気まぐれ雑記

週に3日も出掛けると、出先でまとまった文章を書けない。文章は書けないが、頭はいくらかでも働いているので、いろいろなことに気づき考えもする。ほとんどはメモするにも値しない、どうでもいいことばかり。それでも長年の習性ゆえ、走り書きをする。そんな気まぐれ雑記が溜まる。吐き出しておかないと、何だか仕事をサボったような気になる。


記憶 自転車を漕いでいる時にあることがひらめいた。ひらめいた瞬間、自画自賛するほどのアイデアだと思った。そこまでの記憶はあるのだが、そのアイデアが何だったのかは思い出せない(自転車を止めてでもメモしておくべきだった)。

季節 風が爽やかな夕方だった。「秋の宵」が頭に浮かび、「風爽やかに」と続けたら句ができそうな気がした。だが、あることに気づいたので断念した。断念して、こう書いた。「秋の宵風爽やかにダブル季語」。秋の宵も爽やかも秋の季語なのである。

駅弁 駅でない所で買ったのに、その弁当を駅弁と呼び、いつまでも駅弁を食べたという事実を引きずっている。

sarasa-dry

速乾 「すぐ乾く超速乾性」というふれこみの水性ボールペンを買った。使わずにしばらく置いていた。先週、たまたまチャンネルを合わせたテレビの番組でこのペンを取り上げていた。速乾性に自信満々である。買っていたペンでペンの名前を書き、指でこすってみた。こんな具合である。そもそも、ほどほどの速乾性があればいいと思うのは縦書きの場合だ。横書きでは書いた文字の上を小指球でこすることはない。

説明 仕事柄何事にも説明を加える癖がある。一種暗黙知化したこの癖ゆえに仕事を委託してもらっている。しかし、この癖は曲者だ。美的感覚を損なうからである。もともと美的感覚には不条理の要素がある。説明は不条理を許さない。ゆえに、過度になると人間も文章も粋でなくなり、つまらなくなる。気をつけたい。

喫茶 カフェよりも長居が似合う喫茶店 /  岡野勝志

割烹 ぐるなびや食べログの上位にランクされ、自らも大々的に宣伝している、自称「隠れ家的割烹」。全然隠れていない。丸見えである。

ノート拾い読み

「モーニング散策」と言ったら、「朝の散歩」と思われた。
「ぼくはあまり朝歩きはしないんですよ」
「じゃあ、モーニング散策って何?」
「自慢するほどのことではないんですがね、『モーニング』の良さそうな喫茶店を探し求めることなんです。歩くのは二の次」


若い頃からかなりの時間を割いていろんな表現を覚えてきた。覚えたものを使いこなすにはさらに時間がかかる。ことばには熟成が欠かせない。それに、使ってやろうと思っても使えるものでもない。場違いな使い方は無様である。

「多々益々弁ず」という成句を使う絶好のタイミングがあった。しかし、「話すこと言うべきことがどんどん増える」という意味に取られた。「弁」という字から連想するのか、弁術や弁論のことだと思われる。この表現、言や話のことではなく、「事」である。仕事や家事が多くなればなるほど巧みに処理する様子を表わしている。

せっせと身に付けてきた表現群の半分も通用しない時代になっているのかもしれない。


ノートのおよそ四分の一は読書の際に書き写した「引用文」である。引用文には出典を記す。しかし、たまに忘れてしまって、後で厄介なことになる。突き止められないのである。

「ヴィトゲンシュタインは理性的な判断は行動になって現れると考えた。そして説明というものは、記述で終わる必要があると。そうでないと終わりというものがないからだ。(……)」

一年半前のノートだが、最近読み返して下線部がえらく気に入ってしまった。前後を再読してみたいと思うものの、出典がわからない。ここ一年半以内に読んだ本を本棚から探し当てるのは難しい。しかし、おもしろいもので、微かに残っている記憶の糸を手繰っていき、ついにニコラス・ファーン著『考える道具』を突き止めた。デジタル万能に見える時代だが、手書きノートや本などのアナログも侮れない。記憶はバックグラウンドで働いているから、脳内検索を諦めてはいけない。


大海原

他方、きちんと出典を書いている文章もある。そこには後日再読して気づきを書き加えていることが多い。引用文は考えるきっかけになってくれる。

(……)「太平洋」は江戸時代まで我が国では何と呼ばれていたのだろうか。
じつは、「伊豆沖」「江戸沖」「宮城沖」などそれぞれの地域の「沖」という名前で呼ばれていたのである。
(山口謡司『日本語通』)

大西洋は「大」なのに、太平洋は「太」。もちろん「太い」という意味ではない。パシフィックオーシャンをほぼ直訳した「太平の海」のことである。それにしても、太平洋などという概念があったわけではない。村人にとっては村という「クニ」がまずあって、その後に大きな概念である国家という「クニ」が生まれた。海際に住む人々も同じだった。目の前の海を太平洋などとは呼んでいなかった。地元にとっては沖であり、そこに地名を冠して親しんだのだった。山も川も里も田もみんなそうだったに違いない。


ロシアの最東端に位置する山脈がある。チュコート山脈がそれ。日本列島から右上に目線を延ばすとカムチャッカ半島があり、その先に山脈の名が書かれている。そして、何度見ても、いつも「チョコレート山脈」と読んでしまう。


書きっぱなしで読み返さないノートほど無駄なものはない。書くことに意味があるのではなく、書いてからが勝負なのである。だから、ノート習慣を続ける人は時折り在庫管理をして更新する必要がある。それが脳内検索力と相互参照力を高めてくれる。要するに、自分で書いたノートを愛読書にしてしまえばいいのである。

バカバカしいけど書いてみた

不思議なもので、好奇心のおもむくまま気に入りそうなものを追いかけていると、モノであれ情報であれ光景であれ、自分の圏内にすっと入って来る。まるで砂鉄が磁石に引き寄せられるように。心身の調子がよい時に散歩すると「氣」が漲ってきて、意識を強くするまでもなく、波長の合うものがどんどん視界に飛び込んでくる。

ところが、いったん波長が狂い始めると、とんでもないものばかりが見えたり聞こえたりしてくる。「バカバカしい」と内心つぶやくものの、目に焼き付き耳にこびりつき、気がつけば、見過ごせない、聞き流せない状況に陥っている。そんなこんなをバカらしいけど書いてみる。


青汁になんと乳酸菌が100億個!!
くだらない情報である。なにしろ100億個なのだ。「えっ、90億個じゃなくて、100億個!?」 まさか、そんなふうに驚くはずもない。そもそも、想像の域を超える数字に「すごい!!」などと言ってはいけないのである。「ふ~ん、だから?」というのが正しい。次に、「従来品は100億個でしたが、新商品にはなんと108億個の乳酸菌が入りました」と聞かされても、知らん顔しておけばいい。

ビジネス脱毛――昨日よりイケてるビジネスマンに
自宅のポストに入っていたチラシの見出しである。毛深い男が小ぎれいに変身して仕事ができる男というイメージを醸し出す(つもり)。それを「ビジネス脱毛」と呼ぶことにした。何という表現だ。ビジネス脱毛がありなら、プライベート脱毛、パーティー脱毛、合コン脱毛……何だっていい。ついでに、円形脱毛やミステリーサークル脱毛もメニューに加えてみればいい。まじめなつもりのコンセプトなのだろうが、結果はギャグを演出することとなった。

新聞の見出し「パナ子会社社員を逮捕……」
パナが「パナソニック」であると認知する前に、不覚にも「パナ子」と読んでしまったではないか。えっ、パナ子が会社社員を逮捕!?  パナ子は婦人警官か。

ボクシングダブルタイトルマッチの新聞記事

これも新聞記事。見出しに「ほぼ互角」とあり、「そうなんだ」と思ったのも束の間、見出しの後半には「井岡優位」と書いてある。互角なのか優位なのか決められない、優柔不断な記者。ところが、右端の縦書きを読めば「あすダブル世界戦」とあり、本文に目を通せば、何のことはない、「ほぼ互角 激戦必至」は一試合目の予想、「速さと技 井岡優位」が二試合目の予想だった。そんな勝手な「スラッシュ」の使い方はルール違反。文章だけでなく、文字の配置にもロジックというものがあるのだ。

1点リードされていますが、焦ることは――あと45分ありますから――ないですね」
NHKアナウンサーの気まぐれ挿入句。文字を読めばわかるかもしれないが、テレビの音声なのだ。「あと45分ありますから、ないですね」と聞いたのである。あるのかないのか、ありそうでないのか、なさそうであるのか。「焦ることはないですね、あと45分ありますから」と言えばいいものを。なでしこジャパンが豪州に負ける予感がした。予感通りの結果。

保育園落ちた 日本死ね!
黙殺されるだろうと思いきや、想像以上の注目を集めている。正直、驚いている。いかに正論であろうと、暴言的表現に包まれたメッセージは訴求力を失うものだ。匿名で声を荒げる証言はエビデンスにはなりえない。コワモテの萬田銀次郎が、たとえまっとうな話をしても、品性や知性を欠いて怒鳴れば、世論が共感するはずもないのである。

壊れた公衆電話

堂島で見かけた公衆電話の貼り紙
雨風にさらされた痕跡がありありの薄汚い公衆電話。受話器を触るのに少々勇気がいる。貼り紙にはこう書かれている。

大変、ご迷惑をお掛けしております。只今、この電話は調整中です。お手数ですが、他の電話をご利用下さい。 

調整中って何だろう。「故障」を体裁よく言い換えているのか。NTT西日本では「故障」は禁止用語なのかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいい。「大変、ご迷惑……」とはなんと大仰な! 携帯・スマホの時代、公衆電話が一台故障して迷惑をこうむる者はいない。仮にこの電話が気に入っている常連さんがいるとしても、全然大変であるはずがない。実にバカバカしい。バカバカしいけど書いてしまった。

続々・大笑いするほどではないけれど……

シリーズ化するつもりはないが、『大笑いするほどではないけれど……』と題して書き、その後に『続・大笑いするほどではないけれど……』を書いた。タイトル通りのよもやま話やエピソードである。長文を紡ぐほどではない小さな話をいくつかまとめて書くという、ただそれだけのことであって、大それた意図があるわけではない。前回が「続」だったので、今回は「続々」である。気まぐれなので番号を付ける気はない。ふと、作曲家でエッセイストの團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズの題名について、以前このブログでも書いたことを思い出す。まずはその話から。

パイプのけむり  読んだ人よりも読んでいない人のほうが多いに決まっている。ぼくの周囲では、團伊玖磨のことも『パイプのけむり』と名付けられたエッセイのことも知らない人ばかりである。このエッセイは『パイプのけむり』に始まって、その後26冊も続いた。

続パイプのけむり、続々パイプのけむり、又パイプのけむり、又々パイプのけむり、まだパイプのけむり、まだまだパイプのけむり、も一つパイプのけむり、なおパイプのけむり、なおなおパイプのけむり、重ねてパイプのけむり、重ね重ねパイプのけむり、なおかつパイプのけむり、またしてもパイプのけむり、さてパイプのけむり、さてさてパイプのけむり、ひねもすパイプのけむり、よもすがらパイプのけむり、明けてもパイプのけむり、暮れてもパイプのけむり、晴れてもパイプのけむり、降ってもパイプのけむり、さわやかパイプのけむり、じわじわパイプのけむり、どっこいパイプのけむり、しっとりパイプのけむり、さよならパイプのけむり。

最後の『さよならパイプのけむり』の翌年だったか、團は亡くなった。そして、パイプのけむりは消えた。

倍率  この一週間でぼくがひときわ愉快がったのが職員募集に対して応募者が殺到したインドの話。ウッタルプラデシュ州が雑用担当の職員を368人募集したところ、なんと230万人(!!)が応募してきたのである。この数字は州人口の1パーセントに相当する。倍率は6,250倍。ぼくが志望した大学の倍率は36倍で、受験前から絶望的であったが、そんな比ではない。書類選考ではなく、面接をするとなれば4年かかるそうである。雇用戦線はいずれの国も厳しいが、もはや「厳しい」などという表現では間に合わない。

アイスコーヒー

アイスコーヒーの注文  ホットコーヒーを飲もうと思ってカフェに入ったものの、注文したのはアイスコーヒーだったという経験は誰にあるだろう。その日のぼくもカウンターで予定変更した。一人だったので「アイスコーヒー」とだけ言った。そう言ってから、サイズが「ショート、レギュラー、ラージ」と3種類あるのに気づいたので一言添えようとした瞬間、店員が先に「アイスコーヒーのほう、ショートで大丈夫ですか?」と聞いてきた。「大丈夫」と来たか……。何が大丈夫なのか知らないが、困ることもなさそうなので、反射的に「はい、大丈夫です」と答えた。

縁起のいい姓  五年前のノートを繰っていたら、宝くじツアーの話を見つけた。宝くじを買う前にバスで吉兆名所を巡るという企画だったような気がするが、確かではない。このバスツアーの運転手の姓が見事で、金持かねじさん、三宝さんぽうさん、御幸ごこうさんだった。「縁起がいいかもしれないけれど、みんなバスの運転手をしているじゃないか」と誰かが皮肉ったが、それを言ってはいけない。宝くじバスツアーの運転手になれる可能性の高い名前であると言うべきだろう。

風と凪  「ぬ」と「め」が似ていて、「ね」と「れ」と「わ」が似ているなどと思った幼い頃。あの時の感覚がよみがえることがある。なぜ「ぬ」をnuと発音し、「め」をmeと発音するのかと詮無きことを考えたりもする。

強い風が吹いた先日、「風」という漢字に不思議が沸々と湧いた。風が止むと「なぎ」になる……風の中には「虫」がいる……虫は鳴く……鳴かない虫は「さなぎ」……さなぎの中に「なぎ」がある……。こんなことを連想してどうなるわけでもないが、どこかで愉快がっている自分がいる。

続・大笑いするほどではないけれど……

“It”の話  今年のゴールデンウィーク、キャサリン妃に女の子が生まれた。あの「街の告げ人」であるおじいさんは“It’s a girl!”と言った。赤ん坊と言えども人間だ、なのに“it”(それ)とは失礼な、とネイティブでない人たちは思ったらしい。女の子だから“She’s a girl.”ではないのかと。いやいや、赤ん坊は“it”でいいのである。この主語に特に意味はない。“It rains.”(雨が降る)の“it”みたいなもので、「それ」と言っているわけではない。だいいち「それは女の子!」だと言うはずもないだろう。「彼女は」とか「彼は」と言えば、もう性別は明らかになってしまう。“He’s a boy!”などは「一見、女の子に見えるけど、実は男の子なんだ!」というニュアンスになる。あのおじいさんは「赤ん坊は女の子!」と告げたのである。

ミニホットうどん (2)

定食屋の話  仕事柄いつどこにいても文字や表現を真剣に見る。看板も店員の名札もメニューも。注文の品が出てくるまでは壁に貼ってあるポスター類に目を配る。ある定食屋で壁に掲げたお品書きに気づいた。コロッケセット、いいだろう。ミニ冷しうどん、いいだろう。では、その下のミニホットうどんって何なのだ!? ふつう「うどん〈温・冷〉」と表記するが、「ミニホットうどん」なのである。「温」ではなく「ほっと」でもなく、カタカナで「ホット」なのである。これはおそらく日本初のアヴァンギャルドではないか。

傾聴力の話  傾聴力の話をしていたのに、誰かが「盗聴力」と言い間違えた。最初明らかに言い間違いだと思ったが、彼は傾聴と盗聴が同じだと思っていたかもしれない。両者には一所懸命に聴くという共通の意味がある。

ディベート活動をしていた頃、ホテルの会場を予約してくれた女性は電話口で「関西ディベート交流協会」と言った。「念のためにファックスしたほうがいいよ」と助言したが、彼女はそうしなかった。開催当日、会場前には「関西リベート協会」という貼り紙があった。以前、薬局で「眼精疲労」と言ったら、「男性疲労?」と聞き返された。欲しいのは目薬、精力剤ではない。言い間違いに聞き間違い、結構ある。

まさかと思うだろうが、従弟いとこ徒弟とてい紅葉もみじ紅茶こうちゃ落葉おちば落第らくだいなどの読み間違いも少なからずあるらしい。ワープロ全盛の今、手書きの書き間違いは枚挙にいとまがない。

鮨屋の話  今日ランチタイムのピークを過ぎた鮨屋に入った。店内25席だが、誰もいない。あいにくお目当ての海鮮丼は売り切れ。十貫の並にぎりを注文してしばし待つ。耳に入ってくるのは鮨屋らしくないBGM。曲が変わり、次はトワ・エ・モワ。♪ 今はもう秋 誰もいない海 ……。タイミングが良すぎる。「今はもう昼過ぎ、誰もいない店」と即興替え歌の一丁上がり。ちなみに、この曲を引き継いだのは加山雄三。茶化すネタはなかった。

翻訳の話  英仏伊の文章を読む時には面倒でも辞書を引くようにしている。自動翻訳システムが文法に弱いことを知っているので、決して頼ることはない。しかし、馬鹿げた日本文に苦笑することになるのだが、たまに腕前を見てやろうと思うことがある。先日、m(_ _)m という顔文字の下に「翻訳を見る」という表示があったので、クリックしてみた。初めて自動翻訳の完璧な訳にお目にかかった。訳された結果は m(_ _)m だった。

大笑いするほどではないけれど……

発想のヒントになるエピソードはどこにでも転がっている。エピソードのほとんどはことばを介してやって来る。だから、ことばへの好奇心のアンテナを折り畳みさえしなければ、意識のほうが勝手に拾ってくれるものだ。別の見方をすれば、愛用のノートに採集したエピソードの数がその時々の意識の強弱に正比例する。この一か月、線の加工を施さねばならない硬派なテーマ――たとえばギリシアや国立競技場など――には何度か立ち止まったが、点のまま書き出せるようなレアな小ネタとの縁は希薄だった。それでも、そのいくつかを書き出してみることにする。


魚の話  テレビの番組でハマフエフキという魚が紹介された。こいつが何目の何科かを調べようと思って魚の分類表をネットで調べようとした。「ハマフエフキ」でよかったのに、どういうわけか、「サカナ」と入力して検索ボタンをクリックした。おびただしい魚介類を尻目に、あの「サカナくん」が一番最初に出てきた。もうハマフエフキのことなどどうでもよくなるほど驚いた。

けれども、めげずにハマフエフキを調べた。鯛の種で、鯛はスズキ目。ついでに、イワシはニシン。マグロはスズキ目のサバ科……。目、科、属などのレベルで、これとあれが仲間だと初めて知る。魚だけに「目から鱗」が落ちる。

回文の話  〈知遊亭〉というオンラインの大喜利のイベントで「回文づくり」を出題した。回文とは上下同読のことば遊び。「たけやぶやけた竹藪焼けた」の類い。出題者のぼくもエキシビションとして長文の作品を投稿した。回文づくりにいそしむと、数日間は尾を引く。後日、「ちじのじち知事の自治」や「さんかんびはびんかんさ参観日は敏感さ」などが勝手に浮かんできた。高じてしまうと知恵熱が出たりする。

エッフェル塔

エッフェル塔の話  今では間違いなくパリ観光の集客の目玉であるエッフェル塔だが、建設当時は賛否両論で火花が散った。モーパッサン(1850-1893)は嫌悪していた。それでもパリで生活するかぎり、嫌でも巨大な塔は目に入ってくる。モーパッサンは考えた挙句、ついに塔を見なくてもいい場所を見つけた。「エッフェル塔のレストランで食事をしていれば醜い鉄塔を見なくてすむ」。こう言って、毎日エッフェル塔で食事をしたという。

ニュースの話  ほとんど毎日のように聞くNHK7時のニュース。「7時になりました」という言い方を奇妙に感じた83日(別にその日に意味はない)。どういう経緯で7時になったのか。勝手になったのか。いやいや、人間が便宜上7時にしているだけだ。しかし、ニュース番組のイントロは「7時です」ではなく「7時になりました」で始まる。英語では”It’s seven o’clock.“と言い、形式主語の”it“で暗に時刻を示す。つまり、「時刻は7時です」と言っている。それでいいはずなのに、「7時になりました」なのである。

わが国では(そして、たぶん日本語の特質でもあるのだろうが)、「何々はこれこれである」のように言うよりも「何々はこれこれになった」のほうが共感性が高い。学会でも「こういう結論を導きました」よりも「こういう結論になりました」と言うほうが収まりがいいと言われる。居酒屋の「こちら、焼酎のお湯割りになります」というのもこの亜流だろうか。

インド人の話  同じマンションの5階にインド人が住んでいる。一昨日の朝、エレベーターに彼が乗ってきた。「おはようございます」と挨拶を交わした後、彼のほうからぼくに声を掛けてきた。長年日本に住んでいるから流暢な日本語で「今日も暑くなりそうですなあ」と言う。「この時期の日本はインドより暑いんじゃないですか?」とぼく。「そうそう! インドはこの暑さの七、八分どまりですわ」と彼。「七、八分どまり」という達者な表現に感心した。なお、彼は大阪弁も堪能である。「今日はえらい暑うおまんなあ」とひねることもある。

バッハから……ブッダまで

今日のことば、あれこれ。ただ書くがまま思うがままである。他意はない。

バッハのすべて編集

『バッハのすべて』を読む。もちろん、この一冊でバッハのすべてがわかるはずもないし、わかってやるぞと思うわけではない。バッハは作曲家であり演奏家であり教育者であった。すべてに超のつく「めい」がつく。加えて、楽器、とりわけオルガンの名鑑定家としても知られていた。18世紀当時、オルガンと言えば教会。響きには北ドイツ系、オランダ系、フランス系などがあったという。オルガンは製作されるものではなく、「建造」されるものであった。そんなプロジェクトにバッハは関わってもいたのである。

「音楽は精神の中から、日常の生活の塵埃じんあいを除去する。 」
ヨハン・セバスチャン・バッハ)

三年前の今頃、パリはサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。そこで最古のパイプオルガンの響きを体感した時、音楽の奇跡的な浄化作用を確信した。塵埃が積もり過ぎてしまう前に、精神、つまりは脳の自浄作用が働くように音楽サプリを摂取しておくのがよい。


柿が好きだ。昨夜も京都でほどよく熟した柿のデザートを堪能した。今夜も食後に柿を食した。酸味のある果物が苦手と思われているのだが、そんなことはない。ただ、口あたりのよいほどよく甘い果物のほうが好きだというだけのことである。それにしても、果物はえらいと思う。八木重吉にこんな短詩がある。

 果物

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまつて
うつとりと実のつてゆくらしい


昨日花園大学に行った際に『ブッダのおしえ  「お経」のことば』という小冊子が廊下のテーブルの上に置いてあった。「自由にお持ち帰りください」とは書いていなかったが、持って帰っていけないわけがない。と言うわけで、今手元にある。

八正道はっしょうどうの話が書いてある。煩悩の根本を滅ぼして執着しゅうじゃくを離れれば苦しみがなくなる……そのために修めるべき八つの正しい道がある。

正見  (正しい見方)
正思惟    (正しい考え方)
正語        (正しいことば)
正業        (正しいおこない)
正命        (正しい生活)
正精進    (正しい努力)
正念        (正しい思い)
正定        (正しい心の統一)

実は、数年前からぼくの企画の演習の中にも取り入れている。上記の八正道を紹介した後に「八正道を九正道にしたい。あと一つ何を付け加えるか?」という演習。やさしそうだが、すでに存在している八正道との折り合いもあるから、やや骨が折れる。正食、正縁、正聴などが加わってもよさそうだ。正笑や正遊も候補に挙がるかもしれない。

日曜日のオムニバス

いつもテーマを意識して文章を書く。キーボードを叩き始めた今、特に明快なテーマはない。テーマはないが、動機はある。動機がなければ誰も文章など綴ろうとは思わない。ふと、先週の日曜日を振り返ってみることにした。そして、タイトルの欄に「オムニバス」と書き込んだ。

オムニバスと言えば『昨日・今日・明日』である。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの伊仏合作映画。初めてオムニバスということばを知った。「乗り合い馬車」という意味。転じて、いろんな断片話を組み合わせて一本にする物語の手法として使われるようになった。そうそう、そんな形式で今書こうとしている。余談になるが、この二人の名優の『ひまわり』はやっぱりいい映画だったと思う。

ムクドリたちの朝

その日曜日の朝はムクドリに始まった。ムクドリの一般的な生態などよく知らない。ぼくの知るムクドリ――つまり近場に棲息するムクドリ――は、いつも縄張り争いをしていて気性が激しい。ビルの空気孔を奪い合う。あなの数は限られているからそうなるのだ。向こう側のビルからぼくのマンションを見たら、同じような争奪合戦が見えるのかもしれない。

モール内の書店をぶらついた。数社の図書目録をピックアップする。当然無料。めったに行かない棚の前を通りかかる。目に飛び込んできたのが『太宰は女である』という書名。手に取らずに内心つぶやく、「その通りだ」。十代・二十代で近代・現代文学全集に収められていた小説はほとんど読んだ。だから『斜陽』や『人間失格』など太宰治の作品も読んでいる。女性に熱心な読者が多いのもわからないでもない。ぼくは無駄な時間を潰したと思っている。「太宰は女だったのか……そうかもしれない」と繰り返す。

「ビストロソウル」という、コンセプトのよくわからない韓国居酒屋がある。ドアに手書きポスターが貼ってあり、「キムチ、お持ち帰りできま~す!!」と書かれている。「できま~す」というゆる~い表現にダブル感嘆符(別名「二つ雨だれ」)がミスマッチなのである。店に入ったことはないが、ハートマークでよいのではないか。

彼は理性があるのに理性を発揮できないで苦しんでいる。彼は常識と良識の違いを知らない。常識というのは世間一般に属するものである。世間だから、納得するしないにかかわらず、気にしなければならない。良識とは人としての理性に基づくものである。常識に迎合するのではなく、己の理性と良識に自信を持てばいいのだ……こんなメールを送った。

二十代の終わりに一年間無職だった。その頃に書いた短編小説がどっさりと出てきた。数編読んでみたが、まあ普通の文才と言わざるをえない。大半が未完である。根気がなかった。

古いノートのノスタルジー

1977年+1983年ノート セピア.jpgぼくがオフィスで使っているデスクは、かなり幅広の両袖机。左右の袖にそれぞれ三段の引き出しがある。数カ月前から右袖上段の引き出しの鍵穴が具合悪く、鍵を回して開け閉めするのに力をかけねばならなくなった。そして、ついに抜き差しもままならない状態に到った。左袖の鍵と錠はスムーズに開け閉めできるので、右袖に入れていた重要な書類や内容物を左袖の引き出しに移すことにした。

予期した通り、片付けや整理につきもののノスタルジーが襲ってきた。古い手紙や写真、メモの類をかなり大雑把に放り込んでいて、右から左へ、左から右へとモノを移し替えるたびに、見たり読んだりして懐かしんでしまうのだ。そして、紛失したはずの1977年~1983年頃(26歳~32歳)のノートを何冊か発見するに及んで片付けが長引いてしまった。突然過去がよみがえるというのも困ったものである。

学校教育に表向きは順応したものの、小生意気なアンチテーゼに縛られていたせいか、ほとんどノートをとらなかった。大学に入ってディベートに出合い、相手が高速でまくしたてる論点のことごとくを記憶することなど到底無理なので、記録することを余儀なくされた。そして、これが習慣形成されてきて次第に自分が考えていることや思いつくことをメモするようになった。十九歳の頃のことである。その頃から書き綴った大学ノートが数冊残っていて、小難しいことを肩肘張った文体で綴ったエッセイや、今読み返すと気恥ずかしくなるような短編小説や詩を書きなぐっている。


1977年のノートには二十代の残りをいかに知的鍛錬するかという構想図とコンテンツが記してあった。大きなテーマとして、(1) コミュニケーション、(2) 要素化と概念化、(3) 雑学とユーモア、(4) 観察・発想、(5) 評論・批評の五つを挙げている。これらを自分のヒューマンスキルとして鍛えていこうという決意の表明だ。遠い昔とはいえ、自分で書いたのだからまったく覚えがないわけではない。そして、今もほとんど同じテーマを追っている自分の粘り強さを自賛すると同時に、もしかするとあまり成長していないのではないかと半分落胆もする。当時は確率や統計、それにシステムやメソッドに強い関心があったが、今ではさっぱり魅かれない。違いはそれくらいかもしれない。

稚拙ながらも、実にいろんなことを考えて綴っている。根拠のない自論を展開するばかりで、ほとんどエビデンスが見当たらない。ずいぶん本を読んでいた時代と重なるのだが、抜き書きには熱心ではなかったようだ。ところが、1980年代に入ると、エビデンス量が増えてくる。雑誌や書物からそっくりそのまま抜き書きしているページが長々と続く。明らかにノートの方法が変わっているのだが、どんな心境の変化があったのかまで辿ることはできない。

海外雑誌の要約的翻訳もかなりある。たとえば、1983117日のNewsweekの「初歩的ミスを冒すプログラマー」という記事がその一つ。

「コンピュータの専門家が陥る落とし穴を露呈したのが、『アルファベット入門』プログラム。最初に出てくるスクリーンメッセージは『こんにちは。きみの名前をタイプしてください』というもの」。
アルファベットを綴ってからアルファベットを習い始めるという本末取り違えのナンセンスだが、この種のネタは今もお気に入りのツボである。
以上、たわいもない過去ノートを懐かしんで綴った小文である。ただ、点メモの断片をページを繰って一冊分読んでみると、そこに過去から今につながる関心や考え方の線が見えてくる。ノスタルジーだけに留まらない、固有の小さな遺産になっているような気がする。現在を見るだけでは得られないインスピレーションも少なからず湧いた。ノート、侮るべからず、である。

断片メモの拾い読み

okano note web.jpgのサムネール画像愛読書は何か、どのジャンルの本をよく読むのかと若い人たちに訊かれることがある。意地悪する気はないが、「ない!」と即答する。「ない!」と答えた上で、「本ではないけれども、ノートならよく読む」と付け加える。きょとんとした顔に向かって「ぼく自身のノート。それが愛読帳」と追い打ちをかけると、たいていきょとん顔が怪訝な顔に変化する。

自分で書き綴ったノートを自分で読むのはナルシズムだろうか。無論ノーである。そこには自己耽溺する余裕などは微塵もなく、それどころか、眉間にしわ寄せるほど必死な作業なのである。過去の自分と今の自分が対峙する真剣勝負だ。何を大げさなと思われるかもしれないが、他人が書いた文章を読む気楽さに比べると重苦しく、かつ気恥ずかしいものである。
記憶力には自信があるほうだが、記憶を確かにする前に記録がある。ノートは脳の出張所みたいなものだから、そこに記録してページを繰って掻き混ぜてやると、こなれてきて相互参照がうまくいくようになる。これは加齢に伴う脳の劣化という、自然の摂理にあらがう有力な対処法だと思う。一つの話題やテーマについて少なくとも400字ほど書くようにしている。これを「線のメモ」と呼んでおく。

同時に、二、三行の断片メモを巻末にあれこれと書いていて、時々拾い読みしてヒントを探す。こちらは「点のメモ」である。線のメモには主題らしきものがあって筋も通っている。しかし、いざという時にはなかなか想起できない。メモを書く時点で思考の輪郭や表現の工夫には役立っているものの、即座に役立つ類のものではない。これに対して、点のメモは見出しプラスアルファ程度で、大したコンテンツがあるわけではない。けれども、これがインデックス効果を発揮してくれる。思い浮かべやすいのは、数語や一行の文章のほうなのだ。
ふと目にし耳にしたことをメモする。思いついたことをメモする。ジョークなどの創作ネタもある。たとえばこんな調子である。
 
・ メロディは思い浮かばないが題名を知っていれば曲を検索できる。メロディを口ずさめても題名を知らなければ検索はできない。
・ 「今度いっぺん飲みに行きましょう。近いうちに電話します」と言ったくせに電話をしてくる人間は十人に一人もいない。
・ 週末だけ農業に従事する女性を「農L(ノーエル)」と呼ぶらしい。
・ 友達が増えると顧客が減る。
・ ブランドとは余計なことを言ったり示したりしなくてもいい「力」である。
・ 牛肉ステーキに見立てた豆腐ステーキを食べることを「ベジタリアンのやせ我慢」と言う。
BS放送でトナカイ料理が紹介されていた。レシピが尋常ではないほど詳しかった。トナカイの肉はどこで買えるのだろうか。
AKB48AKO47(赤穂四十七義士)のパロディだという説がある。
外部情報とぼくの脳と手による合作だから、ページを隔てて点のメモと線のメモはどこかでつながっている。ノートを書き、それを読む。それは面倒で決して楽ではないが、こうしているかぎり、知は一敗地にまみれるようには劣化しないはずである。