1977年~1980年

一年前にほとんどの蔵書をオフィスに移した。自宅にはまだ500冊くらい古い本があるが、大半は処分する予定。一昨日、書道や美術関係の希少本をセレクトしてオフィスに運び込んだ。希少本ではないが、納戸の奥から懐かしい本やノートが見つかる。二十代中頃に読んだ本や雑文を綴ったノート。

1977年~1980年は本を買いあさりよく読んだ時期にあたる。どの程度読んだかと言うと、ほぼ一日一冊のペース。通勤に往復約2時間半かかっていたし、この頃の一年ほど無職だったこともあり、時間がたっぷりあった。197710月の読書記録には次のような書名が並んでいる。

江戸幕府、堕落論、好色五人女、ことばへの旅Ⅰ、勝負、信長と秀吉、毎日の言葉、氷川清話、山月記、李陵・弟子・名人伝、アメリカひじき・火垂るの墓、日本の伝説、新西洋事情、メディアの周辺、人間へのはるかな旅、ピンチランナー調書、考える技術・書く技術、暮らしの思想、続・暮らしの思想、日本の禅語録、海舟全集全6巻……

☆     ☆     ☆

もっとも懐かしかったのが、今東光の『極道辻説法』と『続 極道辻説法』である。前者が1977年の第四版、後者が同年の第二版。ちなみに、今東光が没したのが同年の9月。どんな縁で手にしたのかわからないが、結構おもしろがって読んだのを覚えている。

巻頭に今東光の人物評が載っている。「八面六臂」と題した柴田錬三郎の手書きの小文がそれ。この一文と目次にざっと目を通せば、40年以上経っているにもかかわらず、かなり鮮やかに記憶が甦る。愉快なコンテンツや文章はよく覚えているものだ。

『極道辻説法』とその続編は、週刊プレイボーイに連載されていた人生相談コーナーの文章をまとめて出版した本である。放送なら禁止になりそうな用語がぎりぎり活字になっている。読者のアホらしくて卑猥な悩みごとを、和尚がこれまた毒舌的かつ過激に回答するという趣向。くだらないと言えばくだらないが、希少と言えば希少でもある。オフィスの書棚の片隅にキープすることにした。

グリーンを通して感じる移り変わり

四時しいじ」と言えば、一般的には春夏秋冬の四季のこと。四季という用語は一年にしか使えないが、四時なら一日の分節にも使える。すなわち、一日のうちの朝・昼・夕・夜をそう呼ぶことができる。

ついでながら、一ヵ月の中にも四時があることをつい最近知った。かいさくげんぼうがそれ。月が出ていない暗い日が晦。朔は新月のこと。弓を張ったような月が弦。望は望月もちづきのことで、満月の別称。これらは月の満ち欠けの姿かたちを現わしている。

四時は文字にして書けばそれぞれが分断されたように見えるが、実は切れ目なく緩やかに流れている。頭で捉えようとするかぎり、緩やかな流れを日々刻々と感じるのは容易ではない。

☆     ☆     ☆

捲るのを失念していて、オフィスのカレンダーは今日87日まで7月のままだった。明日が立秋の始まりだと言っても、感覚は秋とはほど遠いし、外気の温度や天候は天気予報任せ。これほど暑い日が続けば室内で冷房漬けになり、身体は季節の節目に戸惑う。

ここ数年のうちに、オフィスのグリーンが大小様々およそ30鉢になった。生育させるのにかなりの手間暇がかかる。グリーンに水をやり霧吹きを使い、時折り軽く剪定したり新しい鉢に植え替えたりしていると、季節の移り変わりに気づかされることがある。頭のデジタル知覚としてではなく、体感的な――あるいは触覚的な――アナログ的変化が、朝夕の時間差のうちに確認できることもある。

都会に暮らすということは、こういうことなのだろう。自力では知識や情報に頼るばかり。他力的な手助けなくしては季節の移り変わりが感知できない。感度が極端に鈍らずに済んでいるのは、グリーンの成長具合や日々の様子のお陰なのである。手間暇の恩返しだと思う。

和菓子を人為淘汰した人たち

近くの小さなモールの地階にたまに行く。肉・野菜・惣菜などが売られているが、エントランス近くにはパン屋、洋菓子店、和菓子屋が並ぶ。人の賑わいもほぼこの順。

パン屋と和菓子屋を見て、二年前の道徳教科書の話を思い出した。パン屋という題材が和菓子に変えられた検定意見の一件である。「にちようびのさんぽみち」という文章の一節。

よいにおいがしてくるパンやさん。
「あっ、けんたさん。」
「あれ、たけおさん。」
パンやさんは、おなじ一ねんせいのおともだちのいえでした。おいしそうなパンをかって、おみやげです。

これが具合が悪い、いや、不適切だと意見したのである。学習指導要領の「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして不適切だと言うのである。不適切なのは、パンのよい匂いなのか、友達の家がパン屋を営んでいることか、それとも、パンをお土産に買ったことか。よくわからないが、伝統と文化を尊重していない、国や郷土を愛する態度が足りないと判断された。

☆     ☆     ☆

次のように修正された。いや、修正ではない。一から書き下ろされた。

あまいににおいのするおかしやさん。
「うわあ、いろんないろやかたちのおかしがあるね。きれいだな。」
「これは、にほんのおかしで、わがしというんだよ。あきになると、かきやくりのわがしをつくっているよ。」
おみせのおにいさんがおしえてくれました。おいしそうなくりのおまんじゅうをかって、だいまんぞく。

当時様々な批判があったが、道徳という概念のことはどうでもいい。人気や売上高もさておき、実際に店の前を通りかかれば、二つの店が並んで日常光景を描き出している。店を覗けば、和菓子はそこでは作られておらず販売員がいるだけ、パンは焼きたてが売られている。

パンとパン屋、和菓子と和菓子屋に何の非もない。二律背反的対立などさせてはいけない。和菓子がこの国の伝統と文化的存在であるのなら、パンも明治初頭から数えて150年だから堂々たる伝統と文化的存在である。国や郷土を愛しながら、朝にパンを頬張り、おやつの時間に和菓子をつまむことができる。もちろん、洋菓子であっても何の不都合もない。

日曜日のぼくの散歩道の日常的光景として、ふさわしいのはパン屋である。しかし、和菓子屋が目立つ街もあるだろうから、特にこだわらない。つまり、パン屋と和菓子屋のどちらを教科書の題材として人為淘汰するかという話ではない。日曜日の散歩道に両店を発見して匂いを嗅ぐ体験こそが現実的な道徳らしい考え方なのである。

〈暑〉を生きる

暑中お見舞い申し上げます

今年の夏も義理堅いあの人から一葉が届いた。団扇のイラストから「暑ぅ~」という吹き出しのルーティーン。余計なことしなくてもいいのに。

いつも長蛇の列が並ぶラーメン店。さすがに炎天下では列にならないが、それでも数人が待つ。命がけのラーメンランチ、もしものことがあっても保険適用外。

オフィスのエントランス。ほぼ毎朝、掃除のおばさんと顔を合わす。「おはようございます。お疲れさまです」と声を掛けると、先月から返事は決まって「暑いですねぇ」。よく通るこの声で体感温度が2℃上がる。おそらく九月中旬まで繰り返されるはずである。

極暑、炎暑、大暑、酷暑、猛暑、激暑、厳暑……。爆暑や乱暑や倒暑が辞書の見出し語に加わるのは時間の問題だと思われる。

これだけ暑を並べてみると、「日+者」という文字の組み合わせが異形に見えてくる。以前調べたことがある。冠の「日」が太陽の光であることはわかる。そこになぜ者がつくのか。ある本には「煮の原字は者だった」と書かれていた。別の本には「者とは一ヵ所に集めること」とあった。併せると「太陽の光を一ヵ所に集めて煮る」。おぞましい。

一週間先は立秋なのに、真夏は始まったばかり。この先、未来永劫、暦と現実が一致することはないだろう。二十四節気に感じ入る風流な精神で過酷な身体的試練を克服するしかない。金田一春彦の『ことばの歳時記』に「立秋のころ」という一文がある。

ある風流人のところに、暑さの中を訪れた客が、茶室に通され、汗をぬぐいながら、ふと床の間の掛け字に目をやると「夕有風立秋」と書いてある。「良い句ですな。夕方ごろ吹く風に秋の気配を感じる、というのは今ごろにピタリですよ」と、お世辞半分にほめると、主人は微笑して、「いやあ、これはユーアルフーリッシュと読んで、おバカさんね、ということなんです」と答えた。

誰もが立秋までにフーリッシュになりそうな暑さである。「狂暑」と呼ぶことにする。

二〇一九年七月、プチ随想

防災ニュースで天気予報をチェックする。今日の熱中症情報欄には〔危険〕とある。午後2時現在、35℃。オフィスのベランダに出ると、微風が外気の熱とエアコンの室外機の熱をミックスして運び、酸欠の罠を仕掛けている。

午後3時のコーヒーのつもりが、フライングして午後2時に淹れた。豆はインドプランテーション。雑味なくさっぱりとしている分、眠気払いの効果はどうだろう。最近復活したぶどう糖のタブレットを口に含み、コーヒーを啜る。

今日はゆったりペースだが、先週は仕事の後にもう一仕事が控えていて、午後3時からも闘っていた。闘いの武器はコーヒーとぶどう糖。時折り、オフィスの外に出てワンブロックほど歩いて戻ってくる。暑さの逆療法という息抜きだが、今日これをすると危険である。

ところで、いま「闘い」と書いたが、仕事と闘っているわけではない。仕事は生業なりわいであり食い扶持であるから、闘うべき敵どころか、心強い味方のはずだ。存在しないゴドーを待てないように、存在しない敵に立ち向かうことはできない。そもそもはっきりと勝ち負けの決着がつくような仕事をしているつもりもない。

☆     ☆     ☆

今月、訃報が二件届いた。享年65歳と63歳。二人を含めると、この一年半で60代の友人知人が7人も逝ってしまった。これはちょっと尋常ではない。平均寿命が延びて、周囲には80代後半から90代が少なからずいる。その一方で、ここ数年、50代、60代の訃報も届く。

ホモサピエンス的な遠大なスケールで眺望すれば、歴史は始まり、そしていつか終わる。しかし、個人の歴史の終焉は同時代人として確認できてしまう。どなたも遣り残したこと多々あるに違いない。遣り残しはやむをえない。一人の人生で何もかもできないからだ。しかし、可能なら、考え残しはなるべく少なくしておきたい。元気なうちに、他人の死を通じて、人間を、人生をもうちょっと考えておくべきだと思う。

感傷的に七月を終えるつもりはない。読もうと思って放置していた本を引っ張り出して傍らに置き、それでもページを繰ることもなく、インドプランテーションを味わう。味わえるという、ただそれだけのことで、熱気で間延びしかけていた時間と空間がほんのちょっぴり引き締まった。

人間の文化的抵抗

技術は何もかもお見通しではない。欠点を孕んでいるし弊害ももたらす。利便性と問題を抱えているから、これまた何もかもうまくいく保証のない〈弁証法〉的な手段によって改善を図ろうとする。

技術はどこに向かうのか? 〈どこ〉を確定することはできないが、陳腐化と刷新を繰り返しながら、これまでに通ったことのない道を突き進む。他方、人はどこに向かうのか? これまた〈どこ〉かわからないが、この道はいつか来た道に何度も戻ってきた過去がある。不可逆の技術と可逆の人間が対比される。

止揚しながら高度化する技術。ブレーキをかけて時々止まり、時々いつかの道に戻ってくる人間。人は戻って来て反省しようとするのだが、技術のことが気になってしかたがないから、戻ってきても技術の影を気にせずに反省するのは容易ではない。

☆     ☆     ☆

技術を〈文明〉として、人間を〈文化〉として眺めてみる。

文化は特定のコミュニティに固有の「生活の耕し」である。これに対して、文明は文化の構成員を包括的に束ねて集団を巨大化し、画一化しようとする。文化(culture)はコミュニティの農(agriculture)と不可分だった(だから「耕し」なのである)。文明(civilization)はコミュニティを超越する技(engineering)によって基盤を作ってきた。その基盤上に空間と時代を構築してきた。何もかもお見通しではないにもかかわらず。

文明は文化的な営みや地域社会を包括する。文明はつねに支配的である。文化的人間は市民として文明に組み込まれる。文明に包括されると、市民は“citizen”ではなく“civil”と化す。この“civil”はちゃんと文明の“civilization”に取り込まれている。

文化は時折り文明の対抗概念として、文明に支配されぬよう抵抗しなければならない。あるいは、文明に文化の価値を認めさせなければならない。文化にそれができた時代はあったが、巨大化した文明のもと、今日どんな方法があるのだろうか。

情報にまつわる錯覚と幻想

現状を分析して問題の原因を探り、しかるのちに問題の解決案を編み出す。これが一般的な企画手順である。ところが、こうして立案される企画は現状に軸足を置いたマイナー改善策の域を出ない。めったなことでは斬新なアイデアが生まれそうにない。

この手順に従うと、できるかぎり情報量を増やそうと躍起になりかねない。情報量に比例して企画の質が上がるという、まったく信憑性のない通念にしがみつく。実際のところ、現状を緻密に分析しなくても、どうすればいいか、どうしたいのかと想いを強くしていれば、アイデアの芽生えに近いところで発想できることがよくあるのだ。

にもかかわらず、人は情報収集に励む。人の情報入力にはキャパがあり、情報源への目配りにも限界がある。日常生活で触れる話題、雑談、テレビのニュース、新聞、雑誌、本だけでかなりの情報量になる。ここにインターネット――画像に動画にSNSにメールなど――が加わる。

☆     ☆     ☆

21世紀に入って20年足らず。しかし、今日、前世紀に日々接した総量の何乗にも達するほどの情報に晒されている。晒されているだけならまだしも、キャパシティの程をわきまえずに情報を探し求めて取り込もうとする、いや、取り込まねばならないと急かされる。手に入れた情報のほとんどが、あってもなくてもどうでもいいものばかりである。

実際にショッピングに出掛けて知りえる事柄よりも、ネットショッピングにともなう情報のほうが圧倒的に量が多い。店舗ではスペースの限界が購買の選択肢の限界であるが、ネット上では選択肢は無限大。しかし、選択肢の多様性や豊かさが必ずしも賢明な判断を促すわけではない。

仮にかなりの情報量をインプットできたとしても、活用はままならず、情報の在庫ばかりが増え、やがて旬が過ぎて価値を失う。実は、増えていると思うのは幻想で、情報はまたたく間に揮発する。それなら、最初からキャパに見合った情報、何がしかの縁を感じる情報だけにしておけばいいではないか。ともあれ、情報量がアイデアを促すのではない。情報と思考の組み合わせこそがアイデアの源泉なのである。

嘘か真か、真か嘘か

『夢中問答』第五十七に次のくだりがある。

「山水をこのむは定めて悪事ともいふべからず、定めて善事とも申しがたし。山水には得失なし、得失は人の心にあり」

悪事も善事もこちら側の感じ方次第。幸も不幸も対象の内にはなく、ただ己の幸不幸感があるのみ。ならば、嘘とまこともこちら側の判断に委ねられるのではないか。

『吾輩ハ猫デアル』は、元々『いいえ。実は吾輩は猫です』だったという説がある。吾輩、、とはずいぶん古風だが、時代が明治という理由だけではなかった。最初に「貴殿、、は犬ですか」と聞かれたのだから、初等英語のやりとりに従えば、そう応答するのもやむをえなかった。しかも、聞かれた方に犬という意識がまったくなかったので、正直に「いいえ」と答えた。初等英語の規則などどうでもいいではないかというのは素人考えだ。漱石が英語の教師だったことを思い起こさねばならない。

さて、「いいえ」と答えたものの、すぐにぶっきらぼうな返事だと気づき、身を明かすことにした。ゆえに、「いいえ」の後に「実は吾輩は猫です」と付け加えたのである。あの名作は最初の原稿の段階では、問いに対する素直な返事、『いいえ。実は吾輩は猫です』が題名だったらしい。

奇妙な題名であるが、それにもまして不親切ではないかと不安になった。前段の問いを含めないと読者には何のことかさっぱりわからないではないか。と言うわけで、『貴殿は犬ですか。いいえ、吾輩は猫です』と書き直した。「じっくりコトコト煮込んだスープ」よりも字数が多い。

編集者が助言した。「ですます、、、、ではぬるいので、である、、、にしてはどうか。しかも、問いと答えの形式にこだわる必要もなさそう。ついでに、思い切って短くし、ひらがなをカタカナにしてみたい」。と言うわけで、『吾輩ハ猫デアル』になった。あまりよく知られていないエピソードだ。

この作品には未完で未発表の続編があったとも言われている。『イカニモ貴殿ハ犬デハナイ』がそれだ。これもあまり巷間で取りざたされなかったエピソードである。

エピソードというものは嘘であれ真であれ、名立たる名作に付加され増幅される。どうやら嘘っぽいというのが直感だが、しかし、もしかして真ではないかと思うほうが愉快である。そんな嘘の話が世の中では蔓延はびこりやすい。

具のないサンドイッチ

メモがエッセイに昇華することもあるし、レアなまま在庫になることもある。在庫は処分しなければならない。恒例の月一か月二の小さなメモ展。

📒

雑談中に誰かが「EUの委員長ね……」といきなり言い出したら、もうオチは見え見え。
EUの委員長ね、見た目はかなりのシニアだけど、元気そうだなあと思っていた。それもそのはず、名前見たらユンケルだもんね」
最近知ったのだろう、ユンケルの名前。ぼくはこのギャグは使わない。欧州委員会委員長、ジャン=クロード・ユンケルのこと、前から知ってるから。

📒

長らくイタリア語を使っていない。先日、ワインショップでイタリア人に会った。初対面。特に喋ることもないので、“Ciao!”と挨拶だけして適当にワインの品定めをしていた。会計を終えた後、再び目と目が合ったが、特に喋ることもなく、別れ際にもう一度“Ciao!”と言った。「こんにちは」にも「さようなら」にも使える便利な“Ciao!”
CiaoCiaoの間は無言。挟む具のないサンドイッチみたいで可笑しかった。

📒

一重の勝負は紙のみにあらず。ひんにもあり。品の上下は隣り合わせ、すなわち品一重なり。その境界にありて下ることなかれ。僅かに上にあろうとするのが人のあるべき姿なり。

📒

多芸だと褒め倒されてただ仕事  粋眼
まあ、平均よりは少し芸が多いかもしれないが、「多」が無数であるはずはなく、せいぜい三つか四つ。専門の仕事以外に何かを小器用にこなすと、すぐに多芸と呼ばれる。そうそう、多芸は無芸の類義語である。

📒

〽 任せ任され うまくは行かぬ ドジを踏んだらぼくのせい

書体が秘めるもの

起業してから幾多の困難を克服して成功を収め、創業者が財産を遺した。二代目は首尾よく承継して守成をやり遂げた。創業にも守成にもそれぞれ別の苦労があるが、一般的に「創業は易く守成はかたし」と言われる。これが正しいなら、生業を軌道に乗せた二代目の手腕を褒めるべきである。

しかし、守成の難しさは富家ふかの三代目が証明することになる。世間によくあるのは三代目による家業の没落というシナリオだ。家を売りに出さねばもはや立ち行かない。貼り出された売り家の札を見れば唐様からようのしゃれた字で達筆。さすが祖父と父の財産で遊芸に耽っただけのことはある。こうしてあの川柳が有名になった。

売り家と唐様で書く三代目

三代目の書を褒めたわけではない。商いの道よりも遊芸にうつつを抜かして身上しんしょうを潰し、残したのはわずかに手習いの腕と教養だけという皮肉である。

唐様は和風の草書や行書とは違った楷書系の書体である。この川柳の頃はおそらく江戸時代で、当時は楷書に明朝の書体を取り入れたものらしかった。明治時代には公式の書体として唐様が定められた。将棋の駒の書体として人気のある菱湖りょうこがそれである。

☆     ☆     ☆

どうせ家を売りに出さねばならないのなら、唐様で粋に書くほうが少しは高く売れるかもしれない。少なくとも何も書かないで空き家のまま放置するよりも、また札書きが下手くそであるよりもうんとましである。

書体はその名の通り「文字の体つき」を表現している。身体同様に、書の体つきも個性の一つであるから、イメージやニュアンスまでも伝える。同じ「売り家」と書くにしても、草書や行書、明朝やゴシックのどれを選ぶかによって、文字通りのメッセージとは別の隠れ潜んだ意味があぶり出されるだろう。

書における力とは、(……)毛筆に加えられる力ではない。毛筆が沈む深さでも、毛筆が疾走する速度でもない。政治や社会、人間関係の重力に抗して歩む、志とその陰にひそむさまざまな人間的なひだを含み込んだ「間接話法」的な力の姿である。
(石川九楊著『書とはどういう芸術か』)

唐様の「売り家」という文字に、三代目の心のありようとファミリーヒストリーが滲んで見える。