旅先のリスクマネジメント(5) 陸・海・空

venezia canale.jpgヴェネツィアには二度行ったきりであるが、景観は言うまでもなく、街の構造にも格別な印象が残っている。車は一台もない。外から乗り入れることもできない。海産物はアドリア海から水揚げされるが、その他の食材などは本土側から船で運び込まれる。水路は水上バス「ヴァポレット」という船で移動する。バリアだらけの島内は歩くのみ。年寄りには決してやさしくない街である。なお、他の街に比べて治安はいいほうだろう。

ヴェネツィアは島であり、観光の中心となるのはサンマルコ広場。そこから徒歩56分のホテルに4泊したことがある。対岸の本土側はメストレ呼ばれる地区で、島内よりも料金がだいぶ安い。メストレのホテルに一晩だけ泊まったのが13年前。ホテルのバーで食後酒のグラッパを舐めるようにちびりちびりと飲んでいたら、バーテンダーがタバコを一本、二本と差し出してくれた。当時、普段タバコを喫っていなかったが、頂戴することにした。午後9時頃バーを後にしてホテルの外に出た。一見して、何も目立ったものがない土地柄だとわかったが、周辺をちょっと歩いてみようと思った。人通りはほとんどなかった。

そうだ、タバコを一箱買ってバーテンダーにお返ししようと思い、自販機を探しがてら歩き、路地をちょっと入ったところに見つけた。ポケットからリラの紙幣を出す(ユーロに切り替わる前年だった)。その自販機の扱いに少々苛立ったが、まず欲しい商品のボタンを押してから金額を投入するタイプだと飲み込めた。タバコを一箱手にして振り向くと、若い男三人が数メートルのところに立っている。一人が「日本人? 日本語を話すか?」とイタリア語で聞いてきた。瞬時に危機を察知した。咄嗟に「イタリア語は話せない」と、まずいことにイタリア語で返してしまった。
 
すると、日本語で「こんばんは」と言い、次いでイタリア語で「ちょっと話してもいいか?」と追い打ちをかけてきたのである。英語で「イタリア語で知っているのは、チャオとボンジョルノと『イタリア語は話せない』という三つだけ」と適当に釈明し、三人の中を割って広い通りに出た。三人はポカンとしている。特に悪そうな連中ではなかったが、チャオと言って足早にホテル方面へと退散した。後で気づいたことだが、彼らはヴェネツィア大学の日本語学科の学生で、ぼくを見つけて日本語で会話しようと話し掛けてきたのかもしれない。もしそうだったら、大人げない態度を取ったものだ。けれども、夜間に声を掛けてくる連中と関わらないのは鉄則である。
 

 それから5年後のヴェネツィア。帰路は、水上バスでサンタルチア駅で降り、そこからバスに乗ってマルコポーロ空港へ行き、パリのシャルル・ド・ゴール空港でトランジットしてから関西空港というルートだ。午前5時前に起床しホテルをチェックアウトして、まだ真っ暗な細道や路地をくねくねと10分ほど歩いて水上バス乗り場へ向かった。船から地上に降り立ち、やっとこさバス乗り場を見つけて無事に空港に着いた。ひと時も安心などしていられない1時間だった。
 
機内持ち込み手荷物がかさばるのを好まないので、なるべくラッゲージのほうに詰め込んで身軽になった。カウンターでチェックインし、そのラッゲージを預ける。この時、重量超過かどうかはメーターに出るが、メーターに表示が出るか出ないうちに荷物が奥へと搬送されてしまった。そしてチケットを渡されたのである。そのチケット、重量超過の追加料金請求書だったのだ。「ちょっと待って。オーバーなら、中身を減らして手荷物にするから」と言っても、後の祭り。もう手続きが終わってしまったの一点張り。がっかりして別のカウンターで何万円だかをクレジットカードで切った。これまではどの空港でも超過などしなかったし、稀に超過していたら減らすように助言してくれたものだ。
 
帰国してからエールフランスに旅券のコピーとクレジットカードの控えを同封して異議申し立ての英文の手紙を書いた。一言注意を促して荷物を減らしてから手続きをするべきではないのか、あのグランドスタッフの顧客への対応はエールフランスとしてあるまじき行為ではないのかと綴った。十日後に返事があった。「おっしゃる通りでスタッフは重量超過をあなたに伝えるべきだった……しかし、券面の裏には重量超過については自己責任と書いてある……今回のことは料金を負担させ申し訳なかったが、当社としては責任を負えない……次の旅でもまたエールフランスをご利用願いたい」と、表現はきわめて丁重、しかし、再考の余地がないという厳しい結末となった。
 
二度と乗ってやるものか! と腹を立て、翌年はルフトハンザでフランクフルトからフィレンツェへと旅した。しかし、関空からだと便利なので、その後の二回の旅では懲りずにエールフランスを利用した。そして、二年前にはダブルブッキングという痛い目にも合った。しかし、ぼくも学習した。転んでもただでは起きない。そのダブルブッキングでは、現地で粘り強く交渉し旅費分の補償金取戻しに成功したのである。

旅先のリスクマネジメント(2) 駅構内、列車、切符

テルミニ駅.jpgローマ・テルミニ駅(写真はコンコース)。映画『終着駅』でおなじみの、イタリア最大級の国鉄駅である。”テルミニ(termini)”は英語なら”ターミナル(terminal)”。国内線も近郊線も国際線もここに停まる。しかし、終わりは始まり、終着駅は始発駅でもあるから、地下鉄で行けない郊外や都市へ出掛けるにはこの駅が起点になる。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅もミラノ中央駅も、テルミニ駅に匹敵する規模を誇る。このような鉄道の基幹となる駅につきもののトラブルがいくつかある。
 
まず、テルミニ駅が22番線あるように、列車が出発する番線が多いこと。東京駅とほぼ同数で東京駅ほど構造が複雑ではないから間違えようがないように思える。しかし、あちらの駅では出発間際まで番線が表示されないことが多いのである。コンコースの中央あたりにある大型掲示板をつねに見ておかねばならない。また、延着や出発遅れもアナウンスされないから、このパネルを随時チェックする必要がある。フィレンツェだったと思うが、パネルには17番線発とあったからそのあたりで待っていたら、出発するはずの列車が到着する気配がない。荷物を引っ張りながら移動して掲示板の前まで行けば、1番線に変わっていた。まあ、こんな具合なのである。リスクマネジメントの大部分は自己責任に委ねられる。
 

 次に、切符にまつわるトラブルがいろいろある。切符売場の窓口はだいたい混んでいるから、早めに並ぶことは当然だ。言葉の問題もある。ミラノからスイスのルガーノへの日帰り旅行の朝、知らずに国内線に並んでしまった。自分の順番が来ても売ってくれない。交渉の余地はなく、あらためて国際線切符売場に並び直した。これを機に、旅程が決まっていて変更の可能性がないのなら、長距離移動の際の切符は日本で予約するようにした。日帰り切符は自販機が便利だが、クレジットカードでの購入は少々面倒である。英語版画面で無事買えたとしても、券面がすべてイタリア語表示だから号車や座席がわかりにくいかもしれない。
 
さて、切符を買った。番線もわかった。テルミニ駅でも他の駅でも、いわゆる改札というものがない。自動改札口も有人改札口もない。切符を手にしたままプラットホームに入れる。しかし、そのまま列車に乗って、万が一車掌が検閲に来たら無賃乗車扱いにされて高額の罰金を支払う破目になる。プラットホームのあちこちにタイムレコーダーのような機械が設置されているので、そこに切符を差し込んで日付と時間を自分で刻印しておく必要があるのだ。これでやっと列車に乗り込めるが、それでもなお、向かう行き先が終着駅ではなく途中駅ならば、ほんとうにそこに停車するのかどうかの確認がいる。
 
乗ったら乗ったで油断はできない。座席探しにうろうろしていると可愛い女の子が二、三人近づいてきて親切に案内し、前後に挟まれてファスナーを開けられる。だから、肩にかけるバッグのポケットは身体側に向けておかねばならない。大きなトランクは座席まで持ち込めず、乗車口近くの荷物棚に置くから頑丈なチェーンで棚のバーにくくりつける。目的地以外の停車駅に着く前に見張りに行くことも必要だ。なお、車内アナウンスはほとんどない。次に停まる駅は新型列車なら電光表示されるが、古い型の列車なら駅に入線するたびにホームの駅名表示をチェックする。新幹線内のように熟睡などできないのである。

柿とバナナ

あんぽ柿.jpg好物の干し柿をいただいた。水分がほどよく残っていて深い甘みのあるあんぽ柿である。柿は日本人にとってなじみのある果物なので、日本原産だと思われているが、どうやら奈良時代に中国から伝わったというのが真説のようだ。この起源説を知ると、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)という句によりいっそう親近感を覚える。

201111月にバルセロナに旅した。その折に、有名なランブラス通りに面したボケリア市場で軽食を取り、店を冷やかして場内を歩いてみた。そこで、一杯たしか1ユーロほどの柿ジュースが売られているのを見つけた。他の果物とブレンドしていたのか、それとも何か別のものを添加していたのか、ちょっと柿らしくない鮮やかな色の甘い汁を困惑気味に飲み干したのを覚えている。
スペイン語でも発音は「カキ」で、kaquikakiと綴る。イタリア語でもcachikakiの両方の綴りがある。英語とフランス語はいずれもkakiだ。ぼくの知識が正しいなら、ラテン語系の言語ではカタカナの「カ」はcaで綴ることが多く、外来語の「カ行」の音にはkを用いるようである。柿の90パーセント以上がアジアで生産され、なかでも中国が最大の生産量を誇るが、日本語の発音であるkakiが世界中で標準の名称になっている。

 日本名の産物がそのままの発音で諸外国で使われていることに誇りを持つほどのことはないが、おもしろい現象ではある。もっとも、その逆は枚挙にいとまがないほど例がある。17世紀頃に日本に入ってきたポテトにはジャガイモや馬鈴薯という和製語があるものの、トマトはトマトだし、セロリはセロリ、バナナはバナナと外来語をそのまま使っている。発音こそ若干違っても、特に言い換えをしていない。外国で柿をkakiとそのまま流用しているようなことは、わが国ではごく普通にあることだ。中国語に始まって、ぼくたちの先祖は外来語を拒絶することなく、巧みに日本語内に同化させてきたのである。
 
ぼくの知る欧米語では特定の柿やバナナに言及しないときは、原則複数形で表現する。ところが、単数と複数を語尾変化として峻別しない日本語では「柿が好物」とか「バナナが好き」で済む。その代わり、単複同型ゆえに、いざ個数を表現しようと思えば助数詞を複雑に操らねばならない。柿は一個、二個だが、バナナは一本、二本である。猫は一匹、二匹で、犬も小型犬ならそれでいいが、大型犬になると一頭、二頭。鶏は一羽、二羽だが、ウサギもそう数える。鏡は一面、二面、箪笥は一棹、二棹、イカなどは一杯、二杯だから、これはもう覚えてしまうしかない。
 
複数にするとき、たとえば英語やスペイン語では基本は単数に-s-esをつける。イタリア語はちょっとややこしく、-aで終わる女性名詞は-eに、-oで終わる男性名詞は-iに変化する。名詞だけでなく、形容詞も男女単複で変わる。たとえば、おなじみの「ブラボー=bravo」も、すばらしいと称賛する対象によって、bravo(一人の男性)、bravi(複数の男性または男女混合)、brava(一人の女性)、brave(複数の女性)という形を取る。
 
そこで、イタリア語の柿であるcachiだ。偶然だが、発音も綴りもすでに複数になっている。ならば、彼らは一個の柿をどう表現するか。なんとcaco(カコ)という単数形を発明したらしいのである。ぼくの辞書には載っていないが、『歳時記百話 季を生きる』(高橋睦郎著)にはそう書いてある。興味深い話である。ぼくたちはバナナを一本、二本と呼ばねばならないが、バナーナーズと言わなくていいのはありがたい。

語学学習に学ぶ習得のヒント

『英語は独習』という本を20年前に書いた。初版のみで増刷はない。出版社としては妙味のない企画に終わったが、ぼくとしては語学学習の正論を著したつもりだった。ものを学び頭と身体に叩き込んで自動化するには、〈これ〉しかないと言い切ってもいいだろう。書名は『英語は独習』だが、学習論一般としても成り立つと今でも思っている。

〈これ〉とは「只管音読しかんおんどく」だ。ただひたすら声を出して読むのである。音読ができるためには、英語なら英語の、(1) 発音・イントネーション・リズムの基本が身についていて、(2) 読んでいる文章の意味がある程度わかっていることが前提となる。

何の取っ掛かりもない外国語を朝から晩まで聴いても、一生話せるようにはならない。イメージと結びつかない言語は意味を成さないのである。目の前にモノがありイメージがあり、ジェスチャーがあってシーンがあるからこそ、想像をたくましくしてことばがわかるようになる。母語ですでに概念を形成している成人なら、ふつうに英語の発音ができて文章の意味がわかれば、集中的に大量音読をおこなうと早ければ数ヵ月である程度のことは話せるようになる。


アルファベットを用いる言語のうち、日本人が文字面で発音しにくい筆頭は、実は英語である。英語はほとんどの人が最初に接する外国語、しかも何年もやっているから文字を読めるようになっているが、スペルと発音の関係はきわめて不規則なのだ。フランス語もそのように見えるが、これは英語を先に学んだからそう錯覚するだけで、先にフランス語をやっていると英語の不規則性はなおさら際立つ。

その英語を数年間ふつうに勉強してきた人なら、中学程度のテキストを何十回と声を出して読みこなせば、単語単位ではなく動詞を中心とした構文単位で意味がつかめるようになる。だから文章が話せるようになるのである。とはいえ、どんなに力説しても、「あなたはもともと英語ができたから、早々と話せるようになっただけで、例外ではないか!?」となかなか信じてもらえない。

イタリア語入門テキスト.jpg
イタリア語の教本。只管音読すると、一年も経たないうちにページも剥がれてこのくらい痛ましい姿になる。

ぼくは英語以外では、イタリア語をまずまず話し、スペイン語を聴いて少しわかり、フランス語も少々読める。それぞれ異なったスキルだが、まさに学習方法と費やした時間を反映した結果にほかならない。イタリア語はほんの少しの基礎知識をベースに、誰にも教わらず、ただひたすら音読した。特に1冊目の入門書はおよそ半年間続けた。英国で発行されたイタリア語教本である。この後、むずかしいCDや教本も勉強したが、ほとんど音読はしていない。つまり、最初に只管音読さえしっかりしておけば語学の土台はできるのである。

外国語のこと

議論・交渉・教育と、英語に関しては二十代からかなり高密度に接してきた。併行して20年以上英文ライティングのキャリアを積んだので、書くことと話すことにはあまり不自由を感じることはない。但し、読むことになると、現地で生活しながら学んだわけではないので、慣用句てんこもりの文章やディープな文化的テキストは苦手である。もちろん、知識のないテーマについて書かれた文章には相当手こずる。但し、これは英語に限ったことではなく、日本語でも同様である。精通していないことは類推するしかない。

『英語は独習』という本を書いた手前、外国語独習論を撤回するわけにはいかない。単なる意地ではないことを証すために、その8年後にイタリア語を独習してみた。イタリア語には若干の素養があったものの、五十の手習いである。凝り性の飽き性なので、短期集中あるのみ。一日最低1時間、多いときは56時間欠かさずにCDを聴き音読を繰り返した。文法は英語の何十倍も難解で嫌になってしまうが、ほとんど文字通りに発音できるので音読には適した言語だ。

だいたい3ヵ月の独習でおおよその日常会話をこなせるようになった。現地に行くたびイタリア語で通すことができる。しかし、イタリア語から遠ざかってからおよそ3年後に中上級レベルの物語のCDを取り出して聴いてみたが、だいぶなまっていた。語学のブランクはリズム感から錆び始める。取り戻すためには、原点に戻ってスピード感のあるCDを聴き音読に励むしかない。


学生時代にほんの少しドイツ語とフランス語を勉強した。旅の直前に半月ほど頻度の高いフレーズを読み込み、現地で必要に応じて使う。貧弱な語学力であっても、少しでも郷に入っては郷に従いたいと思うからである。けれども英語やイタリア語のようなわけにはいかないので、結局ほとんどの場面を英語で穴埋めすることになる。

覚えたての外国語を教本のモデル会話のように使えば相手に通じる。通じてしまうと、つい質問の一つもしてみたくなる。すると、相手は流暢に答える。今度は、その答える内容が聴き取れないのである。聴き取るのは話すよりもつねにむずかしい。「これいくらですか?」などの表現はどこの言語でもやさしい。使えば通じるが、数字がよく聴き取れない。「最寄りのバス停留所はどこ?」とフランス語で通行人に聞いたら、場所を指差してくれると思いきや、聞き返されている。やっとのことで「あなたはどちら方面に行きたいのか?」と聞かれていることがわかった。

と言うわけで、レストランに入ってもめったに尋ねない。「これとこれをくれ!」と言うだけ。「お薦めは何?」などと聞くと、さっぱりわからない料理の名前を言われるからだ。あまり得意でないドイツ語やフランス語ではぼくの使う疑問文は「トイレはどこ?」だけである。たいていの場合、「突き当りの階段を降りて右」などと言いながらも、トイレの方向も指差してくれるのでわかる。

11月にバルセロナとパリに行くことになったので、スペイン語をざっと独習し、フランス語をやり直している。イタリア語からの連想でスペイン語は何とかなりそうだが、フランス語のヒアリングは難関である。昔からずっとそうだった。あと一ヵ月少々でどこまで行けるか。