アフォリズム的に三つの話題

アフォリズムと呼ぶには切れ味はいまひとつだと思うが、身近に目撃して再確認した小さな――しかし油断してはいけない――事柄から評言をつくってみた。


「能力より納期」
「期限守らず機嫌損なう」

納期に遅れたり期限を守らないのは、仕事上の犯罪である。ほとんどの仕事には旬というものがあり、旬を過ぎてしまうと一時間も一日も一週間も同じになるのだ。どんなに能力が高くても仕事が間に合わなくては無能に等しく、ゆえに「能力より納期」。また、どんなにうまく行っているビジネス関係も、商品やサービスへの満足は期限遅れで帳消しになってしまう。ゆえに「期限守らず機嫌損なう」。


「そのことをやる、すぐにやる、しばらくやり続ける」

わざと不器用に表現してみた。箴言には外国起源のものも多く、ちょっぴり鼻につく翻訳調の響きが逆に効果的だったりする。

スローガンによって道徳的な教訓を垂れたり指し示したりするのを好むわけではないが、だらしない人間の行動と意識を変えるためにはやむをえないと思うし、効果ゼロでもないような気がする。グズには念仏効果に期待したくもなる。但し、小難しいのはダメで、この程度のアフォリズムがいいだろう。「そのことを言う、すぐに言う、しばらく言い続ける」や「そのことを考える、すぐに考える、しばらく考え続ける」など、グズゆえにやりそうもない行動を表わす動詞に換えれば、いくらでも応用がきく。


「ノイズは会話を曇らせる」

 これは少々説明を要するかもしれない。ある司会者がぼくを紹介するときに、二語か三語話すたびに「あのう」を挟んだのである。聞きづらかったのは言うまでもないが、紹介されたぼくが聴衆には「アホっぽく」見えたに違いない。

この「あのう」や「ええっと」や「その~」の類いをぼくはノイズと呼んでいる。「結局」や「無論」や「やっぱり」もノイズになることがある。なぜノイズが入るのか。語るに足るほど思いが熟していないからであり、ゆえにメッセージに確信が持てないからである。恐々話すからことばに詰まる。詰まれば「あのう」や「ええっと」で息をつぐ。そんなことするくらいなら、グッとこらえて黙るほうがよほどましである。

流暢さを礼賛しているのではない。話していることと無関係で無意味な雑音は、会話の流れを滞らせるということだ。朴訥でもいい、慌てず騒がずことばを選んで話せばいいのである。何よりも、ノイズが多い会話をしていると真剣味に欠けると思われるから気をつけねばならない。   

「カンタンな仕事」はタブー

会社を創業したのは198712月。オフィス探しと同時に、定款や登記の準備に追われたのが前月。すでに起業していた大学の後輩に税理士さんを紹介してもらった。さらに、その税理士さんが司法書士さんを紹介してくれた。 

何の書類か忘れたが、手書きの原稿か何かをその司法書士に渡して仕事を依頼した。「ちょっと急ぎなんで。すみません」と言うと、「いえいえ、ワープロに書式が入ってますから、事務所に帰ってパパッとすれば簡単です」と対応された。これには驚いた。これではまるで「はごろもフーズのパパッとライスこしひかり」と同じではないか!? いや、それよりも簡単な作業に聞こえた。そのときの「簡単」は、カタカナの「カンタン」と表記されるべき響きであった。

ぼくもその一人だが、弁舌や文章を生業とする人はこれを教訓にしなければならない。具体的なアドバイスを3箇条にまとめてみる。

1.めったなことで「カンタンです」と口に出してはいけない。たとえ依頼されたその仕事がカンタンであっても、一度は苦渋の表情を浮かべて見せるように。

2.要する時間を一日、いや数時間くらいかなと見積もっても、遠慮がちに「あの~、数日ほどいただいても大丈夫でしょうか?」と小声で尋ねること。つまり、相手に骨のある課題であるように感じてもらう。

3.オーケーが出て納期が決まったら、表情を笑みに変えて「満足していただけるよう頑張ってみます」と答える。

具体的なモノを扱わず、ノウハウと知識という、他者からは見えない資源を使い、これまたすぐに消えてしまう音声と、吹けば飛ぶよなペーパーを納品形態とする職業人が「カンタンな仕事です」と告白するのは自害にも等しいことを忘れてはいけない。

(続く)

「なぜおまえはこんなに苦心するのか」

表題は手記に書かれたレオナルド・ダ・ヴィンチのことばである。正確に記すと、「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」だ。前後の文脈からは意図がよくつかめない。ここから先はぼくの類推である。

ダ・ヴィンチが生を受け天才ぶりをいかんなく発揮したのは15世紀半ばから終わりにかけての時代。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)は、13世紀から続いてきた東方レヴァント貿易の集大成であった。ダ・ヴィンチが一世を風靡した時代、画家や彫刻家のほとんどは十代の頃に工房に属していた。親方の指導のもと教会や有力パトロン(たとえばメディチ家やスフォルツァ家)からの依頼に応じて作品を制作していた。

当時はみんな職人で、まだアーティストという概念などなかった。ダ・ヴィンチは生涯十数作の絵画しか残していない。この数字は、天才にしては寡作と言わざるをえない。ボッティチェリ(7歳年長)やミケランジェロ(23歳年下)は仕事が早かったらしいが、ダ・ヴィンチは絵画以外のマルチタレントのせいか、あるいは生来の凝り性のせいか、筆が遅かった。筆が遅いため納期を守れなくなる。実際、納期をめぐって訴訟も起こされた記録が残っている。世界一の名画『モナ・リザ』も、元を辿れば納品されずに手元に残ってフランスに携えていった作品だ。だから、経緯はいろいろあるが、パリのルーヴル博物館が所蔵しているのである。


手記の冒頭をぼくなりに要約してみる。

私より先に生まれた人たちは、有益で重要な主題を占有してしまった。私に残された題材は限られている。市場に着いたのが遅かったため、値打ちのない残り物を買い取るしかない。まるで貧乏くじを引いた客みたいだ。だが、私は敢えてそうした品々を引き取ることにする。その品々(テーマ)を大都会ではなく、貧しい村々に持って行って相応の報酬をもらって生活するとしよう。

天才はルネサンスの時代に遅くやってきた自分を嘆いているようだ。明らかにねている。しかし、これでくすぶったのではなく、前人未到の「ニッチのテーマ」――解剖学、絵画技法、機械設計、軍事や建築技術など――を切り開いていく。天才をもってしても「苦心」の連続だったに違いない。それにしても、自身の苦心を可哀想にと嘆くのはどうしてなのか。おそらくこれはダ・ヴィンチの生活者としての、報われない悶々たる感情であり、同時に「まともに苦心すらしない愚劣な人たち」への皮肉を込めたものなのだろう。

孤独な姿が浮かんでくる。だが、他方、ダ・ヴィンチは「孤独であることは救われることである」とも語る。ひねくれて吐露したように響く「なぜこんなに苦心するのか」ということばも、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」という手記の別の箇所を見ると、多分に肯定的な思いのようにも受け取れる。


ダ・ヴィンチほどの天才ですら、好き勝手に絵を描いたのではなかった。注文を受けて困難な条件をクリアせねばならなかったのである。

誰からも指示されずに、自由に好きなことをしたいというのは自己実現の頂点欲求だろう。しかし、もしかすると、こんな考え方は甘いのではないか。いくつもの条件が付いた高度な課題を突きつけられ、何かにつけてクレームをつけられたり値切られたり……案外、そんな仕事だからこそ工夫をするようになり技術も磨かれるのではないか。どことなく、フィレンツェの工房がハイテクに強い下町中小企業とダブって見えてきた。近世以降、画家たちのステータスが職人から芸術家へと進化したのは、間違いなくダ・ヴィンチの功績である。最大の賛辞を送ろう。但し、天才の納期遅延癖を見習ってはいけない。現代ビジネスでは命取りになる。

来週の月曜日、京都の私塾で以上のような話を切り口に、今という時代のビジネスとアートの価値統合のあり方を語る。塾生がどう反応しどんなインスピレーションを得てくれるのか。ダ・ヴィンチ魂を伝道するぼくの力量が問われる。