい。B級どころか高級食である。9個で450円という店がある。これが相場らしい。この店、焼いたのはいいが、思い通りに客が来ず、売れ残ったたこ焼きを100円引きの350円で売っている。容器に入っているので端っこのほうが変形している。当然めているが、「アウトレットコーナー」という立て札に笑わされ、つい買ってしまった。

牡蠣食気考

先月、すでに旬が終わった。それなのに、今頃になって『牡蠣食気考』と題して、食べ足りなかった牡蠣の話をするとは未練がましい。

牡蠣食気考は「かき/くいけ/こう」と読めるが、ついでに語呂よく「かきくけこ」と収めたい。何でもかんでも好き嫌いせずに食べる気満々、牡蠣ならなおさらのこと、一目散で食い気に走る。

牡蠣の季節が始まる晩秋になると、いつも「昨年はあまり食べた記憶がない。今シーズンは食べるぞ!」と決意し宣言する。その割には年内と1月はせいぜい一、二食程度で、あまりガツガツしない。プランクトンが豊富になる2月から牡蠣はいっそうおいしくなる。牡蠣の旬を2月初旬から3月中旬に定めて集中摂取するのだ。しかし、牡蠣と同等においしい食材に恵まれる年は牡蠣を食べ損ねてしまい、気がつけば季節は春になっている。

ぼくの集中摂取などせいぜい1ダース、たかが知れている。中世フランスのアンリ4世は一度に20ダース食べたという。ローマ時代の軍人アルビヌスはその倍の500個を食した。これで驚いてはいけない。そんな数は可愛いもの。同じくローマ時代の大食漢ヴィテリウス帝は一度に100ダース、なんと1,200個の生牡蠣を平らげたという記録を残している。

カキフライ20個は無理でも、レモンを絞るか塩でつるりと味わえる生牡蠣なら20個はいけそうだ。

「サカナは外国人と日本人では食べ方が異なるが、牡蠣だけは万国共通で生を食べる。大げさのようだが全世界の人々が牡蠣の旨さを知っているからだろう」
(岩満重孝『百魚歳時記』)。

広い世界、広い日本に有数の牡蠣の産地がある。牡蠣はどこの産地が一番うまいかなどと論じても意味がない。牡蠣について言えば、旬がうまいと言えば事足りる。あとは人それぞれの好みだ。地元の人たちは地場がうまいと思っている。日本の生牡蠣はおおむね実入りがよく厚みがあるが、パリで何度か食べた生牡蠣は薄っぺらい。それが彼らの舌に合うし、口に入れてみればわかるが、生食にもってこいの味とサイズなのだ。

パリはバスティーユのマルシェ(2011年11月中旬)。牡蠣1個1.6ユーロと書いてある。当時は円高で1ユーロ105円だった。1個168円くらい。

フランスではカキフライという食べ方をしない。ほぼオイスターレモンである。機会損失だと思うが、生牡蠣で十分なのだろう。しかし、牡蠣は食材として万能。焼いたりグラタンにしたり蒸したり刺身にしたりと、あの手この手で料理を工夫すれば、巨漢の大食いヴィテリウス帝には及ばなくても、2ダースくらいなら問題ない。終わりに、自作の牡蠣料理のいくつかを紹介しておく。

オリーブオイルで煮た牡蠣のコンフィ。
殻付き牡蠣のポン酢。
加熱用牡蠣のニンニクとトウガラシのマリネ。パスタに使う。
実入りのいい牡蠣めし。

牛ステーキの焼き加減は?

焼肉とステーキは同じ料理の別の言い方か? ソースや調味料に違いがあっても、どちらも肉を焼いている点では同じか? しかし、「焼肉を食べに行こうか」と「ステーキをおごるよ」は同じではない。さらに言えば、焼肉と呼ぶ時の肉は通常は牛、豚、羊だが、ステーキはその他に鶏や鴨や魚、さらにはコンニャクやシイタケだったりすることもある。

牛肉に限ると、焼肉とステーキはよく似ているが、特徴的な違いがある。外食の場合、たいてい焼肉は客自らが好みの加減で焼く。一方、ステーキは店側が焼くので、店の調理人は客に好みの焼き加減を聞いてくる。客はおおむねレア、ミディアム、ウェルダンのいずれかを告げる。

ユッケ、ミンチ肉のタルタルステーキ、牛刺しなどは、まったく火を通さずに生のまま食す。鉄板であれ網であれ、ステーキには火を通す。薄い肉だと焼き加減は3段階が限界。焼き加減を微妙に調整するためには肉に厚みがいる。厚さが2センチ以上の牛肉なら上図のように、さらに好みの加減で焼くことができる。

レアは肉の表面だけを強火でさっと焼くか炙る。火は中までほとんど通らないので、ナイフで切ると断面は赤い(時に血が滲み出る)。ミディアムはレアの断面にピンク色が残るが、生焼けという状態ではない。ウェルダンは表面もよく焼けていて、切った断面からも赤みがほぼ消えている。

30代前半に勤務していた会社近くに良心的なステーキハウスがあった。同僚のアメリカ人と月に23回足繁くランチに通ったものだ。同僚はミディアムレア一辺倒。ぼくはいろんな焼き具合を試して、その店が仕入れている肉にはレアが合うと判断。その頃から今に至るまで、焼いてもらう場合も自宅で焼く場合もステーキはほぼレア仕上げだ。

そもそもレアの定義が「表面を強火でさっと・・・焼く」と曖昧だ。「さっと」は15秒なのか30秒なのか、肉質と肉厚を見て直感で判断するしかない。裏側の焼き方も焼き時間も悩ましい。いい感じのレアになっているだろうと思って切ってみるとミディアムになっていたりする。

年末に黒毛和牛のステーキ肉を買い、サランラップで包んで数日間寝かせておいた。冷蔵庫から取り出して常温に戻してからクロアチア産のハーブ塩をまぶして、厚めの鉄板で一気に焼いた。頃合いを見て端を一切れカットして焼き具合をチェック。レアの手前のブルーレア状態。すべて切り終えて皿に盛りつける頃に、余熱で理想的なレアに仕上がった。満悦至極。

ラーメンのレシピ再現物語

たまに行くいつものラーメン店でいつもの一番人気のラーメンを食べた。会計時に「これ持って帰って食べてみて」と店主が言い、インスタントラーメンを差し出した。パッケージを見ると、いま平らげたラーメンと同じ名前が……。「これ、ひょっとして」と言いかけたら、「話せば長いのでまた今度」と返された。

ラーメンマニアではないので、さすがにその日の夜には食べず、二日後の休日の昼に作ってみた。店の麺は生麵、インスタントの方は蒸して乾燥させているだろうから、口当たりが違う。生麺に比べてやや細い。しかし驚いたのはスープのほうである。店のスープとの味の違いがぼくの舌ではわからなかった。

後日、客がひけた頃合いを見計らって店に行き、同じラーメンを注文し、スープを味わい、あらためてインスタントのスープの出来に感心した。だいたい見当はついていたが、「いったいどういう経緯でインスタントができたのか」と尋ねた。以下、店主の話。


数カ月前にうちのラーメンがこの地区でグランプリを受賞したのは知っての通り。それ以来、並ぶ人の列も長くなった。常連さん以外の見慣れない客も増えた。新しい客でよく通ってくれる人が何人もおり、その中にいつもスーツを着た若い女性がいた。

女性は昼のピーク時間を避けて遅めに来る。閉店の30分前くらい。ゆっくり食べ,スープもじっくり飲む。食べ終わる頃にメモ帳を取り出してすばやく何かを走り書きする。「ごちそうさま」とだけ言って店を出ていく。他の客とは雰囲気が違う。女性の一人客は多くないので目立った。

最近特によく来るなあと思っていたある日の会計の時に、「いつもありがとうございます。気に入っていただいているなら何より。それにしても、よく来られますねぇ」と聞いてみた。他店の偵察などと思っていたわけではない。ここまでよく足を運んでくる理由を単純に知りたかったから。

女性は恥じらうように「実は……」と言って名刺を差し出した。大手食品会社の商品開発担当者だった。仕事柄いろんな店で食事をし、これぞと思うメニューを味わい、うま味のもとや成分を想像するという。そして、こう切り出した。「いつもいただいているこのラーメンをインスタント商品として当社から発売したいと考えています」。

麺もスープもレシピと作り方は教えられないと言うと、「承知しています」。飲み残したスープの持ち帰りもお断りと言えば、「当然です。こちらのお店の名前と商品名を拝借するのですから、合格と言っていただけるまで試作してお持ちします。なにとぞよろしくお願いします」と女性は深く一礼した。オファーを受けることにした。


以上がおおよその店主の話。店で十数回食べ、記憶とわずかなメモを頼りに、麺とスープを再現する。店では化学調味料を使わないが、食品メーカーは材料に調味料や添加物を使って同じ味を作り出す。女性は何度も何度も試作品を持参した。店主は妥協せず厳しく品評したという。ついにある日、店主とスタッフは納得のスープを味わうことになる。「麺は生麺ではないから80点どまりでしかたがない。しかし、スープのほうは……うちの味に近づいた。すごい再現力だと驚いた」と店主。

その後ぼくもインスタントのほうを何袋か買って食べた。かれこれ20年前の話。店主は数年後に一身上の都合で別の仕事に就いたため、店は今はもうない。ちなみに、店主はぼくの実弟である。

特価チーズの品質を巡って

「品質」はモノの良・不良を問題にする時に使われる用語。「品質がねぇ」などとつぶやき始めたら、何かしらよろしくない気配が察知されている証拠である。

製造過程で不良品を出さないように工夫することを「品質管理」という。そして、製品が顧客に売られる時および売られた後「いついつまで」の品質の良さを約束することを「品質保証」という。品質の管理と保証はセットになっている。

チーズ専門商社のアウトレットで定価1,000円のフランス産のチーズが299円で売られていた。価格ラベルに「品質管理の為」と書かれている。この6文字の裏には記述されなかったメッセージがある。想像してみた。

「お客様、店側で品質維持しながら在庫を保存してきましたが、そろそろ賞味の期限が近づいてきました。よろしければ、破格のお値段でご紹介します。これから先、この品をお客様にバトンタッチしたいと思います。なお、私どもの手を離れた後は、どうか自己責任にて保存または召し上がっていただきますようお願い申し上げます」

誤表示や偽装を見逃してはいけない。しかし、安全で美味で安価なら「品質管理の為」という不器用な表現の揚げ足を取ることもない。前向きかつ好意的に検討してあげてもいいのではないか。

フランス産のまずまず上等なヤギのチーズが70%オフなのである。「品質管理の為」は誰にでもわかる表現ではないが、悪だくみではなく、何かよいおこないをしているように聞こえる。何と言ってもコーヒー1杯よりも安い値段なのだ。買って今夜か明日に食べてしまえばいいではないか……こんなふうに思ってしまう。

但し、覚悟もいる。「うまくて安い」は実感しやすいが、人の舌は必ずしも危機管理に優れているとは言えない。鼻でしっかり嗅ぎ、次いで舐めてみて安全だと判断しても、やっぱりそうではなかったということは12時間後の腹痛や下痢でわかる。時には死亡に至ってはじめて安全ではなかったことを知る。知るのは本人ではなく、本人以外の誰かである。

ユネスコ無形文化遺産を食す

地元のオフィス街の食事処では洋食と中華とラーメンが優勢。相変わらず人気のトンカツ定食やハンバーグ定食が和食か洋食か微妙だが、味噌汁が付くので和食っぽい。しかし、申し訳程度に添えられたキャベツとポテトサラダを見ると洋食組。他に、親子丼とミニうどんの定食や豚骨ラーメンとミニ炒飯のセットなども注文が多い。たまに無性に食べたくなるが、決してバランスの取れた食事だとは思っていない。

京御膳

近くに平日の昼限定の京御膳を出してくれる店がある。お値段千円で多彩な食材が使われている。月に一度は通う。完食しても腹八分目で抑えられる。近くの別の和食の店は鯛めし御膳に特化している。鯛めしが食べ放題なので過食に要注意だが、これもお値段千円である。

鯛めし御膳

平成2512月、日本人の伝統的な食文化として和食が「ユネスコ無形文化遺産」に登録された。京御膳と鯛めし御膳はどちらも堂々たるユネスコ文化遺産ということになる。食べ終われば目の前から消えてなくなるが、能や文楽、陶芸や工芸の技術に匹敵する「世界のお宝」なのである。

🥢 和食は四季を反映する。南北に長い地形ゆえ、わが国には多様な地域特性があり、新鮮な旬の山海の幸に恵まれている。食材ごとに持ち味を引き出したり引き立てたりする技が育まれてきた。

🥢 主食の米とおかず(味噌汁、魚、野菜、山菜など)の食事構成のバランスが取れている。和食は動物性の油脂を極力控える健康栄養食であり、長寿に寄与していると考えられる。

🥢 口に入れることのない葉っぱや花を、ビジュアル的な印象のために料理にあしらう。味覚だけで満足せず、料理を盛り付ける食器、料理をいただく部屋にまでその時々の季節の自然を演出する。

🥢 どこの家でも日常的に旬の料理をいただくと同時に、正月から始まり晦日に至るまで一年を通じて歳時と関わる献立が工夫されることが多い。また、家族の集まる場や地域では固有の行事食が供される。

上記の4項目がおおよその申請内容である。和食ないしは和食文化の良いところどりをしていて、今の「洋風化した和食」のイメージとはやや隔たっている。どちらかと言うと、伝統的な高級料亭の食材、料理、あしらい、作法の趣が強い。とは言え、素直に誇らしく食卓について和食を味わうのも悪くない。和食にリスペクトを込めたいのなら「ユネスコいただきます」で始め「ユネスコご馳走さまでした」で終わるルーチンがいいかもしれない。

おすすめ vs イチオシ

20221025日、高知での実話。


高知に入る数日前に知人からメールが入った。「私がお仕事のアテンドをすることになりました。前日の夜に食事をご一緒しませんか。ご希望のお料理はありますか。もしなければ、地元の食材を生かしたフレンチなどはいかが?」というお尋ね。とてもよさそうな提案なのでお受けした。午後6時半の予約。ワインを飲むことになるはずなので、飲む前に飲むという例のドリンクを半時間前に飲んでおいた。

カウンター45席、4人掛けテーブル2卓の小ぢんまりとした瀟洒な店。7時頃までにぼくたちを含めて客は6人に。わずか6人で満員御礼という感じになった。白の発泡酒で乾杯。前菜二品は、シラスをのせたカナッペと、キーウィのジュレで食べる生牡蠣。魚料理は舞茸と梨を添えた鱧の天ぷら。メインの肉料理は四万十豚のソテーでジロール茸と柿が添えてある。赤ワインを合わせた。デザートはモンブラン、紅玉のスライスが山に隠れていた。

ここは中年のご夫婦で経営するビストロだ。シェフは寡黙に仕事をこなし、奥様が料理をサーブする。最後にコーヒーが運ばれてきて、少し会話をした。
「今日の料理だと日本酒でも合いそうですね」
「そうなんですが、めったに注文がないのですよ」
「置いているのはやっぱり土佐のお酒ですか」
「ええ、文佳人です。おすすめ・・・・します」
コーヒーを飲んだ後に日本酒は飲めない。どんな酒でどこに売っているかというような話になり、歩いて5分程の酒店を紹介してくれた。時刻は8時を回っていた。8時半閉店なので「今からうちのお客様が行かれます」と電話をしてくれた。

店を出て右へ、すぐに左へ、橋を渡ってすぐ左へ。50メートルほど先に灯りが見えた。酒店に入るとブルースが流れている。酒屋の雰囲気ではない。酒もおびただしく並んでいるが、レコードもぎっしりと棚に入っている。「かくかくしかじか」と来た理由を話し、おすすめ・・・・の文佳人を指名した。

「今のイチオシ・・・・は安芸虎のひやおろしです」と主人。ひやおろしは何度も見聞きしているが、飲んだことはない。ひやおろしとは何か、イチオシのこの酒はどんな味わいなのかなど、話せば長い解説と蘊蓄を、ご主人はあらかじめ一枚にまとめておられる。その紙をぼくに手渡しながら、「ぜひ飲んでみてください。ええ、文佳人もいいんですよ。いいですけどね、今はこちらがイチオシ・・・・です」

「じゃあ、そのひやおろしと文佳人を一本ずつ。飛行機なので720ml瓶で」と言えば、ご主人はもう一度言った。「文佳人もおいしいですけどね、ひやおろしはこの時期のイチオシ・・・・です」。強く二度繰り返されたから主人の推奨に応じた。「わかりました、ひやおろし2本ください」。

「イチオシ」が「おすすめ」を押し出した。「冷やして飲む」と聞いたので、昨日の朝に冷蔵庫に1本入れておいた。そして昨夜、飲んでみたのである。形容詞を駆使して味を表現しても伝わらないので、「過去に経験したことのない舌ざわりのまろやかさ」とだけ評しておく。なお、ご主人のペーパーには味の蘊蓄が書かれているはずだが、まだ読んでいない。

レストランはこうして生まれた

食事や料理を主題にした映画が上映されると足を運ぶ。食べることは人類の共通の生命線であり関心事であるから、言語や文化が異なる外国の映画でも難なく筋が追える。ここ数年間では『バベットの晩餐会』(1987年のリマスター版; デンマーク映画)、『世界で一番しあわせな食堂』(2019年; フィンランド/イギリス/中国合作映画)が印象に残っている。

92日に公開されたフランス/ベルギー合作の映画、『デリシュ!』も出色のできばえだった。題名になっているデリシュはジャガイモとトリュフを使った手の込んだ料理。公爵主催の晩餐会に向けて気合を入れて創作した一品だが、期待に反して来賓の貴族たちに酷評された。ここから物語が始まり、そしてレストランの歴史が始まる。

店を構えて、老若男女や貴賤を隔てずに客に料理を提供する形態は、18世紀半ばにフランスで始まって今日に至る。レストラン(reataurant)の語源はフランス語の“restore”で、「回復する」を意味する。食べるとは疲れを癒して休憩することだった。

まずテイクアウトや仕出しによるごく簡単な料理の提供があったようだ。そして、もう少し先になってからテーブルと椅子を用意して店で食べさせるという、今と同じやり方が定着した。レストランはまたたく間に増えていった。なぜか。

「折しも、革命(1789~)によって貴族の邸にいた料理人が失業して、町にレストランを開いた。これがフランスで、上等の食事を供する食堂が一般化した始まりである」(柴田婧子著『フランス料理史ノート』)

舌の肥えた貴族を満足させていた料理がリーズナブルに食べられるのだからレストランは人気を集めた。ちなみに、同書によると、日本でも同じ時期に本格的な高級料理屋が次々に出現している。深川の升屋など多くの料理屋が寺社の門前に構えられることになった。

くだんの映画の話に戻る。レストラン誕生以前にも泊まりを基本として、簡単な食事が付く程度の旅籠はたごはフランスでも日本でも存在していた。しかし、一般庶民はめったに外食機会に恵まれず、質素な食事でしのいでいた。他方、貴族は一流の料理人を雇って館に住まわせて「美味求真びみきゅうしん」の日々を満喫し、ハレの日には貴族仲間を招いての晩餐会に興じていた。しかも、料理人に献立を任せるのではなく、自分たちの食べたいものを20品、30品と用意させたのである。

晩餐会で不評を買って解雇された映画の主人公。失業すると新しいパトロンを探すしか料理人としての道はなかったが、周囲の人たちの助言もあって料理して供する場を作ろうと英断する。前菜、主菜、デザートのコースを決めて料理を提供したのはある種の革命だった。このレストラン革命がフランス革命と時を同じくしたことに偶然と必然の重なりを覚える。

「並」が「上」に化ける

ネットでチェックできることは知っていたが、実際にやってみた人から直接聞く機会があった。「中国産の一尾千円程度の鰻をうまいうな丼に仕上げる」というテーマである。料理好きのその人は「数種類のやり方があるので試行錯誤は必要」と言う。やってみた。

鰻に取り掛かる前に、たれをあらかじめ用意しておく。レトルトパックにたれが付いていてもそれを使わず、自前でたれを作る。1人前なら、醤油とみりんをそれぞれ大さじ2、酒と砂糖をそれぞれ大さじ1。これをすべて煮詰めて冷ましておく。

調理開始。スーパーで売っているレトルトパックの中国産鰻一尾を、そのまま、または半分くらいに切る。そして、うな丼グレードアップ作戦の、最初にして最重要の信じがたい作業に取り掛かる。身が崩れないように「洗う」のである。言い換えよう。あらかじめたれで蒲焼きされた鰻の、そのたれをきれいに落としてしまうのだ。

洗って濡れた鰻の水気みずけをキッチンペーパーに吸わせるように拭き取る。力を入れると身が崩れてほぐれてしまうから、丁寧に扱う。安い材料だからこそ余計に慎重に扱うべきである。たれがクレンジングされてスッピンになった鰻。これをフライパンに乗せる。酒少々と水で身が浸るようにし、弱火と中火の間の火加減で煮る。3分からせいぜい5分以内。

フライパンから鰻を取り出す。ふっくら感が出ているはず。フライパンを軽く洗い、アルミホイルを敷く。鰻の身を表にして並べ弱火にかける。先に作っておいたたれを刷毛でぬり、裏返して皮のほうにもぬる。濃い味が好みなら何度か繰り返してもいい。

丼にご飯を盛り、鰻を乗せて最後にたれをかけて仕上げる。好みで山椒をかけるが、けちらずに少しいいのを振りかけたい。普通にそのまま食べれば「並」または「並以下」だったはずの鰻が、「上」または松竹梅の「竹」クラスのうな丼に化ける。それがこれだ。

フライパンを使わずに、水気を切った鰻を酒に浸してラップしてレンジで加熱という方法もあるらしいが、まだ試していない。ともあれ、千円が2.5倍の値打ちに変わった気がする。しかし、元の中国産の「地力の差」もあるだろうから、味の安定感は保証しかねる。

どこで何を食べる?

現在の場所(大阪天満橋)で起業してから34年余り。この界隈の何十何百という食事処で、おそらく78千食のランチを食べたりテイクアウトしたりしたはずである。官公庁と中堅中小企業が集中するエリアだが、元々は住宅と商店がおびただしい街で、飲食店も多種多様である。

飲食業は栄枯盛衰、街中に在る店は一方で閉ざしては消え、他方でまた新しく生まれるが、総じて長くはとどまらない……などと書けば『方丈記』の「ゆく河の流れ」のごとし。記憶が正しければ、起業時から変わらず残っているのは牛丼の「吉○家」のみである。

コロナ禍で出張が少なくなり、仕事の本場所にいる日々が増えた。在宅でのテレワークが性に合わないので、ほぼ毎日事務所に来ている。おびただしい食事処から「さて今日の昼はどこがよいだろうか」と迷うのはこれまで楽しみだったが、長い年月を経た今、選択と決断は悩ましい。

どちらかと言うと食性が広いぼくは毎日同じような弁当で済ませることはできない。「昼にどこで何を食べるか?」と思案するのはほぼ毎日のこと、簡単には決まらない。但し、コロナ以降はもっぱら孤食をしているから、「誰と」を考える必要がなくなった。食事相手を気遣うことなくマイペースが保てる。


この一カ月、外に出るだけで暑い。出てから迷い歩きしていては食事にありつく前に熱中症をわずらう。出掛ける前に近場の店のツイッターやインスタグラムで本日のメニューをチェックするようになった。したがって、行ってみるまでメニューがわからない店に行くことはほとんどない。おおよそ56店に行きつけの店を絞り、あらかじめ注文まで決めてから出掛ける。

一番のお気に入りは一か月ちょっと前に初めて入った「Y」。直近の半月だけで4度足を運んでいる。毎日工夫のある7種の定食がメニューで、和風が4種、洋食が2種、中華/エスニックが1種というラインアップ。値段は800円から上限1,400円。おおむね1,000円前後。


今日も行ってきた。目玉の鰻丼定食、1,380円を注文した。三河産の鰻とは良心的である。どの定食にも具だくさんの味噌汁と小鉢2品が付いている(日によってはデザートも)。これまでに注文した食事は以下の通り。この店をマイ食堂に指名してもいいと思うほど変化に富んでいて飽きない。

海鮮竜田揚げ定食
おかあさんの酢豚定食
マグロ/中トロ/イサキ/フエフキダイの漬け丼定食