年賀状レビュー〈2023年版〉

新年の年賀状が刷り上がるこの時期、前年暮れに差し出した年賀状をレビューすることにしている。したためた時の思いと今の心境を照らし合わせて自己検証するために。あるいは、手前勝手な心変わりがあったなら自己批判するために。

ここで紹介する2023年版が創業以来35年続けてきた、文字まみれの年賀状スタイルの最後となった。年賀状をやめるか続けるかをしばし思案して、とりあえず来る2024年の新春のお慶びをこれまでと違うスタイルで申し上げることにした。それ以降のことはわからない。


一九八七年十二月一日創業、翌年に年賀状を差し出して以来、本状が数えて35葉目になります。過去の年賀状にしたためたメッセージを元に、その時々の象徴的な思いを綴り直してこれまでの35年を振り返ってみました。

一九八九年  出会いはいつも、偶然と必然を背中合わせにして喜怒哀楽の表情を見せる。ひとたび人と人が出会えば談が弾み、風がそよぎ始め、熱い渦を巻く。談は「言葉の炎」なり。

一九九〇年  知らぬがゆえに新しい発見に恵まれるという逆説。忘れ去ることにも意味がある。忘は「心、亡きがごとし」。手垢のついた知識を捨て、空想の中に心を解き放とう。

一九九一年  自ら動けばエネルギーが沸き起こる。動は「重い力」。変化を生み出す重力を受け止めたい。

一九九二年  先が見えない時代の渦中にあって、何かにつけ「?」の多い年になるらしい。不確実な「?」に好奇心の「?」で勝負を挑んでみよう。

一九九三年  こうと決めた自らの仕事を今一度振り返る。上げ底や見かけの飾りを捨て、「足を地に着ける味」、すなわち「地味」に回帰する。

一九九四年  「企画業、七年目の背伸び」。フィクションとノンフィクションというジレンマを克服するのが企画。

一九九五年  仕事と肩書を無数に組み合わせれば守備範囲はいくらでも広がる。敢えて二、三足の草鞋を履く。

一九九六年  人は人からもっとも多くを学び、人に励まされ、互いに触発し合う。今年、〈談論風発塾〉という人間交流実験に取り掛かる。

一九九七年  一見できそうもないことをやらねばならない時がある。できそうもないことをやり遂げるには身体を張る覚悟をしなければならない。

一九九八年  アイデアが二つ以上あって採択に迷ったら、是非や成否のことを考えずに、愉快なほうを選ぶ。愉快は情熱と継続力の源泉である。

一九九九年  「学力から力学へ」。学校時代の力の尺度は成績に表れる学力。社会に出ると、仕事力が学力よりも優勢になり、力学の勝負になる。

二〇〇〇  睨む、想う、狙う、考える、分ける、組む、離れる、絞る、明かす、書く、叩く、結ぶ……企画は動詞的であり、形容詞的ではない。

二〇〇一年  習慣は第二の天性なり。「アイデアを捻り出すのが癖でして」と言えるようになれば申し分ない。

二〇〇二年  世の中、注文や仕事は「ついで」に発生する。眼鏡のクリーニングのついでに新しい眼鏡を買い、一皿二百円の小鉢の注文ついでに一杯千円の大吟醸を二杯飲む。

二〇〇三年  一枚の紙、鉛筆、車内広告、ぼんやりの時間、雑談、接頭語、手紙、散策、頭など、知的発想作業のための非流行的小道具を見直す。

二〇〇四年  世間は読むほうがいい本を推奨してくれるが、読んではいけない本を教えてくれない。

二〇〇五年  コンセプト訴求失敗の原因は、平凡、焦点ボケ、時代錯誤、専門性、思い入れ、下手のいずれか。

二〇〇六年  アイデア、エスプリ、コンセプト、シナリオ、ダイアローグ、パラダイム、ファンタジーなどは訳さずに、カタカナで使うほうがわかりやすい。

二〇〇七年  独学向きの学問として、愉快学、乱学、不思議学、話題学、問学、隙間学、回遊学を推奨する。

二〇〇八年  時代が「どんだけぇ~」変わっても、流行など「そんなの関係ねぇ」。これからもよき仕事、高い技術を目指して「どげんかせんといかん」。

二〇〇九年  二元的に時代を見る。有無、方円、真偽、需給、上下、内外、清濁、伸縮、縦横というふうに。

二〇一〇年  誰もが「何か変」と感じているが、「変」の一部が自分にも起因していることに気づいていない。

二〇一一年  思惑があると遊びにならない。ふざけるだけの遊びもない。俗世間を気にせず三昧するのが遊び。

二〇一二年  弱い犬はかまびすしく吠えたて、三流芸人は芸を誇張する。

二〇一三年  「次の角を曲がれば、その向こうに新しい景色が見えるはず」という予感と希望を構想と呼ぶ。

二〇一四年  仕事には普段の知の習慣形成が反映される。無為だと奇跡は起こらない。都合のよい魔法もない。

二〇一五年  本の読み方は環境(人・時代・世界)の読み方の縮図である。

二〇一六年  腕を組んで考えても苦悶は増すだけ。素直に紙に書いてみる。これを「苦しい時の紙頼み」という。

二〇一七年  縁と機会に恵まれて今ここに到れたのは感慨深い。他人様に期待され、その期待に応える相応の努力を重ねる日々は濃密である。

二〇一八年  変わらぬテーマは「コンセプトとコミュニケーション」。見えざるものをことばとイメージに変える。

二〇一九年  「一つの正解を探せ」、「あらゆる要素を考えろ」、「ことば遊びをするな」、「深く掘り下げよ」。どれもあまり信用しないほうがいい。

二〇二〇年  「星に手を差し伸べても、一つだって首尾よく手に入れることなどできそうもない。だが、一握りの泥にまみれることもないだろう」。レオ・バーネットの至言に耳を傾けたい。

二〇二一年  旅がままならない今、本と読書との縁を結び直して、希望、快癒、愉快、幸福の修復を祈りたい。

二〇二二年  当たり前の穏やかな日々と小さな幸せを感受できる時間が早く取り戻せますように。

語句の断章(48)「中待合」

なかまちあい・・・・・・に呼ばれて」と音で聞いたら、中町愛さんに呼ばれたと思うか? ぼくは思わないが、思った人がいる。ある日、その人は初めて「中待合なかまちあい」を耳にした。

よく見聞きする待合は「待ち合う」から派生して、誰かと誰かが――または誰かが何かを――待つ場所を意味する。たとえば客が芸者さんを呼んで遊興する場とか。待ち合うという行為よりも待ち合うという場、すなわち駅や病院などの待合室を指すことが多い。

待合も待合室もどんな辞書にも収録されている。ところが、中待合は『新明解国語辞典』にも『広辞苑』にも載っていない。広辞苑をめくった時、「なかまち……」を見つけて、「あ、あるぞ」と早とちりしたが、「なか」ではなく「なが」で、長町裏と長町女腹切だった。いずれも浄瑠璃の話。

ある病院のホームページに中待合の説明を見つけた。「診察を受ける前に、リラックスしてもらうためのスペースであり、診察室の声が待合室に聞こえないための空間」という記述。中待合についてホームページで説明するのは、知らない人が多いからではないか。

定期的に検査してもらっている病院では、採血場に中待合がある。数十人が座れる広い待合室、そこから数メートル向こうに採血カウンターがあり、看護師が常時5人はいる。数メートルの距離の間に6人が座れる中待合がある。待合室では随時23人の番号が表示され、当該番号の人が中待合へ移る。待合と中待合、中待合と採血カウンターの間には仕切りも何もない。注射嫌いの人はリラックスしていないし、看護師の声は待合まで聞こえる。

中待合。実に不思議な場だ。受付を済ませ、指示された番号の診察室前に行くと、そこに中待合がある。名前を呼ばれて診察室に入ると、そこに椅子が何脚かあって、それもまた中待合空間なのである。そう、中待合のための中待合があったりする。

中待合は、待合と診察室をつなぐ緩衝地帯バッファーゾーンのようである。茶室の入口のつくばいに似た、いきなりを嫌う日本独特の小空間なのではないか。

碑の文字を読めたふりして峠道

奈良県生駒市と大阪府東大阪市の境にある暗峠くらがりとうげ。奈良街道まではまだ2キロメートル弱の地点で眼下に広がる大阪市を眺望した。高層ビル群が高密度に聳える様子がよくわかる。その向こうは大阪湾、そして神戸。

元禄七年(1694年)の五月、松尾芭蕉は江戸を立って郷里の伊賀に帰省した。同年の九月、伊賀を出て奈良に入り、暗峠を越えての道すがら一句を残した。これから向かう大阪の街も一望したに違いない。翌十月、芭蕉は花屋仁左衛門の宿の裏座敷で亡くなった。終焉の地は今の御堂筋界隈である。

大阪を見下ろした地点からすぐの所、峠道の脇に碑が建つ。最初の「菊の」と最後の「哉」は読めたが他がわからない。書家だった父は石に刻まれた崩し字をよく判別した。崩し字を自らも筆で書いていたから読めたのだ。書きもせずに読めると思うのは厚かましい。最近は碑のすぐそばに説明板がある。カンニングするから解読力もつかない。

菊のにくらがり登る節句かな

重陽ちょうようの節句、旧暦の99日に詠まれた一句。帰宅してから、明治二十二年(1889年)に俳句結社の有志が再建したものだと知った。野ざらしで約130年も経っていれば、石の碑面が劣化も進み判読しづらいのもやむをえないと自分を慰めた。

およそ100メートルほど下ったところに勧成院かんじょういんという寺がある。ちょっと覗いてみたら、狭い境内の端っこに短冊形状の句碑を見つけた。こっちは劣化がひどくて手も足も出ないが、最初の文字だけ菊と読めた。掃除をしていたボランティアの女性に尋ねたら、一枚の紙を取りに行って手渡してくれた。これも帰宅してから目を通した。

この句碑は、もと峠の街道筋にあったが、いつしか埋没、行方不明になっていたものが大正二年八月の大雨で出現、勧成院の境内に移し建てられた。

この一枚と先の説明板に目を通して碑のエピソードがようやくわかった。行方不明だった碑は寛政十一年(1799年)だから、峠の碑よりもさらに90年古く、傷みも激しい。碑面に彫られた句は峠の句と同じ。ところで、芭蕉は同じ日に別の一句の「菊の香」を詠んでいる。

菊の香や奈良には古き仏達

この句碑には出合わなかったが、出合っていても菊と奈良以外は読み解ける自信はない。

抜き書き録〈2023年12月〉

今月の抜き書き録のテーマは「消える」。馴染んだものが消えそうになるのは耐え忍び難い。時代に合わなくなって使われずに消えるもの、もったいないとまでは言えないが消えると寂しく思うものなど、いろいろある。ものだけでなく、ことばが消えてなくなってもいくばくかの寂寞感を覚える。

📖 『わたしの「もったいない語」辞典』(中央公論新社編)

「もったいない」とは、本来あるべき姿がなくなってしまうことを惜しみ、嘆く気持ちを表した言葉。「今はあまり使われなくなって”もったいない”と思う言葉=もったいない語」(……)

本書の冒頭で上記のように書名の意味を告げ、次いで150人の著名人が一人一つの言葉を惜しんだり偲んだりして一文をしたためている。その中から川本皓嗣こうじ東京大学名誉教授の『黄昏――楽しみたい魅惑の時』を抜き書きする。

ヨーロッパにあって日本にないものの一つに、黄昏たそがれがある。ただし、夕方うす暗くなって、「かれ」(あれは何だろう)といぶかるような時間帯がないわけではない。日本にないのは黄昏を愛し、存分に楽しむという文化であり、これはまことに勿体もったいない。

いや、そんなことはないと異議を唱える向きもあるかもしれないが、ぼくは著者に同意する。フィレンツェやパリで黄昏時にそぞろ歩きして、同じ印象を受けた。

日本には黄昏ということばはある。しかし、人と黄昏の間には距離がありそうだ。「黄昏」という文字と「たそがれ」という発音から詩情を感じているだけで、自らが黄昏に溶け込んで楽しんでいるとは思えない。わが国の黄昏はロマンチストたちの概念の中にとどまっているのではないか。黄昏と言うだけで、黄昏に身を任せないのは「もったいない」。

📖 『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(澤宮優=著/平野恵理子=イラスト)

「消えた」であって、「消えそう」とか「消えつつある」ではない。したがって、本書に収録された仕事のうち、質屋、紙漉き職人、畳屋、駄菓子屋、チンドン屋、靴磨きは今も時々見かけるので消えていない。子どもの頃によく見かけたが、今は絶対に見かけないものの筆頭に「ロバのパン」を指名した。

ロバに荷車を引かせてパンを売る方法は、昭和六年に札幌で(……)石上寿夫が(……)営業したのが始まりだった。たまたま中国から贈られてきたロバをもらった石上は、愛くるしいロバにパンを運ばせると人気が出るのではないかと考え、移動販売を行った。

昭和30年の半ばまでロパのパン屋が大阪の下町の町内にやって来ていた。あの生き物がロパだと見極めたわけではないが、ロバと名乗っているのだからそう思った。しかし、次のくだりを読んであれがはたしてロバだったのか、怪しくなった。

昭和二十八年夏には(……)浜松市、京都市で馬(木曽馬)に荷車を引かせてパンを売るようになった。実際は馬に引かせているが、「ロバのパン」としてイメージされ人気を呼んだ。昭和三十年には『パン売りのロバさん』(後のロバパンの歌)というテーマソングが流れるようになる。

昭和28年や30年ですでにロバではなかったようだ。ぼくが町内に流れてくる歌を耳にして家を飛び出し、物珍しがったのはその数年後であるから、あの生き物はすでにウマだったのである。パンは生き残ったが、ロバは早々に消えた。そして、ロバからバトンを渡されたウマもとうの昔に消えているのである。

他人の口癖を拾って数える

自分の口癖に本人が気づくことはめったにない。口癖は他人の耳に胼胝たこを作る。口癖というものは他人に気づかれ、本人には知らされない。わずか23分の話の間に10回以上「めっちゃ」を繰り返した女性がいたが、高揚した本人はそのことをまったく自覚していない。

語彙不足気味の評論家や講師には口癖の多い人が目立つ。言いよどみかけたら「やはり/やっぱり」を挟む。理由もないのに「だから」を多用して、筋が通っているように見せかける。「要は、要するに、つまり、言い換えれば」と転じたものの結論めいたものはなく、何を言っているのかよくわからない人もいる。

政治や行政の関係者には微妙な違いを「温度差がある」と言い、最優先課題という意味の「1丁目1番地」が気に入っている人が少なくない。また、「~するところでございます」や「~してまいります」という時代がかった常套句もよく耳にする。口癖は形式であって、ほとんど意味を持たない。

一対一の会話の中の口癖は一人で一手に引き受けなくてはならず、リアクションのしかたに困ることがある。大げさに「ウソ!? ホント!?  マジで!?」と合いの手を入れる人。以前、何を言っても、ワンパターンな「でしょ!?」で同意する強者つわものもいた。「はい」や「そうです」と軽やかでいいのに、「左様でございます」と応じた人よ、あなたは武士の末裔か。

どんなことを尋ねても、「全然大丈夫です」という店員もいる。「有料のレジ袋はご入用ですか?」や「○○アプリはお持ちですか?」も耳に付く。どちらも口癖ではなく、教えられたマニュアルトークだ。「バッグ持ってます。ポイントはないです」と機先を制すれば聞かれずに済む。 

1分や2分の短い間に同じことばが繰り返されるから口癖だと認識する。他人の口癖を拾ってしまうのは話の中身が薄く手持ちぶさたになるからだ。退屈な話をする話者のせいで、口癖を数える癖がついてしまった。逆の立場にならぬよう気をつけたい。

言い表せないもどかしさ

思っていること、感じていることをうまく言い表せない。いろいろ言ってみたいことがあるけれどまとまらない。伝えたつもりが伝わっていなかった。ああ、もどかしい。ことばだけの話ではない。もどかしさは人生の常。

人間がいるから人間関係が生まれる。しかし、人間が先で関係が後なのに、人間から人間関係を取り去ると、人間は残らずに、何もかもが消えてしまう。そうか、人間とは人間関係そのものだったのか。道理で人にはもどかしさがつきまとう。

スムーズなことば遣いができず、意思疎通がうまくいかないもどかしさ。考えていることをことばにしようとするからそうなるのか。もしそうなら、悪戦苦闘してもいいから、余計なことを考えずに語ればいいのか。いやいや、ただただことばにしてみることはさらにもどかしい。しかも、空しい。

それでもなお、語りえぬものを懲りずに饒舌に語ることしか、もどかしさから逃れられないような気がする。黙り上手になるくらいなら、話下手でいいのではないか。石のように沈黙して何事かを伝えることなど願っても叶わない。人は石のような沈黙のことばの使い手にはなれないのだ。

数年前の12月間近の午前8時、見慣れない形の雲が流れていた。写真を撮った。この写真一枚でいろいろとイメージが膨らみそうな気がしたので、まだ11月なのに「12月の空」と名付けて保存しておいた。ところが、今に至るまでことばを何一つ紡げていない。

空と雲は変幻自在に図柄を変えて一度きりの題材を提供してくれているのに、そのつどことばで言い表すだけの余裕もなく、しゃれた詩情も湧かずひらめきも浮かばない……

と、ここまで書いたところで、加湿機能付き空気清浄機が、得意の音声合成で一言喋った。

「ヒートランプ、光ってるよ」

それ、何度も聞くけど、何? 購入して3年半経つが、未だに意図がよくわからないことを言う。ちょっと待てよ。意図はわからないが、「光るヒートランプ」はわかる。そうか、こんなふうに軽やかに適当に言えばもどかしさと無縁なのか。

空と雲の写真には実景にない枠があり、それが1:1のサイズで箱に見える。書いてみた。

「冬間近の雲、詰め合わせたよ」

「旧何々」という言い回し

旧は新の対義語で、「新旧しんきゅう」は新しいものと以前の古いものを指す。「旧い」は「ふるい」と読む。同じものであっても、今と昔で呼称が変われば、以前の呼称を「旧何々なになに」という。ちなみに、旧は「舊」に同じである。

(もと)」の姿や形に「す(かえす)」ことを復旧・・という。しかし、無理やり復旧するまでもなく、「旧何々」の多くは何食わぬ顔をして今に残る。たとえば、旧家は、家が消えて後継者がいなくなっても、名前だけは長く使われ続ける。旧華族もしかり。旧暦もしかり。ほとんど常用しないのに、今と昔の季節感を比較するためだけに古い暦が引用される。

上記とは違って、旧約聖書の場合の旧は「以前の」ではなく、「古い」という意味である。旧約聖書とは「い契の書」であり、新約聖書は「しい契の書」である。言うまでもなく、旧約聖書が新約聖書に改まったのではない。


さて、旧何々が使いやすくてわかりやすいせいか、新しい名称があるにもかかわらず、「旧統一教会」や「旧ジャニーズ事務所」などと旧名で言及するケースが目立つ。最近では「旧ツイッター」をよく見聞きする。前の名前も挙げるなら「X(旧ツイッター)」とするのが筋だと思うが、「旧ツイッター」と先に言ってから、ついでに新しい名称のXが付け加えられる印象だ。

マスコミがこの調子で旧名を使い続けると、新しい名称を誰も覚えないから、もしかするとこの先何年も何十年も「旧何々」が一般呼称であり続けるのではないか。旧の後になじみの名称が続くのだから、名称を変更した意味がない。

わが社の社名変更を何度か検討したことがあるが、それまでに培ってきたささやかな知名度のことを考えると決断できなかった。しかし、「旧」が使えるなら改名もまんざらではない。イロハ株式会社がABC株式会社に社名を変えても、ずっと「旧イロハ株式会社(現ABC株式会社)」と名乗り続ければいいのだから。いっそのこと、厚かましく「旧イロハ株式会社」に改名してしまう手もありえる。

原稿の「旧中山道きゅうなかせんどう」を「いち日中にちじゅう山道やまみち」と読み上げたアナウンサーのエピソードはよく知られているが、「旧」は「1日」どころか10年も100年も続く、なだらかな道なのかもしれない。

語句の断章(47)「さわり」

タッチや触れるという意味の「さわり」ではなく、主として物語や楽曲に言及する時の「さわり」について取り上げたい。と言うのも、意味を間違って理解している人が半数を上回ると知ったからだ。

ぼくが見た資料には「誤用」と書いてあったが、さわりということばを使おうとする人はあまり間違わないと思う。自分で使ったことがなく、もっぱら見聞きする側にいて何となくわかったような気になる人が「誤解」しているのではないか。

ずいぶん前の話だが、企業の情報誌に「ほんのさわり」というタイトルの書評コラムがあった。「本の」ではなく「ほんの」と表記したために、「ちょっとした」という意味に取られたようだ。「本のちょっとしたさわり」と読めば、簡単な要約か最初の書き出しのように思うのも無理はない。さわりもちょっと触れるという感じだから、なおさらである。

「さわり」とは出だしやイントロのことではない。物語や楽曲の一番感動的で興味をそそるハイライトのことである。物語なら読ませどころ、楽曲なら聞かせどころ、そして舞台なら見せどころである。曲のサビや物語のクライマックスがさわり。にもかかわらず、「では、ほんの・・・さわりだけ・・少し・・」というような言い方をするから、クライマックスのことだとは思えないのだろう。

さわりは浄瑠璃由来なので、それに類するような朗読、音楽、演劇、講演には使える。1時間のうち半時間がさわりということはおそらくないので、たとえば「通常1時間の講演ですが、今日はさわりだけ10分で」という使い方になる。

さわりを比喩的に使う例はあまり見聞きしたことがない。「本日の晩餐、コース料理のさわりは……」などとは言わない。和食でも洋食でも「さわりの一皿」は主菜に決まっているから、わざわざ比喩として使う出番はほとんどない。

抜き書き録〈2023年11月〉

語感を磨き語彙を増やすという、骨のあるテーマで話をすることになった。音読に適した文章は前々からいろいろと収集している。他に何かないかと本棚をずっと眺めていたら、何度か読んだ一冊に目が止まる。これがいいと即決。『教科書でおぼえた名文』(文春ネスコ編)がそれ。その一冊から抜き書きしてみた。


📖 「よい文章とは」(金田一京助『心の小径』より)

(……)どうしたら、よくわかる文章が書かれるであろうか。
よくわかる文章を書くには、文章だからといって、特別に角ばらず、「話すように」書くことである。

国語の専門家にこう助言されては真向から反論しづらい。しかし、そもそも誰もがきちんと話すことに苦心している。特別に意識せずに毎日話しているが、適当に話しているようなことを書いてわかりやすい文章になっても自慢できるとは思わない。話すように書くのは、書くように話すよりも難しい。

📖 「文章とは何か」(谷崎潤一郎『文章読本』より)

人間が心に思うことを他人に伝え、知らしめるのには、いろいろな方法があります。(……)泣くとか、うなるとか、叫ぶとか、にらむとか、嘆息たんそくするとか、なぐるとか言う手段もありまして、急な、激しい感情をと息に伝えるのには、そう言う原始的な方法の方が適する場合もありますが、しかしやや細かい思想を明瞭めいりょうに伝えようとすれば、言語にる外はありません。

この文章を読んで「ことばじゃない、心なんだ!」と力説した講演者を思い出す。あれから30年かそこら経ったが、未熟なせいか心で伝えるすべを今も知らない。言語によって今もなお下手な鉄砲を打っている、谷崎先生の後押しを味方につけて。

📖 「美を求める心」(小林秀雄『美を求めて』より)

近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものが解るようになるには、どういう勉強をしたらいいか、どういう本を読んだらいいか、という質問が、大変多いのです。(……)
極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。ず、何をいても、見ることです。聞くことです。

コンサートでは聴衆の中から評論する声を聞いたことはないが、美術館では二人連れや三人組が絵の構図や描かれた時代背景などを小声で語り、すでに本で仕入れた知識に基づいてああだこうだと言っているのを耳にする。絵は好きかそうでないか、快いかそうでないかが基本。この絵は難しいなどと評するのは、鑑賞者が小難しく考えるからだ。

📖 「春はあけぼの」(清少納言『枕草子』より)

春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。

万葉集や古今集も「五感」に響く表現の宝庫だが、和歌は意味を汲むのに苦労する。その点、少々語彙が不足していても、古典随筆はある程度意味がわかり、声に出して読むと「語感」の良さが伝わってくる。

📖 「安寿と厨子王」(森鴎外『山椒大夫』より)

水がぬるみ、草がもえるころになった。あすからは外の仕事が始まるという日に、二郎が屋敷を見回るついでに、三の木戸の小屋に来た。

だらだらと書くのを戒め、切れ味よく直截的に表現しようとするなら、森鴎外を手本にするのがいい。無駄な婉曲をせず、動詞がテンポがよく文章をつむぐ。なお、語彙は文章の中で語感の響きをともなって増えていく。単語だけを増やそうとしても意味がないし、だいいち増えない。

消えゆく季節のことば

大阪城南外濠の六番櫓付近

オフィスに近い大阪城と天満橋八軒家浜はちけんやはまには「標本的地点」と呼べそうなスポットが随所にあり、季節の移ろいを感知しやすい。9月下旬から11月上旬に撮った写真を数年前と今年で比較してみると、明らかに今年は秋が遅れている。ここ1ヵ月、夏を引きずったまま季節がほとんど動いていない。

最近とみに季節のメリハリの無さを痛感する。「春夏秋冬」が消滅危惧四字熟語になりかねない。四季でそうなのだから、ましてや繊細なグラデーションの二十四節気の趣がいつ消えてもおかしくない。暦以外でほとんど見聞きすることのない、雨水、清明、小満、芒種、白露、霜降などはとりわけ危うい。

旧暦に倣って暦月れきづきで区切ると、今よりも2ヵ月早く、春が正月~3月、夏が4月~6月、秋が7月~9月、冬が10月~12月になる。一方、二十四節気の節で区切れば、立春~立夏~立秋~立冬……と巡り、春は2月初旬、夏は5月初旬、秋は8月初旬、冬は11月初旬に、それぞれ始まる。


わが国は地域に寒暖差があるから、春だから暖かいとか、11月は紅葉真っ盛りなどと一概に言えない。暦月も節月せつづきも現代人が知覚している春夏秋冬とズレてきている。四季の名と体感を合わせようと思えば、結局は気象学的に区切ることになる。つまり、3月~5月の春、6月~8月の夏、9月~11月の秋、12月~2月の冬。

しかし、今年のような場合、四季に分けることにも一季に3ヵ月を割り振ることにも無理があるような気がする。夏が6月~10月と5ヵ月続き、秋が11月のみという異変ぶり。その11月がほぼ連日の夏日なのだから、このまま冬に突入すれば秋が消滅しかねない。かろうじてスーパーマーケットの食材に季節の味覚を想像しようと努める今日この頃だ。

世界には7,168の言語があり、そのうちの約40パーセントが消滅危惧言語とされている。日本語という同一言語内においても、同じようなことが起こりうる。四季折々の表現を口にしたり書いたりする人が減っていくと、季節のことばが一つずつ日本語から消えていくのである。今年に関して言えば、ファッションは春夏でも秋冬でもなく、「夏秋もの」を先取りするべきだった。