企画と表現のリノベーション業

アメリカ大統領のスピーチ原稿ライターで思い出した。看板は一度も掲げたことはないが、ぼく自身も企画書の代筆をしたりプレゼンテーションの代行をしたりしたことがある。

どんな提案項目を含めればいいのか、どのように構成すればいいのかがわからないという外部のプランナーが助言を求めてくる。但し、助言でどうこうなるものではないので、場合によっては「一から書きます」ということになり、小一時間ヒアリングをして資料をもらって書き上げる。まだパソコンを使っておらず、書院というワープロでペーパーを仕上げていた。もう二十年も前の話である。

もちろん報酬はいただいた。その報酬が菓子の詰め合わせやディナーのこともあった。関西ではよくあることだ。報酬が金銭であれ菓子であれ食事であれ、れっきとした「企画書代行業」であった。注意していただきたい。これは「企画書」の代行業であって、「企画」の代行業ではない。

そもそも企画と企画書は似て非なるものである。企画は発想や教養や情報や才覚などの総合力だが、企画書のほうは純然たるテクニックだ。そして、不思議なことに、企画よりも企画書のほうが金額設定はしやすいのである。企画は下手をするとタダにさせられてしまうが、企画書をリライトしたり編集したりすれば、値切られたり菓子で賄われたりするものの、報酬は期待できる。


世間は企画書という「型と形」を有するものには予算を用意するが、企画という「無形のアイデア」への出費を渋る。以前大手薬品会社の研究所長が「ディベート研修の相談」でアポイントメントを取り、わざわざ来社された。しこたまヒアリングされ、気づけば3時間経過。その所長の大学ノートにはメモが何十ページもびっしり。「当社でぜひ研修を導入したいと思う」とおっしゃってお帰りになった。それっきりである。アイデアはミネラルウォーターよりも安い。というか、タダになることさえある。

落語にも登場するが、「代書屋」というれっきとした商売があった。識字率の低い時代、口頭で伝えて書いてもらう。おそらく字が下手な者にとっては「清書屋」の役割も果たしただろうと想像できる。ぼくに関して言えば、講演や研修の閑散期に、提案書やカタログやパワーポイントの資料をチェックして欲しいと依頼されることがある。これまで無償でおこなってきたが、考えようによっては、看板を上げてもいいのではないか。たとえば、「企画修繕屋」とか「文書推敲屋」はどうだろう。

アイデアのある企画で食えないのなら、誰かの企画を修理するほうが手っ取り早いのではないか。自分でオリジナルの文章を工夫して書き下ろすよりも、下手な表現や壊れた文法を見直すほうが報われるのではないか。もちろん本意ではないが、そういう可能性も検討するのが自称「アイディエーター」の本分である。    

米国というジレンマ

たしかソクラテスだったと思う。誰かに「結婚すべきか、独身であり続けるべきか?」と問われて、「いずれを選んでも、後悔する人生になるだろう」と答えたという話。三段論法の一つ、「ジレンマ」である。「もし結婚すれば後悔するだろう。また結婚しないで独身を貫いても後悔するだろう。人生は結婚するかしないかのどちらかである。ゆえに、「どちらを選んでも後悔する人生になる」という推論だ。

これは演繹的なアームチェア論理の結論である。可能性としては後悔しない結婚生活もバラ色の独身生活もありうるし、現にそうして生きている人々が大勢いるだろう。言うまでもなく、机上のジレンマが必ずしもそのまま実社会のジレンマになるわけではない。


歴史的事実として、あるいは現実として、米国が政治的、社会的、経済的、国際的にジレンマを抱えてきたかどうかは諸説分かれる。ぼく自身、米国のジレンマ性について政治的、社会的、経済的、国際的に考えることはあるが、めったに誰かと意見交換をしようとは思わない。ぼくにとって語るに値する米国のジレンマは、ぼくの青春時代から今に至る心象風景に浮かび上がるそれである。

「米国に期待したら裏切られる。また失望しても裏切られる。米国への心理は期待するか失望するかの極端な二択である。ゆえに、米国はぼくを裏切り続けている」――これが、ソクラテス的演繹による、ぼくにとっての米国というジレンマである。

小学校でのローマ字学習を英語学習と錯覚していた。日本語をローマ字(アルファベット)で書いたら、そのまま「外人」に通じると思っていた。ここでいう外人とはアメリカ人である。中学に入って、ローマ字と英語が違うことを知って愕然とした。何のためにローマ字を学んだのか。二歳上の姉は中学一年のときに鼻高々でぼくに英語を見せびらかした。どうせ“Are you a boy?” 程度のことだったのだろう。中学の遠足では、奈良公園に観光に来ていた外人に近づき、サインをねだる同級生がいた。外人は「アメリカ人」であって、英語は「英国人」の言語ではなく「米国人」の言語であった。

日本が米国の州になればいいとジョークを装いながら、実は本心でそう思っていた連中がいた。帰国子女のネイティブばりの英語に度肝を抜かれ、国際派商社マンでなく土着商人のオヤジを恨んでいた友人もいた。そうそう「ああ、いっそのことアメリカ人に生まれたかった」という嘆きも聞いたことがある。ぼくが二十歳前後の頃、急激なアメリカ化が進み、生活も街も文化もアメリカ色で彩られていた。米国至上主義で幸せかに見えた時代だった。


米国への期待と失望がいずれも裏切られるからといって、それは米国自体のジレンマではない。タイトルの「米国というジレンマ」は正しく表すと、「米国にまつわる、日本人のジレンマ」である。米国に夢や希望を一極集中させすぎたのである。ぼくのように英語とアメリカンカルチャーに精通しようと励んだ者ほど反動も大きい。自分勝手に期待して自分勝手に裏切られたのである。かつて米国に恋焦がれたぼくだが、未だにアメリカ大陸の土を踏んでいない。

米国に対してはやや失望気味のほうがジレンマに悩まなくてすむことをぼくは学習した。世界には多様な価値観が存在するのだ。大企業が苦戦するように大国も苦悩に喘ぐのである。警察官だって犯罪に手を染めるのである。正義も誤るのである。当たり前だ。

米国との関係性におけるジレンマにうろたえるよりも、そろそろ国家も個人も自分自身が直面している日本社会のジレンマを何とかすべきだろう。「欲望を強くすればやがて身を滅ぼす。また節度を守れば土足で踏みにじられる。欲望に走っても節度を守っても危うい生き方になってしまう」。さあ、どうする?

テーマは繰り返す?

先週の土曜日から、その日のブログで取り上げた多様化と高度化をずっと追いかけている。追いかけていると言っても、本を参照したり誰かと議論したりして深めているわけではなく、殴り書きのごとく自分の考えをメモしているだけだ。少しまとまったので、今日か明日に取り上げようと思っていた。その矢先に、年末恒例の「身辺整理」をしていたら十数冊の懐かしいノートが出てきた。これはまずい。

ノスタルジーという怪獣は想定外の時間を好物とし、仕事の邪魔をする。案の定、仕事と時間はノスタルジーの餌食になった。誘導された先は、199410月~翌年1月の観察やアイデアを記した発想ノート。1027日のページに次のような文章が書いてある(当時43歳)。

自分の考えていること、知っていることを文章にしたため、ある程度書きためていくと、テーマの繰り返し・重複に気づくようになる。同じ火種を消さずに頑張っていると安心できる反面、これは一種のマンネリズム、成育不足ではないかと危惧する。次のステップに上るには従来以上のエネルギーが必要だ。同じテーマでは芸がない。しかし、違うテーマを取り上げて書き続けるには悶々とした日々を送らざるをえない。新しいテーマを追いかけるのは億劫である。こういうときは、発想の転換という生ぬるい方法ではなく、環境を激変させるしかないのだろう。

この14年前のメモを読んで、現在と似通った心理に気づいた。未だに成育不十分ではないかと少しがっかりしている。


十数ページとばして1121日のメモへ。さらに愕然とする。時代の類似性なのか、ぼくの思考回路の限界なのか。

なかなかシミュレーションの難しい時代である。(……)人間の欲求・行動・思想がこれほど多様化してくると、どの人間の何を読めばいいのかさっぱりわからなくなる。宇宙の摂理や自然現象や社会構造の暗号を解読できても、人は人を読めなくなってしまい、先行き不透明な時代の近未来が見えていない。いま、人々は最大公約数を見失った己の能力に落胆している。トリやケモノが有する本性的予知能力を羨むばかりである。

週末から解き明かそうとしていたのは、実は、「多様化が最大公約数の喪失につながっている論点」だったのである。つまり、昭和30年代や40年代には「不特定多数の大部屋市場」というのが存在して、「国民的」と冠のつく流行商品やヒット曲がどんどん誕生した。にもかかわらず、バブル崩壊後の多様化市場においては、市場はいくつもの小部屋に分かれ、小部屋を横断する共通関心事が激減した――というような話。

テーマは繰り返す? たぶんそうなのだろう。時代と自分のどちらもが繰り返しているに違いない。そして、たぶん繰り返すことそのものは悪いことではないのだろう、そこにいくばくかの進化さえ認めることができれば……。     

省略を避ける無難な習慣

昨日の話の続きである。省略という行為を「奇妙な習慣」と言ってはみたが、よくよく考えると、省略しない、すなわち敢えて面倒な形式的手順を踏むことも奇妙な習慣に思えてくる。正確に言えば、無難な習慣ということになるだろうか。

フォーマルな手紙のあいさつ表現に「拝啓-敬具」というセットがある。「こんにちは」と言うほど親しくもなく、かといって共通の話題もない。そんなとき、さしさわりなく始めさりげなく終えるのにもってこいの常套手段である。手紙の文章が「拝啓」で始まる――それは、次に続く「貴下益々ご清祥……」や「師走の候……」にはほとんど意味がないことを書くほうも読むほうも了解済み、ということだ。したがって、拝啓の次はしばらく飛ばして「さて」まで行けばいいことになっている。

ぼくもやむなく「拝啓」で始めなければならない手紙をしたためることがある。しかし、拝啓で始めたにもかかわらず、その後に書くべき定型文のどれもが相手にふさわしくなくて困り果てる。そんなとき、「拝啓」の後に何となく「前略」と書きたくなるのだが、この衝動は例外か。


心にもないことを書き、それを相手が読みもしないのだから、「前略」一つですべてをまかなえばどうだろう。前略とは手紙文の文章の前の部分を省略することである。それは、冒頭の時候のあいさつも省いてしまってもよいという約束の上に成り立っている便利な記号だ。つまり、「儀礼的な挨拶はしません」とか「用件のみ」とか「すぐに本題に入ります」とか「冗談抜きで」という合図であり予告である。

ところが、前略に続いて「大変ご無沙汰しておりますが、日を追って寒さが厳しくなる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか」という変則をよく見かける。これは、「拝啓 貴下益々ご清祥」ほどフォーマルではないにせよ、「カジュアル・ヌーヴォー」と呼ぶべき新ジャンルだ。この形式においても、「さて」が来るのは数行先である。前略だけではない。だいたい「略儀ながら」と書かれてある手紙で形式的な手続きが略されているものにはめったにお目にかからない。そして、このような奇妙な習慣は電子メールにも継承されている。

いっそのこと「前略-草々」というセットもやめてしまってはどうだろうか。前略なのに往生際が悪く、何一つ略していないではないか。ぼくの場合、メールであいさつが面倒なとき「用件のみ」と書くことがある。反省すれば、あれだって一種の言い訳だ。唐突感を避けて本題を少しでも先送りしようとする魂胆がある。同様に、前略も言い訳に等しい。そんな言い訳を一言もしたためず、いきなり用件からズバッと入る。一切の飾りや虚礼がないからぶっきらぼうである。まるでウォームアップなしにいきなり水に飛び込むようなもので、危険なことこのうえない。書き手には尋常でない勇気がいる。と同時に、そんな手紙やメールを受け取る読み手の器量と度量も試される。

昨日地名の話から始めた「省略」の主題が、変な方向に脱線してしまったかのようだ。中途半端でオチもない。ゆえに「後略」とする。  

省略という奇妙な習慣

ぼくのオフィスは、府関連の庁舎が多い大阪市中央区谷町界隈の一角にある。その昔、この谷町に住んでいた医者だか呉服問屋の主人だかが大の相撲好きで力士に手厚いもてなしをしたとか。真偽のほどは不明だが、タニマチの語源がここ谷町だとはよく言われる話だ。

市内を南北に走る谷町筋に沿って最北の谷町一丁目から谷町九丁目まで番地が付いている。この区間を走る地下鉄線にも谷町四丁目、谷町六丁目、谷町九丁目という駅名がある。多数の市民もしくは界隈の勝手をよく知る人々は、これらの駅名をフルネームで呼ぶことはまずない。それぞれ谷四たによん谷六たにろく谷九たにきゅうと略す。

谷町九丁目までが中央区。これに隣接するのが天王寺区の上本町である。この町名にも一丁目から九丁目までの番地があり、もっとも有名なのが上本町六丁目。上六うえろくと呼ぶ。幼少の頃、一番早く知った略称地名がこれだ。もちろん当時は略称とは知らず、「うえろく」というれっきとした地名だと思っていた。あまりにも上六が有名になったため、上本町イコール上六という錯覚も生じる。「うえろく三丁目はどこですか? と聞いてきた乗客がいた」と父親が苦笑いしていたのを覚えている(父は大阪市交通局に勤務していた)。

そうそう、大阪にはもう一つ超弩級の略名がある。長い長い商店街で有名な「天六てんろく」。「天神橋六丁目」が正式名だが、駅名「天神橋筋六丁目」も「てんろく」と呼ぶ(地名にはない「筋」が駅名には付いている)。


略称は地名だけにとどまらない。会社を創業した21年前、プロコンセプト研究所とフルネームで呼ばれたのは当初の数日で、その後は「プロコンさん」である。「さん」など付けてもらわなくて結構だから、「プロコンセプト」と呼んでほしいと願ったものだ。

クリームソーダを「クリソー」、トマトジュースを「トマジュー」、チーズたこ焼きを「チータコ」と縮める土地柄ゆえ、少々長めの名称だと省略の対象になることを覚悟せねばならない。5文字以上あると何かが省かれてしまうのがナニワ流だ。フルネームで呼んでもらいたければ、社名や商品名は4文字以内にしておくべきである。  

本来あるべきものを省いたり略したりするのは何かの都合によるのだろう。想像するに、第一の都合は発音のしやすさだと思う。「てんじんばしすじろくちょうめ」と言うのに驚異的な滑舌は不要だが、「てんろく」のほうがはるかに発音しやすい。そして、たぶん第二の都合は親しみやすさではないだろうか。長い正式名を短いニックネームで互いに呼び合うのは、関係がぎこちなくないことを示している。ある日突然、親しい人から「岡野勝志さん」とあらたまって声をかけられたら、とてもぎこちない。いや、それどころか、たぶん一大事であるに違いない。

第三の都合でありもっとも重要なのが、単純に面倒くさいことであると思われる。そもそも「略」のつくことばには面倒で邪魔くさそうな共通イメージがある。たとえば略式、略図、簡略、中略などからは、一部始終を示したり形式を踏まえたりするしんどさから逃れたいという気持ちが伝わってくる(白川静の「略」についての漢字始原説を調べたわけではないが……)。

親しき中にも礼儀ありという関係にあっても、話しことばなら地名を「たによん」と略し社名を「プロコンさん」と略して平気でいられる。ところが、書きことばになったとたんに省略にブレーキがかかる。手紙文では「谷町四丁目駅徒歩5分」となり、「株式会社プロコンセプト研究所御中」となる。

書くという行為では発音のしやすさを気にしなくてもよい。また、話しにくいことを書くのだから親密感もやや薄いかもしれない。しかし、第三の都合である面倒で邪魔くさいのは話しことばも書きことばも同じなのではないか。にもかかわらず、どんなに気さくな大阪人でも手紙の始まりに「毎度」と書いてよこしてきた者はいない。

省略は奇妙な習慣だが、省略すべきところをしないのも不思議である。この話は明日。

その一言、聞いてあげます

いただいた手紙や感想文を読み返すことがある。つい忘れてしまいがちな教訓や心理を思い起こすのに格好の材料になってくれる。


「企画と発想」に関する手紙がもっとも多い。この分野では目からウロコのエピソードをふんだんに盛り込んでいるので、自分のアタマの硬さを嘆いたり、問題に気づいたり、これからの決意を強めたりという感想が目立つ。これに次ぐのが「ディベート」にまつわる書状。こちらは、悟りから喜怒哀楽、感動から誤解・錯覚まで、メッセージの趣旨とトーンは色とりどりだ

長年ディベート指導に携わってきたので、批判や不満を聞いてあげる度量はまずまずだと思う(人徳にはあまり自信はないが……)。そのせいか、誰にも明かせないことをこっそり告げ口したり懇願したりしてくる人は結構いる。

「過日のディベートの試合で負けたが、先生はどう思われるか?」と録音テープを同封してきた手紙。「勝敗には決してこだわらないが、あの審査員の人格否定の発言は許せない!」と叫ぶ手紙。「必勝法を教えていただきたい」という、厚かましく幼稚な手紙。まずまずの度量のぼくは、それなりの回答を考えて返信する。時間を食うこともあるが、仕事の一環だと自分に言い聞かせている。

これらは実際に試合に出て議論をしたディベーターからのものだが、「試合後にディベーターと聴衆に取り囲まれて恫喝のことばを浴びせられた。正直、身の危険を感じた」という審査員からの直訴状もある。


手紙ではないが、研修の一ヵ月後に提出するアンケートの自由書き込み欄に次のようなコメントがあった。市の職員研修に参加した中堅職員である。


「たまにはディベートもどきを友人としています。効用としては、課題への接合を意識して仕事をしていること。少しアタマの回転が上がってきたような気分です。回りにいる人たちが今まで以上にアホに見えるのは気のせいではなさそうです。」


これなど、いいところに気づいてくれている。ディベートは、自分自身が賢くなるというよりも、自分も含めた人間の怠慢とアホ化現象に気づく絶好の機会を提供してくれる。しかしながら、ぼくは次のような一般的警告を発しておいた。


「ディベートを勉強すると、ディベートのできない人々がバカらしく見えてくることがあります。しかし、この感覚に溺れてはいけません。あなたには当てはまらないでしょうが、他人のアホさ加減を目の当たりにして自分が賢いと勘違いする中途半端なディベート学習者が多いのも事実です。」


ディベートには功罪がつきまとう。勝敗を決めるから真剣に学ぶという「功」の一方で、勝敗が相対的優劣であると錯覚する「罪」がある。他人のおバカさんぶりは、決して自分の偉さ・賢さではない。 

健全なる精神は健全なる肉体に宿る

おなじみの「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。これは、“Anima Sana In Corpore Sano.”というラテン語を訳したものだ。ちなみに、それぞれの頭文字をつなげると、シューズで有名なスポーツメーカーの社名になる。

もう15 年以上前の話。アメリカの国際弁護士事務所が日本オフィス開設にあたって、東京と大阪でパーティーを催した。領事館員や諸外国のビジネスマン、日本の実業家らが集う大阪会場に招かれた。事務所代表のユダヤ系アメリカ人G氏がぼくへ歩み寄り、数年前から日本に滞在している息子A君のことを尋ねてきた。

「息子は、頑張って仕事をしていますか?」
「ええ、とても。ただ、トライアスロンほどではないですが(笑)……」とぼく。

もちろんジョークである。欧米人主催のパーティーでは、会話相手に一度や二度は笑いの場面を作らねばならない。質よりもスピードがものを言う。A君の父G氏も切り返しは速い。

「予想通りですな(笑)。しかし、健全なる精神は健全なる肉体に宿る、と言いますからね」と暗に息子を援護した。

この時の諺が、なんと冒頭のラテン語での引用だったのだ。ふつうは分からない。しかし、ぼくは悪運が強い。当時から勉強していたイタリア語では“Mente Sana In Corpo Sano.”なので、その類似性から意味がわかったのである。そこで、さらに切り返した。

「できることなら、『健全なる肉体が健全なる精神に宿る』であってほしいですがね(笑)」

芸は身を助ける。こんな場面はめったにないが、外国語とディベートを学んでおいてよかったと思う瞬間である。


その後、G氏が居を構えた東京麻布の広いコンドミニアムにも招待された。A君には六本木に連れていってもらい、夜遅くまで飲み語り合った。

A君はぼくの会社に約3年間勤めてくれた。頭の回転がいい父親に比べればおっとりタイプ。たぶん潜在的には能力が高かったと思うが、知的であることよりもマッチョであることに「逃げていた」かもしれない。カラオケでは自称十八番の『和歌山ブルース』をよく歌った。彼が歌うたび、耳鳴りと苦笑に耐えながら、みんなで拍手喝采をしてあげたのを覚えている。

この諺、洋の東西を問わず、あまりオツムのよろしくない肉体派スポーツマンを美化するために用いられるようである。人間のメカニズムは、良質の野菜が良質の土壌で育つようにはいかないだろう。精神と肉体の相関関係を否定する気はない。しかし、野菜に比べれば相関関係はだいぶ薄い。

それにつけても、つくづく教養と思考スピードは武器だと思う。加えて、ユーモアと自己正当化も対話の必需品である。もしかすると、「健全なる……」は、奥手な息子に大器晩成の夢を託したある父親がこしらえた「苦肉の金言」だったかもしれない。

諺や金言は自分の都合であり自己正当化であるものが多い。トラ、特に子どものトラを希少だと考えた者が、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」を編み出した。「餅は餅屋」と言い出したのは間違いなく餅屋であって、饅頭屋ではない。「酒は百薬の長」の作者? もうお分かりだろう、大酒飲みに決まっている。 

二十年前の「異脳種交流の勉強会」

自分自身が中心となって立ち上げた最初の勉強会は〝Plan+Net”(プランネット)という、ワークショップ形式のレクチャラーズ・プログラムだった。スタートしたのは1988年で、約5年続いた。

当時と現在の時代テーマというか、関心事の相違をチェックするのに興味深い点があるので、順不同で列挙してみた。もちろんそのすべてのレクチャーをぼくが担当したのではない。ぼくが主宰したものには◎をつけておく。

人間細胞論  本当の自分と偽りの自分  僕の美術教師時代  賢い税金の話  速読のポイント  世相批評座談会  裁判のABC  ◎たとえれば楽し  女性能力開発法  ストラテジスト  生命と科学に感動  教育マーケティング  ◎ゲームのルール学  商業空間新情報  おでんパーティー  ビートルズの社会学  ◎英会話独習の秘術  バリ島の音楽論  家族関係の活性化  リカちゃん大研究  キリストと釈迦について考える  少女マンガ論  モータースポーツ文化論  フランスのロック・ポップス  お米が育つ過程  美しくボディビル  百人一首の魅力  ◎異端と正統の境界  流れを読む占星術  自己実現を設計する  ◎絵本の世界への誘い  ◎ディベートで知的武装する  無人島サバイバル報告  ◎十人十色の発想学  ダービー馬の誕生  必殺セールス術  スポーツに日米の違いを見た  意外に簡単、「個人輸入」  寺と町の栄枯盛衰  ああ、ユーゴスラビア旅情  インド、まるごと  若者心理を考える――曖昧さの研究  現代音楽史とその周辺  恐い、恐くない、成人病  1920年代の光と翳  模倣の美学  ◎大阪の下町情緒って何だろう  欧米建築レポート  人生の資金設計  ◎頭脳を爆発させる  フェミニストかく語りき  時代劇教壇  カルカッタの冒険  映画は最高!

驚かないでほしい。以上がすべてではない。総開催数のわずか4分の1である。なんと週一回というハイペースで開いた勉強会だったのである。テーマのバリエーションが豊富で、おもしろい切り口・着眼も垣間見える。会員には専門家もいればアマチュアもいた。会費はコーヒーがついて500円。レクチャラーは全員手弁当だ。あらためて、なかなかの人材に囲まれていたという実感を強くする。


この勉強会のユニークさは、「聴く・学ぶ」もさることながら、専門・趣味・自論について小一時間薀蓄を傾けてもらうことにあった。だからこそレクチャラーズ・プログラムなのである。話の内容については質問や批評も出る。和気藹々としたムードもあったが、挑発的な一言で真剣な空気に一変する場面もあった。

話してみて初めてわかることがある。話してみてこそ己の思考が明快になることがある。レクチャラーとしての立場がもっとも大きな学びになると信じて、有志が集まってお互いに発表の機会をつくったのだ。もちろん、これだけのテーマにくらいついて傾聴するのも相当なもの。だから聞き手にはボーダレスな知への、尋常でない好奇心が不可欠だった。賛同してくれた会員も最多で100名近くなり、常時20名近くの会員が出席した。

この趣旨に近い試みは今の時代も有効だと思っている。もはや週一というエネルギーはないが、月一、二回の時間ちょっとの勉強会なら再現できるかもしれない。

ところで、ぼく自身のテーマの本質に変遷はあっただろうか? 底辺に潜む考え方はあまり変わっていないような気がするが、「十人十色の発想学」で蒔いた種は現在も育てている。第3期を迎える私塾の大阪講座は明日開講するが、そのテーマが「発想(ひらめき)の極意」というのは決して偶然ではない。