男の作法―「食」

時代劇を好まないので小説は読んだことがない。作家としてではなく、玄人はだしの画人のほうに関心があった。だから、自筆の挿絵入りエッセイはだいたい読んでいる。先日のこと。雑談の中で作法の話が出た。流れで男の作法にも展開した。「いい本がある」と勧めた直後にふと思い出した。「そうそう、以前まとめた書評があるので、まずそれを読んでみたら」とプリントした。自分でももう一度読み返してみた。

池波正太郎の『男の作法』がそれ。インタビューに応じた語り下ろしで、十年前まで愛読書の一冊だった。何しろ池波正太郎(1923~1990)である。彼の生きた時代の男の作法である。「男というものが、どのように生きて行くかという問題は、結局、その人が生きている時代そのものと切っても切れないかかわりを持っています」と池波は語る。それでもなお、心しておいていい作法がないわけではない。歳相応の「いき」のヒントが見つかるかもしれない。

そば、てんぷら、鮨など食の薀蓄が切れ味よく披露される。

 「そばは二口、三口かんでからのどに入れるのが一番うまい。唐辛子はそばそのものの上に振っておく。」

日本全国にそば処がある。山形の箱そばを食べる際には、ワサビをそばに塗りつけて、つゆにつけずに二、三口食べるのがいいと言われた。そもそもうまいそばはアルデンテだ。そして、噛み過ぎてはまずくなる。中部・関東以北のつゆは濃いからつけ過ぎない、関西では淡泊だからたっぷりつけてもいい。

「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べなきゃ。」

強く同意する。てんぷら屋に数人で行って打ち合わせするなどはもってのほかだ。会合には向かない。彼女と二人で行っても話などせず、黙々と揚げたてを食べるべし。

酒やビールを飲みながらてんぷらをつまむのもよくない。お通しを前菜にして酒かビールを先に済ませる。その後はてんぷらに集中するのがいい。食べたらさっと店を後にする。最近はデザートを出す店がちらほらあるが、そんなものはいらない。

鮨屋の作法は何歳になっても難しい。行きつけの店ならいいが、一見だと店の仕切り方と値段が気になる。テーブル席のある店はさほど値が張らない。常連はカウンターに座るから、そういう店ではテーブル席について、 「おつまみ少しとビール。その後に一人前お願いします」と注文すればいいと池波は言う。銀座あたりだと、それでも1万円超になるかもしれないが、それが気に入らないなら銀座に行かなければいいだけの話。

なお、格のある寿司屋は「通ぶる客」を喜ばない。醤油のことをムラサキ、お茶のことをアガリなどと、鮨屋仲間の隠語を客が使うことに異議ありと池波は言う。客が「お茶ください」と言い、店主が「はい、アガリ一丁」が自然である。本来店側のことばである「おあいそ」をぼくは言わない。「お勘定してください」である。

自然にとっての人間

「人間にとっての自然とは何か」を考えることはあっても、「自然にとっての人間とは何か」に思いが及ぶことはめったにない。人間は自然に身を置きながらも、自然側から発想するのは苦手なのだ。

人は自然を利用する。然を無理にける。「だから自分という」と友人の禅僧が言っていた。自然の一部を分けてもらってようやく自分が成り立つというわけだ。しかし、自然は人間のために存在などしていない。

「自然に優しいデザインなどという言葉も(……)虚しい。自然は強靭で、風は人間のために吹いているのではない」(原研哉『デザインのめざめ』)

風だけではない。水は人のために蓄えられず、人のために流れているのではない。樹木は人のために生えているのではない。月も太陽も人のことなどこれっぽっちも考えていない。自然は人間のことなどまったく眼中にない。だから、人間は自然に片想いしている存在であることを片時も忘れてはいけないのである。

昨日、今日、明日

『昨日、今日、明日』と言えば、イタリア映画。原題“Ieri, Oggi, Domani”の直訳が、そのまま邦題になっている。三つの物語から成るオムニバス構成。観たのがもう何十年も前なので、内容はほとんど覚えていない。ソフィア・ローレンの妖艶な肢体だけが印象に残っている。

経験していない明日を思い出すことはできない。明日は想像の対象外の時間である。では、今日はどうか。リアルタイムであり、刻々と過ぎてゆく時間軸を辿れば、朝の出来事や体験を夕方に思い起こすことはできる。


記憶があやふやなずいぶん昔のことは無理だけれど、昨日という過去なら思い出しやすい。昨日のことはまだ冷めやらぬ余韻が記憶の中に残っている。よかったことにはほくそ笑み、芳しくなかったことは今日も引きずっている。進行形の今日や未来形の明日に比べれば、昨日は確かなのである。

「ぼくはずっと思っているんだ。きのう・・・になればよくなるだろうって」(チャーリー・ブラウン)

よく言ってくれた、チャーリー。その通り。何の根拠もないのに、明日になれば今日よりもよくなると信じている人がいる。今日がダメだった、でも明日があるさと思い直して励まされるとはお人好しにもほどがある。チャーリーは覚めた目で昨日、今日、明日を見ている。今日の次にもう一度昨日がやって来たら、後悔と反省をした分、少しはましにやり直せるかもという気になる。

様々な一節

相変わらず雑読ばかりしている。十数ページほど読むと別の本に手を伸ばし、その本の適当な場所を開けて何ページかめくる。こんなことを繰り返す。飛び石を伝うような読み方。ネットサーフィンならぬブックサーフィンだ。この一週間古書店で買い求めた数冊を昨日もそんなふうに読んでいた。本は生真面目に1ページ目から読むべきものとされているが、それは一つの読み方にすぎない。小説を例外として、かく読むべしという観念に縛られる理由はない。自分に気まぐれを許して好きなところから読み始めればいい。偶然開けるページの断章の中の一節が少考のきっかけになることがある。

📖 『パリの手記Ⅱ 城そして象徴』 辻邦生 (p50

自分のなかの危険の兆候を、僕は一種の物憂さの中に見いだす。僕は「他人の眼」の中であまりに暮しすぎたし、どうすることもできない習性を負わされているが、それにしても最近とみに顕著になった物憂さは、僕を、すべてのものへの関心から、引きはなしてしまう。僕には、一貫して、何かをやり通す気力がなくなった。

ぼくも他人の眼の中で暮らすことがあったが、これほど重度の物憂さに苛まれたことはないし、無関心や無気力な自分と激しく闘ったことはない。何度もきつい場面に遭遇したが、どこかで考えることをやめる安全装置が働いたように思う。パリなどに長く住むと、日本の特殊性と現実の生活との葛藤を肌で感じるのだろうか。

📖 『食卓は人を詩人にする』 山縣弘幸 (p110

唇は小さくあけて
舌のおさじで食べる
接吻という名のアイスクリーム
(堀口大學)

うまく表現するものである。アイスクリームがエロティシズムに化けた。官能的とも呼ぶべき食べ物がある。たとえばマドレーヌについて、「その襞につつまれてあんなに豊満な肉感をもっていたお菓子のあの小さな貝殻の形」とプルーストが書いているらしい。かなりきわどい描写だ。ところで、さらに100ページ先には牡蠣の話が出てくる。大食漢バルザックは生牡蠣を百個食べた。それだけで終わらず、仔羊のカツレツ12枚、仔鴨の蕪添え一羽、やまうずらのロースト二羽、舌平目のノルマンド・ソース一皿……などを平らげたという。食は暴力的でもある。

📖 『ホモ・モルタリス 生命と過剰 第二部』 丸山圭三郎 (p35

…… 死の不安に怯える動物ホモ・モルタリス(死すべきヒト) ……
本能とは異なるコトバによって〈死〉をイメージ化し、死の不安と恐怖をもつ唯一の動物であるという意味では「人間だけが死ぬ動物」(ド・ヴァーレンス)かも知れない。しかし、同時に、「人間は死への自覚をもって自らを不死たらしめる」(ハイデガー)動物でもあろう。

人間は肉体的に滅んで死す。不安や恐怖に怯えて死す。他の動物と違って、死ぬことを知っているからである。しかし、不安も恐怖も捨て切って死を自覚すればどうだろう。それでも肉体は滅ぶ。だが、概念的には死なない。死と不死を分け隔てるのは覚悟なのか。

📖 『ヴェネツィア的生活』 角井典子 (p40

昔々、アラビアの山羊飼いが、赤い木の実を食べ跳びはねている山羊を見つけた。手がつけられず困り果て、近くのイスラムの修道院へ相談に。導師はその実を調べ、生で食べてみると、これがひどい味。そこで試しに煎じて飲むと、苦い味は風変わり。

この導師が、『コーヒールンバ』の出だし、♪ 昔アラブのえらいお坊さんが……の「えらいお坊さん」と同一人物かどうかはわからない。ともあれ、コーヒーとアラブには密接な関係があったのはよく知られた事実である。「カフェなしでは生きられない」という断章からの一節だが、ヴェネツィアのみならずイタリアではどの街でも、カフェなしでは生きられないという趣が強い。ぼくの今のカフェ習慣は多分にイタリアの旅で影響を受けたと思われる。

ことばが考えを実現する

はじめに明快な考えがあって、それをことばで伝達し共有しているという通念がある。しかし、日々のコミュニケーションを振り返ってみれば、この通念の誤りに気づく。考えはそう易々と伝達され共有されるものではない。はじめに明快な考えがあるのなら、なぜ明快なはずの考えが言語化された後に意味不明になってしまうのか。

実は、ここに言語の思考に対する優位性という真実が潜んでいる。言語は思考の手段やしもべなどではなく、むしろ言語のほうが「思考らしきもの」を明快な思考にしているのだ。言語以前に明快な思考は存在しない。思考は言語に促されて生成し、ことばのやりくりによってはじめて明快になる。『知覚の現象学』からメルロ=ポンティのことば。

「思考がことばを操るのではなく、ことばが思考を実現する」

メルロ=ポンティは「意味は存在するものではなく、生成するものである」とも言う。ぼくたちはわかり切っていることを伝えることもあるし、十分にわかっていないことを手探りで伝えようとすることもある。しかし、前者の、自分でわかり切っていることですら、相手には違った意味として伝わってしまうことがある。はじめに明らかな意味があるのでもなく、それがそのままことばで伝わっているわけでもないのだ。意味は自分と相手との間でそのつど見い出され生まれる。意味は両者で共有されるまではどこにも存在してなどいない。

思考を才能に言い換えても、言語の優位性は揺るがない。『学問の方法』の中でジャンバッティスタ・ヴィーコは言う。

才能インゲニウムは言語によって形成されるのであって、言語が才能によって形成されるわけではない」

言語を形成するのが才能だと仮定してみよう。では、その才能は何によって形成され高められるのか。もし才能はじめにありきなら、言語は一握りの天賦の才だけに授けられ、ほとんどの人間は今のようにことばを運用することはできなくなってしまう。やはり言語が才能を形成すると考えるのが自然である。何がしかの思考と人それぞれの才能、その他ありとあらゆる資質は言語によって形成される。考えなくても才能がなくても何とかなるが、言語を放棄しては人間関係も生きることも立ち行かなくなる。


ヴィトゲンシュタインの入門書として書かれた『はじめての言語ゲーム』(橋本大三郎)に次のくだりがある。

「私たちが言葉を話せるようになるのは、言葉を理解したからであって、文法を教わったからではない。(……)そもそも言葉がわからないと、文法を教わることができない」

先に書いた言語と思考の関係は、この言語と文法の関係にも当てはまる。最初に文法があってことばを習得しているのではない。幼児期の言語形成過程を見れば自明の話である。ろくに考えもできず、才能の萌芽すらなく、母語の文法の何一つも知らずに、幼児はことばを必死に聞き、ことばらしきものを必死に発しようとする。ちょうどヒナが飛ぶことの意味を知らないままに羽ばたこうとするように。

このような言語習熟・習得のプロセスや背景にある考え方は、言語以外の学習を下支えしている。思考や才能のみならず、問題解決や情報処理や計画・構想などもことばの技法にほかならない。どんな学習対象であっても、言語の学び方からかけがえのないヒントとインスピレーションが得られるはずである。

以上のように言語の優位性を説いていくと、思考や才能や文法を実現する言語自体はどのように根づき息づくのかという疑問にぶつかる。しかも、言語は共通性と同時に人それぞれの固有性も特徴とする。言語の固有性はどのように形成されるのだろうか。おそらく個人的な経験によってである。ことばは経験と密接につながって個性的になり豊かになり息づいてくる。森有正は『「ことば」について』の中で次のように語る。

「(……)経験ということが問題になるその発端からすでにことばそのものなのである。我々にとって、現実そのものが経験を定義しているが、その経験はことばを定義していると言えるかもしれない。また経験はそういうことばを通してのみ成立するとも言える。(……)経験そのものがことばによってはっきりして来る。ことばは経験とは別の、単なる手段ではなく、もっと経験にとって実質的な何か、我々がそれを操作し、それを生きることによってのみ、経験自体が成立する(……)」

ともあれ、ことばが何か別のための手段などと考えないほうがよい。手段と見なしているあいだは経験と一体化しないし、思考と分断されたままになるだろう。ことばは生きることそのものであり、森有正的に言えば、「経験とことばとは同時的であり同一物なのかもしれない」。少なくとも、思考は先験的でもなければ突然変異的な作用でもない。思考はことばを日々駆使する経験の延長線上に現れる一つの行為にほかならない。

『真贋』

何が本物で何が偽物かは通常権威によって決められる。もっとも、悪貨が良貨を駆逐するようになると、良きもの(=本物)はどこかにしまい込まれて流通せず、本物を見る機会は激減する。日頃目にしたり手にしたりするのは悪しきもの(=偽物)ばかり。本物を見ていないから偽物を認識することすらできなくなる。話は骨董や貴金属に限らない。今は、知識や情報、人も商売もことごとく、真贋を見極めるのが難しい時代になっているのである。


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文芸評論家の小林秀雄(1902-1983)は骨董趣味人としても知られていた。本書の名の付いた『真贋しんがん』というエッセイは独立した小文で、それだけ読んでももちろんいいのだが、他に収録されているエッセイと読み併せてみて見えてくるものもある。「美しい花はある。花の美しさなどというものはない」と断言した小林秀雄は、抽象化された美を認めなかった。美しさを「もの」から切り離さなかった人だ。その人が書いた本物と偽物の話である。

古美術商の目利きの力は、若い頃に偽物をどれだけ摑まされたかという経験に比例する。知人の業界人がそんなことを言っていた。骨董趣味のキャリアが長くても小林秀雄は素人であった。ある時期、良寛の『地震後作』という詩軸を手に入れて得意になっていたら、良寛研究家の友人に「越後の地震以降、良寛はこんな字を書かない」と指摘され、その場で傍に置いてあった一文字助光の名刀で縦横十文字に切ってバラバラにした。小林が切り裂いたのはいったい何だったのか? 偽物の何を切り捨てたのだろうか? ちょっと先に次のくだりがある。

書画骨董という煩悩の世界では、ニセ物は人間の様に歩いている。煩悩がそれを要求しているからである。(……)金がないくせに贅沢がしてみたい大多数の好者すきしゃの実情であろう。

どうやら切り裂いて捨てたのは威張りたいという懲りないさがと深いごうだったに違いない。

商売人は、ニセ物という言葉を使いたがらない。ニセ物という様な徒に人心を刺戟する言葉は、言わば禁句にして置く方がいいので、例えば二番手だと言う、ちと若いと言う、ジョボたれてると言う(……)。

先の知人は、「世に出ていない本物は大方旧豪商の蔵で眠っており、いくらでも古い品が発掘できる」と言った。しかし、流通する前に紛失することもあるだろうし劣化や瑕疵もあるだろうから、実際のところ本物は減っていく。ところが、本物が減っても、本物を欲しがる愛好家の数は変わらない。彼らの需要を満たそうとすれば供給は不足する。ここに偽物の出番があるのだ。小林は言う、「例えば雪舟のホン物は、専門家の説によれば十数点しかないが、雪舟を掛けたい人が一万人ある」。どうやら、偽物の効用を認めるからこそ書画骨董界がやっていけるらしいのだ。

博物館の鑑定書が付いていても偽物だったというのは日常茶飯事。「美は不安定な鑑賞のうちにしか生きていないから、研究には適さない」と小林は言う。専門家の研究心が却って見誤りをもたらすのである。権威への信頼もほどほどにせねばならない。

裸茶碗に本物はあっても、箱や極め(鑑定書)のない偽物はないというのがこの世界の常らしい。偽物はモノの外に「らしさ」を持たねばならないということだろう。伝説というものを大雑把に定義すれば、外に在る物に根柢を置かず、内に動く言葉に信を置く表情と言えよう。

伝説の持つ内なる力――ことばの力――が強いからこそ、コピー屋はそこに目を付け、文字によって値打ちをカモフラージュする、というわけである。「あいつのことばは用意周到、でき過ぎている」などと言われないように、自信のあることについては朴訥にポツンと語るのが大人の取るべき措置なのかもしれない。

風流と野暮

三日月

何年か前に撮った三日月の写真がある。雲を引き連れて、見えない風が流れている。風の流れ、すなわち風流が感じられる。今夜も三日月だが、見えている三日月には少しぼかしが入っている。残念なことに、今夜のぼくの位置取りが三日月を風流と無縁にしてしまった。

眼がくらむドラッグストアの煌々こうこうと照る蛍光灯 三日月かすむ /  岡野勝志

街中の店の灯りに節操がない。目立てばいいのだと全店が利己的に思えば、黄昏時の景観も褪せる。眼を患うのではないかと思うほど眩しいだけである。とりわけドラッグストアの店の明るさには閉口する。あそこまで明るくするのは野暮ではないか。品性がなく、調和や周囲への気遣いを欠いて、ただひとり派手に酔っているかのようだ。

芭蕉が「わが門の風流を学ぶやから」(遺語集)ということをいっているが、風流とはいったいどういうことか。風流とは世俗に対していうことである。社会的日常性における世俗と断つことから出発しなければならぬ。風流は第一に離俗である。
(九鬼周造『風流に関する一考察』)

風流が日常の世俗から離れることであるなら、俗世界に留まるのが野暮だろう。ドラッグストアを便利に使う身ながら、足を運ぶたびに、軽めの世俗から重くて深い世俗に入り込む感覚に襲われる。


風流は「もの」の属性ではない。感受者の内に芽生えるみやびな趣である。団扇片手の浴衣姿に一応の風流を感じるにしても、浴衣と団扇の色や柄、手足の動きの一部始終がさらに観る者の心の動きに関わってくる。後ろ姿に風流を観た。しかし、前に回ればスマートフォンを操ってポケモンGOでは俗すぎる。

風物の風情は風流に通じる。暑い夏にはせめて精神の涼をとばかりに、平凡なものに向き合う時にも風流の演出に工夫を凝らしていた。西瓜などはその典型だ。何の変哲もない果物扱いしてもよかったはずだが、夏の風物詩には欠かせない存在となった。西瓜の切り方・食べ方も風流と野暮を線引きする。切って食べる前に品定めもある。ぼくの爺さんは八百屋の店主と一言二言交わしてから、西瓜をひょいと持ち上げて左手に乗せ、耳を当てがって右手で鼓を打つようにポンポンと叩いて音を聞き分けていた。子どもの目にさえ粋な所作に映った。爺さんの買ってきた西瓜にはずれはなかった。

古い時代の京都にも、避暑ついでにうりの畑を見物する習わしがあったと聞く。今のように果物何でもありの時代と違って、瓜は貴重な夏の逸品だった。瓜畑を眺めることを「瓜見うりみ」と呼んだ。瓜見すれば、当然一口いただきたくもなる。避暑の道程から少し寄り道して一服。風流である。今日、俗っぽく生きるのはやむをえないが、心の持ち方をスパッと変えて、風流に感応する時と場を工夫してみるのがいい。

「学問の本趣意は読書のみに非ず」

読書

〈書評輪講カフェ〉と命名した読書会を不定期に主宰している。会合開催の前週や当該週になると操られたように読書について一考する。もう何年もこんな状態が続いている。

ところで、最近あまり本を読んでいない。今年に入って50冊ほど買っているはずだが、本気で読んだのは片手にも満たない。大半の本の取り扱いは、ページを適当に繰って拾い読みするか、目次をざっと走査して狙いすました章だけを読む程度である。冬から春にかけてのこの時期だからというわけではない。読書離れは突然予告なしに起こり、そしてしばらく続く。やがて、ダイエットの後にリバウンドが待ち構えているように、再び読書にのめり込む周期に入る。

「本を読むというのは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。一日中おびただしい分量を猛スピードで読んでいる人は、自分で考える力がだんだんに失われてしまう。」

こう言ったのはショーペンハウエルだ。自分以外の誰かがすでに考えたことを無思考的になぞるのが読書行為であるとはやや極論かもしれない。だが、そうではないとも言い切れぬ。本の内容を素材にして考えるほうが、本を手にしないで考えるよりも負担は少ない。もっとも、本を読んでも思考力が衰えるのなら、本を読まないとバカはさらに加速するだろう。ショーペンハウエルの言は、「考える力のある人は読書に依存しない」と読み替えてみるのが妥当である。そう解釈しても、では、考える力の乏しい人がどのように読書に付き合えばいいのかという答えは出てこない。


何にでも関心を示して精進するわけにはいかない。教養はあるほうがいいし、ものは知らないよりも知っているほうがいいだろう。しかし、どれだけ頑張っても、知っていることは知らないことに比べたらつねに一握りにすぎない。「えっ、読書家なのに、あの小説はお読みになっていない? 絶対読まないといけませんよ」と年下の知人に忠告されたと仮定しよう。「先生ともあろう人が……」と追い討ちもかけられ、これは聞き捨てならぬと、ぼくのお説教が始まる。

「あいにくぼくはその作家に関心がない。ペンネームの漢字の読み方すら間違って覚えていたくらいだ。ベストセラーか評判の作品かどうか知らないが、なぜ右にならえのように読まねばならないのか。一億総同本読みか。では、聞くけどね、きみはガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだかい? ほら、読んでいない。ノーベル賞作家だ。村上春樹がまだ受賞していないあの賞。『百年の孤独』でも他の本でもいいが、ぼくはきみに一度でも絶対読まないといけないと言ったことがあるかね? 断じてない! 本というのは人それぞれ何を読んだっていいんだ。いや、何も読まなくってもいい。世の中に読まねばならぬ本はなく、他人から勧められて半ば強制されるように読むべき本もない。ただ読んでみたい本があるのみ。きみとぼくの読む本の大半が重なるなんて、こんなおもしろくない話はない。重ならないからこそ、ぼくはきみの読んだ本の印象を聞いてみたいと思うのじゃないか……」

説教は、おそらく収まらない。さて、福沢諭吉の『学問のすゝめ』に読書に言及する一編がある。学問ということばを小難しく考えることはない。初歩的な意味は「学び習うこと」にほかならない。つまり、学習。一般的には教師や書物から新しい知識を授かることである。このことを承知した上で、同書の十二編を読んでみる。

学問はただ読書の一科に非ずとのことは、既に人の知るところなれば今これを論弁するに及ばず。学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し。(……)学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働きに在り(……)

読書は学問の出発点でもなければ本質でもないということだ。読書によって何かを学んで習っても、インプットだけでは無学と変わらない。学習で重要なのは、活用だ、精神の働きだと言うのである。ショーペンハウエルが指摘したのもたぶんこれだ。本を読むな! と言ったのではなく、書かれていることを覚えるだけでは考えないだろう、生かさないだろう、精神が面目躍如として生き生きとしないだろう……というようなメッセージとして読み取れるのではないか。

読んだら書けばいい。自分の思考の拠り所を基礎として書評をしたためればいい。したためた書評を誰かとシェアすればいい。書評を読み返し思考と精神を時折り更新すればなおいい。このような繰り返しが日々の生き方・仕事の仕方に反映されてくる。机上の読書が現実に降りてくるのである。

時の鐘

釣鐘屋敷跡2 釣鐘

オフィスは大阪市中央区の釣鐘町一丁目。百メートルちょっと西へ歩けば二丁目で、そこに釣鐘の鐘楼がある。現オフィスに移転して26年になる。鐘は定刻に毎日鳴るのだが、オフィスビル群に囲まれ、また窓も閉めているから、こんなに近接していても、よほど聞き耳を立てないかぎり打鐘に気づかない。

由緒のある鐘である。寛永十一年(1634年)に大坂町中時報鐘として設置された。「おおさかまちじゅう じほうしょう」と読む。鐘は高さ1.9メートル、直径1.1メートル、重さ3トン。この場所はかつて釣鐘屋敷と呼ばれていた。屋敷はとうの昔になくなっている。

釣鐘屋敷跡1 鐘楼

釣鐘を包む鐘楼はマンションに紛れるように佇む。1660年、1708年、1724年、1847年と四度も焼失したが、鐘そのものは焼けずに無事だった。しかし、1870年以降は、これまた四度、保管場所を転々とした。近くの小学校、大阪商工会議所の前身の地、大阪城の前の府庁屋上などを経て、百有余年後の1985年に〈時の鐘〉として現釣鐘町二丁目についに里帰りを果たした。毎日朝八時、正午、日没の三回鐘が鳴る。人の手ではなく、コンピュータ制御による打鐘だ。大晦日にも除夜の鐘打ちがおこなわれている。


四度の火災にもかかわらず、音色はかつての美しさを失わず、名鐘の一つとして誉れ高い。釣鐘を守る鐘楼も五度目の建造になる。五度目の正直というわけでもないだろうが、屋根は五つの輪で意匠を凝らし、〈自主、自立、自由、活力、創造〉という、かつての大阪町人の精神を象徴しているという。現代の大阪人がどこかに置き忘れてきた気概である。

平屋やせいぜい二階建ての住居が当たり前だった時代、この鐘が街の四方八方に時報を告げたというから、音色の響き渡りのほどが想像できる。実は、この釣鐘の鐘の音、近松門左衛門の『曾根崎心中』のここぞという場面で「音響効果」を受け持っている。遊女お初と徳兵衛の情死を題材にしたこの浄瑠璃の道行みちゆきの場面の書き出しは、荻生徂徠もべた褒めした名調子の名文だ。

此世このよ名残なごり夜も名残 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ あれかぞふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生こんじょうの 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽じゃくめついらくと響くなり

見事な七五調。お初と徳兵衛の耳に響いた七つの時の鐘の音、それが釣鐘の時報だったとは感慨深い。釣鐘町から心中の現場であるかつての曾根崎天神の森まで約2.5キロメートル。よくぞ鳴り響いたものだと感心する。その鐘とたぶん同じ音が今も生きている。

この柿の木が庵らしくするあるじとして

小郡に来ている。今年で四年か五年連続になる。ホテルと研修会場をタクシーで往復という味気なさ。今年は何が何でも種田山頭火の其中庵ごちゅうあんを訪れてみようと思っていた。滞在ホテルからだと徒歩で半時間近くかかるからタクシーはどうかとフロントで言われた。しかし、車だと情趣は半減すると思い、坂道を歩くことにした。ぎょうとはほど遠いぶらぶら歩きだったが……。

己の存在を自立させんと漂泊放浪した。歩くことは、山頭火にとって「ぎょうずる」ことだったからだ。
     ほととぎすあすはあの山こえて行かう
山頭火の内なる荒涼たる哀歓は、側側として人間の人間への問いに美しいことばをもって答えてくれる。(上田郡史『山頭火の秀句』)

自由句の俳人、僧侶、袈裟姿、放浪、酒等々で象徴される山頭火を知らなくても、福山雅治がコマーシャルでこの句をつぶやいていたのを覚えている人はいるだろう。続編は「雪へ轍の一すぢのあと」と「雪がふるふる雪見てをれば」だった。

其中庵

山頭火が其中庵に定住し始めたのは昭和七年九月。それまでは壮絶な放浪と作句の日々だった。逆説的だが、安住しないことが自立することであると心得てのことだった。ところが、この地にすみかを得て六年間、不便もなく不安もない生活を送ることになる。それまでの生き方に背くこと、精神が濁ることは承知の上、ただもう安らぎたいという一心ゆえの決断だったのである。


先の書物の中に山頭火自身が綴った文が紹介されている。

かうしてゐると、ともすれば漫然として人生を考へる、そしてそれが自分の過去にふりかへつてくると、すべてが過ぎてしまつた、みんな死んでしまつた。何もかも空の空だ。といつたやうな断見に堕在する、そしてまた、血縁のものや、友人や、いろいろの物事の離合成敗などを考へて、ついほろりとする。今更、どんなに考へたつて何物にもならないのに――それが山頭火といふ痴人の癖だ。

いやはや、わが身を振り返れば耳が痛いなどという程度では済まない。人生をろくに考えずに、過ぎし日々を指をくわえてぼんやりと回顧してほろりとするのは誰もが備えている性癖ではないか。悔悛の念に駆られるときはつねに手遅れである。

其中庵近くの邸宅の庭に柿がたわわに実っているのを見て、ふと柿の木の句を思い出した。

あの柿の木が庵らしくする実のたわわ   (壱)
この柿の木が庵らしくするあるじとして  (弐)

最初壱の句が作られ、その後弐の句に書き換えられた。この変化のうちに心境の一端が読み取れそうな気がする。壱の句ではまだ山頭火はあるじだったのだろう。しかし、脇役のはずの柿の木が弐の句で主役になる。あるじの座は柿の木に取って代わられた。「あの柿の木」が「この柿の木」に変わっているのも見逃せない。軽妙で滑稽味さえ感じさせるが、放浪時代から一変した庵での営みは、本人にとっては怠慢に過ぎる日々だったのか。自由句に示された自覚は諦観的につぶやかれているかのようである。