明快表現のパラドックス

「意味の共有」はコミュニケーションの重要な原義の一つであった。他者に自分の意図を伝えて理解してもらうことであるから、現在もなお必要不可欠なコミュニケーションの機能である。言うまでもなく、言語を通じて共有化する意味は、不得要領ふとくようりょうであるよりは明快なほうが望ましい。丁寧で遠回しな表現では意味理解に時間を要する。むしろ、少々露骨であっても単刀直入な言い方のほうが意味は伝わりやすいのである。

対象や現象をものの見事にピンポイントで表現できればどんなに気持ちがいいことか。しかし、百万言を費やしてもそんな気分になれることは稀である。語彙が豊富な表現上手にとっても、最適語でメッセージを言い表わそうとする課題はおそらく生涯つきまとうに違いない。対象や現象なら、文字通り、ある程度「かたどどられている」が、観念や感情の意味となると、つまびらかに語り尽くし書き留めるのは難業である。

繰り返すが、ある事柄の輪郭を鮮やかにとらえてその内実を浮き彫りにするのは容易ではない。だが、自分と他者が意味を共有するためには避けて通れない試練である。にもかかわらず、ぼくたちはなぜその試練に立ち向かわないのか。好球を必打するようにことばを駆使しようともせずに、なぜ敢えて表現を迂回させようとするのか。迂回とは持って回った婉曲的語法のことである。差し障りのないよう、穏やかに、また露骨にならぬよう「ぼかしことば」を頻繁に用いるのはいったいどうしてなのだろうか。


人にはトラウマがあったり語りえぬ苦悩があったりする。社会には触れてはならぬタブーがあり、他者の心情や人権への配慮が求められる。今さら肝に銘じるまでもなく、まずまずの良識を備えていればわかることである。そう、良識ある人々は差別的表現を遠ざけようと意識する。差別的なことばは具体的で直接的な表現の一種なのである。ある意味で、名と実が近接して関係が明快なのだ。明快であるからこそ具合が悪い。したがって別のことばに言い換える。ここにぼかしことばの出番がある。

数年前からボケや痴呆症を「認知症」に言い換えようと厚労省が主導してきた。言い換えても実体に影響を及ぼさないが、従来の表現で苦痛を覚えてきた人たちの気持ちをやわらげることはできる。それでも、『ボケになりやすい人、なりにくい人』という書名の本は存在するし、普段の会話では「痴呆症」ということばを耳にする。差別語論はさておき、痴呆のほうが明快であり事態の深刻性を醸し出している。認知症を病だと「認知」していない人もいる。「認知していればそれでいいではないか」というわけである。

言い換えられた新語で傷つく人もいる。人にはそれぞれの痛みの「ツボ」があり、すべてのことばが万人に快く響くわけではない。婉曲表現のそのまた婉曲表現などということになれば、意味を共有するどころか、会話そのものがなぞかけ合戦と化してしまう。表現をぼかせば通じにくくなり、これではいけないとばかりに明快な表現を用いると相手に棘が刺さってしまう。これが明快表現のパラドックスである。パラドックスではあるが、別に悩むことはない。綱渡りさながら明快な表現を探し工夫することに躊躇する必要などさらさらないのである。

「知っている」の意味

すっかり身近になった用語の一つに〈パラダイム〉がある。起源はギリシア語だが、ラテン語“paradigma”を経由して英語の“paradigm”へと変化した。接頭辞“para-“には「並べて」という意味があり、この語根をもつ単語はけっこう多い。パラダイムはもともと「範例、模範、典型」などのことだが、一般的には「ものの見方」や「知の枠組」という意味でも使われるようになった。ものの見方や知の枠組は自分に固有なものと思いがちだが、発想や知識は、時代と文化の制限をかなり強く受けている。

あることを部分的に知らないという理由だけで、その人を無知呼ばわりすることはできない。知識の無さや知恵の無さをひっくるめて意味するのが無知だ。ゆえに、無知は無知以外の何物でもなく、その状態に程度というものはないのである(無知な人は自らが無知であることすら知りえない)。これに対して、「知」はいろんなレベルの階層に分かれる。ピンからキリまでの「知っている」がありうるのだ。ほとんど内実を知らないくせに「知っています」と見栄を張ることもできるし、よく承知していても「少しだけ知っています」と謙遜することもできる。

W.V.クワイン著『哲学事典』の「知識(knowledge)」の項に、「『知る』という語は『大きい』と同じように、程度の問題として受け入れる方がいい」という記述がある。教訓的な助言だ。「知識とは真の信念である」ものの、信念の背後にある裏付けには確実性と曖昧性がつきまとうから、真なる信念の確からしさによってのみ「何かを知る」ということがありうるのだろう。「私は政治を知っている」という主張そのものは政治の知識の程度を示してはいない。知の多寡は精細な裏付けの検証によってようやく判明するものかもしれない。


前掲書の当該項目の後段に「いかに・・・を知ることとできる・・・ことが交換可能である」という行がある。「知る」と「できる」が同じ意味で使われるのは、ヨーロッパ諸言語に顕著な事例である。たしかに方法を知っているということは「できる」ということになるのだろう。英語で“I know how to swim.”は、ほとんどの場合“I can swim.”を意味している。もっと言えば、「~の方法を知る」とは「~を知る」ことにつながり、それは自ずから「~ができる」ことでもあるのだ。ゆえに、“I know chess.”は十中八九“I can play chess.”と同義になる。

「チェスを知ってる?」
「うん」
「じゃあ、やろうよ」
「いや、できない」
「なんだ、知らないじゃないか!?」
「名前は知っているけど、駒の動かし方はわからないんだ」
「それを知らないと言うんだ!」

ありそうなやりとりだが、不自然な会話にも聞こえてくる。ぼくたちも英語圏の人たちと同様に「知る」や「知っている」を使う。「チェス? 知っていますよ」と日本人が言う時、ゲームの名前、ゲームの方法、ゲームの道具のどれについて語っているのかは即座にわからない。もっと神妙に考えてみると、仕事や読書や趣味についても、いったいぼくたちは何をどのように知っているのだろうか、と不安になってくる。パラダイムが「並べて示す」であるなら、胸を張って知をずらりと並べることなどできそうもない。


仕事を知っていると言うのは簡単だが、プロフェッショナルの程度はどのくらいか。その本を知っているのなら、何をもってそう言いうるのか。こんなふうに自分が知っていると信じていることを順に問い詰めていくと、ほとんどの事柄に関して「聞いたことがある」や「名前だけ知っている」に変更せねばならないことに気づく。知識が真の信念の域に達しているのならば、誰かに説明できるはずである。もし暗黙知の次元に達していてことばにできないのなら、「できる」というお手本を示せるだろう。

knowkncancnを比べて見よ」とクワインは言う。なるほど似ているが、同一語源かどうかまでは不明だ(もしかすると、こじつけかもしれない)。しかし、「ドイツ語ではもっと明白で、kennenkonnenという語になっている」と言われてみると、「知る」と「できる」の酷似性が際立ってくる。少なくとも、知には「行動知」という要素があることを認めざるをえない。「知っているけれど、できない」を容認してはいけないのだと思う。できないことは知らないことに等しいのである。

ことばを遊ぶ

暇つぶしに辞書を読む人がいた。調べる対象となる用語を決めて読むのではなく、調べるついでに別のページをめくって読むという感覚らしい。ぼくにもそんな覚えがある。ある語を調べたついでに辞書の中を徘徊していたという経験なら誰にでもあるに違いない。但し、手持ちぶさたなときに首尾よく辞書が手元にあるとはかぎらない。それもそのはず、辞書を携えて外出することなどほとんどありえないのだから。また、辞書というものは、時間と場所をわきまえずに引けるものでもない。

それにしても、ことばには我を忘れさせる愉快な魅力がある。辞書にのめり込むと、飛び石伝いにことばは別のことばへと連なっていく。たとえば、一昨日のブログでたまたま「曲学阿世」という四字熟語を使った。そして、書いてからしばらく凝視していたら、阿世の「阿」という文字が気になってきた。大阪市内の南東部にある「阿野」という地名は身近な存在である。同じ「あべの」でも、近鉄の駅は「阿野橋」と書く。「倍」と「部」の違いがある。こんなことを思い巡らすうちに、阿がますます不思議な造形に見えてきた。

阿は、表記としては稀だが、「阿る」という動詞として使われる。クイズ番組の国語の問題に出そうな難読字で、当てれば「ファインプレイ!」と褒められるだろう。「おもねる」と読む。へつらうという意味だ(へつらうも漢字で書けば「諂う」で、これまた難読字だ)。ここから先、辞書世界に埋没していくことになる。「阿諛あゆ」という語を思い出して調べ、これが世間に媚び諂うという意味で阿世に通じていることがわかる。阿とは「山や川の曲がって入り組んだ箇所」だと知る。阿と安は万葉仮名の「あ」を代表している……などなど。


略語系はやりことば
これも遊べる。遊びというよりも「もてあそび」に近い。ぼちぼち「古い!」と言われそうだが、“KY”なる略語に未だに違和感がある。これで「空気読めない」としたのはセンスが悪いのではないか。KYなら「空気読める」の略でなければならない。空気が読めないのなら“KYN”ではないか。あるいは“Not KY”だろう。“AKB48″は「あくび48回」と読める。「今年はお世話になりました、来年もよろしくお願いします」を“KONRYO”とするのはやり過ぎかもしれない。

ツイッター
タレントが元夫の不倫をツイッターで流した一件で、「ツイッターはつぶやくものだから、あんなメッセージは度を越している」と誰かが言えば、「もはやツイッターにそんな原初的な純粋機能などはない」と別の誰かが反論している。すべてのことばは早晩発祥時の意味を変えて、はやったり廃れたりしていく。ことばが生き残るかぎり、意味は変遷しおおむね多義を含むようになる。よく語の起源はこうだった、にもかかわらず現在はズレてしまったなどと批判されるが、変化を批判しても詮無いことである。ツイッターは「つぶやき」を起源としたかもしれないが、誕生と同時に「無差別ばら撒きビラ」の機能も併せ持ったのである。

草食系
一年ほど前の調査だが、肉食系を「貪欲で積極的に活動する人」という意味にとらえ、対して、草食系が「協調性が高く優しいが、恋愛などに保守的になりがちな人」と考える傾向が明らかになった。動物界では、草食系のほうが肉食系よりも行動的な気がするのだが、どうだろう。猛獣は明けても暮れても動かないし、食事は腹八分目で比較的禁欲的である。草食系の協調性は保全のための群れの行動である。草を求めてよく移動するし、肉食系よりも食欲旺盛ではないか。

ことば遊びに正解はない。遊びの本領はイマジネーションにある。そして、ことばの意味についてあれこれと思い巡らすことが、おそらく概念的に考えるということにつながっている。

対話と雑談

「根っからの」と言えるかどうかはわからないが、ぼくが対話好きなことは確かである。口論は好まないが人格尊重を前提とした激論なら歓迎する。ぼくは議論を対立や衝突の形態と見ていない。ゆえに、ジャブのように軽やかに意見を交わすようにしているし、必要とあればハードパンチを打ち合うこともある。このようなぼくの対話スタイルは少数派に属する。そのことをわきまえているつもりだから、対話に慣れない人たちが議論などおもしろくないと思うことに理解を示す。

だが、一人であれこれ考えるより少し面倒でも対話をしてみるほうが手っ取り早い。他者と意見交換してみれば容易にテーマの本質に迫ることができるのだ。一人熟考するよりも、あるいは読書を通じて何事かを突き詰めていくよりもうんと効果的だと思うのである。トレンドが起こるとアンチトレンドが煽られるように、ある立場の意見は対立する別の「異見」によって照らし出される。意見対立を通じて見えてくる知の展望に比べれば、反論される不快さなどたかが知れている。挑発的な質問や当意即妙の切り返しの妙味は尽きないのである。

たしかサルトルだったと思うが、「ことばとは装填されたピストルだ」と言った。拳銃のような物騒な飛び道具になぞらえるのはいささか極端だが、対話や議論のことばには弾丸のような攻撃的破壊力がある。猛獣のように牙を剥くことさえある。たいていの人はことばの棘や牙に弱く、免疫を持たない。たった一言批判されようものなら顔を曇らせる。しかし、少々の苦痛を凌ぐことができれば、対話は有力な知的鍛錬の機会になりうる。論争よりも黙殺や無視のほうが毒性が強いことを知っておくべきだろう。口を閉ざすという行為は、ある意味で残酷であり、論破よりも非情な仕打ちになることがある。


何事にも功罪あるように、対話が息苦しさを招くのも否めない。かつて好敵手だった同年代の連中の論争スタミナも切れてきて、議論好きのぼくの面倒を見てくれる者がうんと減った。また、若い連中は遠慮もあってか、検証が穏やかであり、なかなか反駁にまで到らない。この分だと、これからの人生、一人二役でぼやかねばならないのか。だが、幸いなことに、対話同様にぼくはとりとめのない雑談も愛しているから、小さな機会を見つけては興じるようにしている。対話には屹然きつぜんとした線の緊張があるが、雑談には衝突や対立をやわらげる緩衝がある。雑談ならいくらでも「茶飲み友だち」はいる。

雑談の良さは、ロジカルシンキングの精神に逆らう「脱線、寄り道、飛躍」にある。「ところで」や「話は変わるが」や「それはそうと」などを中継点にして、縦横無尽に進路を変更できる。雑談に肩肘張ったテーマはなく、用語の定義はなく、意見を裏付ける理由もない。何を言ってもその理由などなくてもよい。対話と違って、雑談の主役はエピソードなのである。「おもしろい話があるんだ」とか「こんな話知ってる?」などの情報が飛び交ったり途切れたり唐突に発せられたりする。

対話は知的刺激に富むから疲れる。かと言って、対照的に雑談が気晴らしというわけでもない。なるほど「今から雑談しよう」と開会宣言するようでは雑談ではない。また、「ねぇ、何について雑談する?」などと議題設定するのも滑稽だ。原則として雑談に対話のルールを持ち込むのはご法度なのである。けれども、雑談をただの時間潰しにしてしまってはもったいないので、ぼくは一つだけ効能を期待している。脳のリフレッシュ。ただそれだけである。

内容と表現の馴れ合い

ずいぶん長い間、情報ということばを使ってきたものだ。まるで呼吸をするように使ってきたから、立ち止まって一考する機会もあまりなかった。実に様々な文脈で登場してきた情報。ぼく自身も知識という用語から峻別することもなく、情報、情報、情報と語ったり書いたりしてきた。但し、数ヵ月前に本ブログの『学び上手と伝え上手』で書いたように、見聞きする範囲では情報という語の使用頻度は減っている気がする。

それでもなお、この語がなかったら相当困るに違いない。見たままなら「情けを報じる」である。「情け」というニュアンスをこの語に込めたのはなかなかの発案だった。一説に森鴎外がドイツ語を訳した和製漢語と言われているが、確かなことはわからない。確実なのは、広辞苑がここ何版にもわたって「ある事柄についての知らせ」という字義を載せていることだ。「知らせ」であるから、知識でも事件でも予定でもいいし、情けであってもまずいわけではない。

情報ということばは多義語というよりも、多岐にわたる小さい下位の要素を包み込んだ概念である。固有の対象を指し示すこともあるが、ほとんどの場合、具体性を避けるかのように情報ということばを使ってしまう。「情報を集めよう」とか「情報化社会において」とか「情報発信の必要性」などのように。つまり、内容を明確にしたくないとき、情報の抽象性はとても役に立ってくれるのである。


先に書いたように、情報は「事柄」と「知らせ」の一体である。内容と表現と言い換えてもいい。ぼくたちが欲しいのは情報の内容であることは間違いない。ところが、情報はオーバーフローするようになった。そして、ここまでメディアが多様に細分化してしまった現在、内容よりも「知らせ方」の意味が強いと言わざるをえない。知らせ方とは受信側からすれば「知り方」である。その知り方を左右するのは、情報を表現するラベルや見出しだ。

こうなると、内容あっての表現という図式が怪しくなってしまう。内容がなくても、表現を作ってしまえば内容らしきものが勝手に生まれてくるからである。情報価値などさほどないがラベルだけ一人前にしておく、あるいは、広告でよく見られるように、同じ商品だが表現だけをパラフレーズしておく。実際、近年出版される本の情報内容は、タイトルという表現によってほとんど支配されているかのようである。さらにそのタイトルが帯の文句に助けてもらっている。

眼が充血したので眼科に行けば、その向かいに耳鼻科の受付。『春子は、春子なのに、春が苦手だった』というポスターが貼ってあった。かつて見出しは『花粉症の季節』のようなものだったに違いない。そして、それは花粉症対策の必要性という情報と乖離することのない見出しだったはずである。ここに至って、本来の医療メッセージが、花粉症に苦しむ女性、春子さんに下駄を預けている恰好だ。これなら『夏子は、夏子なのに、夏が苦手だった』も『冬雄は、冬雄なのに、夏が好きだった』も可能で、これらの表現に見合った情報内容を後から探してもいいわけである。

情報内部で内容と表現が馴れ合っている。そして、ぼくたちはろくでもないことを、目を引くだけの表現で知らされていくのである。ことば遊びは好きだが、情報を伝えるときに表現を弄びすぎるのはいただけない。

「二、三」について

『二案か三案か』というタイトルで昨日文章を書いた。書いてから、何の変哲もない「二、三」という表現に妙に囚われている。ついでなので、「二、三」について少考してみることにした。「二、三」とは、文字通り「二つか三つぐらい」のことである。少々とか若干という意味にも使われるが、全体で五つしかないときに二、三と言えば、もはや少々や若干というニュアンスは削ぎ落とされている。数字表現のくせして、自在に変幻する雰囲気を持っている。

「二、三の点についておうかがいしたい」はいい。しかし、点を「論点」に言い換えて「二、三の論点についておうかがいしたい」となると、どうもしっくりこない。「論点」ということばの性質が二、三というアバウトを許さないような気がするのだ。この場合は、「二つの論点」または「三つの論点」とするべきではないか。「二、三人で来てください」。これはいい。二人または三人のいずれをも許容している。軽い約束なら「二、三日後」も問題ない。「もぎたての柿を二、三個分けてください」に対して、「二個か三個かはっきりしろ」と憤るのは筋違いである。

では、「二個ほど」はどうか。蕎麦屋で若い男性が「いなりずしを二個ほどください」と言ったので、注文を聞いた女性が困惑していた。二個ほどと注文されては、勝手に判断して一個や三個を出しにくい。まさか一個半や二個半はないだろうから、「二個ほど」は「二個」以外にありえない。日本語文法に詳しくないが、この「ほど」は「およそ」とか「約」ではなく、もの言いを婉曲的にやわらげているのだろう。しかしながら、「柿が百個ばかりあります」に対して「では、十個ほどお分けください」と言われても、さほど異様に響かない。やはり「二個」と「ほど」の相性の問題か。


英文和訳の授業で“a few days ago”を「数日前」と訳した。「数日」とは何ぞやと問われれば、恐々ながら「二、三日」と答え、心中ひそかに「五日くらいまで入るかも」と思ったものである。これを裏返すように、英作文の授業では「二、三の」を“a few”と訳した。そう訳すように強要した教師もいた。日英の単語を単純対応させる学校英語は無味であり無機的であった。「二、三の」と厳密に言いたいのなら“two or three”とすべきだとわかったのは、後年本格的に英語を独学するようになってからである。

英語の“a few”は断じて「二、三の」ではない。「少数の」であり「わずかな」であって、絶対的な数値を表すものではない。先にも書いたが、五つのうちの二つ三つは決してわずかではないのである。では、分母が十や二十になれば、二、三を少数と決めつけてもいいか。おおむねいいだろう。但し、必ずしも断定はできない。たとえば、まさかこんな本を読んでないだろうとタカをくくって聞いたら、意外や意外、二十人中三人が読んでいたとする。このとき、ぼくは「三人も!」と驚いたのであるから、これは決してわずかではない。この状況で“a few”を使うことはない。

ふだん五十人くらいの客で賑わっている居酒屋だが、今日は七、八人。このとき、「えらく少ないねぇ」と言えるし、英語でもこんなときに“a few”を使い、強調したければ“only a few”と言ってもよい。英語の“a few”2から9までの一桁なら平気で守備範囲にしてしまう。比較対象との関係で「少なさ」を強調したければ、どんな場合でも使えないことはないのである。

ちなみに、英米人にお金を貸して「数年以内(within a few years)にお返しします」と約束されても、ゆめゆめ「二、三年後」と早とちりしてはいけない。今から四十年も遡るその昔、「沖縄を“within a few years”に返還する」の解釈を巡って、日米はもめた。「二、三年」と解釈した日本政府に対して、アメリカ政府の想定はもっと長かったのである。

ことばは実体より奇なり

ことばと実体には誤差がある。ことばは個性だから奥ゆかしくなったりはしゃいだりする。実体を見ればすぐわかることが、ことばによってデフォルメされてわかりづらくなることがある。その逆に、わけのわからない実体を、存在以上に明快に言い当ててくれるのもことばである。「事実は小説よりも奇なり」が定説だが、「ことばは実体よりも奇なり」も言い得て妙だ。


【小話一】

夏のある日、某大学の車内吊りポスターに目が止まった。キャンパスコンセプト“Human & Heart”を見てしばし固まった。“H”の頭文字を二つ揃えていて見た目は悪くない。だが、このフレーズは「心臓外科」というニュアンスを漂わせる。ならばと外延的に説明しようとすれば、収拾がつかなくなってしまう。あまりにも多様な要素が含まれてしまうからである。

意地悪な解釈はやめる。それでも、このスローガンではインターナショナルな訴求はおぼつかない。「人類と心臓」ではなく、「人と心」を伝えたいのなら、もっと別の英語を模索してみるべきだが、このようなメッセージを大学の精神としてわざわざ口に出すまでもないだろう。この種の抽象的なコンセプトはもう一段だけ概念レベルを下りるのがいい。〈賢慮良識〉のほうが、古めかしくとも、まだしも学生に浸透させたい価値を背負っている。

【小話二】

本の題名は、著者がつける場合もあれば、編集者に一任あるいは合議して決まる場合もある。ざっと本棚を見たら、ぼくの読んでいる本のタイトルには一般名詞や固有名詞だけのものが多い(『芸術作品の根源』や『モーツァルト』や『古代ポンペイの日常生活』など)。次いで、「~とは何か」が目につく。読書性向と書名には何らかの関係があるのかもしれない。

数年前、いや、もう十年になるかもしれないが、頻繁に登場した書名が「○○する人、しない人」のパターン。「○○のいい人、悪い人」という類もある。これも本棚を見たら、この系統のが二冊あった。『運のいい人、悪い人』と『頭がヤワらかい人 カタい人』がそれ。後者の本を見て思い出した。「発想」についての講演を依頼された際に、「主催者はこの本に書いてあるような話をご希望です」と渡された一冊だ。こんな注文をつけられたら、読む気を失ってしまう。ゆえに、当然読んではいない。

やや下火になったものの、「○○○の力」も肩で風を切るように流行した。書棚を見渡したら、あるある。『ことばの力』『偶然のチカラ』『決断力』『ほんとうの心の力』『コミュニケーション力』『読書力』……。後の二冊は斎藤孝だが、この人の著書には「力」が付くのが多い印象がある。熱心に本棚を探せばたぶんもっとあるだろう。「力」という添え文字が、タイトルにパワーを授けようとする著者の「祈り」に見えてくる。

【小話三】

これも車内吊り。雑誌の広告表現だ。「ちょいダサ激カワコーデ」。大写しの女性が本人なのかどうか判別できなかったが、広告中に木村カエラと書いてあったので、読者対象はだいたい見当がつく。オジサンではあるが、この表現が「ちょっとダサいけれど、びっくりするくらい可愛いコーディネート」という意味であろうことは想像できる。「もしチガ平アヤゴーメ」、いや、「もし違っていたら、平謝り、ごめんなさい」。

数字を覚えるためのことば遊びがある。同じ日の新幹線では「0120-576-900」のフリーダイアルのルビを見てよろけそうになった。576を「こんなにロープライス」と読ませ、900を「キミを応援」と読ませる。「こんなにロープライス。キミを応援」と首尾よく覚えても、正しく数字を再現する自信はない。どう見ても、904139である(そのこころは「苦しい策」)。この日、ぼくがネットで購入した切符の受け取り予約番号は41425。講座、懇親会後に二次会があると聞いていたので、「良い夜にゴー」と覚えておいた。うまく再生できた。

暫定的なことば

一つは、気の向くままに小文を書き、書き終えてからタイトルを付ける。もう一つは、思いつくままに書くことは書くのだが、あらかじめタイトルを決めておく。自分がいつもどうしているかを少々顧みて、さらに、どちらが苦労が少なくて済み、どちらが目を引くようなタイトルになっているかに注意を向けてみる。いろいろと考えてみた。そして、これらの問いへの答を放置したまま、別のこと――「話す」と「書く」の決定的な違い――に気がついた。

話す場合は、「これについて話そう」もあれば、「(気がついたら)そのことについて話していた」もありうる。つまり、テーマへの意識の有無にかかわらず、そこに相手がいることによって「ただ話すという行為」は成り立ってしまう。ところが、読み手があろうとなかろうと、また、書く前にタイトルがあろうとなかろうと、書く行為そのものには「テーマらしきもの」が前提されている。少なくとも、ことばになる前の気分の志向性だけは、確実にある。何となく喋ることはできるが、何となく書くことはできそうもないのである。実際、ぼくは、小文のタイトルを付けるタイミングとは無関係に、おおよその何かについて書き始め書き終えている。

おおよその何かは、単なる気分やぼんやりしたイメージとして止まっているのか。どうやらそうではなく、ことばとして確定しているようなのだ。タイトルの箇所が埋まっていようと空欄のままであろうと、いずれも「暫定案」にほかならない。テーマはすでにことばになっている。空欄は単に未記入というだけの話で、書くことについてぼくたちはアタマの中ではっきりと言語表現化している。そして、書き終えた後に、もう一度見直してみるのである。小文ですらこういう具合であるなら、暫定的なタイトルなしで小説や論文を書くことは不可能だと思われる。


ラスコーやアルタミラの洞窟壁画に先立って、クロマニヨン人は言語を操っていなければならない。彼らが20数万年前にどうだったかはわからないが、1万数千年から2万年前、少なくとも鮮やかな色使いで精細に牛を描く時点で、牛の名称と牛の存在と牛の概念は同時にあったはずである(なお、チンパンジーに無理やり絵筆を持たせれば、画用紙に何かを描く。しかし、勘違いしてはいけない。チンパンジーは「ある対象」を描いてなどいない。ただ絵具のついた筆を紙の上で振り回しているだけである)。目の前の対象や記憶の中のテーマを写実的に描くためには、対象を認識していなければならない。そして、対象を認識するとは、何を差し置いても、まず名前を発することなのである。

先月このブログで「一軒の家の設計図があって初めて柱や壁や屋根やその他諸々の部材が規定されるのである。決して部分を寄せ集めてから全体が決まるのではない」と書いた。対象の名と絵を描くことの関係も、タイトルと書くことの関係もこれと同じだろう。名という型なくして意味などない。名もない対象に意味を見い出して、やおら絵を描き始めたり文章を書き始めたりするわけなどないのだ。これまで名や名称やタイトルと呼んできたものは「音声のあることば」と言い換えればよい。ひとまずことばを発しなければ、対象も認識できないし意味も生まれないのである。

ことばはいきなり明快にはならない。だからこそ、試行錯誤しながら「暫定的に」用いるのである。繰り返すことによって型が生まれ、その型が概念となって意味を生成する。言語と思考の関係はほとんどこうなっているとぼくは思うのだが、よく考えてから話そうとしたり、考えていることがうまく言えないと悩む人が相変わらず大勢いる。とりあえずよく話そうとするからこそよく考えることができるようになるのだ。むずかしいが、興味の尽きないテーマである。

表記と可読性の関係

何年か前の手書きノートを、脳内攪拌のつもりで時折り読み返す。同じく、一年前か半年前の自分の公開ブログを気まぐれに読む。近過去への郷愁からでもなければ、強度のナルシズムに酔うためでもない。この十年や数年というスパンでとらえてみれば、自分の思考軸の大きな傾きはよくわかっている。しかし、ほんの一年や半年となると、小さくてゆるやかな変化や変形には気づきにくいものだ。こんなとき、書いたものを振り返るのが一番よい気づきになってくれる。

虚々実々的に、何がホンネで何がタテマエかがわからぬまま適当に自分の考えを綴ることはめったにない。ぼくは遊び心で書くことが多いが、それはフィクションという形を取らない。どんな演出を凝らそうと、愚直なまでにホンネを書く。これが一部の読者に毒性の強い印象を与えているのは否めないが、今と過去のある時点との考え方の変化を知るうえで、自分自身で書いたものが恰好の証拠になってくれている。

昨日から遡ること、ちょうど半年前のブログでぼくはパラグラフ感覚と文章スタイルについて書いていた。二十代に刷り込み、強く意識してきた型を今も踏襲していると思っていたが、半年前のその記事を読んで、「いや、現在はここまで頑なではないだろう」と思った。実は、この半年でだいぶ型が崩れてきているのである。正確に言うと、ぼく自身はジャーナリストでもないわけだし、スタイルや表記の統一性に特に神経質になる必要はないと思い直して、型の崩れを気にしなくなったのだ。


かつてぼくは異様なほど表記の統一にこだわった。二冊の拙著でもそうだった。「わかる」と「分かる」の両方を使わないよう「わかる」に統一し、「……に限る」では漢字を使うが「かぎりなく……」はひらがなにするなど、随所で表記に神経を使った。かつては「言葉」と書くことが多かったが、いつ頃からか「ことば」とひらがなで書くことにこだわった。もし読んだ本から文章を引くとき、そこに「分かる」「限りなく」「言葉」と書かれていたら、そのまま正確に引用はするが、引用文を敷衍して自分が書く本文では表記を自分流に戻す。徹底してそうしていた。

ところが、遅ればせながらと言うべきか、最近は変わってきたのだ。気の向くままに――と言うよりも前後の語句との相性に目配りしたりもして――たとえば「いま」と書いたり「今」と書いたりすればいいではないか、などと思うようになった。表記よりも漢字の量や意味の硬軟、つまり可読性を重視すべきだろうと考えるのである。何十行前か何日前か何年前か知らないが、先にこれこれの表記をしたから今回も同じ表記をしなければならないという理由などない。このように、半年間で融通のある表記へと転向したきっかけはよくわからない。読み手への配慮からか、表記統一が面倒になったからか? もしかすると、酷暑のせいかもしれない。

先月末、ヤフーのトップ画面のトピックスに、「樽床議員に2社使いう回献金か」とあった。目は「使いう」という、変な箇所で分節してフリーズした。まさか「回献金」? こんなことばは見たことも聞いたこともない。数秒後には「2社使い、う回」と切って「迂回」が見えたので、意味がわかった。ここは「迂回」が読めなくても「う回」などという交ぜ書きすべきではないだろう。ついでに語順も変えて、「二社使い樽床議員に迂回献金か」とするほうが見やすく読みやすい。その時々の文章の可読性を優先して、表記を考えればいいのである。

記憶の中の魚

魚について語ることなどめったにないが、昨日取り上げたついでに魚にまつわる記憶を少しまさぐってみた。小学生まで遡ったら、魚の記憶が肉の記憶を圧倒していた。記憶領域の狭い肉の大半は鯨肉で、臭みの強かった豚肉がそれに次ぐ。牛肉は「ハレの日」のすき焼きとして登場するくらい。日々の食卓には、脳に良いと言われるDHAを豊富に含んだ、安価な青魚が並んでいた。同じものばかりで飽きるから、どこの家でも調理に工夫を凝らしていた。

肉が魚に追いついたのは肉じゃがやカレーライスをよく食べるようになってからか。やがてトンカツ、少し贅沢になって、ビフカツにビフテキ。もちろん常食からは程遠かったが、肉と魚の記憶がほぼ互角になるのが中学生から高校生にかけての頃だ。やがて一気に肉食時代がやってきた。二十歳になる前に羊肉も食べ始めていた(ラムではなく、くせの強いマトン)。気がつけば肉を好むようになっていた。定食屋のメニューも肉が優位になったのだろう。回転寿司などない頃、二十代にとっては高級化した寿司や刺身に手が届かなくなった。

庶民的な大阪の下町で育った。近所にまだ田んぼがあってザリガニがいた。あまり衛生的ではない川も流れていたが、そこにフナがいた。近所のオヤジがその川の鮒を食べて肺ジストマにかかったという話を聞いた。あの川の生き物を口に入れるのは相当勇気があったか、よほど腹が減っていたかのどちらかだろう。十分加熱しなかったのに違いない。ちなみに、鮒の洗いは今でも鰻屋で出すところがある。食材豊富な現在、わざわざ鮒やコイを食べる人は少なくなった。ぼくは鮒ずしはまったく平気だが、本場近江以外での愛食家をほとんど知らない。


小学生の頃、父のバイクに乗せられて南紀へよく行った。目当てはアジである。バケツ一杯などと粗っぽく勘定するほど、いくらでも小鯵が釣れた。細かくタタキにしたり南蛮漬けにしたりフライにしたり。一週間は鯵づくしになった。

そんなある日、父がスズキを釣って帰ってきた。ぼくにとっては「スズキ」は人名でしかなく、まさか魚にそんな種類があるとは知らなかった。悪戦苦闘しながら父は友人に手伝ってもらって魚拓を取った。なにしろ優に1メートルを超える大物だから墨を塗るのも一苦労だったに違いない。しかし、今にして思えば、鱸というのはだいたいそんな大きさなのである。これは刺身と洗いにして食べた。洗いは新鮮さが勝負なのだが、魚拓に手間取ってからの味はどうだったのか。鮮やかな白身だったのは覚えているが、残念ながら味の記憶はない。鱸はフレンチで食べる機会のほうが多くなった気がする。

その鱸が出世魚だと聞いたのは後年のことである。出世。何と懐かしく響くことばだろう。立身出世にあるように、人は誰でも将来大人になったら出世するものだと思っていた。世間では「早く大きくなって出世して親を楽にしてあげなさい」などと普通に言っていたものだ。だが、これは切ない願いであって、大きくなってもダメな奴はダメということもやがて学ぶ。社会的に高い地位に到ることと成長は違う。実際、ブリがワカシやツバスの出世形であると誰が断言できるだろう。

関西では成長するごとに〈ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ〉と名称が変わる。関東での名変わりはぼくにはあまり馴染みのない、〈ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ〉となる。たしか富山だったろうか、「がんど」と書いてあって、聞けばハマチのことだった。さてさて、鰤は実際に出世しているのだろうか。もちろん鰤には出世の自覚はないだろう。気の毒なことに、鰤がどんな体長であっても出世前でも、人は釣り上げて食ってしまうのだ。

落語や歌舞伎の世界だけでなく、ビジネスの世界でも成長とともに改名してみてはどうか。少なくとも出世した気にはなるかもしれない。ブランドを築いた成功者は改名を好まないだろうが、歴史的には明治の頃までは名前をよく変えたのはご存知の通りだ。幼名が日吉丸で、元服後に藤吉郎という通称まであったのが秀吉だ。苗字のほうはもっと改姓を重ね、木下、羽柴、平、藤原、そして豊臣に到った。今では姓を頻繁に変えてしまうと怪しまれる。