ナヴォナ広場のランチ

フィレンツェで肉やハム、ナポリでピザ、ボローニャでボロネーゼのパスタに味をしめてしまうと、ローマでの食事は見劣りする。ローマには延べ十数日滞在してあちこちの食事処にも足を運んでいるが、記憶に残るのは一品か二品。「これ!」というのがない。

ローマを最後に訪れてから6年と少し経った。トレビの泉にコインを投げ入れなかったので、再訪の機会はないかもしれない。帰国してから「カーチョ・エ・ペペ」を知った。イタリア各地にある料理だが、本家はローマ。ペコリーノ・ロマーノというローマ特産の高級チーズと黒胡椒だけを使ったパスタである。知ってほどなく、いいペコリーノが手に入ったので自分で作ってみた。なかなかの味である。自作でこれなら、本場ではさぞかしうまいに違いない。この料理を売りにする、観光客で賑わう店もあると聞く。

観光客で賑わう店を敬遠してきた。入りにくさはあるものの、地元の人たちがこよなく愛する店を探したり人づてに聞いたりして食べ歩きするほうがいい。安いハウスワインを注文して、メニューを見て悩むのも楽しみの一つである。

☆     ☆     ☆

とは言うものの、観光メッカの地で食事しないで帰ってくると、旅行してきた気分にならない。だから、数日間の滞在中に、値段が少々張るのを知りながら、敢えて一度はおのぼりさんになってみるのである。ローマではおのぼりさんを演じる場にナヴォナ広場を指名した。ここには、三つの有名な噴水彫刻がある。四大河の噴水、ムーア人の噴水、ネプチューンの噴水である。昼間からワインを飲み、だらだらと長い時間をかけて食事をする。給仕を担当する男性とも会話を交わす。その日はちょっとした市が立っていたので、スケッチしてみた。帰国後に色を付けたのがこの一枚。

IMG_5765Katsushi Okano
Trattoria alla Piazza Navona
2004
Pigment liner, felt pen

街と建築様式

知らないことだらけである。知らないことを知らねばならないと焦った時期もあるが、この歳になってさすがにもう焦らない。気が向けば知ろうとすればいい。旺盛な好奇心は若い世代に譲るとし、学ぶのが面倒そうなことは彼らに教えてもらおう。

ヨーロッパに出掛けるようになって、もっと勉強しておけばよかったと思うことがいろいろある。とりわけ、キリスト教と建築についてそう痛感する。まだ勉強できる可能性があるから諦めてはいないが、もうちょっと精通していれば感じるものもだいぶ違っていたはずである。知識を仕入れる手立てはあった。分厚いガイドブックを持参したり現地でも図録を買ったりしたのだから、特に建築についてはそのつどマメに目を通しておけばよかった。百聞は一見にしかず、現場で実物を見るのは希少な体験である。しかし、一見だけで事足りることはない。百聞が下地になるからこそ、一見の価値も倍加するというものだ。

☆     ☆     ☆

ヨーロッパで古い街が目白押しなのは、やっぱりイタリアだろう。そして、ローマ、ヴェネツィア、ピサ、ミラノ、フィレンツェの五都市を訪れると、古代ローマから17世紀までの6つの建築様式の歴史を辿ることができる。生きた建築ギャラリーそのものである。

ローマには万神を祀るパンテオンがある。世界最古のコンクリート造りの建造物だ。この構造はローマ様式と呼ばれる。ヴェネツィアのサン・マルコ寺院は一見素朴だが、足を踏み入れるとビザンチン様式特有のモザイクで装飾されている。トスカーナのピサを訪れてみよう。あの斜塔で有名な敷地には大聖堂が構えている。こちらはロマネスク様式だ。ミラノには天まで届けとばかりの尖塔を誇る巨大な教会がある。ゴシック様式のミラノ大聖堂である。ゴシック建築には完成までに何世紀もかかったものが多い。フィレンツェに移動すれば花の大聖堂と呼ばれるドームがある。ドームが特徴だが、ルネサンス様式は古代のインスピレーションを形にしているのが特徴だ。そして最後に、ローマのヴァチカンにあってカトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂。これはバロック様式の典型である。

ここに書いた建築物については勉強した。しかし、目の前に現れる建築を見て、それが何様式かを言い当てる自信はない。二つか三つには絞れるかもしれないが、一発正解することばたぶん無理である。手元にぼくがスケッチした名もない建築物の絵がいくつかあるが、様式についてはまるで判じ物のようである。

IMG_5621Katsushi Okano
Un edificio anonimo
2002
Pigment liner, felt pen

サルーテ教会

ヴェネツィアのサンマルコ広場。ナポレオンが世界一美しい広場だと絶賛した。当然ながら、世界をくまなく見た上での評ではない。著名人にはそれぞれの世界一の広場があり、ヴィクトル・ユゴーなどはブリュッセルのグラン・プラス広場が世界一だと断言している。好みで言えば、ぼくはユゴーに同意する。

世界一美しいでもいいし、単に美しいでもいいが、ほめそやす対象の中に佇むよりも、ちょっと距離を置くほうがのぼせ上らずに「美」を照見できるような気がする。サンマルコ広場は運河から眺めるのがいい。運河から眺めるには水上バス(ヴァポレット)に乗る。前方の甲板に陣取って波をくぐりながらアプローチしていくと、広場が歴史を漂わせてくるから不思議である。

このサンマルコ広場から水辺に出ると、サルーテ聖堂が見える。夕暮れ時には大勢の人たちが聖堂の方向を眺める絶景スポットだ。有名画家による絵画作品も多い。鉛筆でスケッチしたまま放置していたものが出てきた。八年ぶりのご対面である。そのスケッチと写真アルバムの一枚を参照しながら速描してみた。スケッチは夕景時のものだったが、夕景前のまだ明るい雰囲気にアレンジ。パステルを水を含ませた筆で溶かして使った。そのパステル、百円ショップで買った18本セット。

venezia サルーテ教会Katsushi Okano
Basilica di Santa Maria della Salute, Venezia
2014
Pastel, ink (lapis lazuli)

風を見る

風は窓越しで聞こえるが、風の真っただ中にいても風そのものは見えない。視力がよくても、たぶん見えない。視力の問題であるはずはないけど。

音というのは、聞こえるものであって、見えるものではない。そう信じて疑わない。ところが、「観音」がある。音が見えている。

川岸に佇めば、川の流れが見えて、同時に音が聞こえる。ひょっとすると、風の音を聴きながら風の姿が見えるのではないだろうか。風が見えないのは、もしかすると、ぼくたちの怠慢のせい……いや、怠けてなどいない。ただ、ちょっと注意力が足りないのかもしれない……。

そよ風は梢を撫でるだけで、そこにとどまらない。枝葉を微かに揺らし、ついでにいくばくかの光を拾って帯や線を刻んで立ち去る。

帰路、公園の横道に沿って心地よくそよ風が吹いていた。

IMG_5715Katsushi Okano
Soyokaze
2004
Pastel

眠れなくなる回文創作

軽い機敏な仔猫何匹いるか二十数年前に土屋耕一の『軽い機敏な仔猫何匹いるか』を読んだ。後先を考えずにことば遊びに食いつく性分だから、読後約一年間は回文熱が高じてしまった。仲間と創作に励み競ったこともある。

回文。上下同読のことば遊びである。冒頭の本は土屋耕一が創作した回文を集めたもので、タイトル自体が「かるいきびんなこねこなんびきいるか」と回文になっている。

「トマト」や「新聞紙」も上下同読だが、文章にはなっていない。おなじみの「竹やぶ焼けた」(たけやぶやけた)。短いが、一応文章になっている。「品川に今住む住まい庭が無し」(しながわに いますむすまい にわがなし)もよく知られている。五七五では「我が立つた錦の岸に竜田川」(わがたつた にしきのきしに たつたがわ)がきれいにまとまっている。古来、俳句や和歌ではおびただしい回文が作られていて、「むむ、これで回文になっているのか!?」と目を疑うほどよくできたものもある。下品系では「ヘアリキッドけつにつけドッキリあへ!」 これはぼくが作ったのだが、まったく同じものを作っている人が何人もいる。回文には制約があるから、短文の場合は偶然の一致がよく起こる。

☆     ☆     ☆

オリジナリティを意識するなら長文である。しかし、長くなればなるほど、助詞が抜けたり文法が変則になったりするし、ふだん使わない言い回しを強引に捻り出さねばならない。自然文で作るのは決してやさしくない。なお、「は⇔わ」「お⇔を」「清音⇔濁音」などは互換性ありと見なす。

ワープロ時代にずいぶん作ったが、データがどこにあるかわからない。ワープロとフロッピーはオフィスのどこかにあるはずだが……。自作だから十や二十は何とか思い出せる。一つご笑覧いただこう。

「今朝女の子 飯時に土間で危機を聞き 出窓に木戸閉め この難を避け」 (けさおんなのこ めしどきにどまでききをきき でまどにきどしめ このなんをさけ)

回文をやり出すと、何をしていても単語や文章が浮かんでくる。たとえば「空が青い」と頭で響くと、「いおあがらそ」と下から音を逆読みする。やがて、ことばが次から次へと押し寄せてきて眠れなくなる。一度は経験しておいてもいいと思うが、苦労の割には駄作しかできない。佳作の一つや二つができるまでは少々時間もかかるし、それなりの覚悟はいる。

よい知らせと悪い知らせ

good news, bad news

“Good News”(よい知らせ)と”Bad News”(悪い知らせ)は、英語の定番ジョークに欠かせないテーマである。よい知らせが先で悪い知らせが後でも、またその逆であっても、うまくオチがつくように仕組まれる。

交通事故で重傷を負った男の話。難手術の後に麻酔から目が覚め、執刀した医師と会話を交わす。「先生、どんな具合ですか?」と男に問われ、「いい知らせと悪い知らせがあります」と医師が答える。不安に苛まれながら男は尋ねる。「悪い知らせを先に聞かせてください」。「お気の毒ですが、命を救うためにあなたの片脚を切断しました」と医師が告げる。地獄の底へ突き落され、絶句する男。長い沈黙の時間が過ぎた。

(そうだ、いい知らせが残っているぞ。諦めるな! と男は自分を慰める……) 「先生、では、いい知らせのほうをお願いします」。「それは……」と医師は少し口元を緩め目を細めて言った。「あなたが履いておられた靴を譲ってほしいと言ってきた人がいるんですよ」。

かなりのブラックコメディである。では、生死にまで踏み込む、もっとすごい「暗黒の諧謔」を披露しよう。

医者 「あなたに悪い知らせとよい知らせがあります」。
患者 「覚悟はしています。悪い知らせからお願いします」。
医者 「あなたは余命いくばくもなく、近いうちに死ぬことになるでしょう」。
患者 「(淡々と)やっぱりそうでしたか。(……)その悪い知らせを相殺するようなよい知らせがあるはずもないでしょうが、念のためにお聞きしておきます。(……)で、よい知らせとは?」
医者 「これでもう一度死なずにすみます」。

これはぼくの創作であると自覚していたが、「今年死ぬ者は来年死なずに済む」というシェークスピアの言を知って以来、なんだか二番煎じのような気がしている。

アルベロベッロ

イタリアの地図を見ると、アドリア海に面した下の方にかかとがある。そのかかとのちょっと上に世界遺産の街アルベロベッロがある。BSの番組で時々特集が組まれるから、ご存じの方もいるだろう。この街を訪れたのは11年前。一泊だけの滞在だったが、一泊すればたぶん十分である。

イタリア語で”Alberobello“と綴る。「美しい樹木」という意味だ。こぢんまりした街にとんがり屋根の白い家が立ち並ぶ。「まるでおとぎの国みたい」と観光客に言わしめるが、ちょっと観光地化し過ぎたのではないかというのが偽らざる印象である。

土産物店を少し覗いたものの、特に目を引くものはなかった。めったに余計な土産物を買わないが、自分用に忘れないように買うものがただ一つだけある。街の名所を象(かたど)る小さな置物がそれ。アルベロベッロでも一つ記念に手に入れた。いつぞやその置物をコンテで素描し、街の名にふさわしく樹木を添えてみた。実物の住居をスケッチするよりも「おとぎっぽい」雰囲気が出たかもしれない。

IMG_5620Katsushi Okano
Trulli, Alberobello

2004
Conté

三ヵ国同時体験スポット

ローマからフィレンツェ、ボローニャへと列車で巡る9泊の旅。その直前にウィーンに滞在していたので、ウィーンからローマへ飛んだ。時は2004年3月、あれから8年半が過ぎたが、今でも鮮明に覚えているシーンと体験がある。
三度目のローマはわずか二泊。前二回の旅で訪れた場所とは違う見所を、当時現地に住んでいた知人が車で巡ってくれた。まず、ジャニコロの丘から見渡すローマ市街地の光景に目を奪われた。しかし、ぼくがもっとも愉快がったのが、アヴェンティーノの丘に位置する「マルタ騎士団広場(Piazza dei Cavalieri di Marta)」でのひとときだった。何が愉快だったのか、写真を紹介すれば済むのだが、あいにく撮り収めていない。というわけで、文章で綴るしかない。
☆     ☆     ☆
この広場の塀の向こうはマルタ騎士団団長の館。そこには植木が美しく刈り込まれた庭園がある。館はマルタ共和国に属し、治外法権域であるから入館はできない。だが、扉があり、その扉には覗き見してもいい鍵穴があるのだ。警備にあたる兵は鍵穴から館内を覗いても文句は言わない。
ぼくの立ったこの場所はローマ。つまりイタリア共和国。そして館のある場所はマルタ共和国。鍵穴に目を付けるようにして覗いてみた。庭園のずっと向こうに映し出された光景、それはサンピエトロ大聖堂のクーポラだった。サンピエトロ大聖堂はバチカン市国にそびえるカトリックの大本山だ。ということは・・・・・・そう、ぼくの目線は「イタリア発マルタ経由バチカン着」と横断し、きわめて稀な三ヵ国同時体験をしてしまったのである。
広場も館も絵にしにくい題材だったが、ラフなスケッチと写真をもとに帰国後にペンと色鉛筆と水彩で描いてみた。それがこの一枚である。

Piazza dei Cavalieri di Marta-thumb-240x163Katsushi Okano

Piazza dei Cavalieri di Marta
2004
Pigment liner, felt pen, color pencil

 

青色の魅力

敢えて一色ということになれば、ぼくは青色を好むが、身に着けるときはさほどではない(というよりも、芸能人でもあるまいし、青に執着していては日々の衣装や仕事着に困る)。青を好む性向はおおむね青を基調とした風景や絵画に対してであって、カーテンや調度品が青いのは願い下げだ。但し、水性ボールペンや万年筆のインクはすべて青色である。まあ、こんなふうに何から何まで好き嫌いを貫き通せるものではない。

☆     ☆     ☆

上記は二年前に書いたブログの一説である。

「何色が好き?」と聞かれて即答する人がわが国には多いが、現実的に言えば、ものと色は切り離せるものではない。それでもなおかつ、ぼくは青の変幻自在なまでの多様性に憑りつかれてきた。

たとえば街の光景にカメラを向ける。建物のレンガの壁色は茶色である。その茶色にもいろんな変化形があるが、写真を見て少々濃く写っていたり薄く写っていてもあまり気にならない。実際の壁色と若干違っていても、街の景観全体を邪魔してしまうような影響を感じない。

しかし、青になると話が違う。濃淡の微妙な差が気分を大いに変えてしまうし、色合いにしても、たとえばウルトラマリンかプルシアンブルーかコバルトかによってまったく変わってしまう。青いインクを七種類ほど持っているが、紙に滲みこませればみんな違う。写真であれスキャナーであれ、再現した時点ですでに現実から離れている。青はじかに見るしかなく、再現もむずかしいし、ことばではなおさら表現不可能である。青だけにこう感じることが、ぼくの青贔屓の証なのだろう(つまり、緑が好きな人は緑に同じような感覚を抱く)。

☆     ☆     ☆

ラピスラズリ色のインクを探しているが、なかなか見つからない。この紙にあの色で文字を綴ってみたいと思うが、未だに実現していない。

ところで、ナポリ沖のカプリ島にあまりにも有名な「青の洞窟」がある。十年程前にたまたま見れる機会があったが、あの青は想像しにくい青である。見る角度や空気や天候も違うから、訪れた人の数だけの青があるに違いない。デジカメも持っていなかったし、洞窟内で少々揺れもあったので、記憶には残っているが、記録にはない。

ぼくとしては、島周辺の海の青―イタリア語でいう”azzurro”(アズーロ)―だけで十分堪能していた。そして、単行本サイズくらいの一枚の絵を帰国してすぐに描いた。現実の青を再現する気もなければ技術もないので、アズーロよりもだいぶスカイブルーにしか描けていない。その絵がこちらだが、ほとんどフィクションである。

Capri.jpgKatsushi Okano
Capri
2004
Pigment liner, pastel

『カリメア帝国』――終りの始まり

「今日ね、学校の社会の授業でカリメア帝国のことを勉強したよ。昔、栄えていたって、ホント?  おじいちゃんは詳しい?」

「ああ、少しはね」。ため息まじりだった。小学校高学年の孫に尋ねられ、おじいさんは若い頃から見聞きしてきたカリーメア帝国の話を聞かせ始めた。

☆     ☆     ☆

わしがお前の歳の頃、カリメア帝国は大きくて強くて立派な国だと教えられた。カリメア人に生まれてきたらよかったと思っていたさ。あの帝国からやってくる文物のすごいこと、すごいこと。大人になって金持ちになったら手に入れたかった。だからカリメア語も懸命に勉強した。文化も歴史も社会もすべてカリメアのことばかりだった。

そうして、その後の何年も帝国とその人々を尊敬して生きてきたし、そのことに何の疑いも抱かなかったよ。でもな、たしか、あれは今世紀に入ってまもなくの頃だったと思う。わしはカリメア帝国が身勝手な国だと感じ始めたのさ。もしかすると、幸福の種よりも災難の種を世界中にばらまいているのかもしれんと……。

とうとうわかったのだ。カリメア人は自分たちのことしか知らない。彼らは自分の帝国が好きで好きでたまらないが、他の国のことなど眼中にはない。世界の地理に無知だった。そう、わしらの国の地図上の位置すら知らなかったのさ。彼らが外国へ旅しても、どこの国でもカリメア語が通じるので、世界のすべての人間がカリメア語を話していると信じていた。ルドという通貨もどこに行っても使える。足りなくなったら帝国が紙幣を印刷すればよかった。

帝国はお金と銃と車をこよなく愛した。心やさしくて善良なカリメア人もいたよ。でもな、帝国が世界の中心だといううぬぼれが広がっていった。だって、おかしいだろ、在位四年の王様を選ぶのに二年もの歳月を費やすのだよ。おじいちゃんが憧れていた文物もあまり作らなくなり、お金をあっちへこっちへと動かすだけで儲けようとした。やがて帝国の神が厳罰を下された。カリメア人は都合のよいときだけ神頼みしていたけど、最後は「オー、マイゴッド!」と叫ぶことになった。あっ、もうこんな時間か。はい、これでおしまい。

☆     ☆     ☆

「おじいちゃん、その話の続きが聞きたいよ」と孫はねだった。

「カリメア帝国の災いは世界に広がったさ。当時はな、カリメアがくしゃみをすると世界でインフルエンザが流行すると言われた。だがな、わしらの国の民はバカではなかった。それが証拠に、今お前がここにいるじゃないか」。