身近なドーピング

ご存じのドーピング(doping)はもともと麻薬の常習を指す。これがスポーツ界で使われると、麻薬を興奮剤として、あるいは禁止薬物を筋肉増強剤などとして使うという意味になる。騙すとか欺くというニュアンスで使われることもある。

自分で摂取しても他人に使わせてもドーピングだが、他人を罠に嵌める目的で他人の飲物などに気づかれずに麻薬を入れることを特に「パラドーピング」という。スポーツ界に限った話ではない。スポーツ界のドーピングにあたる行為は仕事や学業でも日常茶飯事である。スポーツ界なら事件になることが、仕事や学業ではまかり通って見逃される。

仕事のためにスキルアップする、学業や受験のために学習する。いずれにも制限などない。好きなだけやればいい。しかし、インプットしたものをアウトプットする時点でドーピングに似た状況が生まれる。「パクリ」「コピペ」「肩書詐称」「知的財産の濫用」などはある種のドーピングである。

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仕事や勉学のドーピングは違法すれすれの「上げ底」にほかならない。力量58に見せかける上げ底は、長く付き合えばやがて化けの皮が剥がれるものだが、ばれないことも珍しくない。ばれなければ、当面の成果を得るには手っ取り早い方法になる。

さて、仕事や勉学のパラドーピングとは何か。他人の足を引っ張ったりステータスを危うくしたりする手段である。仕事ならフェイクの好ましからざる評判を流して他人や他社の信頼をおとしめる。勉学なら、できる生徒がカンニングしたかのように偽装するなどだ。

企業研修を始めた頃に、かなり有名な同業の先生の事務所のスタッフが、「あの講師の指導内容は亜流である」とぼくの研修先に電話したことがある。研修先の担当者がしっかりした人だったので、何が亜流で何が本流か、仮に亜流だとして亜流が本流より劣っている証拠はあるのかと問いただしたらしい。ほどなく電話は切られた。

人間集団の中ではドーピングもパラドーピングも実は日常茶飯事。まともな学びをしてアウトプットしているつもりが、実力の伴わない上げ底になっていたりする。熱心に読みもしていないのに、その本をさも読んだかのように語る特技がぼくにはあるが、今後は気をつけようと思う。

パラフレーズ考

ことばを言い換えることを〈パラフレーズ〉という。差別語や忌み嫌うことばを別のことばに置き換えたり遠回しに言ったりする。もちろん、文章を練る時にも別の類語表現をあれこれと試してみる。これもパラフレーズ。

かねがね「帰国子女」という四字熟語に奇妙な印象を抱いていた。とある会合でコンプライアンスの専門家と話した折り、「できれば使わない、いや、できればではなく、使うべきではない」と氏は主張した。コンプライアンスのことはよくわからない。ぼくの場合、好ましくないという以前に、限定的にしか使えない概念用語と捉えていた。

生まれがロサンゼルスで、中学生になって両親と共に日本に「やって来た」。両親にとっては日本に「帰国」だが、その子にとっては初めての渡日であり「入国」になる。つまり、入国子女。その子は現在日本の高校に通っている。英語はネイティブだが、日本語は少々たどたどしい。一般的にはこういう子を帰国子女と呼ぶ。

この子は男子だが、子女と呼ばれる。間違いではない。帰国子女とは帰国した息子や娘である。保護者が国外に赴任する際に小学生の子を連れて行き、一定期間滞在した後に日本に帰国して中学に通わせる。そういう学齢期の男女が帰国子女だ。しかし、生まれが国外なのに帰国子女と言うのに違和感を覚える。行って帰ってきたのではなく、そもそも行っていないのだから。

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帰国子女に代えて帰国学生と言っても、古風な言い回しの子女(男女)を性別を明かさない学生に変えただけで、帰国という問題は解決しない。日本を出国して外国で暮らした後に再入国したのなら帰国だが、海外生まれの子はどうするのか。入国学生と呼ぶのか。それだと日本人とは限らないし、留学生はみな入国学生である。

帰ってきただの、やって来ただのという点に意識過剰になることはないのかもしれない。ともあれ、帰国学生にしても使う場面は極端に限られる。成長して社会人になり会社勤めをする。そのバイリンガル社員に対して「きみは、たしか帰国学生だったね」と過去形でしか使えそうにない。

現在形として使うなら「海外生活経験のある学生です」とでも言っておくか。いや、こう言い換えても、あちら生まれであることが表現されていない。帰国子女を苦しまぎれに無理やり訳した英語を見つけた。英訳と言うよりも説明である。“School children who have returned from abroad”がそれ。いちいちこう言うのはかなり面倒だし、“returned”と言うのだからやっぱり「行った」を前提としている。

なぜ帰ってきたことに軸足を置くのかがわからない。外国生まれの帰国子女を的確に表すのは難しい。上位概念の四字熟語で括るのは諦めて、そのつど「ロサンゼルス生まれの日本人」「パリで生まれて中学時代に日本に来た日本人」などと言うしかなさそうだ。なお、コンパクトな“returnee children”という表現もあるが、これも行って帰ってきている。何だか“refugee”(難民)みたいで、響きもよくない。

アートに学ぶ

小さな会社を経営して31年になる。経営者としての強い自覚と意識は、恥ずかしながら乏しい。それでも、世間的には経営者として見なされている。経営能力などたかが知れていて、日々仕事に励み、とりあえず収支だけ大雑把に見ている。潰したりしたら迷惑をかける人が出てくるからだ。代表としての責任感だけは持ち合わせている。

経営をビジネスと考える生き方はつまらない。創業当時からそう思っていた。いや、「経営=ビジネス」という会社でサラリーマンをしていたから、独立した動機が「経営≠ビジネス」だったのである。

商売をしているというのはこちら側の論理と言い分に過ぎない。仕事を依頼してくれる人たちは、それぞれのスケールとコードでぼくの仕事の質を判断している。自分の仕事を自分で出来がいいなどと思うのは勝手な話で、いい仕事かどうかを決めるのはつねに顧客なのである。

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本業の領域だけでは仕事は高度化できないし、変化させることもできない。仕事について経営について学べば学ぶほど深堀りするばかりで、見晴らしはよくならない。専門性を研ぎ澄ますスキルが、その専門分野にあるとは限らないのである。

マンネリズムに陥らず、まずまず仕事に恵まれてきたのは、仕事外でのインスピレーションによるところが大きいと思っている。いろいろあるが、アートに親しんできた恩恵を無視することはできない。十代の頃に目指したものの断念したアートが今の自分を救ってくれている。

Palazzo Comunale, Bologna 2004 (ボローニャ市役所)

〈ビジネスなビジネス〉はつまらない。経営から離れる頃に遅ればせながら反省することになるだろう。〈アートなアート〉は趣味である。もしそれが仕事なら食いつなぐことは難しい。生計を立てるためにはアートをビジネスとせねばならない。しかし、そんな〈ビジネスなアート〉も性に合わない。と言うわけで、ぼくはビジネスをなるべくアートとして捉えるように努めてきた。〈アートなビジネス〉である。大儲けはできないが、仕事を愉快に楽しめるのが何よりである。

知っていること、知らないこと

何もかも知ることはできない。知っていることは限られている。限られている上に、知りたいことや知っておくべきことを絞るものだから、知っていることなどたかが知れている。あまりものを知らない他人と比べて自分は博覧だと思いがちだが、だいたいが五十歩百歩。誰の博覧も、その意味に反して実は「狭い」のである。

魚屋であれこれ品定めし値踏みして、捌きたてのたらを買うことにした。その横に同じく「タラ」と書いてある、鱈とは思えぬ姿の一品を見つけた。どうやら内臓らしい。聞けば「タラの子」と言う。「えっ、タラコ?」 「うーん、スケトウダラのあのタラコではなく、マダラの卵巣ですよ」 「これって鍋用ですか?」 「いいえ、煮つけ用です」……正確には覚えていないが、ともあれ、こんなやりとりを交わして、これも買って帰ってきた。

鱈と言えば、銀ダラの粕漬けを焼き、マダラを鍋にし、フィッシュ・アンド・チップスなどでたらふく食べてきた。タラコも明太子もだ。しかし、この鱈の生の卵巣(別名「助子すけこ」)が売られているのは初めて見た。これまでにこの原形から調理して食したことは一度もない。

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鱈も卵巣も知っている。しかし、鱈の卵巣の姿は見たこともなく、触って調理するのは今日が初めてである。この状態を知っていると言っていいものか。名前を知っている、聞いたことがあるなどというのは「真知しんち」の域には及んでいない。であるなら、「知らないこと」に振り分けておくのが妥当なのだ。

知っていることや知っているつもりの領域に知らないことがおびただしく紛れ込んでいる。ふるいにかけてみれば残るのはわずかな知。ぼくたちはほとんど何も知らないということになるだろう。一つのことを知るまでには深い縁と長い時間を要するのだ。今日のぼくの鱈の卵巣との出合いがそのことを象徴している。

さて、グロテスクな卵巣の煮つけが出来上がった。見た目は鯛の子の煮つけに似ている。今夜はこれをあてにして日本酒を少々。もちろんその後に鱈ちりをたらふく食らうつもりである。

短文 vs 長文

ああ、短絡的な時代。思いつきのつぶやきと罵倒で世界が動いているかのようである。情報技術の発達が意思疎通を分断する壁を作るという皮肉。もう二年になるだろうか、ケリー元米国国務長官がABCテレビのインタビューで「政策の選択上の複雑さをツイッター140文字で伝えることなど不可能」というような趣旨を語った。

ツイッターを批判したのではない。ツイッターを都合よく使う政治家への辛口評だった。つぶやき140文字が効果的なメッセージとそうでないメッセージがある。根拠なき主張が誇張された過激な表現で垂れ流されてはたまらない。政治や思想を語るのに短文はふさわしくないのである。

本文なしのキャッチコピーだけの時代になった。読まれないのには別の理由があるのに、長文だから読まれないと判断する。「文章は長文ではなく短文で書け」とまことしやかに語られる。もちろん根拠はない。短文だから読まれるのではない。仮にそうだとしても、短文だから伝わるということにはならない。

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書店で新刊書のフライヤーが置いてあったので持ち帰った。四つ折りの表裏。かなり小さな文字で印刷されている。ざっと見たところ、文字数は3,000を下らないようだ。読まない人も大勢いるだろう。出版社は誰にでも手に取って読んでもらえるなどと想定していない。ぼくは読んだ。文章の長短やボリュームは関係ない。そこに何が書かれているかである。関心があれば読むし、なければ読まない。ただそれだけのことだ。数行にしても読まない人は読まないのである。

『啓蒙の弁証法――哲学的な断章』(ホツクハイマー、アドルノ共著)という難解な本がある。上っ面しか読めていない。この本の段落感覚パラグラフセンスは尋常ではない。息が長いのだ。文庫本の見開き2ページは原稿用紙3枚(1,200字)に相当するが、このような段落は短いほうで、6ページくらい改行なしで文が続くこともある。論理が通らなければ一段落2,000字以上で書くことなど到底できない。

今この時点で本ブログの文章量が850字を超えた。ツイッターの6倍量である。現在の常識からすれば読んでもらえない長さである。他方、脈絡を考慮することなく一行か二行ごとに改行するハウツー本もある。読みやすい、つまり、読みごたえがなく、確たる筋も通らない、ふにゃふにゃの文章の羅列……。

文章は単純に長短で是非を語れない。短く書けるはずなのに長々と紙数を費やすのはよろしくない。簡潔にシンプルに書けるならそうすべきである。同時に、誤解なく伝えるには主張や根拠も必要で、そのために1,0002,000字を要するのなら、さわりだけを140文字内に閉じ込めて知らん顔してはいけない。

今日のブログは約1,200字になりそうである。これだけの文字が必要な内容であったかどうかは読者に決めてもらうしかない。自分なりには簡潔に書いたつもりである。

食事中の話

食事よりも大切だとは思えぬ話のせいで、肝心の料理に集中できないことがある。それどころか、何を口に運んだのかさえ記憶にないという始末。実に情けない。食事の邪魔にならず、料理を盛り上げるにはどんな話がいいのだろうか?

NHK/BSの『コウケンテツの世界幸せゴハン紀行』は気に入っている番組の一つ。昨年暮れに観たのはフランス編だった。パリの食事情から始まり、オーヴェルニュの極上チーズ、ブルターニュの豊かな海の幸を目指す食の旅。

パリっ子の食事情ではポトフが紹介されていた。スープで煮込んだポトフではなく、肉と野菜を皿に盛り、そこに熱々のコンソメスープを注ぐやり方。どうやらこれが定番ポトフらしい。一般家庭での日常的な炊事と食卓のシーン。ポトフを食べ、チーズを味わい、デザートで仕上げる。夫婦が友人を招いてもてなす。今まさに振る舞われた料理で会話が盛り上がる。料理人コウケンテツとテレビ収録を意識しての会話という趣もある。しかし、招かれた客が料理に関心を示しそれを話題にするのは、ホストに対する当然の敬意の表し方なのだ。

食事を楽しみながら、食材や料理やエピソードを語り合う。それで十分、いや、それ以上何を望むのか。特に親疎が入り混じる複数の人たちと共食する場には、食の話がふさわしい。もしホストが料理以外の話を持ち出すなら、それなりに応じればいい。

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ホストでもない者が、居合わせるメンバー共通の話題になりそうもない仕事やゴルフの話を延々と続けることがある。あれはタブーだ。しかし、しゃしゃり出て喋られると無視するわけにもいかず、頷かざるをえない。頷けば気が散るので、旨さも半減してしまう。

ぼくはしつこく食を薀蓄する男だと回りの人たちに思われている。食に入っては食に従うというのが流儀というだけで、別に屁理屈をこねているつもりはない。せっかくの集まりで料理の味を満喫できないほど情けないことはない。それなら一人で食べるに限る。「生、お代わり!」と叫ぶたびに話が途切れてしまう飲み放題宴会は特に苦手である。

今出された料理のことに一切触れずに世間話ばかりする、料理の話をしたと思ったら、自分の好みに合わないなどと平気で言う、隣席の人の食事のペースや酒量に合わせない……やむなくこういう人たちと食事をしてきたが、こんな成り行きになりそうな食事会のホスト役をここ数年徐々に減らしてきた。

複数の人たちの波長にきめ細かく合わせる辛抱強さがなくなった。ならば、ホスト役として食事処に案内したり自ら料理を振る舞ったりする時には、生意気を言うようだが、ぼくの流儀に従ってもらうしかない。それが気に入らないのなら、ぼくに誘われても来なければいいだけの話である。雑談や世間話をしたければ、食後に場をカフェかバーに変えてゆっくりやればいい。

食あっての酒だとぼくは思うのだが、料理と食事の場が、たわいもない話とがぶ飲みに主役を奪われてしまったかのようである。飲み過ぎると料理を味わう舌が鈍くなる。飲み放題という宴会スタイルが料理の存在を希薄にしてしまったのは間違いない。

知的好奇心のオーラ

一回り年上のYさんのことについては、このブログで何度か書いている(直近では「全機透脱」)。ぼくのようななまくら雑学の輩とは違い、深読みの読書家だった。還暦を過ぎてからはもっぱらシェークスピアと小林秀雄とドストエフスキーに傾倒されていた。

年に一度会えるか会えないかという関係だったが、その一度はたいてい喫茶店での読書談義だった。二時間以上話し込むことも稀ではなかった。「役に立つ本を読まず、読みたい本を好奇心のおもむくまま読むあなたに刺激を受けて以来、古典と小林です」と言われた時は正直驚いた。Y氏の知的好奇心の足元に及ぶはずもないと思っていたからである。

知のオーラではなく、知的好奇心のオーラ。そういうオーラが出ている人に対しては、手抜きせずに感応するしかない。好奇心たくましい人は、相手が気づいていない潜在の知を上手に引き出してくれる。Y氏と話をするたびに、自分が自覚していなかった自分の考えに気づいてハッとさせられたものである。

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「知的」と名の付く本をいくら読んでも、知的好奇心旺盛であることの証明にはならない。博覧強記的な知性のオーラなどは、知的好奇心が横溢するオーラの前では色褪せるのだ。最近、明けても暮れてもたわいもない昔話や世間話を持ち出す知人との付き合い方に戸惑うようになった。いや、無理して付き合う必要はないのだが、やむなく付き合うとなれば相手に合わせるしかない。

相手に合わせてもらっている人間が、今の器以上に大きくなるはずもない。やがてこちらも合わせるのが面倒だし、刺激を受けることもないので距離を置くようになる。歳相応の知的好奇心というものがあり、それが雑談の中身に関わってくる。知的好奇心が薄れると世間話しかできなくなる。やがて老化が進む。

Yさんは知をものにしようなどと思っていなかったはずだが、知的好奇心に溢れていた。こちらが息を抜けないようなオーラがあった。「難病を患っていた夫は七十九歳で旅立ちました」という書き出しの奥さまからの葉書の文面はこう続く。「亡くなる数日前にも、新しい書籍を求める等、最後まで意欲的に生きたと思います」。何という生の最期の密度であることか。

原稿用紙と漢字

「四百字詰め原稿用紙5枚以内」というような言い回しが懐かしい。昨今ほとんど目にも耳にもしなくなったが、ワープロやパソコンが普及する前は、原稿用紙のマス目に文字を埋めていた。用紙の上で加筆修正したが、そのままで提出はできず清書を求められることもあった。数枚なら大したことはないが、十数枚になるとかなりきつかった。

二十代の頃は小説や詩の創作で使ったこともあるが、万年筆が使えたので鉛筆より筆圧の負担が少なかった。やがてワープロを使うようになり、一マス一文字の束縛から解放された。字数計算をしなくてもパソコンのワードなら文字数を表示してくれる。ノスタルジーに浸りたければ原稿用紙の書式を使うこともできる。十数年前に興味本位で試してみたことがある。その時の文章が見つかった。

 原稿用紙にワープロで文字を打ち込んでいくと妙な感覚に襲われる。
 原稿用紙というのは、万年筆であれボールペンであれ鉛筆であれ、本来手書きで字を埋めるものである。すんなり書けることはめったにないから、句読点は欄外にはみ出し、二重線で消された文字の横に別の文字が挿入される。出来上がった原稿は、混沌としてまるで戦場のような雰囲気を醸し出す。
 そうなのだ、原稿用紙に手書きで文字を埋める作業は、ある意味でいくさなのである。
 ところが、今こうしてワープロで打っていると、創作過程が割愛されているような錯覚に陥る。文案を練る過程に編集作業が組み込まれ、文章はひたすら仕上げへと向かう。仕上がりの外見ばかりに気を取られ、中身がおろそかになってしまうのである。

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ところで、ひらがなやカタカナが目立つと原稿用紙は間が抜けたように見える。適度に漢字を混ぜておかないと格好がつかないのだ。ひらがなやカタカナよりも画数の多い漢字の象形的な美しさが原稿の調子を整えてくれる。小説家志望だった年配の知人は、今ではひらがな表記が当たり前の接続詞もすべて漢字で書いていた。「て」とか「しかしながら」とか「ゆえに」という具合に。

太陽の姿から「日」を、月の姿から「月」を発明した漢字は象形文字。ある種の法則を踏まえながらも造形の生成は変化に富んでいる。「|」と「―」と「、」とわずかな曲線だけで部首というコンポーネントを生み出し、おびただしい変化を編み出す。どんな文字でもその他の文字と識別可能な差異を有している。

漢字はつねに人を試す。人の認識力を問う。その意味や生い立ちのような専門的な話ではなく、純粋に文字の形を判じる教養を求めてくるのである。ともあれ、原稿用紙のマス目には漢字が収まりやすい。つい漢字が増えてしまう。原稿用紙に向かった文豪たちの原稿が漢字まみれになったのも不思議ではない。

時を越えて話がつながる

自宅で資料を整理していたら古いノートがいくつか紛れていた。適当にページを繰り、一冊だけオフィスに持ってきた。今朝のことである。それがたまたま2002年のノート。元日に次の一文を綴っていた。

を進めよう。
たとえ苦しくても後退することはできない。逆戻りの「歩」などありえないのだ。
大きな進歩を遂げて身を持て余したかのような人類。本来「進歩」とは文字通り「歩を進める」ことだったはず。ゆっくりと一歩一歩前へ進む……これが進歩である。後ずさりしてはいけない。進むのである。とにかく前へ。

年初に書いた一文の値踏みをしただけで、転記したことに特に意味はない。その数ページ後に年賀状のことを話題にしている。今年の年賀状の当選番号をチェックした直後だった。

今年一番の年賀状は、何と言っても、友人のS.H.の世相批判である。彼の年賀状は毎年世相にいちゃもんをつける。たまにぼくと会ってもそんな談義ばかり。今年のテーマは「もらってうれしい年賀状、もらってもうれしくない年賀状」だった。これを年賀状で書く。もらってうれしくない年賀状を投函した者にとってはたまらない。(……)

昼にポストに郵便が入っていた。「寒中お見舞い申し上げます」。今年はこの葉書がことのほか多い。「昨年十一月主人が六十七歳で永眠……新年のご挨拶を失礼……」。主人とはS.H.だった。ぼくのオフィスと彼のオフィスは100メートルほどの至近。近いのでいつでも会えるとお互い思っていたが、案外会えなかった。そんなものである。数年前突然倒れ、リハビリを経てオフィスで仕事を再開していたが、それもままならず、自宅にこもっていると聞いた。直近に会ってからはもう三年近く経っている。

生前の付き合いのエピソードをまじえて、奥さま宛にお悔やみを一筆して今しがた投函してきた。気を取り直して一歩進むしかない。これも何かの因縁だろうから、明日もこの2002年のノートを少し捲ってみようと思う。

ヒントの仕入れ先

人は人から多くを学ぶ。他人の知識や経験を学ぶ。学びにはプラスもマイナスもあるが、マイナスだからと言って拒否することはなく、マイナスも逆説のヒントになってくれる。

人は人以外に、本からも学ぶ。生身の人間ではないが、本もある意味で人である。さらに、人は自分自身の過去からも学ぶし、自然からも学ぶ。学ぶという言い方がありきたりなら、ヒントを得るとかインスピレーションを受けると言い換えてもいい。

人は人からヒントや刺激を授けられて日々生きている。自分のことを考えてみればわかるが、既得の知識や経験が歳を取るにつれて支配的になる。やがて偏った考え方が身について型になる。このことは他人にも言えることだ。

波長が合うという理由だけで交流相手を決めてしまうと、考え方の偏った者どうしのグルーピングが生まれる。ヒントや刺激を受けるはずのお互いの関係がルーズになり、八方ふさがり状態の集団と化す。しかも、そのことになかなか気づかない。

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人的交流にともなうマンネリズムは避けられない。そこで本の出番である。本を人に見立てて付き合うのである。一対一でもいいし、一対複数でもいい。前者が熟読であり、後者が併読。人と同様にいずれの読み方にも長短があるが、マンネリズムに陥りそうになれば本を閉じてしまえばいい。文句を言われることはない。

自然からの学びが少ないことを反省している。自然についての本からはヒントを多々仕入れるが、自然と直接触れる機会がいちじるしく少ない。「自然が書いた偉大な書物を学ぶことからすべてが生まれる。人間が造ったものは、すでに自然の書物の中に書かれている」というアントニ・ガウディの至言を肝に銘じている。

先に書いたように、ぼくたちは自分の過去(ひいては何がしかの記録)からも学ぶのだが、ヒントと言った瞬間、仕入先を外に置いている。思い通りにならない外部だから、ヒントを得たりインスピレーションを湧かせることに急ぎすぎてはいけない。何事も熟すのを待つ忍耐が必要なのである。