挿し木してみたくなる症候群

みるみるうちに、さっきまで命ある樹々の枝葉だったのが次から次へと地面に落ち、ゴミと化していく……時々出くわす街角の光景だ。公園事務所の職員(または下請け業者)はてきぱき剪定し、ばっさばっさと伐採し、時にはぐいっと抜根する。迷いも未練もすっぱり断ち切る。当然だ。いちいち感情移入していたら仕事にならない。

室内で植物を育て観葉しているぼくのような者にとっては、剪定は恐る恐る身構えるような作業になる。先月もらったサクラの枝の切り花がピークを過ぎ、そろそろお別れする時になった。緑色が残っていて新しい芽がついている小枝を数本、15センチほどの長さに切って、切り口に発根促進剤を塗って水に漬けた。半月経っても根が出る気配はなく、枝も変色し始めた。うまくいかなかった。

元気がない別の植物も同じように処理して水耕している。ダメもと覚悟の上だが、うまく命をつなげればと思う。こんなことをここ数年続けているうちに、まずますの確率でうまく発根することを知った。土に植え替えて面倒を見れば上々に育つものがある。こうして、蘇生やリレーのための挿し木が剪定時の習わしになった。


観葉植物は春先から夏の暖かい時期に剪定する。切った枝葉のうち良さそうなものを選んで、水に浸したり土に差し込んで発根を期待する。一般的に、観葉植物を挿し木する時、最初は水耕で育てるほうが根が出やすい。ところで、なぜこんな作業をしているのかと言えば、元の植物と同じものを増やすためである。

放置しておくと、鉢植えの観葉植物は根詰まりするし栄養状態も悪くなる。だから毎年剪定し、数年に一度は新しい土に植え替えてやる必要がある。剪定した枝葉をうまく人工的に培養すれば、クローンのように増殖してくれる。しかし、増やして誰かに譲るわけではない。鉢の数が増えると世話する手間も増える。週一回の水やりに半時間もかかる。にもかかわらず、なぜそこまでして増やすのか。

剪定した茎や枝をゴミ箱に捨てる際に芽生える罪の意識だ。せめて一本か二本を挿し木にすることで償っている。間違いなく最初の頃はそうだった。しかし今では、罪の意識や償いではなく、発根達成感を求めているような気がする。モンステラなどはこんなふうに挿し木していって、子孫兄弟の鉢を五つも六つも増やした。今年も剪定と挿し木の季節がやってきた。ゴールデンウィークの頃から忙しくなる。

牛乳への道と作法

先週書いた『簡単そうなのに、うまくいかない』の続編。続編なのに『牛乳への道と作法』と題名を変更したのは、牛乳の蓋や封を外す今昔の苦労話にテーマを絞ったからである。数ある本の中からたまたま劇作家の宮沢章夫のエッセイを思い出した。

宮沢章夫には『牛乳の作法』と題した著書がある。また『牛への道』というエッセイ集もある。ずいぶん前にどちらも読んだ。愉快な本である。両作品のタイトルを合体させた『牛乳への道と作法』を思いつき、今から書こうとしているエピソードにぴったりだと判断した。パクリではなく、ある種のオマージュである。


閑話休題。牛乳瓶には戦前から20数年前まで紙製の蓋が使われていた。今では牛乳瓶の蓋はポリキャップだ。なぜこうなったかと言うと、紙のキャップが「伝統的に誰にとっても開けにくかった」からである。蓋に小さなツメを付けて開けやすくした改良品も出たが、紙ゆえに牛乳がにじむとか一度開けたら保存しにくいという問題が残ったままだった。

牛乳瓶の口に寸分の隙間なくぴったりと嵌まっている紙の蓋を開けるのは一苦労だった。指先で蓋の端っこをつまめないから、小さい子らは押した。押すと蓋の半分が瓶の中に入り込み、反動で牛乳のしぶきが飛び出る。70年代、あの蓋は押すものだと思っていたと友人のアメリカ人は言った。彼には押してもダメなら引いてみよという知恵が湧かなかった。

一家にはあの蓋を取るためだけに爪を長く伸ばした婆ちゃんや母ちゃんがいたものだ。そんな時代がしばらく続いたあと、月極で配達してもらっていた家に、ある日、アイスピックの子分のような、蓋を針の先で突いて持ち上げる小道具が配られた。そう、蓋開けとか蓋外しとかピックなどと適当に呼ばれた「アレ」だ。アレは正式名称がないまま、誰にも気づかれずに姿を消した。牛乳にありつく道と作法が一気に変わったからである。

ポリキャップの牛乳瓶は残っているが、主流は紙パックになった。開ける所作が「針を刺して蓋を外す」から「接着された封を左右に引き離す」へと変わった。当初、便利になったと紙パックを歓迎した消費者がかなりいた。他方、面食らった消費者も少なくなかった。すっかりポピュラーになった今でも、ハードルの高さに困惑する消費者がいて、たとえば、あの〈開け口〉と反対側の封の違いを学習できずにいる。

彼らをわらうことができるだろうか。某乳業のホームページでは「牛乳パックの正しい開け方」を次のように指南している。

1.親指を開け口の奥まで差し込む。
2.開け口を手前にして両手で左右に十分広げる。
3.左右いっぱい屋根につく位置までしっかり押しつける。
4.親指と人差し指を両端にあてて注ぎ口が飛び出るまで徐々に手前に引く。

難解な文章である。特に、3.の「屋根」、4.の「注ぎ口が飛び出る」のイメージが湧きにくい。手順通り、文字通りに進めても無事に開け口が開けられない人が相変わらずいるのだ。同情を禁じ得ない。「牛乳パックの正しい開け方」が掲載されていること自体、紙パックを開けるのも難しいとメーカー側が確信している証拠である。

料理に付いてきた〈セミ〉

季節外れの〈セミ〉の話題。書いてみようと思ったのは、注文した料理にセミが付いてきたからだ。初めてではない。以前にもそんなことが何度かあった。

ところで、セミは漢字で「蝉」。虫へんに単だから簡なのだが、ど忘れして戸惑うことがある。英語では“cicada”というらしい(さっき調べて知った)。初見である。Googleで発音を聴いてみた。「セカーダ」と英国人女性が、「セケィーダ」と米国人男性が言っていた。ぼくにそう聞こえたというだけで、正確な発音はわからない。

雇っている中国人が夏の終わりに蝉を獲って食べるという話を知り合いの経営者から聞いたことがある。蝉のエピソードと言えば、それくらいしか知らない。「蝉と言えば?」と問われたら、抜け殻か、セミファイナルというダジャレか、芭蕉の「しずかさや岩にしみ入る蝉の声」くらいのもの。他に思い出すような洒落た故事成句やことわざはない。


幼虫として過ごす長い年月は誰にも知られないまま、蝉は地上に現われて羽化する。そして抜け殻を残し、この世の最期とばかりに数日間うるさく鳴き、やがて亡骸なきがらになる。古来日本人の関心の対象は、この蝉という生き物よりも「鳴き声」だったのではないか。それが証拠に、蝉の種類の区別もつかないくせに、蝉の声のオノマトペを熱心に文字で再生しようとしてきた。ジージリジリジリ、ツクツクボーシ、カナカナ、ミーンミンミンミンミー……。

蝉の声はわが国では夏の代表的な風物詩になっている。他方、南フランスでは鳴き声にはあまり関心がなく、蝉そのものをある種の象徴として見てきた。蝉は幸運のシンボルとして親しまれ、南仏の太陽とも重ね合わされる存在だという。ここで冒頭の料理と蝉の話がつながってくる。

先日、フランス料理店でコース料理を注文し、メインに茶美豚ちゃーみーとんを選んだ。蝉が皿の上に乗ってきたわけではない。メインの皿の直前に新たに置かれたナイフに蝉がかたどられていたのである。ラギオールナイフとしてよく知られる細工物だ。もう閉店したが、以前よく通ったビストロでは、ソムリエがワインを開栓する時にこの蝉の彫金ナイフを使っていた。久々に見るナイフ。目を凝らした。フクロウと言われればそう見える。縁起物だと思うことにして、手のひらにずっしりとくる重みで肉を切った。

今どきの様々な事情

今年初めての出張が入った。八月の予定が人流抑制のために十月下旬に延期になった。久々の伊丹空港はかなりリニューアルされていて、要領を得るのに少々手間取った。行き先は高知龍馬空港。一年八カ月ぶりの高知。この前は冬装束、今回は背抜きのスーツ。連泊だった前回はキャリーケース、一泊の今回はトラベルリュック。一番の違いは、ビフォーコロナの前回はマスク無し、コロナの今回はマスク有り。

高知出張の最大の楽しみは魚食い。ビフォーコロナの昨年1月に訪ねた料理店はその年の秋に店を閉めた。地元で根強い人気がありいつも常連で賑わっていた。常連が誰かに伝えその誰かからいい店だと聞き、数年前から高知に行けば必ず足を運んでいた。出張族もリピーターになり、調べ上手な観光客も集まる渋い店。現地の新聞でも取り上げられ惜しまれながら消えた。

新型コロナ感染者数の多寡増減に一喜一憂し、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置のスイッチのオンオフが繰り返された一年と八カ月。様々な事情が生まれ、日常の景色が濃淡様々に変化した。今年の秋になって、一部の景色が元に戻りつつある。しかし、まだまだ異変が続いて歓迎されない場面はあるし、別の一部では落ち着いたものの元には戻らず、新しいアフターのスタイルが定着し始めている。


宿泊したホテルは立地がいいのでここ数年定宿じょうやどにしている。フロントのチェックインはまるで海外渡航者向けの厳重な態勢だった。朝食会場はビュッフェスタイルではなく、数種類の定食から選ぶ方式に変わっていた。ドリンクはフリーだが、席を立って水、ジュース、コーヒーと取りに行くたびに簡易手袋を装着する。アルコール消毒した手を手袋で包むわけだが、面倒この上ない。

高知には十数年前から年に一、二度仕事で来ている。店じまいした料理店を知る前は、知人に老舗の割烹に何度か連れてきてもらっていた。その店に一人で行きカウンターの席に座ったのが七年前。今回は三人で訪れた。地元の名士が集まる店なのだが、その日の夜、ぼくたちの他に客はなかった。新鮮な魚貝を使った料理が売りだから、こんな状態では仕入れのやりくりも難しいに違いない。

あの七年前、チャンバラ貝とどろめ・・・をつまみ、ヒラメの刺身や鰹のたたきも注文して静かに飲んでいた。間に二席を置いて男性客が一人座った。「いつもの」と言い「今夜は何がいい?」と女将に聞くその人、常連に決まっている。いつもいいけど鰹が特にいいと女将がすすめ、紳士、間髪を入れず「刺身、皮付きで」と告げた。ダンディズムを感じさせるやりとりだった。

ずっと一つ覚えの鰹のたたきだったので、あの紳士が唸るように食った刺身をいつかぜひ、この店でと思っていた。七年越しの願いが叶い、皮付きの鰹の刺身にありついた。忘れることはないが、「皮付き鰹の刺身、史上最強の厚切り」と念のために脳内に記す。たたきをニンニクといっしょに頬張るのは毎度だが、刺身を頬張るのは初めての体験。今どき、世の中には様々な事情があるが、ぼくにとってその夜の事情は過去の場面とつながる特別な事情だったのである。

朝の連続ハプニング

ドタバタと言うほどではない、小さなハプニング。小さくても一瞬ドキッとした。朝9時前、オフィスでのルーチンに取り掛かる前、コーヒーを淹れる際に起きたちょっとした出来事。

この小事を書こうとしたものの、使い慣れたはずのコーヒーメーカーの部位の名称を正確にわきまえているかどうか、少々怪しい。コーヒーは飲むが自分では淹れない人に、カタカナの名称がはたして伝わるか。あまり自信がない。

とりあえず、ドリッパーとサーバーは必須用語。ペーパーフィルターを敷いて挽いたコーヒー豆の粉を入れる箇所が「ドリッパー」……タンクの水が熱されてこのドリッパーの所を通り、抽出されたコーヒーを受けるのがガラス製の容器で、「サーバー」という……こう描写しても、コーヒーメーカーの図がないとよくわからない。


さて、何が起こったのか? いや、何を起こしたのかと言うべきか。コーヒーメーカーでいつものように濃い目のアイスコーヒーを作るつもりで、ドリップケースにペーパーフィルターを敷いてコーヒーを4杯分入れた。ドリップケースホルダーがケースから外れて、コーヒーの粉が半分以上散乱した。初めてのことである。対処法は一つ、慌てず騒がず掃除機で吸い取るしかない。

気を取り直して、なぜ外れたかわからないドリップケースとホルダーをしっかりと装着し直し、あらためて新しいペーパーフィルターを敷き、コーヒーの粉も入れ直した。水の量を確認してスイッチオン。できるまでの間、席に戻って書類に必要事項を記入し始める。

12分した頃、水がこぼれる音がするので、コーヒーメーカーの所に駆け寄れば、掃除のために外したサーバーをセットし忘れていて、できたての熱いコーヒーがだだ洩れしている。今度はさすがに慌てた。電源をオフにし、キッチンペーパーを何枚も使ってこぼれたコーヒーを拭き取る。床にぽたぽたと落ちる寸前に気づいたのが不幸中の幸いだった。

朝から掃除と拭き取りにおよそ半時間。こんなことでもなければ、いつも使っているコーヒーメーカーのメンテも置いてある周辺の清掃もしない。「逆縁転じて順縁」と受け止めることにし、三度目の正直を目指す。遠回りをしたおかげで、美味なるアイスコーヒーができた。

フェイントの季節

近くの川岸が夕方になるとほのかに橙色を帯びる。もしかして桜? と早とちりする人がいるが、十日以上早いからさすがに桜はない。実はライトアップ。ライトアップが春のフェイントをかけているのだ。

春本番を控えて景色がフェイントをかける、気配も気候もフェイントをかける。フェイント(faint)は「かすかな」ということ。かすかであるから一時的に春らしくなっても、すぐにらしさは消えて、また肌寒くなったりする。三寒四温とは、冬から春に移り変わる時期の言い得て妙である。

散歩中に、右へ曲がりかけて、ふと気が変わって左へときびすを返すことがよくある。冬色と春色が境界なく混ざるような配色も目に入る。焦点が定まらず、身体も適応し切れず、気持ちはいいのだが少々気だるくふわっとする午後の時間がある。


今年こそやるぞ! 旅に出るぞ! 本を読むぞ! 趣味に勤しむぞ! などと毎年同じことを決意表明する者がいる。必ずしも他人事と言って片付けられないが、あれもフェイントの一種である。自分を宥め欺き、決意をきれいさっぱり忘れるために欠かせない一人フェイント。

人生は大小いろいろなフェイントの連続。時には一人で、時には集団で。フェイントは自分を、他人を惑わせ続ける。そして、フェイントであったことがばれる。フェイントのフェイント、それに次ぐフェイント、そのまたフェイント……フェイントはフェイントを呼ぶ。

リアルとシュール

ステーキにはステーキソースか塩・胡椒が当たり前だった。この組み合わせが常識・定番コモンセンスで、それ以外の選択肢はないように思えた。ところが、ステーキにわさび醤油が合わされるようになった。シュールで前衛的な印象を受けた。「ん? 合わんだろう」と首を傾げて食べているうちに、この食べ方も定着して、今ではまったく意外性はない。

シュルレアリスムの手法の一つに〈デペイズマン〉というのがある。フランス語で「意外な組み合わせ」を意味する。今、ぼくのデスクの上に書類があり、その上にガラス製のペーパーウェイトが置いてある。「デスクの上の書類とペーパーウェイト」に誰も不意を突かれない。このマッチングは常識も常識、日常茶飯事の光景である。しかし、書類の上にラップに包みもせずに焼きおにぎりを乗せたら、その光景はシュールになる。

対立する二つの要素――または常識的にはなじみそうにない二つの要素――を並べて、コラージュのように貼り合わせてみると、シュルレアリストたちの好む画題が生まれる。かつてロートレアモンが表現した「解剖台の上で偶然に出合ったミシンとこうもり傘」を美しいと思うか思わないかは別にして、意外性にギクッとする。特に解剖台という設定に。


「シュルレアリスムとは、心の純粋な自動現象によって思考の働きを表現しようとすること。理性や美学や道徳から解放された思考の書き取りである」とアンドレが言った。一言一句この通り言ったのではなく、こんな感じのことを言った。アンドレ? フランスの詩人で、シュルレアリスムの草分け的存在、ほかでもないアンドレ・ブルトンその人。

フランス語の“surréalisme”は「超現実主義」と訳された結果、前衛的なニュアンスを持つようになった。ともすれば、現実に相反する概念のように錯覚するが、“sur-“は強調であり誇張だから、シュルレアリスムは現実の表現の一つにほかならない。ある場所において、何かと何かが出合う可能性は無限のはず。頻度の高い組み合わせが当たり前になってきただけの話ではないか。

花札の二月も都々逸も「梅に鶯」だが、ぼくの居住圏では「梅にメジロ」しか見たことがない。子どもの頃から親しんだ花札には定番のマッチングやペアリングがある。たとえば、一月の「松に鶴」は掛軸に多く描かれているし、落語の笑福亭松鶴を思い出す。三月の「桜に幕」は花見光景、また、八月の「すすきに月、芒にかり」や十月の「紅葉に鹿」などもいかにも「らしい」。

他方、シュールっぽいのもある。五月の「菖蒲に八つ橋」、九月の「菊に盃」、十一月の「雨に柳と小野道風」、十二月の「桐に鳳凰」等々。すべてにエピソードがあり、知ってしまえば納得できるが、知らずに組み合わせの絵柄だけを見ればかなりシュールである。定番や常識の世界にシュールが現れてドキッとし、何度も見ているうちに慣れてきてシュールが不自然でなくなる。シュルレアリスムが現実や常識とつながっている証拠である。

独り占め

ずいぶん前の話。たまたまデパートに行く用事があった。頼まれていた恵方巻はいつもの商店街で買うつもりだったが、ついでだからここでもいいかと思い、地下へ降りた。寿司を売る店が2店舗並ぶ。どちらの店も初めて。海鮮巻1,000円と値段は同じ。海鮮の具の違いはわからない。こんな場合、どっちの店で買うかは多分に気まぐれだ。

しかし、買って来てくれと頼まれた中高年男性をターゲットにするなら、巻いてある海鮮の具が「鰻、いくら、数の子」と表示してあるほうが、表示していないよりも訴求力がある。他に差異化できることがあるなら、何もしないよりも何かを書くほうがいい。遊び心で、そんな恵方巻のコピーを考えたことがある。

節分の宵に 恵方を向きて もの言はず 巻寿司一本
丸かぶりの 習はしあり 願ひ事が叶ふ と伝え聞く

見た目も値段も同じなら先に覗いた店で買うだろうが、十人に一人を引き寄せるちょっとした工夫があるはず。


恵方を向く……何も喋らずに丸かぶり……。儀式などに関心はないが、巻寿司一本が割り当てられる少年少女は、恵方だけに「まれた々」である。ぼくらが子どもの頃は、巻寿司はカットして兄弟でシェアした。兄弟の数に比例して寿司は薄切りになったはず。一人であるだけすべて食べて誰にも与えないのが独り占めだが、たとえ一本でも、誰かとシェアしないなら、独り占め気分に浸れる。

父のパチンコの戦利品の板チョコ一枚をいつか一人で食べたいと思っていた。兄弟で公平に分けようとするから溝できれいに割るのだが、一人一枚なら溝など無視して斜めに割ったり、割らずに丸かじりしたりできる。独り占めは人の本能でありさがなのだろう。大人も子どもも関係ない。一人で食べることにはいくばくかの罪悪感もある。だから、たいてい黙って頬張る。もの言わずに恵方巻を丸かぶりするのもその流れに違いない。

ものすごくうまい手土産をもらったが、お裾分けが面倒なので、独り占めしてこっそり食べることがある。堂々と食べるよりもこっそりと食べるほうがおいしい。禁断の美味度が増す。みんなで食べると「おいしいなあ」と言って終わるだけだが、独り占めすると「あいつらはこの味の良さがわからんだろう」などと生意気が言える。こうしてうまさはさらに倍増する。

「みんなでワイワイと食べるほうが楽しい」という主張がある。たしかに楽しいかもしれない。しかし、十分に味わえているとはかぎらない。独り占めしているという意識で一人で食べるほうが間違いなくおいしい。だから、おいしい食事をしたいのなら一人に限る。『孤独のグルメ』とはそういう意味である。

少年は鞄を踏んづけた

今は亡きご本人が、数年前にぼくに語った少年時代の話。


少年は地方都市の裕福な家庭で育った。父は地元で顔のきく人だった。父系か母系か聞き逃したが、祖父母は戦争が始まる前、海外で暮らしていたようだ。時代は終戦直後、話し手自身が小学校に入学した頃である。

小学校に通う時の必需品と言えばランドセルや鞄。終戦直後に皆が皆ランドセルを背負ったかどうか知らない。ともあれ、ランドセルの児童が多かった中で、少年が親から与えられたのは鞄だった。しかし、自分のは「標準」ではなかった。つまり、同級生たちが持っているのとは違っていた。背負うのではなく、手に携えて通学した。

いじめられたり仲間はずれにされたりしたわけではないが、少年は鞄がまったく気に入らなかった。ランドセルにしたいという希望も親に告げたが、その鞄はランドセルよりも高価で丈夫なんだからたいせつに使いなさいと言われるばかり。少年はわけのわからない柄の入った手提げの鞄が嫌でしかたがない。早く壊れてほしいと毎日願っていた。


学校と家の往復、わずか数十分持つだけだから、願いに魔法がかからないかぎり壊れるはずがない。乱暴に扱えば早く壊れると少年は考え、帰り道に公園の遊具の高い場所から落としたり、取っ手を引っ張ったりした。ついにある日、地面に投げつけて両足で踏んづける暴挙に出た。そして、傷みがひどくなり使えなくなるようにと、来る日も来る日も繰り返し繰り返し容赦なく踏んづけた。

とは言え、小さな子どもが全体重をかけて踏んでもたかが知れている。鞄はびくともしなかった。その鞄はそれほど丈夫だったらしい。結局その先、高学年になっても使い続けた、いや、使い続けるしかなかった。当時その鞄は珍しく(だからこそ嫌だったのだが)、持っている人を見かけたことは一度もなかったらしい。

やがて少年は成人して働き始め、中年になった。その頃になると、地方都市にもファッション化の波が来た。話がそのくだりになったところで、少年、いや、すでに七十半ば過ぎの知人は次のように話を結んだ。

「ある日、自分が幼い頃に持っていたのと同じ柄の鞄を見たんだよ。三十歳前後のおしゃれな女性が持っていた。早速その柄のことを誰か知らないか職場で聞いてみたよ。念のために調べてもみた。綴りはLouis Vuitton、そう、あのルイヴィトンだった。たまげたなあ。7歳男児が毎日公園でルイヴィトンを踏んづけていたんだ。

居場所と行き場所

「芸」が「地」になり、地になった芸に不自然さを感じなくなると、その人に名人を見る。技だの能だのと言っているあいだはまだまだ浅いのだろう。確固とした地になった芸を見る機会が少なくなった。

昔、高座で腰を左へ右へ交互に動かしたりお尻を浮かせたりして噺する桂米朝を見て、誰かが「師匠、あの動きは芸ですか?」と尋ねたところ、「いや、あれは地(痔)や」と言ったとか。

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人には居場所と行き場所の両方がいる。往ったり来たりしながら、行き場所が居場所になるのを目指してきたが、未だ道遠し。そうそう、一つになるのがよいと言う人もいれば、いやいや、別であってもいいと言う人もいる。

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パノラマも見ごたえがあるが、窓というフレームを一つ加えてやるだけで趣と文脈が変わる。窓の内側の今いる場所と窓の外の景色、いずれが主役か脇役かなどという分別がなくなる。何の変哲もない窓をフレームにして対象をトリミングするだけで、たぶん一つの芸になる。

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異国情緒は、自然に対して湧き上がる時よりも、街に佇む時のほうが強くなる。建築、公園、広場の存在が大きいせいだが、固有の情緒を一番顕著に醸し出すのは行き交う人々の姿である。どんなに見慣れても、彼らは自分の居場所にはいない人々である。

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景観は街の芸である。以前滞在したパリのマレ地区に本屋兼文芸パブがあった。面していたのがブルジョア通りで、店構えはその名に合っていたような気がする。店が街に合わせて外装をコーディネートしたわけではない。懐の深い街があの建物や他の諸々の建物を清濁併せ呑んでいた。そして常連は、行き場所を居場所にしてくつろぐのである。

旅に出て着いた所が行き場所。滞在するホテルやアパートは行き場所だが、まもなく居場所になる。その居場所から街中に出て次に別の行き場所を探す。行き場所を居場所に変えていくことと芸を地にしていくことはよく似ている。いや、同じことかもしれない。