ランチのついでにプチ歴歩

先々週に続いて先週も土日が雨。昨日は昼に何を食べるか定まらず、先週に食べたものを振り返ってみたら中華料理を食べていないことに気づく。自宅から歩いて78分の店を思い出して行ってみた。数年ぶり。

鶏とカシューナッツ炒め定食を注文。出てくるまで少々待たされたが、まだマシだったようだ。ぼくより先に入店したのにまだ料理が出てこない客が何組かあり、キャンセルが相次いだ。「厨房スタッフが一人休みなので、料理をお出しするまで15分ほどかかりますが、よろしいですか?」と先に聞いておけばいいのに。要領と段取りが悪い。

店を出て、ちょっと寄り道して「歴歩れきほ」することにした。大阪のこのあたりは観光客も来る歴史地区だが、住んで17年も経つのに、まだ地元感覚が熟さない。よく街歩きしていると思うが、今も知らないことばかり。空堀からほり商店街から南へ下る狭い路地がいくつもあり、そのうちの一つ――7年位前にタモリがブラタモリした――北田島地区に入ってみた。

鉄砲方同心てっぽうかたどうしんの住まいが何十軒もあった所だ。武家の兵卒には与力と同心があって、与力が騎馬兵で同心が歩兵。同心は与力の部下として雑務や警備の任にあたっていた。ここ大阪城下では敵が侵入した際には壁の内で鉄砲を構えたらしいが、それは有事の話。平時は鉄砲の研究、砲術、制作、修理をおこなっていたらしい。

お屋敷を再生したりインバウンド対応したりして店や通りが垢抜けし、さあこれからと言う時にコロナに見舞われたが、今はかなり賑わいを取り戻している。空堀は高台の上町台地に位置し、ここから西への道はどれも坂である。水は高い所から低い方へ流れるから、水は空堀には溜まらなかった。文字通り「水のない、っぽの」だったのである。

このあたりは大阪城の惣構え堀の跡。城下町全体を堀や堰などの城壁で囲んでいた。城壁の一部が今もあちこちに残っている。堅守防衛していたのは天守閣のみならず、攻められてもまち全体で長期間こもれるようにしていたのである。史実的に言えば、功を奏したことにはならなかったが……。

南方面すぐの所が瓦町で、かつては土の採取場だった。瓦用の土であるが、人形作りにも用いられた。その土のおかげで、すぐ近くを南北に走る松屋町筋が日本有数の人形問屋街になった。ここ十数年凋落が著しいが、一部の人形屋はマンション経営とネット販売で何とか生き残っている。

空堀商店街→田島北ふれあい広場(南惣構え堰)→再生長屋「惣」→直木三十五邸跡複合施設→観音坂→再生町家「練」→高津原橋→榎大明神→熊野街道のルートをゆっくり半時間ほどかけて帰宅した。参考までに、大阪城本丸、真田丸、南惣構え堰の位置関係は下記の地図の通り。三ノ丸の文字の「ノ」のあたりが自宅、西ノ丸の文字の「丸」のあたりがオフィスである。

「コード」という線引き

「スーツ2着買うと60%OFF!」
「創業祭につきジャケットとツーパンツが半額!」

こんな値段でいいのだろうかとこっちが心配してしまうA山やA木のような量販店ならよくあるキャンペーンだが、地元密着型の高級服専門店である。何度か利用しているから応援したい気持はあるが、不買癖がついた今、よくスーツを買っていた頃の半額以下と知っても、店に足を運ぶ気にはならない。もうスーツの出番がほとんどないのだ。

クールビズが浸透してネクタイが売れなくなったと紳士服店が嘆いたのもだいぶ前の話。売れ行きが悪くなったのはネクタイだけでない。スーツやジャケットの在庫も増える一方らしい。とりわけ夏スーツは売れない。大手企業でも行政でも4月~10月はノーネクタイは当たり前。年中ノーネクタイを推奨する職場さえある。そして、スーツ姿もどんどん減っている。

年中ノースーツ・ノーネクタイの、いわゆる「業界人」がいた。仕事が欲しいと言うから、ある企業幹部に引き合わせた。相手が客先で初対面という状況であるから、当然スーツ姿と思っていたら、カジュアルジャケットにノーネクタイで現れた。後で一言注意しておいた。「その服装では紹介者のぼくが困る。相手が服装に寛容か厳格かとは関係なく、初対面ではスーツにネクタイだ。大は小を兼ねるというのと同じこと」。


彼にはフォーマルとインフォーマルを分別する独自の〈コード(code)〉があるのだろう。よほどの自信がなければ貫けない。しかし、冠婚葬祭では礼服に白のネクタイを締めていた。やっぱり相手やTPOを気にしているのだ。

コードとは「規則」である。ドレスコードは服装に関する規則。その規則は時間帯、場所、場面、集まる人々に応じて微妙に変わる。規則に従順になるのは保守的だが、規則に逆らって自分流を貫くのも、ある意味で保守的だ。あるコードの否定は別のコードの肯定にほかならない。

二十代半ばの1年間、東京に赴任していた。アフリカのとある国の大使館主催のパーティーがあり、招待されていた上司が直前に参加できなくなったので代わりに出席することになった。わずか1年の滞在だったので身軽に引っ越していた。当然礼服など持っていない。上司は礼服で行けと命じる。月給の半分ほどもする礼服を買わされ渋々パーティーに行った。

会場に着いたら、開始時刻前なのにすでに飲み食いが始まっている。イブニングドレスの女性は何人かいるが、礼服を着ている男性はぼくを除いて誰もいない。主催者側に民族衣装が何人かいるが、出席者はほとんど普段着である。式次第なし、ドレスコードなし、名刺交換なし。誰かがテーブルへ誘ってくれて少し飲んだが、何も食べずにずっと面食らったままだった。1時間半ほど過ぎた頃、大使が現れ「お越しいただきありがとう」の挨拶でお開き。

どこからどこまでをコードとするか……線引きは難しい。