色彩

「絵本から飛び出たような景色」という比喩が時々使われる。鬼の首を取ったかのように威張れる比喩とは思わない。元はと言えば、景色を絵本に閉じ込めたのだから、絵本のページを開けたら景色が飛び出してくるのは当たり前だ。

「絵はがきみたいな風景」も同様である。記録に留めようとして風景を絵はがきにしたのであって、風景が絵はがきの後を追ったのではない。「絵になる水辺」とか「水彩画に描いてみたい街角」などと表現したいところである。

対象の構図もしくは形、そして色が、絵本のようであり絵はがきのようであると言わしめているのだろう。

色彩

『色彩――色材の文化史』という本を読んでいたら、ドゥニ・ディドロのことばが紹介されていた。

「存在に形を与えるのはデッサンだ。生命を与えているのは色彩である。そこに、生命の崇高な息づかいがある。」

こういうことばに出合うと無性に絵を描きたくなる。けれども、この数年間というもの、たまに鉛筆を滑らせる程度でほとんど彩色していない。筆に向かう指先がなまくらになっている。

旬感覚で生きる

好物のホタルイカがしゅんである。旬はしばらく続くが、この時期が一番旬なのかもしれない。北陸へ行く機会があれば食い逃さずに帰ってくる。ふつうは酢味噌で食べるが、ご当地へ行けば刺身がいい。昨年はしこたま刺身をいただいた。珍味として少々口に運んでは酒を呑むのがいいのだろうが、腹を空かした少年のように、人目を無視して卑しく頬張った。残念ながら、今年は旬の季節に訪れるチャンスはなさそうだ。

魚介や野菜や果物などがおいしくなる季節、あるいは市場によく出回る時期のことを〈旬〉という。大都市に住んでいると便利なスーパーが年がら年中何でも提供している。いや、これは大都市だけの現実ではなく、日本全国津々浦々の傾向と言ってもさしつかえない。それほど季節感が途絶えつつある現在だ。それでも、四季の風合いに恵まれたこの国では、ちゃんと生態系が機能していて、「今しかない恵み」を授けてくれる。

食材の頃合いを示す旬ということばは、転じて、物事をおこなうのに最も適した時期を意味するようになった。それは、「絶妙のタイミング」のことである。少々早いのは許せるとしても、一分一秒でも遅くなると「旬が外れる」と言わざるをえない状況や場面がある。自然の旬は来年もやってくるだろうが、仕事や人事に関する旬というものは取り戻すことはできない。いまこの瞬間を逃してしまっては二度と巡ってこないのである。


わずか数十秒遅刻しただけなのに、新大阪駅発の予約していた新幹線のぞみに間に合わなかったとしよう。これは、東京駅到着時点で半時間近い遅れになる。そこから乗り換えで、たとえば那須方面へ乗り継ぐとしよう。本数が東海道新幹線よりも減るから、現地到着時点では1時間から2時間遅れるはずである。たった12時間と甘く見てはいけない。ぼくのように講演活動をする者にとっては致命傷になる。飛行機を使わねばならない離発着の少ない地域だと、半日、いや一日遅れになることだってあるのだ。

仕事上の旬に甘い人間が少なからずいる。彼らのほとんどが、期限への目測がいい加減だ。彼らにはふつうの感覚の一週間先が一ヵ月先に見えている。明日が一週間先に見えている。「あと数時間しかない」という良識的感覚を持ち合わせず、「まだたっぷり数時間もあるさ」と鈍感に構える。そして、だいたいにおいて、仕事の旬をわきまえない連中は、食の旬にもめっぽうくらいのである。

五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六じんことごとく文字なり、法身ほっしんはこれ実相なり。

空海のことばである。旬と関係があるのかといぶかってしまいそうだが、実は、五大(地、水、火、風、空)のすべてに響きがあって、響きは生命のすべてに現れ文字やことばにもリズムがあることを語っている。上旬、中旬、下旬という区切りで言えば、一年は10日単位で36の旬から成り立っている。そう、旬とはリズムのことなのである。宇宙や世界は大きすぎるとしても、社会や人間関係や生活・仕事の調和的なリズムが、旬への感度を鋭敏に保ってくれている。旬感覚の喪失は、生活オンチ・仕事オンチ、ひいては良識オンチを招くことになる。旬を侮ってはいけない。

「偽りを語るなかれ」

もう二年半前になるが、本ブログで嘘について集中的に書いたことがある。ギャグのようなもう少し嘘の話嘘つき考アゲイン性懲りもなく「嘘」の、堂々(?)たる四部作。久しぶりにさっき読み直してみた。自画自賛とのそしりを覚悟して言う、結構おもしろかった。

人は嘘をつく。但し、嘘をつくという理由だけで、やみくもに「嘘つき」呼ばわりできない。嘘つきとは「常習の確信犯」のことである。困った挙句に時々小さな嘘をつくぼくやあなたは彼らの同類ではない。嘘も方便という常套句の力を借りれば、「お似合いですよ」などは愛想混じりの嘘だから許容範囲だろう。但し、可愛げのある嘘も正当化し続けていると、可愛げがなくなるから要注意だ。

それにしても、人はなぜ嘘をつくのか。詐欺師は騙すことによって利を得ようとする。ぼくたちの場合は、だいたい都合が悪くなって嘘をつく。都合が悪い理由のそのさらなる理由は千差万別だろう。今の時期、嘘と言えば「八百長事件」を連想してしまうが、それはまた別の機会に取り上げよう。今日のところは、見栄や執着心と嘘との関係である。タイトルの「偽りを語るなかれ」は6世紀中国の学者、顔之推がんしすいの言とされる。


不可抗力によっても強いられる有言不実行とは違って、虚言は多分に意図的である。期限や約束破りは結果として偽ったことになる。愚かしいことに、その偽りをカモフラージュするために嘘を上塗りする。考えてみれば、都合を良くしようとする点では利を得ようとする詐欺師とあまり変わらないのだ。孫引き参照になるが、中村元の『東洋のこころ』に次のような引用がある。

「真実であるようだが、虚偽であることばを語る人がいる。そういう人はそれゆえに罪に触れる。いわんや嘘を語る人はなおさらである。」
(『ダサヴェーサーリア』75

「この世で迷妄に襲われ、僅かの物を貪って、事実でないことを語る人、――かれをいやしい人であると知れ。」
(『スッタニパータ』131

さて、嘘には〈偽薬効果プラシーボ〉があると思う。嘘も方便を足場にして毎日おだてているうちに、下手が上手になったり弱者が強者に変わったりすることもある。逆に言えば、まことの人が何かの拍子で舌に嘘を語らせ、悪しき口業くごうを繰り返すようになるうちに、「虚人」に成り果てることだってありうるだろう。

人はなぜ嘘をつくのか。先の書物で中村元は言う、「それは何ものかを貪ろうとする執著しゅうじゃくがあるからです」。執著、すなわち「こだわりの心」。何にこだわるのか。見栄にこだわり、やがて見栄が転じて虚栄となる。不完全な人間のことだ、非を認めずに我を通そうとすれば、嘘の一つもつかねば辻褄が合わなくなるだろう。嘘をつかない処方は簡単だ。我を引っ込めて非を認めればいいのである。

つかみのセンス

劈頭と掉尾という難解語がある。それぞれ「へきとう」、「ちょうび」と読む。始まりと終わりでもいいのだが、なかなか強い語感を備えている。他に、導入と結論、冒頭と末尾などもある。文章なら文頭と文末、お笑いならつかみとオチ。と、ここまで書いて思い出した。玄関と奥座敷というのもある。二年半前にそのことについて書いている。

極力儀礼的に話に入らないようにするなど、つかみの研究には熱心なほうだが、まだまだ芸が浅い。うまくいく時もあるが、初見参の場に臨んで傾向と対策が不十分ゆえ、無難に話に入ってしまう。少数のうるさ型への気兼ねもある。こんなことでは、つかみの焦点がボケる。つかみは何よりも印象的でなければならない。お笑い芸人ではないのだから、必ずしも笑わせるネタでなくてもよい。しかし、印象的とは、ある意味で普通と違うことである。普通と違う出だしには、奇異や緊張という要素もある。


「分析を好む人間とは、どんな人間なのだろう。これ自体、なかなか分析しづらいことである。発揮された結果としてしか目に見えない。この才能が抜群であるとしたら、分析の作業は楽しくて仕方ないだろう。(……)」
(エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』)

 本題に入るまでに、こんな理屈が4ページにわたって述べられる。

「客が来ていた。そろえた両足をドアのほうに向けて、うつぶせに横たわっていた。死んでいた。もっとも、事態をすぐに飲み込むというわけにはいかなかった。驚愕がおそってくるまでには、数秒の間があった。その数秒には、まるで電気をおびた白紙のような、息づく静けさがこめられていた。」
(安部公房『無関係な死』)

常態ではなく、行き場のないこの気分が最後まで続くが、この書き出しだけで完全につかまれてしまっている。

「その小男はいかにもくたびれていた。彼はのろのろと人ごみを縫いながら、駅の構内を横切ると、出札口へとやってきた。そこで行列に並んで、じっと順番を待っていたが、肩を落とした格好には疲れがにじみ出ており、茶色の背広もかなりくたびれていた。」
(フィリップ・K・ディック『地図にない町』)

数年前までずっと電車通勤していたから、ぼくには見慣れた光景が描写されているにすぎない。だが、その慣れの向こうから異様な匂いが漂ってくる。

「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。彼は鎧のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。(……)」
(カフカ『変身』)

あまりにも有名な冒頭である。あまりにもあっけらんかんと書かれているので、クールに真実として受け止めようとしてしまう。

以上掲げた例は若い頃に読んだ小説であり、すべてが不可解のつかみ、不条理のつかみ、不自然なつかみのいずれかから作品を始めている。この類は人前での話向きではないが、凝視させ次を待たせるにはどうすればいいかを示すお手本になってくれる。


大工のサクランボ親方が、子供のように泣いたり笑ったりする棒っきれと、どんなふうに出会ったか、その一部始終。

むかしむかし、あるところに……
「王様だ!」 小さい読者のみんなは、すぐにそういうだろうね。
残念ながら、そうではないんだ。むかし、あるところに一本の棒っきれがあった。(……)

これはよくご存知の『ピノッキオの冒険』(カルロ・コッローディ)の冒頭だ。このパターンは軽快でほほえましい。一工夫すればさらにユーモラスに、あるいは一転してシニカルにも応用できる。なお、つかみばかり読んでいてもつかみのセンスは身につかない。すべて読むからこそ劈頭の効果がわかるのである。

家を持つこと、住まうこと

90年代だったか、「橋をデザインするな、川の渡り方をデザインせよ」という仕事訓があった。一言一句正確な表現かどうか自信はないが、フィリップス社のデザイン理念の一つと聞いた。橋をデザインしようとすると既成概念に囚われるが、「川を渡る」という原初的機能に着眼すれば、大胆で目新しいアイデアに辿り着ける可能性がある。この表現を「家をデザインするな、住まい方をデザインせよ」と住居に応用したことがある。住まい方とは「生き方」でもある。


60代半ばと思われるホームレスの夫婦。彼らは小さなリヤカーを引き、中型の黒い犬を飼っていた(いや、連れていたと言うべきか)。犬を見かけなくなったのが2年程前。それから半年経った頃、今度は夫がいなくなった。以来、老女は高速道路の下に常宿の場を確保して、一人たくましく生きている。縄張り争いが起こりそうな所ではない。だから、彼女の場所は青いテントやダンボールの目印もなく、「家財道具」が表札代わりに置かれているだけである。

彼女の居場所や活動範囲はぼくの自宅からオフィスへの途上にある。空き缶を集めている姿をよく見掛けた。ところが、ここしばらく姿を見ていない。半月程になるかもしれない。先週のある朝、家財道具のそばにビニールで梱包した布団が置かれていた。貼り紙があり、「寒いので、使ってください」云々と書かれていた。「寒」と「使」の漢字の上にはそれぞれ「さむ」と「つか」とルビが振ってあった。彼女はルビのあるメッセージを読んで布団を使っているだろうか、それとも……。

英語に“hobo”ということばがある。「ホウボウ」と発音する。親日家のアメリカ人が「これは日本語の『方々ほうぼう』から来たんだ」と言うからしばらく信じていたけれど、その後起源不明ということを知った。辞書には「浮浪の民」のように記されていることが多いが、どうやら「渡り労働者」を意味するようである。働かない時期もあるが、原則として仕事を求めて旅をする人たちだ。仕事をしない放浪者をtrampトランプ、仕事もせず放浪もしない無宿の人をbumバムと呼ぶ。あの老女はバムということになるのだろうか。バムにとって、布団は家そのもの? それとも一つの住まい方? はたしてどちらなのか。


知らず、生まれ死ぬる人何方いずかたより来たりて何方へか去る。また知らず、仮の宿りが為にか心を悩まし何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或ひは露落ちて花残れり。残るといへども朝日の枯れぬ。或ひは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つ事なし。

『方丈記』の住まいに関する記述である。「人の生は短く、その短い一生を過ごす住居に一喜一憂しても始まらない。人と家の関係は、露と朝顔の花の関係と同じで、いずれも常はなく、はかない」と超訳して読める。家をデザインして建てても、そのが住まい方、ひいては生き方を保証してくれるわけではない。家あってもホームレスな生き方があり、家なくしてもアトホームな生き方があるだろう。橋と川の渡り方を家と住まい方になぞらえたように、さらに別の対象と機能に置き換えてみれば、少しは幸福の本質について想像力が働くかもしれない。

意地を動かす「てこの原理」

法句経ほっくきょう』は、釈迦の真理のことばとして有名な原始仏典である。その中に次のような一節がある。

まことに、みずから悪をなしてみずから傷つき、みずから悪をなさずしてみずからきよらかである。浄と不浄とはおのれみずからに属し、誰も他人を浄めることはできない。

鈴木大拙師はこの一節に言及して次のように語る。

この詩はあまりにも個人主義的すぎるかもしれない。だが、結局は、人は喉が渇いた時には、みずからの手でコップを傾けなければならない。天国、もしくは地獄では、誰も自分の代理をつとめてくれる者はいないではないか。

ぼくには天国も地獄も想像はつかないが、現世においてもこの謂いは何一つ変わらないと考える。常套句を用いれば、「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということだ。たとえば、あなたに誰かが手を差し伸べたとしよう。その手をつかむか無視するかは、あなた次第である。つかまなくても、辛抱強い人ならしばらく手を差し伸べ続けてくれるだろうが、そんな奇特な人はめったにいない。やがて手を引っ込めてあなたのもとを去っていくだろう。

正道と邪道があるとき、「こちらが正道ですよ」と誠意を込めて念押ししても、意固地なまでに邪道に足を踏み出してしまう人たちがいる。冷静な慧眼を少し働かせるだけで邪道であることが明らかになるにもかかわらず、これまでの生活様式や価値観が強く自分を支配しているから、意地はめったなことでは崩れない。意地はいつも偏見の温床になる。意地を「我」と言い換えてもいい。


放置しておくと、偏見は増殖し続け重厚長大化する。強い偏見の持ち主は、親しい人が差し伸べるコップの水に見向きもしない「偏飲家」なのだ。彼らは周囲の好意を拒絶して、ますます邪道へとひた走る。排他的な一つの意地ほど具合の悪いものはないのである。どうすれば、こんな愚に目覚めることができるだろうか。おそらく、己の意見とその対極にある異見・・の間の往復運動によってのみ、ぼくたちは偏見を揺さぶることができるように思う。

しかし、どんなにあがいても、「時代が共有する偏見」から完全に逃れることはできそうもない。そもそもぼくたちが今を生きるうえで身につけてきた知は時代を色濃く反映している。時代の基盤にある知の総体的な枠組み――いわゆる〈エピステーメー〉――はぼくたちをマリオネットよろしく操る見えざる指使いなのである。それでもなお、その枠内にあって頑なな意見の影に異見の光を照射することはできないものか。ぼくはそのように考えて、異種意見間の対話やディベートに一縷の望みをかけてきた。

ある意見に対する異見は「てこ」になってくれる。〈てこの原理〉とは、言うまでもないが、労力少なくして重いものを動かすことだ。残念ながら、てこの役を引き受けてくれる人はおいそれとはいない。しかし、心配無用、個人的な意地も時代の偏見をも動かしてくれる貴重なてこがある。それは時代を遡って出合う古典の知だ。古典は、ぼくたちを縛りつけている意地や偏見を持ち上げて、「一見でかくて重そうに見えるが、張り子の虎さ」と言わんばかりにお手本を示してくれる。お手本はぼくたちの知を整えてくれる。

但し、無条件的・無批判的に古典に迎合するのも考えものだ。時には、己のてこでずっしりと重くのしかかる古典のほうを揺り動かしてみるべきだろう。意見に対する異見、その異見に対する別の異見、そのまた異見……必ずしもジンテーゼを目指す必要はなく、テーゼとアンチテーゼを繰り返すだけでも偏見をある程度封じ込めることができるのである。

三昧とハードワーク

その昔、集中力のない人がいた。筋金入りの集中力の無さだった。気も心もここにあらず、ではどこかにあるのかと言えば、別のところにもなく、耳目をそばだてているかのように真剣な表情を浮かべるものの、実は何も聞いていない、何も見ていない。彼には、あることに専念没頭して心をとらわれるようなことがないようだった。成人してからは、寝食忘れて何とか三昧に入ったこともなかっただろう。時にがむしゃらさも見えたが、がむしゃらは三昧の対極概念だ。彼は仕事の効率が悪く、苦手が多く、そして疲れやすかった。

三昧は「さんまい」と読む。釣三昧や読書三昧と言うときには「ざんまい」になる。手元の『仏教語小辞典』によると、サンスクリット語の“samadhi”(サマーディ)を音写したという。もともとは不動にして専心する境地を意味したが、仏教語から転移して今では「我を忘れるほど物事に集中している様子」を示す。三昧は立派なことばなのだが、何かにくっつくと意味変化する。たとえば「放蕩三昧」「博打三昧」になれば反社会的なライフスタイルを醸し出す。

突然話を変えるが、勉強や仕事をし過ぎて何が問題になり都合が悪くなるのかよくわからない。昨今ゆとり教育への反省が急激に加速しているが、そもそも何事かを叶えようと思い立ったり好奇心に掻き立てられたりすれば、誰もゆとりのことなど考えないものである。それこそ三昧の場に入るからだ。ゆとりは必ずしもスローライフにつながらない。むしろハードワークゆえにスローライフが約束されることもある。「教育が生活からゆとりを奪う」などという主張は、教育がおもしろくないことを前提にしていた。言い出した連中がさぞかし下手な授業をしていたのだろう。おもしろくて、ついでにためにもなるのなら「~し過ぎ」などということはないのである。


今年の私塾の第2講で「広告の知」を取り上げ、デヴィッド・オグルビーにまつわるエピソードをいくつか紹介した。オグルビーの著書にぼくの気に入っている一節がある。

I believe in the Scottish proverb: “Hard work never killed a man.” Men die of boredom, psychological conflict and disease. They do not die of hard work.
(私は「ハードワークで人が死んだ試しはない」 というスコットランドの諺は正しいと思う。人は、退屈と心理的葛藤と病気が原因で死ぬ。ハードワークで人は死なないのだ。)

ハードワークについての誤解から脱け出さねばならない。ハードワークは、誰かに強制されてがむしゃらに働くことや学ぶことなのではない。嫌なことを強制的にやらされるから過労・疲弊に至るのである。ハードワークは自ら選ぶ三昧の世界なのだ。そのことに「何もかも忘れて、入っている状態」なのだ。「入っている状態」とは分別的でないこと、あるいは相反する二つの概念を超越していることでもある。これと同じようなことを、維摩経では「不二法門ふにほうもんに入る」とも言う。そのような世界には、過度ということなどなく、むしろゆとりが存在する。対象を認識せず、気がつけば対象に一致・同化している。

「愛しているということを、愛しているという認識から区別せよ。わたしはわたしの眼前に愛を見てとるほうではなく、この愛を生きることのほうを選ぶ。それゆえ、わたしが愛しているという事実は、愛を認識していないことの理由になる」
(メルロ=ポンティ)

この愛を生きることが、とても三昧に似通っていると思われる。仕事・学習を生きることが三昧的ハードワークなのである。これに対して、仕事・学習を対象として認識し「仕事を頑張ろう、勉強しなくては」と考えるのは三昧などではない。それどころか、物理的作業の度を過ぎて困憊してしまうのだ。ともあれ、三昧を意識することなどできない。意識できた三昧はもはや三昧ではない。我に返って「あっ、もうこんな時間か。結構はかどったし、いい仕事ができたな」と思えるとき、それが三昧であり疲れを残さないハードワークだったのである。

古(いにしえ)のことばの指針

半月前の金沢、私塾開講の日の朝にぶらりと武家屋敷界隈まで歩いた。二年ぶりである。足軽の旧屋敷を利用した足軽資料館に入ってみた。マンション住まいのぼくから見れば、下級武士の家とは思えぬ、ちょうどいい感じの広さ、間取りである。一室に展示してある『武道初心集』に目が止まる。これは享保年間(17161736年)に編まれた武士のための心得を記したものだ。次のように書いてあった。

乱世の武士の無筆文盲なるには一通りの申しわけもこれあり候。治世の武士の無筆文盲の申しわけは立ちかね申す義に候。

文中に「文盲」の一語がある。差別語だと騒ぐ、口うるさい向きがいるかもしれないが、昔の話だ、意に介さないでおく。さて、その無筆文盲はふつう「無学文盲」とされ、今風に言い換えれば「リテラシーのないこと」を意味する。つまり、読み書きのできない無学のことだ。「戦や騒乱続きの秩序なき時代なら、武士が無学であっても一応の言い訳が成り立つだろうが、何事もなく穏やかな時代であれば、武士の無学には弁解は許されるものではない」ほどの意味である。

現在の金融不安やデフレ経済の生活に及ぼす影響は軽視できないが、雑兵として出陣せねばならなかった時世は現況の比ではなかっただろう。したがって、今も一種の乱世だからリテラシー不足もやむなしとは言い訳できぬ。いや、当時とは違い、有事・平時を問わず、ぼくたちには時間があるのだ。常日頃よく筆を用い文を読むことを怠っていい理由はない。


金沢の一週間後に、毎日新聞に緒方洪庵の『扶氏医戒之略』からの一文が紹介されていた。私塾の構想のためにずいぶん前に洪庵の適塾の研究をしていたことがあって、記憶が甦ってきた。扶氏とはフーフェランド(17641836)というドイツ人の医学者で、洪庵は彼の『医学必携』オランダ語版を抄訳したのである。

医の世に生活するは人の為のみ、己が為にあらずといふことを其業の本旨とす。安逸を思わず、名利を顧みず、唯己を捨てて人を救わんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

医術の心得ではあるが、当世の医者のみならず、政治家、経営者、教育関係者など要職にあるプロフェッショナルは肝に銘じておくべきだろう。すべての職業に当てはまるよう超訳ししてみよう。

仕事人の本分は自分のためではなく人のためであり、気楽になろうとか名誉や利を求めようなどと考えず、ひたすら無私の精神で人の役に立とうと願いなさい。人の立場を守り、困っていることに手を差し伸べ問題を解決するべく一途に努めなさい。

江戸時代の読み書きの教えも仁愛の精神も色褪せず、ぶれもしていない。現代口語でよく似たことを諭すお偉方は五万といるが、当の本人たちがリテラシー向上に励み、仁愛を実践しているようには見えてこない。心構えであれ良識であれ、今という時代はだいぶ常軌を逸してしまったかのようである。

意識という志向性

久しぶりにここ一ヵ月のノートを繰ってみた。〈意識〉という概念でくくれそうな話題やことばをいくつか書き綴っているので紹介しておこう。


無から何かを推理・推論することはできない。「何もないこと」を想像しようとしても、気がつけば何事かについて考えている。情報が多いから多様な推理・推論の道筋が生まれるとはかぎらない。また、情報が少ないからという理由で推理・推論がまったく立たないわけでもない。「船頭多くして船山に登る」という譬えの一方で、一人の船頭がすいすいと船を御していくことだってある。情報過多であろうと情報不足であろうと、意識が推理・推論に向いていなければ話にならない。意識がどこに向いているか――それを意識の志向性と言う。現象学の重要な概念の一つだ。


悩んでいる人がいる。「意識は強く持っているつもりなのだが、なかなか行動につながらない」としんみりとつぶやく。「フロイト流の無意識に対する意識じゃダメなんだろうね」とぼく。「と言うと?」と尋ねるから、こう言った、「フッサール流の意識でないといけない」。「つまり、〈~についての意識〉。日本語を英語に翻訳する時、意識ということばは悩ましいんだ。ぼくたちは意識に志向性を表現しない傾向があるけれど、英語では“be conscious ofとなって、『~について意識する』としなければ成り立たない。この”~”の部分が希薄であったり欠落してしまうから、意識が意識だけで終わってしまう」。

そして、こう締めくくった――「意識と行動をワンセットで使ってあっけらかんとしているけれど、実は、意識と行動の間には何光年もの距離がある。いまぼくたちが行動側で見ているのは、何年も何十年も前に意識側を出発した光かもしれない。茫洋とした意識が行動の形を取るには歳月を要するんだ。しかし、行動についての意識をたくましくすれば、時間を大いに短縮できると思う」。


フランスの思想家ローラン・ジューベールに次のようなことばがある。

まとは必ずしも命中させるために立てるのではなく、目印の役にも立つ。」

的を理想や理念に置き換えればいい。理想や理念を掲げるのは必ずしも実現するためだけではない。「日本一の何々」や「金メダル」を目標にしても、現在の力量からすれば天文学的な確率であることがほとんどだ。だからと言って、理想を膨らませ理念を崇高にすることが無意義ではあるまい。理想や理念は意識が向かう目印になってくれる。意識の志向性を失わないためにも対象は見えるほうがいい。


バンクーバー五輪で日本人選手が凡ミスを犯した。戦う前に失格である。体重が重いほど加速がつくリュージュの競技では、体重の軽い選手に10キログラムのおもりを装着することが許されている。ところが、その女子の選手は計量で200グラム超過してしまって失格となった。また、スケルトンの競技では、国際連盟が認定するそりの刃に正規のステッカーを貼り忘れるミスがあり、この女子選手も競技に参加できなかった。

日本を代表する選手クラスである。国際試合経験豊富な役員やコーチもついている。当然ながら一流選手の意識が強く備わっていたに違いない。しかしだ、対象への志向性がない意識はリスクマネジメントにつながらない。ここで言う意識の志向性は、具体的な体重管理とステッカー貼付に向けられねばならなかった。

あなたの「やらねばならない」という意識、「さあ、頑張ろう」という意識、きちんと「何か」に向けられているだろうか。先週のぼくの意識は空回りだった。仕事の、やるべき作業対象があまりにも漠然としていたからである

風土と食を考えるきっかけ

食への関心がきわめて旺盛なほうである。グルメや貪欲という意味の旺盛ではない。また近代栄養学的な視点からのマニアックな健康志向でもない。きわめて素朴においしいものをゆっくり楽しく食べたいと熱望するのであり、旬という季節感や土地柄という風土への意識が底辺にある。今ではまったく後遺症のかけらもないが、五歳のときに事故で腎臓を患い、その後の一年間、無味な食事生活を強いられた。塩分、糖分、脂肪分がほとんどなく、超薄めに味つけされた野菜とご飯ばかりを食べていた。「余分三兄弟」のない食生活であった。今の食への思い入れは、その反動のせいかもしれない。

世間で言う「飯食い」ではないが、米食民族の一人としての自覚はある。ぼくにとって、ご飯は必要欠くべからざる主食である。玄米や五穀米もいただくが、白飯が多い。但し、風土に忠実なので、本ブログでしばらく紹介していたイタリア紀行の折りには、“Quando siete a Roma, fate come i romani.”を実践する。「郷に入っては郷に従う(ローマではローマ人のように振舞う)」だ。だからパンとパスタとトマトと肉食中心の2週間でもまったく平気である。ミラノ名物リゾット頼みしてまで米を求めない。体調不良を来すこともない。

塾生の一人に米問屋の経営者Tさんがいる。給食業、弁当屋さん、飲食店向けに「おいしい炊飯」の啓発をおこなっている。米を買ってもらうための販売促進の一環ではあるが、情熱家はどこかで「損得抜き」の発想をするもの。彼のプレゼンテーションをお手伝いすることになった。彼いわく「炊飯技術が向上して家庭でのご飯が小量炊飯でも飛躍的においしくなった。米は大量に炊くほうがおいしいという通念があったが、業務炊飯はうかうかしておれない」。正直言って、おかずがおいしいけれど、ご飯が粘ってうまくないという店があって、がっかりする。これなら自宅の炊きたてのほうがうんとうまいと思ったりしていた。先週からこの仕事をきっかけに風土と食をあらためて考察している。


二十歳前後からの愛読書、和辻哲郎の『風土』に次のような一節がある。

食物の生産に最も関係の深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかにしたがって牧畜か漁業かのいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したのもまた菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくして風土である。

ぼく流に言い換えれば、主義主張で食材や調理を考えるな、ということになる。過食やバランスの悪い食事は「知識」によるものである。知識がバーチャルグルメを生み出して、わざわざ食べなくてもいいもの、さほどおいしくもないものに向かわせるのである。もう少し切実かつ禁欲的に語れば、その時期に手軽に手に入る食材の恵みに依存するということだろう。ちなみに食材には保存のきくものと鮮度勝負のものがある。米や小麦やイモなどは前者だから年中口に入る。ゆえに主食になりえているに違いない。

今日の話に特別なオチはない。以上でおしまいだが、昨日飛び込んできたキリンとサントリーの企業統合決裂のニュースは、めでたしめでたしである。食品製造業の企業がメガ化する必要などどこにもない。ましてや食と風土を持ち出すならば、キリンにもサントリーにも「飲食と企業風土」の固有の独自性があるだろう。もし統合が実現していれば世界一の規模だが、おもしろくも何ともない巨大企業に映っただろうに違いない。ヴィトンとシャネルが一つになると文化崩壊が想像できるように、食産業にあってももっとも重要な文化性がどちらの企業からも消えてしまうことになっていただろう。